ど根性マオウ ~最底辺の落ちこぼれ勇者、中に魔王を飼っています~

明神 之人

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落ちこぼれ勇者と簡単な後日談

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 追加実習としてのダンジョン攻略を終えてから、早くも三日が経過した。

 あの後、意識を失った状態で街へと帰還したアルヴは、そのまま丸一日ほど眠り続けた。起きた事態の内情を踏まえれば当然とも言えるが、その一方で一日ぶりに目を覚ました彼の許には、ダンジョン内での出来事に関する学院側からの審問は拍子抜けするほどに全くとしてやって来なかった。

 寧ろ、提示されていた実習の達成要項をきちんと成し遂げ、刻限までに問題なく帰って来れたということで、追加の単位も獲得できた。入学当初から成績不良続きのアルヴにしてみれば、実はこれが何より諸手を上げて喜びたい結果であった。

 恐らくは。
 アルヴが眠っている一日の間に、リネージュたちが上手く画策したのだろう。

 とは言えあれほどの行為に及んだフィアに、何の処遇もないというのはありえないはずだ。事後の諸々を聞きたくてリーデロスド魔法学院へとリネージュ宛の伝令鳩ルグースを飛ばしたかったが、予後観察のためと言って目覚めてからさらに一日は学院の病棟に箱詰めされていたのだ。

 だが、アルヴの憂慮は杞憂のものとなった。
 彼が病棟からの退院を許可された日の夜、他でもないリネージュから鳩が届いたのである。

 届けられた文の内容は、至って簡素なものだった。――〝明日の放課後、指定の場所に来てほしい〟。

 書面の下部にはその指定先とやらが書かれていて。
 丁寧に地図まで添えられたその場所を見たとき、彼は思わず目を瞠った。



 そしていま、アルヴは三日ぶりの学院の講義を終え、制服姿のまま街の大通りを歩いていた。
 帯剣はしておらず、実習訓練などで必要な道具類も一切身に着けていない。なぜならリネージュから指定された場所は、決して街の外へ繋がる市壁の街門などではなく……通りの一角に設けられた単なるレストランだったからだ。

 空の彼方に宵闇が滲みつつある頃、ようやくその店先に辿り着く。扉の前で見上げた二階建ての外観は、前回訪れたのが五日前ということもあり、未だアルヴの頭に真新しい記憶として残っている。

 そう、リネージュが指定してきたレストランというのは、五日前にフィアが彼にダンジョン攻略の話を持ち掛けてきたあの店だったのだ。

 予定の時刻に扉を開けて店内に入ると、既に話が通っていたのか、アルヴが何も言うことなくスムーズに案内が行われた。
 通されたのは、前回と同じ二階……貴族たちが〝内緒の小話〟をする上で重宝されているらしい特別な場所。

 階段を上ってすぐにフロア全体を見渡せば、窓際の席に鮮烈な赤髪が見つかる。
 どうやらアルヴが階段を歩むその足音を聞いて立ち上がっていたらしいリネージュは、視線が合ったのちに軽く手を持ち上げた。

 そしてその隣では、何かの料理を豪快に食しているカザロフの姿があった。彼もまた、アルヴの到着に気付くやいなや、気さくな様子で手を振ってくる。

 ――その一席にあったのは二人の姿のみ。

 フィアの姿だけが、そこにはなかった。

「……この間ぶりです、リネージュさん、カザロフさん」

 アルヴがテーブルの許へ歩み寄り、そう告げる。しかし言葉を受け取った二人は何も返すことなく、ただリネージュが卓上の端に置かれた水晶へとおもむろに手を触れた。

 それもまた、アルヴには見覚えがあった。
 自分たちの会話や外からの雑音を遮断する防音結界の魔導具。
 自らのいるテーブルの周囲に結界が張られるのを確認してから、赤髪の少女は静かに口を開いた。

「えぇ、正確には三日ぶりかしらね。……思ったよりちゃんと回復したみたいで安心したわ。街への帰り道、一向に目を覚まさないから死んだんじゃないかと思ってたけど」

「あ、はい……その節はほんと、ありがとうございました……」

「そうだぜー? あん時はずっとオレが背負ってやってたんだからなー。怪我の具合で言ったんならオレの方が酷かったはずなのによー」

 ダンジョンからの帰路、意識を失っていたアルヴの〝運搬〟はカザロフが担ってくれていたらしい。だが彼も彼で、戦闘によって決して少なくない血を流した末の満身創痍だったのは間違いない。
 そのため、血塗ちまみれの男が人一人を背負って街門に現れた時は、夜間任務に当たっていた衛兵たちが揃ってぎょっとしたのだそうだ。

 やれやれと言った様子でその時の状況を語るカザロフにアルヴが苦笑いを浮かべていると、店員が音もなくやって来て彼の許に水の入ったカップを置いた。

 それを合図に、リネージュが溜め息と共に席へと着く。

「いつまでも下らない話してんじゃないわよ。無駄話するために、わざわざ放課後の時間使ってエイレニーヴァの近くまで来たんじゃないっての」

 リネージュが座ったのを見て、アルヴもまた彼女の対面に着席した。
 間を置かずして、怜悧な紅の双眸がまっすぐに少年を見据える。

「アンタだって、どうせずっと気になってたんでしょ、アイツのこと」

「っ、……はい」

「のんびりアンタが眠ってた間のこととか、そこら辺も含めて話をするために今日は呼び出したのよ。……あぁ、ちなみにアイツはいま自分の家でだから、そこんトコは安心しなさい」

 言葉の意味を解したアルヴは、驚いて耳を疑った。

「……あの一連のじけ……えっと、出来事を……内々に収めたんですか?」

 事件、と呼ぶのが憚られて言葉を選んだアルヴに、リネージュが抑揚の薄い声で言う。

「言っとくけど、アイツ自身は然るべき処遇ってやつを望んだわ。でもこっちがそれを拒否したの。……アイツの話を聞いて、アタシたちが、そう判断した」

「フィアさんの話、ですか?」

 そこで一度アルヴはカザロフに一瞥を送ったが、彼はこの場での発言をリネージュに任せているようで、肩を竦めて隣の少女に視線を戻すよう促してきた。

「アンタが眠ってる間に、アイツは全部を話してくれたわ――あのダンジョン攻略中、不慮の事故に見せかけてまで、どうしてアタシたちを殺そうとしてきたのか」

 そこで、半ば反射的にアルヴは息を呑んだ。
 しかしおおよそ想定はしていたはずだ。今日ここで、その話をされることは。

 だから彼は、リネージュが話の続きを口にするより早く、言葉を発した。

「僕は、その……フィアさんが、彼女のお父さんから命令されていたからあんな行為に及んだんだってことだけ……聞きました」

「……そ。まぁ、それが話の大元だし答えそのものなんだけど、もうちょい補足が必要かしらね」

 そう言ってリネージュは瞼を伏せ、静かに語り始めた。

 ――曰く。
 全てはフィアの父親、現セイントフォート家当主の男による我欲と妄執が原因だったのだそうだ。

 フィアが僧侶としての類い稀な才を発現し、『聖女』と呼ばれ始めたことでセイントフォート家の地位は向上した。だがそこで得られた権威こそが、セイントフォート家当主が以前から胸の裡に抱えていた欲望を増長させる結果となった。

 王国に古くより根付いている、魔導士と僧侶の確執。
 その中でも左翼思想(つねに変革を求め、社会の内情は人の手で変えられるとする思想)の派閥に染まっていたフィアの父親は、魔導士よりも僧侶の方が優れていると確信して疑っていなかった。

 同様の考えを持つ者だけで考えれば、国中に無数存在する。
 しかし公爵家となり広い権力を有するようになった男は、際限なくその思いを肥大化させ。

 やがて〝魔導士排斥〟……僧侶が確かな地位に立つために魔導士を排除すべしという思想にまで至らせた。

 そしてその矛先は当然ながら、魔導士の職業ジョブを発現し、王立リーデロスド魔法学院で主席の座に就くほどの才を持つリネージュにも向けられた。
 彼女以上に優秀な魔導士という意味では、他にも数多く見受けられる。それでもリネージュが狙われたのは、単に娘であるフィアと深い関わりがあったからというだけの理由だろう。

 そんな折に、追加実習のダンジョン攻略が学院側より言い渡された。

 これを機と見たフィアの父親は、そうして他でもない自らの娘に対して不慮の事故を装い、リネージュを含めてその場に関与した者たち全員を殺せと命じた。
 そしてフィアもまた、その命を拒否できずに受け入れてしまった。

 ――この辺りが、今回起きた事態の裏にあった内情であるらしい。 

 リネージュの語りがひと段落したタイミングで再び店員がやって来たため、アルヴはメニューを見て咄嗟に目についた紅茶を一つ、注文した。
 そうして店員が階下に降りていく間の時間だけ、その場には沈黙が落ちた。

「……魔導士がいなくなれば僧侶の地位が確立される。そんな突飛な考えをする人が、本当にいるんですね」

「別に珍しい話でもないわよ」

 アルヴがポツリと言葉を零せば、リネージュが雑然と手を振りながら応じた。

「そんだけこの国にある職業ジョブ同士の確執が根深いってこと。中でも特に、魔導士と僧侶の間にある溝ってやつはね。だからつまりは……六年前にアタシとフィア、二人がもしも一緒の職業を発現させてたら、今回の一件は起きなかったってわけ」

「……、」

 元も子もない話にアルヴは口を引き結んで押し黙る。

「ちなみに言っとくと、アンタは最初の段階じゃの対象には入ってなかったって。適当に気を失わせて、その間にアタシとこの脳筋バカを始末するつもりだったらしいわ。……けど、アタシがアンタの前で、アイツの本性を暴いた」

 昏い眼差しを湛えてリネージュは言う。

「いままでアイツが重ねてきた嘘や欺瞞を、アンタの前で明かした。その瞬間、ギリギリまだ蚊帳の外に立ってたはずのアンタは、一転して当事者になった。……そう考えると、その……アンタまでいろいろ大変な目に遭ったのは、アタシのせいってことになるの、よね……」

「……ん? えっ、と?」

「そうは言うけどなぁ」

 どこか要領を得ないリネージュの物言いにアルヴが若干困惑していると、彼女の隣でカザロフが投げやりな口調で続けた。

「アイツに歯向かう決断をしたのは、そもそもお前がコイツに説得されて、まんまと絆されたのが理由だろ。なら当事者っつー意味で言やぁ、アルヴはお前から話を聞いた時点でとっくにに立ってたんじゃねぇのか? はっ、テメェがテメェの手で引っ張ってコイツを巻き込んだんだとか、柄《がら》にもねぇ余計なこと考えてんじゃねーよ、アホらし」

「っ……脳筋のアンタと、一緒にすんじゃないわよ……!」

 からからと笑うカザロフに、リネージュは歯を剥き出しにして詰め寄った。
 一方でそんな二人をきょとんとした面持ちで眺めるアルヴに気付いてか、リネージュは咳払いと共に居住まいを正し、一度ティーカップに口を付けてから話を再開した。

「それで、その……話を聞いて、アンタはどう思った?」

「え?」

 聞かれた問いの意を図りかねて、アルヴは思わず眉を潜めた。
 口にした質問の補足をするように、リネージュが言葉を重ねる。

「アンタも被害者の一人なんだから、当然アイツの処遇を決める権利はアンタにだってある。アンタがアイツに何かしらの罰が必要だって言うなら、いまからどうとでもできるし、きっとアイツ自身もそれを受け入れるでしょう。だから聞いたの……話を聞いて、アイツの内情を知って、どう思ったのか」

 被害者、という単語を彼女は明確に使った。
 それは恐らく、フィアがしたことの重大さをありのままアルヴに突き付けるための槍だったのだろう。
 アルヴが決して、甘さゆえに彼女の〝罪〟を見逃さないようにするための。

「……そう、ですね」

 けれど案外、返答はひと呼吸ほどの間だけを置いて発された。

「ちゃんと話を聞いて、あの人が内側に抱えていたもののことを知って……その上で僕は、やっぱりフィアさんを助けられて良かったなって思いました」

 そう言って薄やかな笑みを浮かべるアルヴに、リネージュは僅かに目を眇めた。

「あの人がしたことの重さは理解してます。でもそれを踏まえても、僕はきっと何度だってフィアさんを助ける選択を取る。それだけは間違いありません」

「……意外ね。勇者のアンタは、例えそこにどんな理由があろうと『罪は罪』って考え方をするんだって思ってた」

 言われ、アルヴは黙り込むと同時に束の間目を伏せた。

 あの戦いの最中にフィアが叩き付けてきたあらゆる激情を、瞼の裏に思い返す。
 苦しみを慟哭に、慟哭を懊悩に、懊悩を悲しみに。そうして零れ落ちた少女の涙は、鮮明な珠の光として少年の脳裏に焼き付いている。

 そのなみだを見たのなら。見てしまったのなら。
 きっとアルヴは、そこに重ねられた感情を無視してまで、彼女の所業に罰を押し付けることはできないだろう。

 閉目と沈黙。
 それを一つの答えと受け取ったのか、リネージュが静謐な物言いで訊ねてきた。

「じゃあ聞くけど……アンタもアタシたちと同じで、アイツには何の罰も必要ないって考えでいいの?」

 ――その問いは。
 もしかしたら、彼女が自ら下した選択の成否を確かめるためのものなのかもしれなかった。

 だから、なのだろう。
 その時だけ、即座にアルヴが言葉を返したのは。

「それは、少し違うかもしれません」

 テーブルの上に視線を落として、ポツリポツリと零すようにアルヴは言う。

「今回、フィアさんがあんな行為に及んだのは、お父さんから命令されたからです。そのせいで限界まで追い詰められて、自分を見失っていたんだとしても……きっとあの人は、なんだと思います。普通に自分のやったことを省みて、目を背けず誤魔化すこともせず、ありのまま受け止めてしまう。……それは充分に、〝罰〟と呼べるものだと思いますから」

 恐らくこの先、フィアは自罰と自責を抱えて生き続ける。
 彼女を責められる権利を持つアルヴたちからは何も裁きを貰えず、ただ自らの犯した罪を自覚したまま生きていく。

 誰かに裁いてもらえない罪は、自分で背負うしかない。
 罪は傷で、傷は記憶だ。刻まれた傷が痛む限り、その者は自分の背負っている罪を決して忘れない。忘れることができない。
 だからその傷こそが、フィアにもたらされる唯一の罰なのだと。

 そう告げたアルヴに、リネージュは呆れたように言った。

「まぁ、それもアンタらしいと言えばアンタらしいけどね」

「す、すいません、なんか偉そうに」

「別に。言ったでしょ、アンタも当事者の一人なんだって」

 椅子の背もたれに体重を預け、どこか脱力したように息を吐いたリネージュは。
 やがて眉を顰めながらも、小さな声を零した。

「その……全部を打ち明けてきたあとに、アイツがね……フィアが、言ったの」

 彼女は。
 そこで今日、初めてアルヴの前で、幼なじみの少女の名を口にした。

「家の問題は自分で何とかして見せる、父親の暴挙はこれ以上広げさせない。それと……もう親の傀儡にんぎょうでいるのはやめるって。……そう言って、アイツはぎこちなく笑ったわ」

「……、」

 リネージュが僅かに瞼を伏せる。そこには沈痛の色が多分に滲んでいた。
 隣ではカザロフもまたその時の様子を思い返しているのか、頬杖をついて明後日の方を向いている青年の横顔には、一抹の険しさが窺えた。

 そこでまた、まるで会話が途切れたタイミングを見計らっていたかのように、先ほどアルヴが注文したものを店員が運んできた。目の前に置かれた紅茶を見た途端、アルヴは自覚の外にあった喉の渇きを覚え、すぐさまカップに口を付ける。

 嚥下と共に鼻に抜ける爽やかな香りと、舌に少しだけ残る若干の甘み。
 この味を以前にもどこかで、と考えたところで、前回フィアとこのレストランへ食事に来た際、彼女に勧められて食後に飲んだものと同じ紅茶だったことに気付く。

 お気に入りなのだと言って、フィアは笑っていた。
 そしてその時の、好きな紅茶の味を楽しむ彼女の笑顔は、少なくともアルヴにとって間違いなく本物のそれに思えた。

「……フィアさんのお父さん……セイントフォート家の当主さまは、いつからフィアさんに理不尽な命令をしてたんでしょうか。自分たちの立場を良くするために魔導士排斥なんて、そんな……」

「あぁ、その辺は案外、気にしなくていいと思うけど」

「え?」

 アルヴの呟きに返ってきたのは、どこかぞんざいで投げやりな言葉だった。
 カップの中で揺れる紅茶に視線を落としていたアルヴは、驚きと共に顔を持ち上げる。

「それってどういう……」

「じゃあ聞くけど、〝排斥〟なんて仰々しいことをのたまってるが、実際に自分で命じて手を掛けようとした魔導士の数、アンタはどれくらいのもんだって思ってるわけ?」

 呆れと憐憫、そして純粋な不機嫌を孕んだ物言いに、アルヴは首を傾げる。
 その仕草を見て取ったリネージュが、盛大にため息を吐いてから続けた。

「たかだか娘の才能に寄り掛かってるだけの、持ってる権威を自分由来のものだって勘違いしてるような小物が、人を殺す命令なんてそうそうできるワケないっていう……そんな単純で情けない話よ」

 その答えに、アルヴはしばらく沈黙と共に固まった。

 ――確かに。
 リネージュの口にした言葉が真実なら、それはどこまでも虚しい話だろう。

 ただそれでも、アルヴは思った。
 仮に唯一理不尽な命令を押し付けられたのがフィア一人だけだったのだとしたら――それもまた、やはり虚しさを伴った報われない話に過ぎないだろうと。

 そうしてフィアの抱えていたであろう惨痛を想像したアルヴは、そこで以前から聞きたかったことを思い出し、問うた。

「えっと……ずっと聞きたかったんですけど……どうしてフィアさんはお二人に、僕を貶めるような指示をしてたんでしょうか……?」

 聞く相手を考えれば割と直接的すぎる質問に、やはり二人は揃って顔を顰めた。
 自分たちがアルヴにしてきた行いを思い返しているのだろう。苦蟲アチュネを何匹もまとめて噛み潰したような表情を浮かべながらも、リネージュは大きな息を一つ吐き、アルヴの問いに答える。

 おもむろに窓の外へ視線を向け、遠くの景色を見やりながら。

「……アイツはね、〝本当の勇者〟ってやつに憧れてんのよ。子供の頃からずっとね」

 その言葉は。
 いままで何度もフィアの口から聞いてきた。
 本当の勇者――果たしてどんな意図があって彼女がそれを口にしていたのか、結局のところアルヴには分からなかったけれど。

「もうずっと昔、まだアタシたちが職業ジョブを発現するよりも前の頃。アイツはの出てくるおとぎ話をよく読んでたわ」

「おとぎ話?」

 思わず単語を反芻し、無意識にアルヴは身を乗り出していた。

「それは何ていう……」

「本の題名なんかアタシが知るわけないでしょ。……でも、降り掛かる理不尽に苦しむ女の子が一人の勇者から救われる、そんなありふれた話だったってのは覚えてる。読みたくもないのに何回も一緒に読まされたから」

 そう言って彼女は薄く苦笑いを零した。

「アイツにとって勇者ってのは文字通りの英雄で……だからアイツはずっと、自分を救ってくれる英雄を探してたのよ」

「……英雄」

「けどそれと同時に、アイツは今代の勇者ってやつに少しだけ失望してた。そりゃ当然よね、おとぎ話に出てくるような大英雄の素質を持ってる勇者なんて、最近じゃそれこそあの『白銀の眠り姫』くらいしか現れてないもの」

 不意に出てきたその呼称に、アルヴは無意識に目を眇めた。
 しかしリネージュは彼の些細な変化には気付かぬまま、その貌に陰を落として言う。

「――そんな中で、アイツはアンタを見つけた。自分のお眼鏡にかなうかもしれない勇者をようやく見つけて、でもその実態は『最底辺の落ちこぼれ』で。……だからは、アンタが少しでも強くなるための〝試練〟みたいなものだって言ってた」

 試練、と。
 アルヴは声に出さないまでも、聞かされた言葉を口の中だけで呟いた。

 おとぎ話の英雄に憧れ、その存在を求めていた少女は。アルヴを英雄足らしめんとしてその座へと彼を押し上げようとしていた。

「……だから、〝〟……だったんですね」

「言うこと聞かされといてなんだけど、もうちょっとマシなやり方があっただろって話よ。そーゆーとこ、アイツって昔から不器用なのよね」

 あの戦いの終盤、アルヴが自らの夢を――ユニスと二人でおとぎ話の主人公になるという夢を口にした時。
 フィアは、そんな夢は叶うはずがないと言った。アルヴでは決してユニスに届くはずがないからと。
 そうしてフィアは笑った。
 笑いながら……彼女は心裡にどんな思いを巡らせていたのだろう。

 人が英雄を欲する理由は千差万別だ。そこには一つひとつの思いや欲望があり、それは決して余人には触れられず、図れない。
 それでも分かることがあるとすれば――

「……英雄は、不屈の象徴」

 半ば無意識に零れたのは、多くのおとぎ話に出てくる有名な一節だった。

「でも、英雄だから何があっても折れないんじゃありません。何があっても折れない人だから、英雄になれる。……フィアさんその理想を抱いていたのなら……ちょっとは気持ちも理解できる気がします」

 聞く者が聞けば、まるでフィアの行いを肯定するかのような台詞に、リネージュが盛大な溜め息をつく。

「やっぱアンタ、頭おかしいわよ」

「ですかね」

 そう言ってアルヴは薄く、けれど屈託のない笑みを見せた。

「ていうか、どんな状況でも絶対に折れない人間が英雄だって言うなら、アンタはとっくに――――、っ!」

 そこで。
 なぜか彼女は唐突に黙ってしまった。
 まるで迂闊に何かを喋ってしまいそうになり、慌てて口を噤んだかのように。

「……?」

 リネージュの様子に首を傾げていると、ふと彼女の隣に座る青年が視界に入る。カザロフはなぜか、ニヤニヤと何かを面白がるような笑みを浮かべてリネージュを横目で見ていた。

 さらにアルヴは眉をしかめながら――そこでふと。
 いままでずっと気になっていたことを聞くことにした。

「それにしても、どうしてフィアさんは僕以外の生徒にしなかったんでしょうか……?」

「ご、ごほんっ……え、なに?」

 咳払いをして居住まいを正したのち、リネージュはアルヴの問いに片眉をひそめた。

「いや、単純な疑問なんですけど、勇者学院エイレニーヴァには僕なんかの他に……というか僕以外のほぼ全員が僕よりも成績が良いなのに、なんでその人たちには目を付けなかったのかなって」

 あの合同訓練に参加していた勇者学院の生徒はアルヴと同じ三回生の人間に限られていたが、少なくともリリアンを始めとした上位成績優秀者に加え、下級の中で唯一の聖剣所有者であるニドラもいた。

 だがフィアは、そういった〝ただしく才を持つ者たち〟ではなく、『最底辺の落ちこぼれ』であるアルヴに目を付けた。
 その理由だけが、何をどう考えても分からなかった。

 だからこの機会にと何とはなしに訊ねてみたのだが――

 「っ……?」

 その時。
 僅かに顔を俯いていたアルヴは、ふと糸が張り詰めるような奇妙な緊張感を察して、咄嗟に正面を見た。

 そこではリネージュが、まるで信じられないものでも目撃しているかの如くその赤い目を瞠っていた。硬く口を閉ざし、けれど何かを言いたげな様子で腕を組んでいる。

「えっと、その、リネージュさん?」

「……まぁ、〝〟なんてふざけた聞き方じゃなかっただけマシか」

 何故か明確な苛立ちを孕んだ呟きがあった。

「だから蹴飛ばすのだけは勘弁してあげる。感謝しなさい」

「ん、え?」

 頭の上に疑問符を浮かべるアルヴを見て、リネージュはまた盛大に溜め息をついた。
 だがほんの数日だけでも行動を共にし、それゆえに彼の性格の幾許かを理解したらしい少女は。

 そうしてどこか嫌がりながらも、アルヴの問いに対する答えを口にした。

「――英雄に救われたいだなんてことを恥ずかしげもなく言う脳内お花畑のやつが、一目見てそいつのことを気に入った……そこにどんな理由があるかって? 、クソ勇者が」

 そのくらい分かれ、と。
 リネージュは不機嫌さを隠そうともせずに鼻を鳴らし、以降はすっかり黙り込んでしまった。

 そしてその隣では、変わらずニヤニヤと笑みを浮かべているカザロフがポツリと、「女ってコエ―」と零していた。

 この場でアルヴだけが、やはり首を傾げ続けることしかできなかった。
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