寂しい街のとどころ旅館

吉沢 月見

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『日がな一日、流れる雲を眺めてました。最高。また来ます』

 今朝、帰って行った客が旅館のノートにしたためた一文。満足してくれたようでよかった。

 しかし朝炊いたご飯を全部食べられてしまい、おかげで私はパン一枚。おひつをおかわりする人もたまにいる。
 ノートは開いたままのほうがいいのかいつも迷う。電話をしながら私はノートを閉じたり、しばらく予約客は来ないのに、さも書いた直後の状態を偽装したりした。

「うん、うん。これから掃除。岸さん? 今日は来ないよ。大丈夫。そんなお姉ちゃんが妄想する変なお客さんいないから。仕事でしょ? 切るよ。バイバイ」
 電話を切るときの言葉が見つからず、つい己の年齢を忘れて子ども染みた発言を毎回してしまう。
 またね、ではまた電話をしてほしいみたいだし、仕事頑張っては私以上に忙しい姉に向ける言葉ではない。
「ちょっと、涼香」
 と電話口で姉は言った。バイバイも別れの言葉だから違ったな。そこでスマホをタップしてしまった。

 姉は夫と共に心療内科クリニックを営む女医さんで、そろそろクリニックの開院時間のはず。
『高圧的な女医が無理』『女医の口調が厳しい』『あれで副院長なのか』
 姉のクリニックの口コミを見るのが一時はストレス発散だったが、今ではかわいそうでならないし、これを見ているはずなのに普通の顔をしてこれを書いたかもしれない患者と向き合う姉を厚かましいを通り越して尊敬する。

 私も姉も日本の端っこの、両親が営む旅館で育ったはずなのに、片や東京のど真ん中でクリニックを旦那さんと開業し、もう一人は生まれ育った場所で一人になって生き続けている。
 二食付き一泊9000円。これでもこの数年間で二度も値上げをしたのだ。7500円から8000円、そして9000円。

 客室が6室の小さな旅館だ。本当は8室なのだが、2部屋はオバケが出るのではなく建付けが悪いのとトイレが故障していて直すお金を貯めているところ。と言っても、両親がいたときならいいけれど一人になったら6部屋くらいでちょうどいい。料理や掃除が行き届かなくなる。

 昔は家族連れも来たのに、最近なぜか一人客ばかり。たまに貸切で同窓会もどきや部活の集まりで大人数が来るときだけ近所の岸さんに手伝いをお願いしている。岸さんちも民宿をしていたが、旦那さんが亡くなって廃業した。私が子どものときは岸さん含め数軒の民宿や旅館が周辺にあったはずなのに、いつの間にかうちだけ。駅から遠い、名所がない、観光地でないなど理由は多々ある。

 田舎特有の自然豊かで風光明媚ではあるが、退屈なはず。それなのにここ数年、何もしたくない疲れた大人の癒し場所に勝手になってしまった。ブログなどに書くことまでは止められない。が、一言相談があってもいいと思う。常識がない人が増えたのだろうか。この考えの私も誰かにとっては非常識。予約が取りづらくなったとご丁寧に封書が届いたこともある。
 褒めてもらっているのに文句を言ってもしょうがない。一時に比べれば減った。目ざといテレビ局から取材の電話を受けたこともある。そして気づいた。混んだらうちの良さが失われることに。

 とどころ旅館はやはり、誰かにとっての癒しの場所でありたい。静かに滞在したいのにそれを広められた悔しさがある人が勝手にSNS上で喧嘩をしてくれて、私の見えないところで成敗してくれる。
 人も少ない、故に邪魔されない、それがうちの売りになってしまった。私は生家の旅館が好きというより、他の仕事に就けなかったから続けているだけ。
 本当に何もない。決まりごともない。泊り客がすることと言えば、少し歩いて崖から海を見下ろす。遠くの山を見る。庭の季節の草花はきれいだが、その向こうには私が作っている家庭菜園レベルの野菜たち。料理は家庭料理に毛が生えた程度でプロの料理人の足元にも及ばない。
 海に近いけれど岩場だから根がかりして釣りはできない。何もないから何もしない。そんな触れ込み、嬉しいわけがない。でも大半のお客さんはパソコンやらタブレットを持ってきてしまう。渡り廊下でつながった私の居住スペースに近い客室はネットがつながる。だからたいていは遠くの部屋に滞在してもらう。
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