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四話
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茂造は駕籠屋に駆け込むなり、人足を叩き起こし、早駕籠を出させた。
すぐさま頼んだのは早駕籠の中でも最速を誇る四人駕籠。
二人で運び、前の一人が引っ張り、後で一人が押す。値は張るが速さだけはお墨付き。
旅人や他の駕籠舁きをぐんぐん追い抜きながらあっという間に縁切り寺の参道に差し掛かる。
階段が続くので駕籠舁きをそこで待たせて茂造は階段を駆け上がっていくが、濃い雲間の月明かりに照らされた参道に壁のような人影が浮かび上がる。
「ようやく追いついたよ、お前さん」
「お滝?!お前、どうやって!」
「山を真っ直ぐ突っ切ってきたのさ」
山を真っ直ぐと事も無げにいうが木々が鬱蒼と生い茂り、獣でさえ難儀する道なき道をお滝は文字通り走ってきた。
街道筋は平坦だが遠回り、ならばと選んだ道だろうがお滝でなければ到底無茶な所業である。
「縁切りなんてやめて一緒に帰るんだよ!」
「一緒に帰ったらあの人殺しに臓腑を引きずり出されるだけだ!」
「あたいがそんなことさせないよ!また……また好きに生きたらいい!」
「お滝……」
あの生活に戻ることに躊躇いがないわけではない。しかし茶吉の面子を潰すわけにはいかないのだ。
茶吉は呉服屋を営んでいる。信用第一の客商売では噂話は矢より早く伝わり、商売に影を落とす。まして茶吉は商売敵が非常に多い。
噂話に御大層な尾鰭背鰭をつければ立派な実話に早変わり。
面子を潰した上に商売まで畳ませてしまうことになれば死んでも死にきれない。
茂造がお滝の話を飲もうと心が傾いたときだった。
茂造の後ろに続く参道の暗闇を縫ってぬぼーっと人影が現れる。
「ちょいとごめんよ」
「……畜庵」
「てめぇ!人殺し!どの面下げて来やがった!」
「どうも、人殺しです」
「どうやって追いつきやがった!てめぇも山ん中突っ切ったのか!」
「そんなことお滝しかできんでしょうが。どうやってと聞かれれば、金の力でと答えようか」
畜庵が道を開けると駕籠舁きが干からびた屍のようになりながらも懸命に駕籠を運んでいた。
階段だらけの参道にも関わらず大名が乗る様な豪奢な垂れ付きの駕籠を四人ががりで運んでいたのだ。
その後ろには二十人ばかりの駕籠舁き人足が這々の体で転がっている。
中から出てきたのは上等な着物を吐瀉物まみれにした茶吉だった。
乱れた髷と髪に蒼白の相貌ながら皺が血管のように蠢き半月型の白目と粘ついた口元、お約束の涎が光る汚い笑顔が顔に張り付いている。
「茶吉の旦那様!」
「やぁお滝ぃぃおぇええーー!離縁するときいてぇぇぇ、いても立ってもいられず駕籠を飛ばしてぉええ!」
「陽気で汚ぇ話し方だなぁ茶吉。おめぇ吐くか喋るかどっちかにしろよぃ」
「お前さんが駕籠にぶち込んだんだろうが!娘の頼みじゃなけばこんなぁぁぁ!」
「二度目なんだからちったあ慣れろ」
もはや語尾のように吐き続けている。
畜庵はお滝が早駕籠に追いつくと踏んで茶吉の元を訪れていた。
深夜の畜庵の来訪に色めきだつ茶吉の娘に頼むと、一も二もなく頷きご丁寧に茶吉を縄でふん縛って差し出してくれた。そのまま拉致同然に駕籠押し込んだかと思えば畜庵はくすねた千両箱片手に駕籠に並走。駕籠舁きを見つける度に雇っては金をばら撒いて走らせた。常に新鮮な駕籠舁きを雇って走らせたのだからそれはそれは早かった。
「旦那様、あたしは……」
「はぁはぁ……私のことはな、気にするな。そこな小物をあてがったのは私の責だ。よもや外面と宴会芸と口があれほど達者とは思わなんだ……ゔぷっ」
「……」
「離縁しなさい。その代わりここまでかかった駕籠代の分、またうちで働けばいい。畜庵、いくらかかったんだい?」
「さてなぁ百両くらいじゃないかのぅ。黄金色の大判小判を煎餅みたいに撒いたからわからんが」
「ひゃく……多くない?」
「茶吉があの駕籠がいいこの駕籠がいいとかいうからだろう。人足都合四倍、金は八倍」
「というわけだお滝。まじで頑張ってくれ、まじで」
完全に話に置いていかれた茂造。
しかしこのままでは美味しい美味しい金蔓が逃げてしまう。
猫撫で声でお滝にすり寄る。
「お滝、離縁しねぇよな。夫婦の契を交わした仲じゃねぇか」
「……」
「な!離縁なんて綺麗さっぱり忘れて長屋で暮らそうじゃねぇか」
「お前さん、そこまであたしを慕ってくれるのかい?」
「あ、ああ!もちろんだとも!」
「本当に……?」
お滝は鬼のような形相で茂造を睨みつけた。
茂造は恐怖のあまり脱糞している。
茂造が金の為に縁談を勧めたということはわかっていたが、それでも一縷の望みをかけたのだ。恐怖に負けず慕っているとそう一言いってくれれば……。
「……ごめんなさい、嘘です……あ」
「そうかい……わかったよ」
お滝はそれを聞いて深い深いため息を吐くとゆっくりと茂造の後ろに周り、やや娘をあやすかの如く腰を掴んで持ち上げると、両節棍のように振り回す。白目を剥いて糸が切れた人形と見紛うほどぐったりとした茂造に最後の言葉を贈る。
「今までありがとうございました、お前さーん!!」
腰に腕を回してがっちり掴むとそのまま仰向けになりながら背面投げで茂造を地面に埋め込んだ。
後に脳天杭打ちといわれることになる業だった。
縁切り寺の境内には茂造が漏らした糞尿が飛び散り、これにて縁切りと相成ったのである。
項垂れるお滝のたくましい背中を畜庵は優しくぽんぽんと叩いた。
茶吉からひったくった番傘を差してやる。
「雨がふっていけねぇな、お滝」
鎌倉山の空は突き抜けるような星空。もちろん雨などは降っていない。
ただお滝の目からは大粒の雨がこぼれていた。
すぐさま頼んだのは早駕籠の中でも最速を誇る四人駕籠。
二人で運び、前の一人が引っ張り、後で一人が押す。値は張るが速さだけはお墨付き。
旅人や他の駕籠舁きをぐんぐん追い抜きながらあっという間に縁切り寺の参道に差し掛かる。
階段が続くので駕籠舁きをそこで待たせて茂造は階段を駆け上がっていくが、濃い雲間の月明かりに照らされた参道に壁のような人影が浮かび上がる。
「ようやく追いついたよ、お前さん」
「お滝?!お前、どうやって!」
「山を真っ直ぐ突っ切ってきたのさ」
山を真っ直ぐと事も無げにいうが木々が鬱蒼と生い茂り、獣でさえ難儀する道なき道をお滝は文字通り走ってきた。
街道筋は平坦だが遠回り、ならばと選んだ道だろうがお滝でなければ到底無茶な所業である。
「縁切りなんてやめて一緒に帰るんだよ!」
「一緒に帰ったらあの人殺しに臓腑を引きずり出されるだけだ!」
「あたいがそんなことさせないよ!また……また好きに生きたらいい!」
「お滝……」
あの生活に戻ることに躊躇いがないわけではない。しかし茶吉の面子を潰すわけにはいかないのだ。
茶吉は呉服屋を営んでいる。信用第一の客商売では噂話は矢より早く伝わり、商売に影を落とす。まして茶吉は商売敵が非常に多い。
噂話に御大層な尾鰭背鰭をつければ立派な実話に早変わり。
面子を潰した上に商売まで畳ませてしまうことになれば死んでも死にきれない。
茂造がお滝の話を飲もうと心が傾いたときだった。
茂造の後ろに続く参道の暗闇を縫ってぬぼーっと人影が現れる。
「ちょいとごめんよ」
「……畜庵」
「てめぇ!人殺し!どの面下げて来やがった!」
「どうも、人殺しです」
「どうやって追いつきやがった!てめぇも山ん中突っ切ったのか!」
「そんなことお滝しかできんでしょうが。どうやってと聞かれれば、金の力でと答えようか」
畜庵が道を開けると駕籠舁きが干からびた屍のようになりながらも懸命に駕籠を運んでいた。
階段だらけの参道にも関わらず大名が乗る様な豪奢な垂れ付きの駕籠を四人ががりで運んでいたのだ。
その後ろには二十人ばかりの駕籠舁き人足が這々の体で転がっている。
中から出てきたのは上等な着物を吐瀉物まみれにした茶吉だった。
乱れた髷と髪に蒼白の相貌ながら皺が血管のように蠢き半月型の白目と粘ついた口元、お約束の涎が光る汚い笑顔が顔に張り付いている。
「茶吉の旦那様!」
「やぁお滝ぃぃおぇええーー!離縁するときいてぇぇぇ、いても立ってもいられず駕籠を飛ばしてぉええ!」
「陽気で汚ぇ話し方だなぁ茶吉。おめぇ吐くか喋るかどっちかにしろよぃ」
「お前さんが駕籠にぶち込んだんだろうが!娘の頼みじゃなけばこんなぁぁぁ!」
「二度目なんだからちったあ慣れろ」
もはや語尾のように吐き続けている。
畜庵はお滝が早駕籠に追いつくと踏んで茶吉の元を訪れていた。
深夜の畜庵の来訪に色めきだつ茶吉の娘に頼むと、一も二もなく頷きご丁寧に茶吉を縄でふん縛って差し出してくれた。そのまま拉致同然に駕籠押し込んだかと思えば畜庵はくすねた千両箱片手に駕籠に並走。駕籠舁きを見つける度に雇っては金をばら撒いて走らせた。常に新鮮な駕籠舁きを雇って走らせたのだからそれはそれは早かった。
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「はぁはぁ……私のことはな、気にするな。そこな小物をあてがったのは私の責だ。よもや外面と宴会芸と口があれほど達者とは思わなんだ……ゔぷっ」
「……」
「離縁しなさい。その代わりここまでかかった駕籠代の分、またうちで働けばいい。畜庵、いくらかかったんだい?」
「さてなぁ百両くらいじゃないかのぅ。黄金色の大判小判を煎餅みたいに撒いたからわからんが」
「ひゃく……多くない?」
「茶吉があの駕籠がいいこの駕籠がいいとかいうからだろう。人足都合四倍、金は八倍」
「というわけだお滝。まじで頑張ってくれ、まじで」
完全に話に置いていかれた茂造。
しかしこのままでは美味しい美味しい金蔓が逃げてしまう。
猫撫で声でお滝にすり寄る。
「お滝、離縁しねぇよな。夫婦の契を交わした仲じゃねぇか」
「……」
「な!離縁なんて綺麗さっぱり忘れて長屋で暮らそうじゃねぇか」
「お前さん、そこまであたしを慕ってくれるのかい?」
「あ、ああ!もちろんだとも!」
「本当に……?」
お滝は鬼のような形相で茂造を睨みつけた。
茂造は恐怖のあまり脱糞している。
茂造が金の為に縁談を勧めたということはわかっていたが、それでも一縷の望みをかけたのだ。恐怖に負けず慕っているとそう一言いってくれれば……。
「……ごめんなさい、嘘です……あ」
「そうかい……わかったよ」
お滝はそれを聞いて深い深いため息を吐くとゆっくりと茂造の後ろに周り、やや娘をあやすかの如く腰を掴んで持ち上げると、両節棍のように振り回す。白目を剥いて糸が切れた人形と見紛うほどぐったりとした茂造に最後の言葉を贈る。
「今までありがとうございました、お前さーん!!」
腰に腕を回してがっちり掴むとそのまま仰向けになりながら背面投げで茂造を地面に埋め込んだ。
後に脳天杭打ちといわれることになる業だった。
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項垂れるお滝のたくましい背中を畜庵は優しくぽんぽんと叩いた。
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