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依頼1.5
1 安曇の不調
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『出張万屋やくも』店内――応接用のソファからは本日もだらりと二本の足が垂れている。横たわるは社長の八雲鬼一……ではなく、従業員兼使用人の安曇真夜。
「大丈夫かい? 真夜くん」
小さな加湿器を社長机の上に設置しながら八雲が気遣う。
「……はい……すみません……」
「具合が悪いなら休んだって良かったのに」
「休んだら……お給料が……」
見るからに体調の悪そうな安曇は、一つひとつの単語を発するのも辛そうだ。
「そうだけど。お客さんが来たら困るって……きみがいつも言ってるじゃないか」
加湿器のスイッチを押す八雲。すぐにもくもくと煙のように蒸気が立ち上る。
紅葉の美しかった秋が過ぎ去り、師も走る十二月――もっとも、「やくも」は走るほど忙しくないが――店内の乾燥が気になると騒いでいた安曇のために、仕舞い込んでいた加湿器を持ち出したのだ。
「奥の部屋を使ったら? ベッドもあるし」
まるで美顔器を使用しているかのようにもくもくの蒸気を浴びながら、八雲は一つのドアを指差した。
実は「やくも」、店の奥には物置兼仮眠室がある。加湿器もそこに仕舞っていたものだ。
「あそこ……ですか……」
気乗りしない様子の安曇。それもそのはず、物置兼仮眠室は部屋の広さでいうと六畳もないのだが、そこに所狭しと物が置かれている。簡易ベッド、足の踏み場もないほど積み上げられた書籍の数々、いくつもの段ボール、扇風機、ファンヒーター、骨董品、海外の土産物、用途不明品、等々。ろくに換気も掃除もしていないだろう部屋――店内がだいぶ綺麗になったので、そろそろ掃除をしようとしていた頃合いだった。もちろん安曇が。
八雲はそこで寝ることがあるというのだから驚愕だ。
「あそこで……寝たら……悪化しそう……です……」
安曇はこめかみの辺りを押さえながら、部屋の状態を想像した。加湿器を取りに行くと言ってから戻ってくるまで三十分以上かかるような場所なのだ。しかも途中、ドンガラガッシャンといかにも漫画やアニメのような音が聞こえてきた。ああ、頭が痛い……掃除のことは回復してから考えることにしよう……。
そんな安曇の様子を見て、八雲が問う。
「頭痛がするのかい?」
「……はい」と躊躇いがちな返事があった。
「一週間くらい、前から……寝不足で……」
安曇いわく、借りているアパートでラップ音のようなものが聞こえるのだという。ラップ音とは、誰も音を発生させていないはずの部屋で鳴り響く音のことだ。
部屋にいる間は常に音が鳴っているため、まともに睡眠をとることができない。そのせいで寝不足に陥り頭痛が起きている。おまけに風音のような耳鳴りにも悩まされていた。
八雲はふむ、と顎に手を添えたあと「それは単なる家鳴りだよ」と安曇の顔を覗き込むようにしゃがんだ。
「家鳴り……」
「うん。温度によって木材や鉄が膨張したり収縮したりしてさ、そのときに出る音だよ」
「そんなに……一日中、鳴る、ものですか……」
柔和な笑みを浮かべる八雲を、安曇の虚ろな瞳が見つめる。目の下に隈ができ、色白の顔の中でそこだけが妙に目立っていた。
「真夜くん、まだあの事故物件に住んでいるのかい?」
八雲は安曇の答えを待たずに社長机の引き出しを漁り始めた。
「……はい……安いので……」
目的のものはなかなか見つからないようで、すべての引き出しを開け、さらには中のものを机の上に並べながら探している。安曇はずきずきとする頭で机の中も掃除が必要か……と考えていた。
しかし心なしか、アパートよりも「やくも」にいるほうが頭痛が和らいでいる。もちろんラップ音も耳鳴りもしない。この痛みが治まればぐっすりと眠れそうだ。
「あっ、あったあった!」
やっと見つけたお目当てのものを、八雲は両手で掲げた。
「しおとすな~」
某猫型ロボット風。
そんなキャラクターを装うおじさんにツッコむ元気もなく、安曇はぼんやりとした眼差しでそれぞれ塩と砂の入った手の平大の紙袋を見やった。そのうちにその二つの袋を持った八雲が眼前に現れ、安曇の額にぽんと袋を載せた。反射的に目を閉じる。
「頭痛も嫌な音も、直になくなるよ。少し眠りなよ、真夜くん」
暗闇となった安曇の世界に、八雲の柔らかな声が届く。少しずつ、睡魔がやってきているような気がする。
「でも……お店……」
「店なら大丈夫。お客さんが来たら起こすし、電話はぼくが取るから。また訛りを聞き取れないかもしれないしね」
八雲のふふっと笑う声がする。最後の言葉に反論しようにも、急に訪れた眠気に敵わず、うまく言葉を紡げない。安曇は小さく頷くと、そのまま睡魔に身体を委ねることにした。
八雲が取り出した塩と砂。
なんなのか思い出した。あれは――。
「おやすみ、真夜くん」
八雲の一言が安曇を深い眠りへと誘う。
安曇が眠りについたのを確認すると、八雲は額に載せていた紙袋を避け、店外に出た。ドアのギィという鳴き声がなるべく大きくならないように、ゆっくりと。ドアに下げられたプレートを「close」に変えると、八雲はその足でどこかへ向かった。
「大丈夫かい? 真夜くん」
小さな加湿器を社長机の上に設置しながら八雲が気遣う。
「……はい……すみません……」
「具合が悪いなら休んだって良かったのに」
「休んだら……お給料が……」
見るからに体調の悪そうな安曇は、一つひとつの単語を発するのも辛そうだ。
「そうだけど。お客さんが来たら困るって……きみがいつも言ってるじゃないか」
加湿器のスイッチを押す八雲。すぐにもくもくと煙のように蒸気が立ち上る。
紅葉の美しかった秋が過ぎ去り、師も走る十二月――もっとも、「やくも」は走るほど忙しくないが――店内の乾燥が気になると騒いでいた安曇のために、仕舞い込んでいた加湿器を持ち出したのだ。
「奥の部屋を使ったら? ベッドもあるし」
まるで美顔器を使用しているかのようにもくもくの蒸気を浴びながら、八雲は一つのドアを指差した。
実は「やくも」、店の奥には物置兼仮眠室がある。加湿器もそこに仕舞っていたものだ。
「あそこ……ですか……」
気乗りしない様子の安曇。それもそのはず、物置兼仮眠室は部屋の広さでいうと六畳もないのだが、そこに所狭しと物が置かれている。簡易ベッド、足の踏み場もないほど積み上げられた書籍の数々、いくつもの段ボール、扇風機、ファンヒーター、骨董品、海外の土産物、用途不明品、等々。ろくに換気も掃除もしていないだろう部屋――店内がだいぶ綺麗になったので、そろそろ掃除をしようとしていた頃合いだった。もちろん安曇が。
八雲はそこで寝ることがあるというのだから驚愕だ。
「あそこで……寝たら……悪化しそう……です……」
安曇はこめかみの辺りを押さえながら、部屋の状態を想像した。加湿器を取りに行くと言ってから戻ってくるまで三十分以上かかるような場所なのだ。しかも途中、ドンガラガッシャンといかにも漫画やアニメのような音が聞こえてきた。ああ、頭が痛い……掃除のことは回復してから考えることにしよう……。
そんな安曇の様子を見て、八雲が問う。
「頭痛がするのかい?」
「……はい」と躊躇いがちな返事があった。
「一週間くらい、前から……寝不足で……」
安曇いわく、借りているアパートでラップ音のようなものが聞こえるのだという。ラップ音とは、誰も音を発生させていないはずの部屋で鳴り響く音のことだ。
部屋にいる間は常に音が鳴っているため、まともに睡眠をとることができない。そのせいで寝不足に陥り頭痛が起きている。おまけに風音のような耳鳴りにも悩まされていた。
八雲はふむ、と顎に手を添えたあと「それは単なる家鳴りだよ」と安曇の顔を覗き込むようにしゃがんだ。
「家鳴り……」
「うん。温度によって木材や鉄が膨張したり収縮したりしてさ、そのときに出る音だよ」
「そんなに……一日中、鳴る、ものですか……」
柔和な笑みを浮かべる八雲を、安曇の虚ろな瞳が見つめる。目の下に隈ができ、色白の顔の中でそこだけが妙に目立っていた。
「真夜くん、まだあの事故物件に住んでいるのかい?」
八雲は安曇の答えを待たずに社長机の引き出しを漁り始めた。
「……はい……安いので……」
目的のものはなかなか見つからないようで、すべての引き出しを開け、さらには中のものを机の上に並べながら探している。安曇はずきずきとする頭で机の中も掃除が必要か……と考えていた。
しかし心なしか、アパートよりも「やくも」にいるほうが頭痛が和らいでいる。もちろんラップ音も耳鳴りもしない。この痛みが治まればぐっすりと眠れそうだ。
「あっ、あったあった!」
やっと見つけたお目当てのものを、八雲は両手で掲げた。
「しおとすな~」
某猫型ロボット風。
そんなキャラクターを装うおじさんにツッコむ元気もなく、安曇はぼんやりとした眼差しでそれぞれ塩と砂の入った手の平大の紙袋を見やった。そのうちにその二つの袋を持った八雲が眼前に現れ、安曇の額にぽんと袋を載せた。反射的に目を閉じる。
「頭痛も嫌な音も、直になくなるよ。少し眠りなよ、真夜くん」
暗闇となった安曇の世界に、八雲の柔らかな声が届く。少しずつ、睡魔がやってきているような気がする。
「でも……お店……」
「店なら大丈夫。お客さんが来たら起こすし、電話はぼくが取るから。また訛りを聞き取れないかもしれないしね」
八雲のふふっと笑う声がする。最後の言葉に反論しようにも、急に訪れた眠気に敵わず、うまく言葉を紡げない。安曇は小さく頷くと、そのまま睡魔に身体を委ねることにした。
八雲が取り出した塩と砂。
なんなのか思い出した。あれは――。
「おやすみ、真夜くん」
八雲の一言が安曇を深い眠りへと誘う。
安曇が眠りについたのを確認すると、八雲は額に載せていた紙袋を避け、店外に出た。ドアのギィという鳴き声がなるべく大きくならないように、ゆっくりと。ドアに下げられたプレートを「close」に変えると、八雲はその足でどこかへ向かった。
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