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夢のかけら  真夜中に咲く花

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 最初の結婚の苦い経験に、世間も、男も、全く信用せず。己さえ、捨て鉢になり、23歳から26歳までの私は、荒れに、荒れ、日ごと仕事帰りに、飲み歩き、遊び回っていた。


 一度目の結婚は、夫に、八人の愛人がおり、酷いDVの日々が続き、出口のない暗いじめじめしたトンネルを絶望の縁で地獄のような結婚で、二度自殺を図るほどの五年間の結婚だった。

 弟の大学資金も出すと約束してくれたが、剣道で特待生待遇で、学費も、寮費も無料の弟には、不要だったが、四回生の長期休みの時、戸畑駅の前で20人の昔からの喧嘩ヤンキー達に囲まれ、鉄パイプやナイフやチエーンなど、ヤンキーの手には、物騒な凶器を持ち殴りかかったヤンキー達に待ち受けられた、弟は、工事現場にあった棒切れで
 応戦し、15人ヤンキーを病院おくりにし、 本人は、かすり傷程度だったらしい。様々な武芸を極めた弟は、全ての取得段を合わせると20段をゆうにこえると、弟は、自身が凶器と見なされ、警察の拘置所に勾留されていた。

 例によって、父は不在で、警察に出向いたのは、姉の私だったが、拘置所の隅で、膝を抱えて暗い表情のケンを見て
 無性に腹がたってならなかった。警察官が、とうとうと説明していたが、全く頭に入らず、私は、若い警察官に怒鳴った。


「弟自身が凶器・凶器と言ってますが、20対1ですよ!下手したら、弟、死んでますよ‼️竹刀でも、木刀でもない、工事現場にころがってた、細い木材で、対抗するのが、なぜ、ダメなんですか?物騒な凶器を全員持っていた相手に、黙って叩き殺されたらよかったんですか。調書を見せてください!全員。殺人未遂でうったえます!
 」と、真っ赤な顔で警察官を怒鳴り付けた。父の知り合いの弁護士が入ってきて、私の肩をポンポンと、叩き、若い警察官と話し始めた。結局、無事に警察署からは、出られたが、大学の特待生待遇の剣道部からは、問題を起こしたとして、退部になった。即、寮も出ることとなり、当然、後期の学費も必要になってくる。 「大学資金は、出す」と、大口をたたいていた、夫は、知らん顔で、一切助けなかった。一旦実家に帰ってきたケンだったが、駅前で声を掛けられた、自衛隊歓遊に即承諾。次の月には、自衛隊に入隊していた。大学卒業三ヶ月前の警視庁に幹部候補生として、既に、就職が内定していた弟のせめてもの、大学が自分を見捨てた事への、抵抗だったのだろう。

 幸せは、時々しか、来ないが、災難や、不幸は。立て続けにやってくる。

 弟の退学、私の離婚、離婚した子持ちの女は。水商売しかない時代だった。氷のような俗世だったが、
 正に、試練続きの日々だったが、あの地獄のような、五年間にくらべれば、少なくとも死にたいとは、思わなかった。

 だが、あの悪夢のような結婚から長いトンネルをぬけた先は、荒野だった。

 やっとの思いで地獄のような日々からぬけだし、慰謝料・養育費は、一円も払わない〈まぁ、一円も、要らないといったのは,ワタシだが〉

 さぞや高額費用が、かかる
 であろう。興信所での私への調査は13年間にも及んだ。

 裁判をわたしが起こせば、必ず夫が負けるからだろう。


 全く、金に転ぶと地獄をみると若い18歳から23歳までの五年間で善き勉強をさせていただいたと、その後の試練の時。修羅場の時、あの地獄の五年間は私に太い杖を与えてくれていたのだ。


 離婚後の私は、三年間、働いては辞めて又直ぐ昼間の仕事を求めては働く、夜は遊ぶ。

 思えば、連れて帰ってきた娘には随分と寂しい思いをさせたが私の祖父母は、特に肉体的にも精神的にも病弱だった母は、孫娘の世話が生き甲斐になったのか、みるみる健康を取り戻して来た。


 まるで、脱け殻のような自分を引きずり出戻りで三歳の娘を抱えて俗世の男達からは軽んじられその度に仕事も変えたが、その二十代から、三十代までに、実におおくの資格を取得したのも、〈資格があれば、生活が成り立つかもしれない〉会計上・宅建・地方公務員資格・調理師・栄養士・介護支援専門員・からーコーディネーター・第4危険取り扱い資格・簿記一級・珠算二級・速記一級等あげたらキリがないほど資格を取ったが結局、私に生活の力、お金になったのは
 、本来私に備わってた言語力をいかした接客業、販売業だった。

 夜、寝るのを惜しみ勉強し、休みは終日資格取得の為に必死で勉強した20年間は、私に経済力を与えてはくれなかった。必要だったのはこの顎と?回転力の早い頭脳。他人の気持ちを読み取る力だった。

 中途採用で、とある有名メーカーに採用された私は、ほぼ百貨店にテナント出店しており全国展開するメーカーだった。最初に配属された店舗で、一ヶ月で売上ランキングトップになり一年後には全国売上販売員の中でベスト3から落ちる事がなくなり給料より、能率給の方が高くなり、生活もそれなりに安定してきた。相変わらず極貧の両親にも、カンパでき人並みの生活が出来るようになり、あれ程ポンポン転職していた当初とは考えられないほど、そのメーカーに30年間ほど働く事となるとは、その時の私は思いもせず立場的な役職も上がっていった。それ程必死に努力もせず。余った時間を別の営業職につき、いつも三枚の別会社の名刺を持ち歩くようになってたのは、30代になったころだろうか?皆から〈キャリアウーマン〉とよばれイイエただの職業婦人です。とこたえたもんだ。


 自分を壊すような夜遊びも、三年で飽きた。第一、私はアルコールが飲めない体質で、どんな、アルコールを飲んでも、美味しいとも、一度として、思った事がなく、ほとんどの飲み会が接待だったが、下手に玄人顔してるので呑めると先方は勝手に思い、ドンドン勧めてくる。

 最初はドラキュラの嫁さんかと、白目まで真っ赤になり、気分が悪くなり、トイレで吐く。化粧直しをして又のむ。それを、三回位繰り返すと、顔色が青くなり目も普通になる。
 其処まで、いくといくらでも呑める。

 ふむ、これ下手すると、急性アルコール中毒で、命に関わるらしいのみ方だと、先輩が恐ろしげに、教えてくれた。


 それを聞いて好きでもな酒を26歳で止めた。それでも、仕事上接待は、続くので行き付けのスナック・クラブのママや店長と話をつけ、一杯目は水割りで乾杯するがママが、したり顔で少し口を着けた水割りを、「あら、店長は、バーボンストレートだったわね」と、グラスをウーロン茶にかえてくれていた。酒を呑まなくなって気付いたが、素面で、酔っ払いの取引先男性の付き合いは、キツイ。適当な処で、マスターや、ママに頼んで先に帰る習慣がついてきた。
 そのかわり、26歳からタバコを吸い始めた。理由は、単純な動機で〈これからは、私は、父と母の両方をやるんだ。それには、タバコだ。〉

 今から、考えると、アホらしい動機で、最初の頃は、こんなの男の人は、なぜ当たり前のように、みんな、吸うんだ? なにより、歯の裏や表が黒く染まるのには困った。

 なにしろ、百貨店での接客が私の仕事の内だったからだ。マスターやママの心遣いは、嬉しかったが、ただのウーロン茶が、酒と値段が変わらないのは、納得出来なかった。まぁー交際費でおちる。バブリー時代の頃のお話し。なんだったんだろう?あの時代は?

 まずっと感じたタバコを、いつの間にか手放せなくなりひと頃は一日100本の頃があった。素面で酒癖の悪いメーカー営業員と接待するときなどタバコでも吸ってなければアホらしくてやってられなかったらからだ。それにタバコは思いの外中毒症が強いらしい。今頃タバコのパッケージにいかに有毒かとデカデカと記入してあるが、そんなに有毒なら初めから売るなよ❗とおもうが、26歳から吸い初めてから一度も禁煙しようとは思ったことがない蛍だった。ただ外では、犯罪者のように見られるので一切吸わない。タワマンの最上階角部屋で吸うのみだ。知らん赤の他人にあれこれ言われたくないからだ。お陰で今は立派な引きこもり生活で、仙人のような、今の生活だ。


 そう、そう、
 [真夜中の恋の話]

 酒は、止めたが、同級生、友人になったママや、マスターから、真夜中にお誘いの電話がよくかかる時期があった頃があった。素人に毛が生えたような、どちらがお客さまかわからないスタッフより、玄人顔で客あしらいが上手い私は、よく、暇な店から、お呼びがかかった。「今、誰も客がいないんだ。蛍がのみにくるなら、来てくれる客に、蛍がもうすぐくると、言ってしまった。タクシー代・飲み代は客につけるから、たのむよ!今から、こないか?」と、切羽つまったマスターの声が、電話から流れる。バブルが、嘘のように弾け、バタバタと、飲み屋が潰れていってた時期。客も、自腹でのむ客ばかりなので、あんなに栄えていた飲み屋がいに、人影は、まばらになっていた。。たあさんも、蛍がくるなら、くるといってるからさ。]


 タアサン?はっとする程唄の上手いひと?

 タアさんも、、






     私の唄を、艶っぽいと、熱い眼差しでほめてた。色っぽいとは。よく、言われていたが、〈艶っぽい〉と言われたのは。始めてだったので、印象に残っていた。


 それに、
 初めて会った気がしない男性だった。

 匂いも、男にしては、綺麗な歯も、笑うとはにかむ笑顔も、何より、真っ直ぐに見つめる一途な瞳も。


「どこかで、あった?」

 と。きいたら、


「同じこと、俺も感じていたよ」と応える彼。


 よく。聞く、口説き文句だが、真面目に云うのがわかった。

 その時、私は、この上もらなく私を大切に愛してくれる、五歳年下の男の子。彼は、26歳。私31歳。連れ子の娘にも、やさしくしてくれ、幸せな結婚生活を、おくっていた。勿論DV無し。この上もなく、やさしく、この上めなく、私を愛し抜いていた人だった。

 マスターは、「あれほど、安全な男性はいないよ。なにしろ、店のホステスが本気で誘っても、笑ってかわす、いい客なんだからね」と言うが、

 私には、とても危険な男にかんじた。

 さいこんは娘が18歳になった36歳の時。結婚をもうしこまれたのは、27歳の時、なんと11年間も待たせたこになる。

 まぁー私に出逢う前は、なかなかのセンスのよい
 少年ぽい雰囲気の残る、しかし、どこか、影のあるアパレルの店長たあだった。ハンサムな男の子で、女に非常に人気があり、いつも女にかこまれてはいるが、どこか白けている子だった。しかし月末になりとアチコチの女に電話してその月の売上目標達成の為に、むりやり、店の品をこらせるような強引さのある子だった。他人を信じてないのが言葉の端々に感じる。次々と彼女を変え次々と同棲をくりかえしては別れる子だったが、女性達はいつも同じ事を別れ際にいった。

「なにを、考えているか分からない男だった。」


「ふぅーん。別になにも考えてないんじゃないの?」と、答えていた。

 きっと、
 誰も愛して愛していないのだ。

 そう~かんじた。

 しかしながら私にとっては、(困ったときの堺君だった。)11年間も。

 困ったとき、重いものを運ぶ時等など呼べば、即来てくれる頼もしい存在だった。

 あるとき、


「僕の事、あそびですか?!」


 と、真剣に、真っ直ぐにいわれた。


 五歳も年下だったし、いつか、別の若い女の子と付き合いだすと思っていたら私は、その真っ直ぐな真剣な眼差しに、ビックリした。

 弟ぶんとしか見てなかった彼をみる目がすこし変わったころ

 娘が言った。「ママ、いいい加減気がついたら?ぁさんは、ママの事大好きだよ。一回結婚してみたら?相手は独身だしと年下だし、コブツキのママでも良いって言ってくれてるよ。私は賛成。だってイズレ私も結婚するでしょう?老後をみてもらうのに、最適だよ。駄目だってら一度汚れた籍だから、一度も二度も同じじゃん。」とても、小五の言葉とは思えない、コマッシャクレタ、シタリガオの話を呆れた顔で見つめる蛍。

 〈あいつ、外堀からせめてきやがったな〉

 しかし、誰を紹介しても、「駄目だよ!ママは、私だけのママ❗あんたは、他人!」と、敵意を剥き出しにした娘に色々オモチャやお小遣いなどをてあげて手懐けようとしていたが、五歳年下の永山秀は一切物で子供の気を引こうとしない人で。
「私だけのママだ❗」

「誰が決めたんだ?」

「わたしよ!」

「それは、おかしいんじゃないか!ママにはママの人生がある。君には君だけの人生があるようにね」と、

同じ高さの目線で、まるで1人の人間として決して子供扱いなどせず根気よく娘との心の距離を縮めてゆく優しさがあった。


 私は黙ってその期間を、口を出さずみていた。いつの間にか友達となった二人。


 しまいには。二人から結婚を迫られていた。
 ある時、秀の両親にお逢いする機会があった。それまで両親の事を語りたがらない訳が会ってみてわかった。なにやら、ごちゃごな関係で、

いくら説明されても縺れたい糸のように理解出来ない複雑な家庭だった。

ただその話を聴きながら秀のいつも抱えている影だけは理解できた。

 正直。私の育ちもなかなかの極貧で隠されてた秘密もありデタラメな環境ではあったが、納得できる理由があり、だが生活力がない父だっただけで両親の愛情だけは信じられた。母も最期まで私を〈蛍は、私が産んだ子供よ〉と言いきって逝った見事な女性だった。2月2日には、間違っても桃の花なんて満開にならないのに。

 秀の家庭には、それがかんじられず、親・子供五人が他人のような、冷たい憎しみにも似た感情を、それぞれの胸のなかに秘めてる冷え冷えとした家庭だと言うことだけはわかった。

 その壮絶すぎるデタラメすぎる家庭環境を聴きながら、

「はぁー 上には、上が、あるもんだなぁー」


 と、感心しながらきいていた。彼の両親にあえば必ずや〈出戻り子持ち〉の私との結婚に猛反対されるに違いないと踏んでた私は彼の縺れきった家庭環境を、「ふん、ふん、成る程」と、何でもないことのように聞き入る私を、両親はいたく気に入り、

「こんな。しっかりした女性なら、頼りない秀をを託せる!」と、いたく気に入られ、トントン拍子に結婚が正式に決まった。
 正直、五歳も年下のモテ男は、若い女に走り、早い時期に、去って行くだろうとふんでいた。私もそれなりには、意外と良い人だとは、思っていたが結婚してみると、驚くほとの善き男性だった。女に囲まれるアパレルの仕事は辞めてくれというと、即

油まみれの鉄工所の中途採用正社員に採用されてきた。あれ程遊び回ってた女達とも、いともアッサリ絶縁してきた。何故かと聞くと、仕事上必要だったからと、男達に囲まれる新しい仕事には必要ないとケロリと答えた。
 人身無害的にみえるのは、元夫のそれと良くにていたが、私に対してだけは、裏表がない。

 間違っても、オレンジベンツの座席の下に新聞紙を敷き詰め、靴をぬがされ、靴下の底が真っ黒になり、そのベンツにドテラを来て、それが、かっこいいと勘違いしている
 

 バカ男の前夫とは大違いであった。


 結婚してみて、初めて、わかったが秀は、命懸けでわたしを愛していた。

「たまたま、本気で惚れた女に子供がいただけだ」

 と、言った。


「困ったときの秀」は、

いつも、私を理解してくれる、大変理想的な夫に変貌していた。。
 

 勿論、私に暴力を振るうことなど、ただの一度もない。

 完璧に幸せをつかみ日溜まりのような生活に、私は満足していた。

 娘にもやさしく、ときに厳しく完璧に父親の役割をこなしていた。
 私達を喜ばせる為に懸命に働き
 休みの日に必ず楽しいプランを考えて必ずつれていってくれた。私も、仕事が忙しい時期で、「月に一日でもいい。かぞくで遊べる日をつくってくれ」といい、「俺は君の笑顔をみれる遊びの為だけに懸命に働いている」と言いきる人だった。幸せな日々ってこんな日々なのかと実感させられる日々を過ごしていた。

そんな日々の中、あのマスターから夜中に電話が鳴る。すっかり寝入った12時すぎ、

「今、誰も客がいないんだよ。蛍がきたら、店に来るという客が、7~8人いたから、今夜蛍来るって言っちゃた。お願い!助けると思ってきてよ!タクシー代も飲み代も俺持つからさ」又かと、げんなりしながら私は話を聞いていた。

「ああ、ほら安全君も、蛍が来るなら即来るってさ」

安全君?いつも熱い視線で非常に危険な匂いするアイツのことか?
私と同じ香りのする影のあるエタイノ知れない男。昔どこかで逢ったような男。

眠い目をこすりながら、化粧もさっさと済ませ店にいくと。見知った男達の拍手の嵐。私の第一声は「私はここのホステスじゃないんだからね!いい加減にしてよ❗」
まあ~まぁ~と椅子を勧められ「そうそう、蛍さんは、こうでなければ」と、誰かが大声ではやすように言う。
ソコに、バタンと扉が開いた。はあはあと荒い息の安全君が来て、当然のように私の隣に座る。
「君が来たからというから急いで来たんだ」と荒い息で真面目な顔でいう。私の唄を聞いて 「みんな君の唄には凄い色気があるというが、違う。君の唄声は艶っぽいんだ、まるで、蛍のように、つかみ所が無いんだが、引かれて止まない、艶っぽさがある」


初めて、ドキッとした。

初めて、、ときめいた。


初めて、抱かれたいと思った。私こそ、本当の愛を知らない女だったのだ。


だが私には幸せに満ちた結婚生活がある。
この上なく私を愛してくれてる夫もいる。
おそらく、夫は私なくては生きて行けぬ。


そう~いくら自分を諫めても、いくらとめても、こころのざわめきはとまらなかった。

最初に出逢った時から、〈この人知ってる〉

最初に話した時から、〈やっと逢えた〉


彼は、幸せな結婚生活をおくっている私に、
「俺は影の男でいい」と、いい切った。

五年間の壮絶な自宅介護は、彼なしでは、実現は無理だった。買い物全般一手に引き受け、決して、私の部屋には。はいらなかたった。


そうー前世で、わずか三週間の激しい恋の相手だったのだ。

再婚相手の秀は、おどろくほど、あっけなく逝った。

そして今、転居したタワマン最上階で、彼は、私のそばで眠っている。。。






[さて、この話のつづき。貴方は知りたいか?残念、私さえ知らない〈真夜中すぎに咲く花〉の物語ですから、さて、、どうなることら、私が知りたい]
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