コガレル

タダノオーコ

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焦燥

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抱きしめた感触が違う。

スッポリと俺の腕の中に収まる柔らかい物体。
着ている服の柔軟剤と陽向の混ざった匂い。
風呂上がりの乾かした前髪に、鼻を埋めた時のシャンプーの香り。

キスすれば背徳と羞恥で潤ませる目。
歯を立てて噛んでしまいたくなる程の甘い唇。

全部、手放してしまった。
空虚だった。
残されたのは残骸。
俺と言う名の残骸だけだった。


成実とのキスシーンは何回もNGを出した。
呆れた成実は俺にだけ聞こえるように言った。

「新人アイドル女優じゃないんだから、しっかりやって」

成実に説教されるようになったら、いよいよ俺もお終いだな。


収録が終わったら、和乃さんに電話した。
これから車で和乃さんを迎えに行く。

一人暮らしは初めてだったから、家事は不慣れだった。
キッチンはほぼ使ってないから綺麗だろう。
料理はできない。
食事は買った物やデリバリーで済ませた。
洗濯は洗濯機に突っ込んで乾燥までやらせた。

問題は掃除だ。
電気屋で家電を一式揃えた時、本当は掃除ロボも買おうと思った。

その時ふと、和乃さんのことが頭に浮かんだ。
マンションは、和乃さんの自宅からだと俺の実家よりも近い。
それに駅からも歩いてすぐだ。
思いついたら電気屋からダメ元で電話をかけてた。
和乃さんは週一で掃除に来てくれると言った。

団地のこの前降ろした場所に、和乃さんは立って待っててくれた。
お疲れ様会から数週間、変わりはないようだ。
当り障りのない近況を報告しあいながら、車はマンションに到着した。

今日はここに初めて来てもらって、部屋を見せる手はずだった。
俺が留守の場合も想定して、合鍵を一本預けた。
オートロックの開け方も伝授した。
和乃さんはコンシェルジュにも丁寧に挨拶したから、覚えてもらったことだろう。

部屋を一通り案内して最後に、簡単な契約書にお互いがサインをした。
ちなみに契約書は涌井に用意してもらった。
とことん、使える奴だ。


***


数日後、ドラマはオールアップした。
あとは放送日前日に、最終回告知のための番組回りを残すだけだ。

昼に終わった収録の後、押さえた店で軽い打ち上げがあった。
飲むことを想定して、今日は涌井に送迎してもらった。
ただ事務所に手間を惜しまれたのか、行きも帰りも成実が同乗だった。

視聴率は最終回を残して今のところ、まあまあな数字だった。
和やかに打ち上げが終わると、店を出た。
一雨を恐らく誰もが予感する中、涌井に送り届けてもらった。
俺のマンションの方が店から近い、成実より先に降りることになってた。

マンション前に差し掛かると、向こうの歩道に弥生が立ってるのが見えた。

何でここに?
そう思ったのはほんの一瞬で、すぐに和乃さんの仕業だと思いついた。

助手席の俺の凝視に気づいたのか、後部座席の成実も窓の外の弥生を見た。

「すごい綺麗な子が立ってる。素人? もう圭のマンション、バレてんの?」

涌井だけは違った意味で弥生を見てた。
ファンの子だと思ったんだろう。

「成実がいなけりゃ、お持ち帰りするのに」

呟いた涌井に、成実は後ろから肩パンチを見舞った。

「脇目も振らずに一目散に帰れ」

俺はそう言い捨てて、車を降りた。


「何でだよ、」

俺が車を降りたら、成実まで降りてきた。

「ストーカー、追い払ってあげる」
「ふざけんな」

無情にも俺に成実を押し付けて、涌井の運転する車は走り出した。

…覚えてろ、涌井。
もしかして、本当にナンパする気なのか?

車が遠くに行くまで目が離せなかった。
その隙を突かれた。
成実が抱きついてきて、頬を寄せた。

「やめろ、」

口ではそう言いつつも、成実の行動を拒否できなかった。
向こうの歩道は意識して見ないようにした。
絡められた腕のまま俺は、オートロックのドアを開いた。

エレベーターに乗り込んで階数ボタンを押した。
ドアが閉まると、成実の腕を解いた。

「あの子、お父さんから圭に乗りかえたの?」
「そうじゃない。それに成実に話すことは何もないよ」

成実と横に並んで立ってるから、視線は合わない。
多分俺と同じように、ただドアを見てるはずだ。

エレベーターが止まってドアが開くと、降り際に一階のボタン押した。
箱を出てすぐに振り返ると、成実が降りられないように立ちふさがった。

それなのに成実は、勢いをつけて抱きついてきた。
一歩後ろに引き下がってしまった瞬間、成実の背後でドアが閉まった。

「何やって…」
「ずっと好きなのに、なんでダメなの?」

成実が俺の胸に顔を埋めた。
誰かに想い焦がれる気持ちは、俺にも良く分かる。
それでも、こんな時でも…成実が違うことを確認してた。
求めてる感触と違う。

無理だった。
抱きしめ返せない。

もし弥生がシンデレラなら、俺は一生持ち主の現れないガラスの靴に、女の足を嵌させ続けるバカ男だ。

「今日もこの前だって…散々利用してんだから、普通愛想尽かすでしょ?」
「私は真性のМなの!」

頭を上げずに言う成実に笑った。
Sにしか見えないけどね。
声を上げて笑ったのは久しぶりだ 。


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