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サイカ姉様の婚儀

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 こっそりというわけではないけれど、コットは城下に出向くこともあるらしかった。
 私は足のせいで鳥かご生活、というわけでもない。城の敷地内なら杖でお散歩。エンカにも会いたいし。
 馬小屋の前には婆ではなく男が座っていた。若い男の人。立って気づいた。その人が義足であること。
「あなたも足が?」
 私は聞いた。
「王妃様ですよね。すいません、城に用があって、ついでに馬を。私の足が切り落とされたときにケガをした奴がいるので」
「そうでしたか」
 その馬を婆がつれてくる。
「よかった。すっかり元気そう。腹を切られたから心配していたんだ」
 馬の背をぽんぽん撫でる男はトルルと名乗った。軍の大尉にまでなったそうだ。
「切られたのが馬の足だったら安楽死させていたよ」
 婆が低い声で言う。
 紅山の馬は大きな馬ばかり。戦いのたびに駆り出されているのだろう。婆はその手当をし、新たな命も育てている。
 蒼山は自然交配が多かったが、こちらでは婆が近親交配にならないように柵で分けているらしい。馬は人よりも妊娠期間が長いそうだ。
 足の悪い私たちは切株に座った。
「足を失ったとき、死にたいと思いました」
 とトルル元大尉は言った。
「私はずっと悪かったからあまりそう考えたことはありません」
 いいときを知らないから悲観せずにすんだ。
「強いんですね?」
「ちっとも。あなたみたいに義足にしたほうが歩けるのかしら」
 くるぶしの少し上からないと教えてくれた。
「ないよりあるほうがいいのでは?」
 私たちの会話に婆が苦笑い。
「あなた、誰かに似てるわ」
 笑った顔がよく見る顔にそっくり。
「王の補佐官が兄です」
「バーリーさんよね。似てるわ。兄弟なの? 私にも姉と弟がいるの。そう。コットったら家族はいないなんて言ってたけど、そういうつながりは大事にするのね」
「王と仲がよろしいようで。王妃様が輿入れされてから島流しにされた者がいないとか」
「前は毎日のように島流ししてたのに」
 と婆が言った。
「そうそう」
「トルル元大尉はコット、いえ、王と親しいの?」
 私は聞いた。こんなふうに城以外の人からコットの話を聞くのは初めて。
「何度も一緒に戦っています。勇敢な方です」
 それで二人とも胸板が厚いのね。
「コットは今日まで遠征の予定です」
 そろそろ帰ることかしら。
「王妃、王の行動をあまり外で漏らさぬように」
 とトルル元大佐に耳打ちされる。
「すいません。でも嬉しいです。王の話をしてくれる人は少ないので」
 城の従者以外と話すことがないから、つい。バーリーさんからも幾度か注意を受けた。姉様への手紙にもコットのことは示唆してはいけないと。王様だからいつ命を狙われるかわからない。
 コットの話をしていると涙が流れた。だってもう4日も会っていない。今日帰って来るのかだって定かではない。延期になるたび早馬が来るから馬の足音に敏感になってしまう。
 ダッダッダッ。走って来たのは馬ではなかった。
「そこの者…」
 猛然とコットが走ってきた。
「これは、王。お久しぶりです」
 片足をつこうとしてトルル元大尉がバランスを崩し、私も手を出してしまった。私が支えられるはずもなく二人して倒れる羽目に。
「死刑だ」
 コットがそんなこと言うなんて。冗談かと思ったが、トルル元大尉が兵に連れられてゆく。
 補佐官であるバーリーさんはコットに頼むでもなくぐっと堪えている。
「コット、冗談よね」
 私はコットの腕を掴んだ。
「あの者はリンネットを押し倒そうとした」
「足が悪いんだもの、ふらつくことくらいあるわ」
「そなたは王妃だ」
「王妃の前に人間です。トルル元大尉と一緒に戦ったんでしょう? バーリーさんの弟なのよ」
「しかし…」
 遠征帰りのコットは疲れて苛ついているだけ。私の部屋で服の上にまとった布を脱ぐ。
 人の怒りなんて数秒らしい。それにコットは私に触るとその怒りが昇華するようだ。
「死刑なんてゆきすぎです。私たちは足が悪いの。人に助けてもらわねば生きてゆけません。そんなことしたら嫌いになりますからね」
 私はコットに言い放った。
「あやつはそなたを泣かせた」
「じゃあ、あなただって」
「えっ?」
「こうするの4日ぶりですよ。昨日の夜、寂しくて泣きました。その前の日もです。コットのせいですよ」
 コットの背に抱きつく。あなたの匂いがする。正直、汗臭い。
「あとで、バーリーに弟を放免するように伝えておく」
「今すぐ言って。行きなさい」
「わかった」
 お風呂で待ってると言ったらすぐに来た。
「本当は、死刑にしちゃったらバーリーに嫌われるかなって思ってた。リンネットが止めてくれてよかった」
 と私を抱き締めながら言った。体は大きくても人の心の大きさはそんなに変わらないのかもしれない。
「自分で気づきなさいよ、王様なんだから」
「すいません」
 私のせいでカッとしちゃっただけなのだろう。
 毛むくじゃらだからコットはすぐに泡立つ。背中が広いな。
「コット、お尻洗うから立ち上がって」
「自分でする」
「恥ずかしいの? 私のは洗ってね。ほら、座る前に洗っちゃって」
 左足が悪いから、左右のお尻で肉のつき方は違う。そんなこと、もう恥ずかしくない。
「痛くないか?」
 ってあなたはいつも聞く。
「うん」
 と私は答える。

 謝罪の気持ちもあってなのか、トルル元大尉は馬係として婆と一緒に働けることになった。
 エンカが懐かず、トルル元大佐を敵視する。
「男が苦手なのかな。でもコットに撫でられるのは好きなのよね」
 トルル元大佐は器用だと婆が褒める。
「縄の締め方とか知ってるだけですよ」
 と謙遜する。
「だったら、カトを作ってもらえませんか?」
 私はお願いした。
「カトとは?」
 紅山では見たことがない。
「こういうものです。ここに私が乗れます」
 私の下手な絵では伝わらない。
「馬があるじゃないですか」
「馬では城の中で移動できません」
杖もちょっと動くだけならいいけど、長く使用すると脇の下がうっ血するのだ。
「ここが車輪なのか。馬車の小型版のような?」
 トルル元大尉は私の描いたカトをアレンジする。
「全然違う。後ろから押してもらうの」
 と説明した。
「ほう。この車輪の部分をもっと大きくして、手が届くくらいにしたら自分で操作できるかな」
「え、すごい」
 そうなったら誰かの手を煩わせる必要もない。
「リンネット様、パンを作る時間ですよ」
 とアンナから声がかかる。
「はーい」
「忙しい王妃様ですね」
 とトルル元大尉が笑った。うん、やっぱり笑うとバーリーさんにそっくり。
「今日はね、ジャムも作るの。余ったら二人にも持ってくるわね」
 パンもいいけどジャムも保存食と気づいた。
 コットはこのところ、出かけてばかりいる。私に秘密にしているということは、もしかして戦かもしれない。
 調理室へ入る前に服を着替えて、手も洗った。
「リンネット様、パンの生地をこねます。王は硬いパンが好きですし、遠征のときにも持ってゆかれるので」
 ラティウス料理長が粉を振るう。
「はい」
私の作ったパンをずっと食べてもらいたい。
「そのままここに叩きつけて。空気を抜きます」
「はい。えいっ」
 心配かけたくないからって、話してくれないほうが心配なのよ。
「いいです。もっと強く」
「はい」
 パンを焼くのは薪のオーブン。次はジャム。ベリーを砂糖と煮詰める。
 私がいないとコットは王様なのに自ら城中を探すらしい。
「リンネット、こんなところで何を?」
 コットが来ると私以外は手を止めて跪礼しようとする。
「遠征に持ってゆくパンを作っていたの。会えなくてもあなたが私の作ったパンを食べてくれたら嬉しいなって。試作よ。はい」
 あーんしてあげる。
「おいしい」
「やだコット、ついてる。見て、ジャムも作ったのよ。あったかいジャムは作りたてじゃないと食べられないから、どうぞ」
「うん、うまい」
 コットは私を怒らないであとで周囲に不満を漏らす困ったちゃん。普通の王妃と違ってあなたの出迎えができないんだもの、パンくらい作らせてよ。
「文句があるなら私に直接言ってください」
 夕飯のとき、コットに言ってみた。
「リンネットは男と仲が良すぎでは?」
「触ってませんよ」
 法律は守っている。
「そういう問題じゃない」
「あなたしか好きじゃないの、わかってるでしょ?」
 そうは言っても、紅山はいろいろ男女の差が蒼山よりも厳しい。しかしやはり体が悪ければ人を頼らざるを得ないことは承知したようで、状況によっては死罪ではなくなった。まだまだ説得の余地ありだわ。
 私を怒れない代わりに隙を見てはキスをする。苛ついているのか、愛されているのかよくわからない私にラティウス料理長が嬉しいことを言ってくれた。
「食に興味がなく、いつも怖い顔して食べていた王とは別人のようですよ」
 と。
 ねえコット、次はいつ出かけるの? 長い? 怪我しない? 
 聞きたいけど、聞いてしまったら私がうっかり漏らしてあなたの命を危険にさらすかもしれない。だから、
「コット、抱いて」
 とまだご飯の途中なのに言ってしまった。
「君は髪まで柔らかいんだな」
「すいません。私から求めてしまって。はしたないですね」
「いや、嬉しいよ」
 私が嬉しいのはね、あなたが健康で、こうして私の近くにいることよ。痛いくらい強く抱きしめていてほしい。キスをやめないで。
 真夜中、ふと目が覚めたらコットが手を握っていた。大きな手があったかい。サイカ姉様、私は幸せです。いかがお過ごしですか? 
 幸せ自慢をしたくなくてこのところ手紙を送っていない。姉様がこうして私と同じように夜空を見上げていないことを祈ります。
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