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第11章「境界線の向こう側」 (七原視点)
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白い光が、じわりと網膜を焼いた。
診察室の蛍光灯。秋も深まりかけた午後。
二日前――あいつの部屋に泊まってから、ずっと頭がぼんやりしていた。行くべきじゃなかったのかもしれない。けど、あの夜がなかったら、今日ここにいる自分はたぶん、いなかった。
晴れてはいたが、クリニックの中は無機質で、どこか冷え切った空気が残っていた。
ドアの閉まる音がして、俺は現実に引き戻される。世界から遮断された。俺と、あいつだけの密室。
「久しぶりだな、七原」
あいつ――佐原は、俺の名前を呼んだ。何年分か巻き戻されたみたいな声音。
「……やっぱりいるんだな。あんた」
声が震えた。悔しかった。よりによって、こいつがいる場所に踏み込んでしまったことが――情けなかった。
「そりゃな。ここが、俺の職場だからよ」
まるで天気の話でもするような口調だった。薄く笑っていた。それは知ってる顔だった。あいつが昔から、人と距離を取るときにする顔。
机の上に置かれたカルテ。俺の名前が書かれている。佐原の指先がそれをなぞるのを、俺は黙って見ていた。
「仕事なんだろ。だったら、形式通りにやってくれ」
「形式通り……ね」
佐原は立ち上がり、俺との距離を一歩詰めた。たった一歩。でも、息が詰まるほど近い。
「じゃあ、問診からいこうか。睡眠は?」
「……悪い」
「食事は?」
「まともに取ってない」
「気分の浮き沈みは?」
「毎日、落ちてる」
質問に答えるたび、過去の俺たちが割り込んでくる。
深夜のファミレスで、佐原が無理やりコーヒーを飲ませたこと。風呂にも入らず寝てた俺に、飯を作ってよこしたこと。
そういう全部が、今の「診察」になってるのが、なんか、ひどくて。
「俺、なんも変わってねぇな」
吐き出すように言った。何年経っても変われてない。そんな自分に腹が立った。
「……そうか?」
佐原の声が、少しだけ柔らかくなった。
「俺には、ちゃんと来たってことが、大きな変化に思える」
その言葉に、息が詰まる。その優しさが、俺の覚悟を鈍らせる。
「……なあ」
「なんだ?」
「あんた、前に言ったよな。『他の医者を紹介する』って」
佐原の目が、わずかに揺れた。
「……ああ」
「あれ、どうなったんだよ。紹介状、書くの忘れてんのか?」
挑発だった。試しているのだと、自分でもわかっていた。
佐原は一瞬押し黙り、そして、目を逸らさずに言った。
「……書けなかった。いや、書きたくなかった。……他の誰かにお前を任せるなんて、考えたくもなかった」
それは、医者の言葉ではなかった。
「……お前のこと、まだ許してねぇからな」
言った瞬間、自分でも驚いた。なんでこんなこと、今、言うんだ。
でも、そう言わなきゃ、きっと何も始まらない気がした。
「わかってる」
佐原はそれ以上、何も言わなかった。ただ黙って、それを受け止めた。
俺は立ち上がって、診察室を出た。
でも、ドアを閉めるとき、なぜか胸が――ほんの少しだけ、軽くなっていた。
きっと許したわけじゃない。でも、心のどこかで、「まだ」って言葉に救われてた。
診察室の蛍光灯。秋も深まりかけた午後。
二日前――あいつの部屋に泊まってから、ずっと頭がぼんやりしていた。行くべきじゃなかったのかもしれない。けど、あの夜がなかったら、今日ここにいる自分はたぶん、いなかった。
晴れてはいたが、クリニックの中は無機質で、どこか冷え切った空気が残っていた。
ドアの閉まる音がして、俺は現実に引き戻される。世界から遮断された。俺と、あいつだけの密室。
「久しぶりだな、七原」
あいつ――佐原は、俺の名前を呼んだ。何年分か巻き戻されたみたいな声音。
「……やっぱりいるんだな。あんた」
声が震えた。悔しかった。よりによって、こいつがいる場所に踏み込んでしまったことが――情けなかった。
「そりゃな。ここが、俺の職場だからよ」
まるで天気の話でもするような口調だった。薄く笑っていた。それは知ってる顔だった。あいつが昔から、人と距離を取るときにする顔。
机の上に置かれたカルテ。俺の名前が書かれている。佐原の指先がそれをなぞるのを、俺は黙って見ていた。
「仕事なんだろ。だったら、形式通りにやってくれ」
「形式通り……ね」
佐原は立ち上がり、俺との距離を一歩詰めた。たった一歩。でも、息が詰まるほど近い。
「じゃあ、問診からいこうか。睡眠は?」
「……悪い」
「食事は?」
「まともに取ってない」
「気分の浮き沈みは?」
「毎日、落ちてる」
質問に答えるたび、過去の俺たちが割り込んでくる。
深夜のファミレスで、佐原が無理やりコーヒーを飲ませたこと。風呂にも入らず寝てた俺に、飯を作ってよこしたこと。
そういう全部が、今の「診察」になってるのが、なんか、ひどくて。
「俺、なんも変わってねぇな」
吐き出すように言った。何年経っても変われてない。そんな自分に腹が立った。
「……そうか?」
佐原の声が、少しだけ柔らかくなった。
「俺には、ちゃんと来たってことが、大きな変化に思える」
その言葉に、息が詰まる。その優しさが、俺の覚悟を鈍らせる。
「……なあ」
「なんだ?」
「あんた、前に言ったよな。『他の医者を紹介する』って」
佐原の目が、わずかに揺れた。
「……ああ」
「あれ、どうなったんだよ。紹介状、書くの忘れてんのか?」
挑発だった。試しているのだと、自分でもわかっていた。
佐原は一瞬押し黙り、そして、目を逸らさずに言った。
「……書けなかった。いや、書きたくなかった。……他の誰かにお前を任せるなんて、考えたくもなかった」
それは、医者の言葉ではなかった。
「……お前のこと、まだ許してねぇからな」
言った瞬間、自分でも驚いた。なんでこんなこと、今、言うんだ。
でも、そう言わなきゃ、きっと何も始まらない気がした。
「わかってる」
佐原はそれ以上、何も言わなかった。ただ黙って、それを受け止めた。
俺は立ち上がって、診察室を出た。
でも、ドアを閉めるとき、なぜか胸が――ほんの少しだけ、軽くなっていた。
きっと許したわけじゃない。でも、心のどこかで、「まだ」って言葉に救われてた。
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