コガレル

タダノオーコ

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内緒

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“期待” は “現実” に変わった。

晒された肌も、選ばれた人間しか知りえない形も、色も…
首を少し傾けて無防備に湯の中で眠る姿は、言葉を失うくらいに綺麗だった。

もう何分も、何十分もの時が流れたように感じた。
でも実際はシャワーを止めてから今この瞬間まで多分、数十秒の出来事。

葉山さんの瞳が開かれた。
ガラス一枚隔てて、絡み合った視線。

叫ばれるかも知れない。
准がバスルームの前を通ったらアウトだ。

俺は人差し指を唇の前に立てた。
“内緒” のサイン。
それから先に視線をそらしたのは俺の方。
シャワーブースを出るとバスタオルを腰に巻いて部屋に戻った。


台本をさらに読み進めてどれくらい時間が経っただろう。
気づいたら同じセリフを永遠ループしたり、共演者のセリフを覚えようとしてた。

台本を置くと、壁の時計に目をやった。
あれから一時間くらい経ったのか。

このままではお互い気まずいのは目に見えてる。
話をしよう。
そう思い立って、葉山さんの部屋のドアをノックした。

返事はなかった。
ドアを開けて電気をつけた。

いない。
ついでに廊下の奥のバスルームも確認してみる。

やっぱりいない。
一階か?

階段を降りて、リビングに入った。
電気をつけて奥のキッチンまで進んだ。

いない。
まさか、こんな時間に外に出たとか?
下にある公園は茂みが多くて、夜は誰が潜んでいるかも分からない。
女性はこの辺りを、夜一人でフラフラしないのが得策だ。

ここにきて少しの焦りを感じた。
勝手口のドアと玄関のドアを急いで確かめた。
どっちにも内側からの鍵がかけられてた。
良かった…
家の中にいるのは間違いない。

ひとまず安堵して玄関の扉を背にした。
振り返ったら、さっきは気づかなかった廊下の先に微かに光が見えた。

防音室だ。
ピアノが置いてある。
その部屋の締まりきってないドアが、蛍光灯の光を漏らしてた。

ドアを開けたら、葉山さんはピアノを前にして座ってた。
このドアの位置からは、横顔が見える。
こっちを向かないから、表情は分からない。
身体が固まってるのは、たぶん恥ずかしさのせいだろう。

ちょうどいい。
ここは防音されてる。
ドアを閉めれば、会話は誰にも聞かれない。


「ちょっと詰めてくれる?」

ピアノチェアーは座面がスエード生地の横長で、二人座れる代物だった。
動こうとしない葉山さんの隣に無理矢理腰を落とした。
グリグリと太腿で俺のスペースを広げると、観念したように少し向こうへズレた。


「圭さんには何でもなくても、私には大事件です」

何でもないことはない。
俺の心臓は早鐘を打ったんだから。

「事件って言うと、犯人がいるってことでしょ?」

「犯人はここにいます」

そう言って葉山さんは、俺を指差した。
言いがかりをつけられて、やっと合わせることができた視線。

このイス。
母親とよく並んで座ったっけ。
その時は二人でも余裕があったはずなのに、どういう訳か今はぎちぎちだ。

そうだ、いま指を差されてる俺の図体がデカくなったんだ…

「あのさ、あんたが風呂に入るって俺に言いに来てから、二時間以上経ってたんだよ?
まさか、まだ風呂にいるとは思わないでしょ?」

「電気ついてましたよね?」

確かに。
今思い返せば電気はついてた。

“ あいつ、電気消し忘れてんな ”
って、思いながら服を脱いだんだ。
それを説明したら、無言になった。
そうは言っても、かつて葉山さんが電気を消し忘れることなんてなかったんだけど。

「事故だな、事故。
あ、俺はもらい事故」

葉山さんは俺を、恨みのこもった目で見た。 

残念ながら全然怖くない。
逆に至近距離の上目遣いが、違った意味で俺の心拍数を上げさせるけど。

「私のせいって気がしてくるから、圭さんはズルいです…」

「はは」

葉山さんは大きくため息をついて言った。

「何も見なかったことにして下さい」

ごめんね、無理かも。
俺の視力、両方とも 2.0。

「じゃ、俺の裸も忘れて」

「分かりました」

「見てんじゃん」

「もう忘れました」

思わず二人で吹き出した
葉山さんにやっとで笑顔が戻った。

内心、嫌われたくないって焦りを感じてた。
治った機嫌に胸を撫で下ろしてる自分がいた。


「なんで、この部屋に?」

「眠れなくて…」

まったく…探しただろ。

「うちは母子家庭で、ピアノを強請ったけど買ってもらえなかったんですよね」

「そう」

葉山さんはピアノに触れようとして、でも指を浮かせたまま躊躇って触れなかった。

「圭さんは、弾けるんですか?」

俺は母親に教わってたけど、亡くなった時にピアノはやめた。
だから基礎の基礎しか弾けない。
この部屋に入るのも久しぶりだった。

「弾いてみたい?」
「弾けませんよ」

部屋の隅の本棚の、子供の頃に使ってた教本を引っ張り出した。
懐かしいページを開いた。

「指3本だけでいいから、こうして、」

叩く鍵盤を教えた。

「それをずっと続けて」

葉山さんが奏でる和音に合わせて、俺が旋律を弾いた。
初めはリズムを保つのに必死だった葉山さんは、一曲が終わる頃には慣れて笑顔を向けてきた。

肩が触れ合う程の近さ、揺れる髪から届くシャンプーの香りが俺の鼻をくすぐった。


「どう、眠れそう?」

部屋の電気を消してドアを閉めると、二人並んで歩いた。
葉山さんの部屋は階段からすぐ。
質問の答えを聞く前に到着した。

ノブに手をかけたところで、
「ライン、交換しよ。」
ポケットからスマホを出して引き止めた。

葉山さんは頷くと部屋から自分のスマホを取って、入り口で待つ俺の元に戻ってきた。
お互いの登録はあっという間に終わった。

「おやすみなさい」

葉山さんが言った。

「おやすみ」

おやすみと言われたらもう、見送られて階段を上るしかなかった。
親父なら中に入れてもらえるのか?

フッ、とやるせない笑いが漏れた。




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