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心酔
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しおりを挟む以前の勤め先の営業三課から送別会を開いてもらうことになった。
専務と和乃さんには、夕方から出かけることの了解を得ていた。
場所はオフィスの最寄駅近くの居酒屋だった。
何年も通い慣れた駅なのに、仕事を辞めた途端縁がなくなった。
久々に降り立つと、サラリーマンとOLの帰宅ラッシュの始まりで、その波に乗らない私は他所者だった。
居酒屋は忘年会や新年会で利用してたから場所は分かってた。
社名を店員に告げたら、三課で予約してある座敷部屋に案内された。
すでに綾さんは到着してて、私を見るなりハグしてくれた。
「弥生ちゃーん、元気だった?」
「三週間振りですね、綾さんは元気でした?」
私も綾さんの背中をポンポンと返した。
離職してから三週間程経ってた。
「元気じゃないの、聞いてよ、弥生ちゃん!」
まだ仕事で参加者全員は揃ってないそうだ。
すでに来てくれた課の人達には頭を下げて挨拶した。
「もう、堅苦しいのはいいから、いいから、」
ここに座って、と勧められたのは主役席だった。
その斜め前に綾さんは座った。
課長が到着次第、正式に乾杯することになってるそうだ。
「弥生ちゃんいなくなってから、営業課がわちゃわちゃなの。」
それは給湯室の物のありかが分からなかったり、だらしなく汚れてたりで、お局様が癇癪起こしたとか、一課から私の代わりに配属された新入社員がことごとく使えないミス連発、などなど。
日頃のストレスを私に話して聞かせた。
私の引き継ぎが足りなかったのもトラブルの原因のようで、少し反省をした。
「それにね、」
急に綾さんは声をひそめた。
なんでも私が離職してから、営業課のフロアに突然、専務が現れたそうだ。
こちらから出向くか、会議室で集まるのが常で、専務が自ら足を運ぶことは滅多にないから皆驚いたらしい。
一、二、三課の課長、それに部長が個別に呼ばれて抜き打ち聞き取り調査をされたそうだ。
パーテーション越しに切れ切れに聞こえた会話から想像するに、一課が起こした利益の損失を、契約社員の首切りで補填することにしたらしい。
「しかも、杉崎課長がね、」
杉崎課長は、個別聞き取りの時に
『 仕事ができる大事な部下を切るなんて、人事と上層部は無能だ。 』
って、啖呵を切ったらしい…
「でも、変なの」
「どうしたんですか?」
今回の損失のせいかどうか、営業部部長は地方へ異動になったそうだ。
「で、新しい部長が、」
ここでたっぷりと時間を置いて焦らす綾さん。
「…杉崎部長」
「え!」
「あ、まだ課長だ! 来月から部長」
そんな時タイミング良く、杉崎課長が到着した。
「杉崎課長は、こちらです」
綾さんが自分の向かいの席、私の斜め前の席を課長に勧めた。
「お疲れ様です。
今日は忙しい中、ありがとうございます」
立ち上がって挨拶すると、
「元気か?」そう声をかけてくれた。
「部長、限界です、乾杯の音頭お願いします!」
向こうの席から野次が飛ぶと笑いが起こった。
「コラッ、部長って言うな」
叱責しながらも、送別会という名の飲み会は始められた。
食事も飲み物も揃って、それぞれが思い思いにお酒の席を楽しんでた。
「課長、次は何を飲みますか?」
空になりそうなグラスを見てたずねた。
「弥生ちゃん、何聞いてんの。主役なんだからそんなの私に任せて」
「じゃ、ビール」
課長が頼むと、綾さんは皆のオーダーも集計するために向こうへ行ってしまった。
「部長に昇進されるそうですね、おめでとうございます。」
私の言葉に杉崎課長は複雑な表情をした。
「部長の地方異動は葉山の解雇にも関わってるし、俺の昇進は手放しでは喜べないね」
課長はそう言うと少ないビールを煽ったから、グラスは空になった。
「きっかけはポストの空きかも知れませんけど、そこに杉崎課長が任命されたのは実力ですよ」
課長の眉尻が心なしか下がった気がした。
私は空のグラスが気になって、どこからかビールを調達できないか、長いテーブルの先を見渡した。
「いいんだ、ゆっくりやるから。今日はあまり酔いたくないから」
立ち上がろうとする私を課長は手で制した。
「それより、どう? 新しい仕事は見つかりそう?」
私は首を横に振った。
「実はまだ、何も手つかずで…」
「そうか、」
その時、綾さんのいた席に見知らぬ男性が膝をついた。
「課長、どうぞ、」
向かい合って課長のグラスにビールを注いだ。
「葉山さんも、どうぞ」
私にもお酌してくれるようで、今ある中身を飲んで空けた。
新たなビールがグラスに満たされる間に
「こいつ、一課から異動してきた新人、長谷川」
課長がそう紹介してくれた。
さっき綾さんがプリプリと怒ってた、例の新人君か。
そういえばいつだかの朝礼で、新人紹介されてたのを思い出した。
「俺が研修の間に退職されたみたいで、すれ違いですね。
あの、三課の仕事の相談に乗っていただけませんか?」
「もちろんです」
引き継ぎが上手くできてないから、この新人君が悩んでるんだろうと、少しの責任も感じた。
「とりあえず、ライン交換お願いします」
そう言ってスマホを取り出した。
「長谷川、テメー、調子に乗んな!
分かんないことは、俺に聞け!」
目の前の杉崎課長が喝を入れると、新人君は逃げるように退散してしまった。
「まったく、仕事しろっつーの!」
課長は怒りながら、お手洗いに立った。
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