初愛シュークリーム

吉沢 月見

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★忙しくても

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 朝方になって利紗子は布団に潜りこんできたけど、こっちも営業時間前には準備を終えなくてはならない。ワンピース型の寝巻からきれいな利紗子の足が出ていても触れずに起きる。
 眠る恋人にキスをして楽しいのは同棲開始後の数日だろう。洗濯物が一緒に洗濯機を回っているとか、目が覚めたら好きな人が目の前で眠っているとか。
 今は利紗子が心配でならない。
 利紗子には自分の仕事があるし、店休が無駄に感じる。
「利紗子、シュークリーム。試作品作ってみた」
 結局、仕事をしてしまう。
「ありがとう。ブルーベリーだ」
「うん、もらったの」
「ぷちぷちする。冷たくて、おいしい」
 ずっとその顔を見ていたいと思う。しかし、現実的に働かなくてはいけなくて、利紗子は今が頑張りどき。
「これが終われば後は管理だけで定期収入がもらえるから」
 と呪文のように唱えている。そう言って己を奮起させているのだろう。

 邪魔をしたくないし、暇なので小向さんのお店に行った。
「親父、病院だよ」
 源基が言う。
「一人で行けるの?」
「もちろん」
 私だったら心配でついていってしまう。お父さん側であれば心配だから免許を返納するし、通院にはついてきてほしい。人にはそれぞれ生活がある。
「こっちの生活慣れた?」
 私は聞いた。
「うん、まあ。そんなに気になることはないかな。田舎の人ってもっと内向的なのかと思ってたけどぐいぐいくるよね。親父の病気のこと話しても家を新築するから間取り考えてくれって一升瓶持ってきた人いるよ」
「私は最初、言葉遣いが耳になれなかったな。ちょっとヤンキーみたいでしょ? 『ほら、さっさとやれよ。そんなこともできねーのかよ?』って」
「確かに、言われてみれば」
 笑いながら源基がコーヒーを淹れてくれた。同じ豆でもおじさんのほうがおいしい。旨味がある。
「利紗子さん、仕事まだ忙しいの?」
 源基にも利紗子の仕事のことが耳に入っているようだった。
「うん」
「落ち着いたらうちのホームページも作ってほしいな。親父の店とセットで」
「頼んでみる」
 制服を着た女の子の集団が店の前を歩いてゆく。源基が手を振るときゃあきゃあ歓声が聞こえた。
「人気者なのね」
「いやぁ、正直もっとモテると思ったんだけど。飲みに誘ってくれたのも、雑誌に掲載してくれた女の人ぐらい」
 とぼやく。
「うちの新店の記事書いてもらった人と同じよね? あの派手な、顔面がうるさい」
「そうそう。顔がうるさい彼女、断ってもめげないんだよ」
 源基がスマホを見せる。
『まだスノボできるところもありますよ。一緒に行きましょう』
 人からもらったメールやメッセージを見ちゃう人って好きじゃない。その人に了解取ってないでしょう? 手紙でも見せるのかと思ってしまう。
「源基は仕事柄なのか女性全員に好かれたいって思ってるでしょ? 私は利紗子だけでいい」
「それ、本人に言ったら喜ぶよ」
 そうだろうか。利紗子は忙しそうで、会話もめっきり減った。少し前のほうがお金は稼げなくても平和だった。

 シュークリームの売れ残りはだいたい人にあげてしまうのだが、
「肥料にしたら?」
 と黒田さんの奥さんが言う。
「シュークリームを?」
 できるのだろうか。
「生ごみで堆肥を作るのよ。野菜作りたいって話してたでしょ? うちの牛糞のあげてもいいけど、お店だから臭いの嫌でしょう?」
「あ、その話は止まってしまって」
 仕事が忙しいうえにそんなことしたら生活がままならなくなる。
「野菜を作る前に、まず土を作るの。すぐにはできないんだからね」
 そういうものなのか。確かにお手伝いをするときに感じるが畑の土は柔らかい。
 一人で農産物販売所に行ったらたくさんの野菜の種があった。利紗子の好きなトマトにしよう。夏野菜は比較的育てやすいような気がする。いきなり畑でなくても、ちょうど売っているプランターでもできるのだろうか。黒田さんの旦那さんやおじいさんに聞いてみよう。
 そこで出会ってしまった。
 白い粉から目が離せない。
『地粉』
 と書かれているだけ。たぶん、小麦粉。この辺りで取れたものなのだろう。きれい。ビニール越しだけれどサラサラ。不純物もない。
 ふたつしかないので買い占める。キャベツが一玉100円。今晩はキャベツのスープにしよう。
 他のものは目に入らなかった。目当てだった野菜の種を忘れて、家に帰って、粉をボウルに開けていた。サラサラの粉を更にふるいにかける。
 シュークリームを作っていた。いつも通りの手順。
 いつものカスタード、いつもと同じ硬さの生クリーム。
「利紗子、忙しい? ちょっとこれ食べてみて」
「うん」
 もう夕方になっていた。
 利紗子も疲れているのか拒否をしない。
「いつもと違ったら教えて。匂いとか」
「匂いはわからないなぁ。でも、おいしい」
 利紗子が目を閉じて味わう。
「どこが? どんなふうに?」
 私は聞いた。自分で食べてもよくわからないのだ。
「いつもより、生地がパサついているのに、それがおいしい。クリームに合うっていうか。いつもと違うの?」
「うん。粉がね」
 慌てて店の厨房に戻る。捨ててしまった粉のビニールを回収。直売所のものだから作った人の名前のシールが貼ってあった。もうひとつも同じ人だった。
 池波篤郎。住所の記載もある。あとで調べてみよう。町の名前は同じでも、広いのだ。家は少ない。半分以上が山や畑。そもそも陸は土なのだ。なぜ人口が一極集中なのかはわからない。どこでだって暮らせる。利紗子がいれば。
 粉に気を取られていたせいなのか、キャベツを半分に切ってびっくり。とても大きな玉なのに、外側からはわからないのに、中が腐っていた。どろどろだ。中心部分は大丈夫そう。
 それは二階のキッチンで作業していたので、
「うわっ」
 と思わず発してしまった。
「どうしたの?」
 と利紗子が声をかける。
「うん、ちょっと」
「あらあら」
 だめそうなところを取り除いたら小ぶりキャベツになった。
「大きいものを選べばいいってわけじゃないんだね」
 私は言った。
「うん、人と同じ」
 利紗子も言う。
「見かけによらない?」
「人のよさそうな人なのにすごく性根が悪かったり口調はきついのに案外まともな人だったり、人間はわかりづらい」
「そうだね。欲張らないで、最初からこのサイズ選べばよかった。夕飯はスープと肉団子でいい?」
「なんでもいい。郁実、ありがとう」
 逆の立場だったら、店が忙しくて利紗子がごはんを作っても私は感謝できるだろうか。当たり前のことって思ってしまうのではないだろうか。私は、たぶん人生において心を鍛える時間がなかった。あんなに音楽を聴いていたのに、それだけでは耳は肥えても心が成長を怠った。受け流すことに長けてしまって、普通じゃない。利紗子に一緒にいてくれてありがとうと伝えたいのに、言ったら自分が泣く。
 弱いのだ。だから、利紗子が他の人のところに行っても諦めて、追わない自信がある。それが男だろうと、女性だろうと。
 肉団子は酢豚風にして、野菜もたくさん入れた。
「おいしい。甘酢が最高。玉ねぎもあまーい」
 利紗子は褒め上手だ。いいお母さんになるだろう。私は利紗子のようなお母さんに育てられたかった。きっとまともな人間になれただろう。
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