初愛シュークリーム

吉沢 月見

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★お店はじめます

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 利紗子は夜まで黙ったままだった。私だったら怒りが増えるんだけどな。利紗子はどうにかこうにか増大させずにいる。
「明日、何時? 駅まで送る?」
 と聞いてくれる。
「うん、ありがとう。朝早いけど利紗子、平気?」
「がんばって起きる」
「悪いね」
 会話を続けると段々と元通りになる。
「あ、レンタカーそろそろ返却だ」
 利紗子が思い出したかのようにスマホのカレンダーを見る。。
「そうなの?」
「うん」
 それだって聞いていないと言いたい。
 私は講習の時間からどの電車に乗るかを割り出す。利紗子は自分の持ち物をガサゴソ。
「郁実、悪いけど銀行でお金下ろしてきてくれない? この銀行が駅の近くにあるみたいなの」
 と利紗子がキャッシュカードを渡す。
「いいけど」
「助かる」
 お金の動きはネットで確認できるが、家の近くの銀行で引き出すと手数料がかかるらしい。
「心配じゃない?」
 私は聞いた。
「なんで?」
「これ持って逃げちゃうかもよ」
 と言うと、利紗子はふっと笑った。
「そんなことするような人、好きにならないし一緒に暮らせない」
 利紗子って、正しい。反対に、私は銀行のカードは他人に渡せない。利紗子にでさえも。どうしてだろう。今まで人に騙されたこともないのに。
 信頼とお金を別の括りにわける人間もいるし、利紗子のようにまとめる人がいるだけ。私は前者。利紗子を信じてはいる。でも、お金はお金。エクレア店でお金の動きをよく見えていたからシビアに考えてしまうのだろうか。
 抱き締めれば利紗子の機嫌も直る。わかりやすい恋人だ。かわいくて、愛しい。
 
 翌朝、近くの駅まで利紗子に送ってもらう。
「帰りの時間、わかった時点で連絡ちょうだいね」
利紗子のその念を押すような口調、まだ怒りが尾を引いているようだ。
「へーい」
 のどかな単線だ。どこまでも山、そして田園風景。
 電車にはいくら乗っていても苦痛ではない。景色が変わるし、人が乗って来たら見てしまう。たまに面白い人がいる。酔っぱらいを見ているのは好きだが酒臭かったり、自分に被害があると途端に嫌いになる。
 こっちに来てからは酔っぱらいを見ていない。朝早いから部活へ行くと思しき学生さんたちが乗り込んできた。ラケットを型に掛けているからテニスだろう、バドミントンかもしれない。足のすらりとした女の子たち。別に女の子が好きというわけではない。そもそもそんなに人が得意ではない気がする。利紗子が特別なだけ。
 大きな駅に着く。そこから講習がある場所までは歩ける距離だ。同じ県内でも私たちが暮らすところとは違い繁華街だった。駅前の風景ってどこも似たり寄ったり。コーヒーショップもある。利紗子も一緒に来ればよかったのに。と言っても、講習を受けている間の時間つぶしが利紗子にはできないのだろう。
 不安なのでお金は帰りに下ろすことにした。
 立派すぎる保健所に目が眩む。エレベーターがガラス張りで都会のビルよりも未来的。
結構な人数がいた。レストランなどを営むには必須の資格だからだ。隅っこに座る。隣のおじさんが講習が始まった途端に舟を漕ぐ。なにをやっている人なのだろうか。手だけはもちっとすべすべ。お米関係の人はそうだと聞いた覚えがある。お米屋さんがおにぎり屋さんを始めるのかもしれない。
 飲食の世界は厳しい。オープンをしても一年と持たない店が9割だと聞く。オーナーのエクレア店は私が働いている間だけでも一年と少し持った。その前からやっていたから、女にさえうつつを抜かさず、私を雇わなかったらオーナーはきっとまだお店を続けられただろう。やり手の奥さんの話に耳を貸していたらきっと左団扇だったに違いない。
 始めるからには儲けたい。まだお金を稼いでいないが焦りもない。利紗子はなにかが不安のようだ。
 家の近くでも思うが、ここでもおじさんたちが集まったときの言葉が聞き取りづらい。意味がぼんやりわかる程度。訛りというか語尾のせい。強弱が歌っているように聞こえるし、やっぱりわからない単語もある。
 若い女の人も少ないけれどいた。おじさんたちに混じるときれいな服が所々に花が咲いているよう。
 食中毒なんて出したら終わりだとあのオーナーが言うくらいなのだから本当なのだろう。いくら食に関する仕事をしていたとしても知らないことも当然ある。ふむふむふむ。勉強も不得意ではなく、こういうことはスポンジが水を吸収するように頭に入る。
 講習を終えて、銀行に立ち寄る。利紗子のお金の流れを見てしまうことに罪悪感がある。いや、それ以上に預金額にびっくり。こんなにあるのに、なぜ不安になるのだろう。
 言われた金額を下げる。頼まれたとはいえ、本当は本人じゃないといけないのではなかっただろうか。家族ならいいのか。生計はこれから共にしてゆくだろうけど、家族か否かと問われたら今は後者。面倒なシステムがない場所に行きたいけれど、人として生きていくならどうしたって属さなければならない。
『これから電車に乗ります。そっちに着くのは5時過ぎです』
 これ以上連絡を怠ったら幻滅されそうだ。
『了解』
 とすぐに返信が来た。駅の構内でパンと利紗子が好きそうな昆布のスープやナッツのチョコレートを買う。
 本当は、駅の近くの素敵なネーミングのシュークリーム屋を偵察したかった。しかし、電車を一本遅らせたら利紗子に会えるのが2時間後になってしまう。
 一緒に暮らしているのに、もう会いたいよ。天秤にかけたらシュークリームよりも利紗子。だけれど、生きるためにはお金を得なければならない。利紗子はパソコンを買うらしく値段を鑑みて検討している。仕事のためだ。二人のためだ。
 来るときと同じ時間また電車に揺られる。帰ったら、冷えたこのパンをオーブンで少し焼いてから食べよう。明日の朝の食パンも買った。
 高校生カップルの初々しさに目を細める。手をつないでいる。羨ましい。堂々としていることじゃない。男女だからでもない。
 男だったらよかったなと思うことはあまりない。それはどうにもならないことだし、店を始めるにも、利紗子のこととも無関係。
 利紗子以外の女の人には興味もない。利紗子でなくても正論を述べる人がいる。利紗子と付き合う前、勤め先のホテルのバーで飲んでいたら隣りに女性が座った。たぶん私が女を好きになるとわかっていたからその人は言ったのだと思う。
「人口が80億人だとして、女が男しか好きにならなかったら運命の人は40億分の1。同性を含めれば80億分の1で一気に倍。人間は簡単なほうを選びたがる。でも80億人の中でもちゃんと自分の大切な人を見つけられるよ」
 と。彼女には一ミリも惹かれなかった。むしろ、彼女の話の意図がわからなかった。今なら少し理解できる。そうだって信じたい。
 電車の中でうとうとしてしまっても、私の財布も利紗子のお金も盗まれない。どうして世の中の人がそんなに不満があるのかわからない。世界はきれいだ。場所によるかもしれないが悪い人ばかりでもない。
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