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★お店はじめます
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次の日はちょっと足を延ばして二人で遠くのスーパーへ。店のものよりもまず生活できる環境を整えるほうが先だ。
そこはすごかった。アメリカみたいに店内が広い。それに、下着とか靴まで売っていて、びっくりするほど安い。
「利紗子、この下着可愛い」
私は衣料品を手に取った。利紗子は渋い顔をする。縫製が甘いと思ったに違いない。
「うーん、私はネットで買うわ」
「上下セットで798円だよ」
利紗子は靴下だけ買った。私はこだわりがないので下着なんてなんでもいい。どうせ見るのは利紗子だけなんだし。
「郁実、それより食材」
と歩いて行ってしまう。
「そうでした」
大きいスーパーなのに少量の肉や魚も売っている。きちんと小分けも。(一人用)の表記は必要だろうか。どこにだって孤独な人は生息しているものだ。そもそも一人暮らしを孤独と決めつけてはいけない。
だけれど、利紗子と暮らしてから、ずっと嬉しい。この感情に名前はあるのだろうか。だったら教えてほしい。
「郁実は毎日ちゃんといろんなものを作ってくれるけど、私は三食シチューとパンで充分だからね」
利紗子がパン屋でバケットを一本買いながら言った。
「うん。そのほうが楽?」
「昨日のブリ照りもその前のトンテキもおいしかった。でも、私たちは二人とも主婦じゃない」
利紗子の言わんとしていることはわかる。でも同棲を始めて間もないのだから、少しくらい幸せを噛みしめてもいいじゃないか。まさか自分が人と暮らせるなんて、それを楽しいと感じるなんて考えもしなかった。
おばあさんからもらった金柑をシュークリームに入れて食べてみたかったが、利紗子が全部食べてしまった。時間は待ってくれない。ということは、季節は変わってゆく。3月下旬なのに今年は温かい。このへんは日陰と日当たりのいい場所で気温がぐっと変わる。
家に荷物を置いて、また出かけた。利紗子が近くの牧場が気になるという。確かに、いい牛乳は私も手にしたい。もしかして利紗子、私のために探してくれたのではないだろうか。
牧場は開いていなかったが近くに販売所があるらしい。手作りの看板を辿る。
「いらっしゃい」
三角巾をした女性と元気いっぱいの声をあげる子どもたち。
「近くに越してきました。よろしくお願いします。私たちは同居人で、彼女、菓子職人なんですよ」
利紗子が説明をしてくれる。店は狭いが、冷蔵ケースにはチーズやバター、牛乳が並んでいた。
「うわー」
と心の声が出てしまった。
「うちの牛乳はおいしいぞう」
と4歳くらいの子ども二人が足元で言う。揃いの靴が象だからかけたのだろうか。こんな子どもが利口すぎる。
「お店を始める予定なんです」
と利紗子が伝える。
「へえ」
奥さんは牛乳の殺菌方法を話してくれた。30代の後半のもちもち肌。いい栄養を摂取していることが窺える。
「いくつか試させてもらってよろしいでしょうか?」
それだけは自分で言えた。
「もちろんよ。お宅が儲かればうちも儲かるわけね。ウインウインだ」
「ウィウ?」
耳慣れない言葉を子どもが反芻する。自分たちの口の動きで笑っている。
「そうなればいいのですが」
生クリームもあった。カチョカバロは自宅用。利紗子は食べたいが顔に出る。
「郁実、ヨーグルトも買おう」
スーパーで買ったじゃん。しかし、私も食べたい。
「うん」
こういう店って、そこそこの値段がしてしまう。スーパーで買った肉などの金額とほぼ同等。
「経費、経費」
利紗子が言う。
夕飯はサラダとバケットにラクレットの如く溶かしたチーズ。
ビーフシチューのつもりだったが、チーズの誘惑に負ける。女ってそういう生き物。
「おいしい」
利紗子は本当においしいの顔をする。
「パンの焼き加減はどう? 初めて下のオーブン使ってみた」
レストランだったということは、想像するに主に使用したのはグラタンだろうか。フレンチだから肉や魚をグリルしたのだろうか。ネットで番地検索をしたらまだヒットするのだろうが、あまり知りたくない気もする。立地がどうとかきっと書かれているのだろう。
「うん、ちょっと焦げてるけどそれもおいしい」
まさか、前のお店はパンまでは作っていないだろう。フレンチなら自家製パンを焼くことも考えられる。牧場の奥さんに聞けばよかった。
「オーブンの癖に慣れないと」
牧場のバターも使いたい。
眠る直前まで布団の中でルセットを開く。
エクレア店の元オーナーのルセットは簡潔。『1999年、12月30日 寒い日 小麦粉、有塩バター、きび砂糖でクッキーを焼く』
世紀末にどうしてオーナーはこんなことをしていたのだろう。これだけの材料で厚みを変えて、それぞれの触感が書かれている。『1センチくらい、しっとり。薄め、さくっと』
当たり前のことだけれど忘れていた。日持ちのする商品としてクッキーも置こう。前の店から使わなかったビニールの小袋を確か送ってあるはず。
「寒い」
利紗子が布団に潜りこんできた。さっきまでタブレットに触れていた利紗子の手が氷のように冷たい。お菓子の生地も冷たいから私の手も冷たい。冷たいと冷たいを足してもかけても冷たいにしかならない。一人だったら気にならない。利紗子が手を包んで息を吹きかけてくれる。
「利紗子、お店の名前、メイってどうかな? アルファベットで」
「郁実が5月生まれだから?」
『May』
利紗子がスマホに打って眺めている。
「しっくりこない?」
「ううん。近くに同じ店がないかあとで調べてみるね。スナックメイとかありそう」
自分では思いつかないことを利紗子は考えてくれる。
「ありがとう」
「おやすみ」
「おやすみ」
布団を二組並べてもひとつで済んでしまう日が多々ある。そういう日がもっと増えればいいな。もう私の手は温まったのに利紗子の脇の下から動かせずにいる。
そこはすごかった。アメリカみたいに店内が広い。それに、下着とか靴まで売っていて、びっくりするほど安い。
「利紗子、この下着可愛い」
私は衣料品を手に取った。利紗子は渋い顔をする。縫製が甘いと思ったに違いない。
「うーん、私はネットで買うわ」
「上下セットで798円だよ」
利紗子は靴下だけ買った。私はこだわりがないので下着なんてなんでもいい。どうせ見るのは利紗子だけなんだし。
「郁実、それより食材」
と歩いて行ってしまう。
「そうでした」
大きいスーパーなのに少量の肉や魚も売っている。きちんと小分けも。(一人用)の表記は必要だろうか。どこにだって孤独な人は生息しているものだ。そもそも一人暮らしを孤独と決めつけてはいけない。
だけれど、利紗子と暮らしてから、ずっと嬉しい。この感情に名前はあるのだろうか。だったら教えてほしい。
「郁実は毎日ちゃんといろんなものを作ってくれるけど、私は三食シチューとパンで充分だからね」
利紗子がパン屋でバケットを一本買いながら言った。
「うん。そのほうが楽?」
「昨日のブリ照りもその前のトンテキもおいしかった。でも、私たちは二人とも主婦じゃない」
利紗子の言わんとしていることはわかる。でも同棲を始めて間もないのだから、少しくらい幸せを噛みしめてもいいじゃないか。まさか自分が人と暮らせるなんて、それを楽しいと感じるなんて考えもしなかった。
おばあさんからもらった金柑をシュークリームに入れて食べてみたかったが、利紗子が全部食べてしまった。時間は待ってくれない。ということは、季節は変わってゆく。3月下旬なのに今年は温かい。このへんは日陰と日当たりのいい場所で気温がぐっと変わる。
家に荷物を置いて、また出かけた。利紗子が近くの牧場が気になるという。確かに、いい牛乳は私も手にしたい。もしかして利紗子、私のために探してくれたのではないだろうか。
牧場は開いていなかったが近くに販売所があるらしい。手作りの看板を辿る。
「いらっしゃい」
三角巾をした女性と元気いっぱいの声をあげる子どもたち。
「近くに越してきました。よろしくお願いします。私たちは同居人で、彼女、菓子職人なんですよ」
利紗子が説明をしてくれる。店は狭いが、冷蔵ケースにはチーズやバター、牛乳が並んでいた。
「うわー」
と心の声が出てしまった。
「うちの牛乳はおいしいぞう」
と4歳くらいの子ども二人が足元で言う。揃いの靴が象だからかけたのだろうか。こんな子どもが利口すぎる。
「お店を始める予定なんです」
と利紗子が伝える。
「へえ」
奥さんは牛乳の殺菌方法を話してくれた。30代の後半のもちもち肌。いい栄養を摂取していることが窺える。
「いくつか試させてもらってよろしいでしょうか?」
それだけは自分で言えた。
「もちろんよ。お宅が儲かればうちも儲かるわけね。ウインウインだ」
「ウィウ?」
耳慣れない言葉を子どもが反芻する。自分たちの口の動きで笑っている。
「そうなればいいのですが」
生クリームもあった。カチョカバロは自宅用。利紗子は食べたいが顔に出る。
「郁実、ヨーグルトも買おう」
スーパーで買ったじゃん。しかし、私も食べたい。
「うん」
こういう店って、そこそこの値段がしてしまう。スーパーで買った肉などの金額とほぼ同等。
「経費、経費」
利紗子が言う。
夕飯はサラダとバケットにラクレットの如く溶かしたチーズ。
ビーフシチューのつもりだったが、チーズの誘惑に負ける。女ってそういう生き物。
「おいしい」
利紗子は本当においしいの顔をする。
「パンの焼き加減はどう? 初めて下のオーブン使ってみた」
レストランだったということは、想像するに主に使用したのはグラタンだろうか。フレンチだから肉や魚をグリルしたのだろうか。ネットで番地検索をしたらまだヒットするのだろうが、あまり知りたくない気もする。立地がどうとかきっと書かれているのだろう。
「うん、ちょっと焦げてるけどそれもおいしい」
まさか、前のお店はパンまでは作っていないだろう。フレンチなら自家製パンを焼くことも考えられる。牧場の奥さんに聞けばよかった。
「オーブンの癖に慣れないと」
牧場のバターも使いたい。
眠る直前まで布団の中でルセットを開く。
エクレア店の元オーナーのルセットは簡潔。『1999年、12月30日 寒い日 小麦粉、有塩バター、きび砂糖でクッキーを焼く』
世紀末にどうしてオーナーはこんなことをしていたのだろう。これだけの材料で厚みを変えて、それぞれの触感が書かれている。『1センチくらい、しっとり。薄め、さくっと』
当たり前のことだけれど忘れていた。日持ちのする商品としてクッキーも置こう。前の店から使わなかったビニールの小袋を確か送ってあるはず。
「寒い」
利紗子が布団に潜りこんできた。さっきまでタブレットに触れていた利紗子の手が氷のように冷たい。お菓子の生地も冷たいから私の手も冷たい。冷たいと冷たいを足してもかけても冷たいにしかならない。一人だったら気にならない。利紗子が手を包んで息を吹きかけてくれる。
「利紗子、お店の名前、メイってどうかな? アルファベットで」
「郁実が5月生まれだから?」
『May』
利紗子がスマホに打って眺めている。
「しっくりこない?」
「ううん。近くに同じ店がないかあとで調べてみるね。スナックメイとかありそう」
自分では思いつかないことを利紗子は考えてくれる。
「ありがとう」
「おやすみ」
「おやすみ」
布団を二組並べてもひとつで済んでしまう日が多々ある。そういう日がもっと増えればいいな。もう私の手は温まったのに利紗子の脇の下から動かせずにいる。
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