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依頼1.5
2 事故物件に住む理由
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安曇は幼い頃から不運だった。
腕を伸ばせば鳥の糞が落ち、友人と談笑しながら歩けば泥の溜まった側溝に足が嵌まった。小学生のとき、発表会でお姫様の役を得たが前日から熱を出し、中学の部活動では大会当日に事故に遭い、高校生のときには気になっていた異性とのデート前夜に瞼を蚊に刺されて四谷怪談のお岩さんのような顔になり、大学時代は論文作成のたびに少なくとも一回はデータが消えた。社会人になってからも不運は続き、就職した企業は悉く倒産して転職せざるを得なかった。
自他共に認める不運は安曇から人を遠ざけた。恋人ができてもおまえは貧乏神のようだと振られ、友人も多くが去ってしまった。今でも親しくしてくれるのは、幼馴染や彼女の不運を笑い話にしてくれるごく少数の人間だけだ。
うまくいっていると思うとなにかが起こる。物心ついた頃からそんな人生だった。
職をいくつか転々としたのち、安曇は地元を離れることにした。住む場所も仕事も変えて、誰も自分を知らない場所で新しい生活を始めたくなったのだ。
八雲に出会ったのはそんなときだった。夏の盛りで、蝉がうるさいくらいに鳴いていた。
何度も仕事が変わったせいで貯金はほとんどなく、アパートを借りようにもほぼ選択肢などないに等しい状況。目を皿にして物件情報を漁っていたところ、ある不動産に辿り着いた。
『1K、風呂トイレ別、敷金・礼金ゼロ、家賃四万円!!』
広さにすれば八畳、浴槽もきちんとある。なにしろ家賃が安い。これまで見た物件はこの条件ならば倍はかかる。その安さに飛びついた安曇がそこを事故物件だと知ったのは、現地に足を運んでからだった。
――事故物件。なんらかの原因で先の居住者が死亡した経歴のある物件を指す。不動産会社には告知義務があるため、契約に至るまでに必ずそこが事故物件であることが伝えられる。
内見にて事故物件であることを知ったものの、安曇の気持ちは揺らがなかった。誰かが亡くなった痕跡はもちろん残っていないし、なにしろ安い。部屋に入ってから少し頭が痛いが気のせいだろう。なにしろ安い。案内されている間、ずっと耳鳴りのように甲高い風音が聞こえるが気のせいだろう。なにしろ安い。
即決だった。
上機嫌で内見を済ませた帰り道、また風音が聞こえた。実際には風など吹いていない。生ぬるい空気が手足に纏わりついているだけだ。音に気を取られているうちにぐいと腕を引っ張られ、安曇の身体は何者かの懐へ体重を預けた。
「ぼうっとしていたら危ないよ、きみ」
柔らかな低音の直後、ガシャン!と耳を劈く高音に安曇は目を瞑った。高音は一度きりで、辺りに響いているのが蝉の声だけだと確認してからゆっくりと目を開く。
「ええっ!?」
なぜか見知らぬ男性に身体を預けている自分と、目の前に散乱する破片と白い箱型のもの。よくよく見れば、それがスナックの袖看板であるとわかる。面板も中の蛍光灯も割れてしまっていた。
「ほら、あそこから落ちてきたんだ」
男性が指差したのは、先ほどまで安曇が歩いていた場所の真上だった。
「なっ、えっ、どっ……すみませんっ!」
なにが起こったのか事態が飲み込めなかったが、男性とくっついているこの状況は恥ずかしい。勢いよく離れて謝罪すると、男性のほうは柔和な笑み。
細身の体躯に、白いワイシャツとチノパンというシンプルな出で立ちが様になっている。こちらは立っているだけで汗が流れるというのに、男性は涼しげな顔だ。ふわりと揺れる髪と眼鏡の奥の優しい瞳に胸が高鳴った――のも束の間。
男性が放った言葉に背筋が凍りつく。
「あれ、きみ、呪われているね」
これが安曇と八雲の出会いだった。
♦︎♦︎♦︎
案内された――というより無理矢理ついて行ったに等しい――店は、本当に営業しているのか疑うほどに荒れていた。入口の前は草が伸び放題、店内は窓を開けたことがないのかと思うほど埃っぽい。応接用のテーブルもソファも社長机の上も物だらけ。天井まで届きそうな書棚にはまともに書籍は納められておらず、かろうじて置いてあっても逆さまだったり開きっぱなしだったり。
……だらしない。
が、おそらくこの男性はこれまで関わってきた人たちとはなにかが違う。店へ来るまではぐらかされっぱなしだったが、安曇は今一度尋ねた。
「あの! あなたは何者ですか!」
それは問い詰めるに近いものだったが。
男性は眼鏡を胸ポケットに仕舞うと、観念したように言った。
「ぼくは八雲。この万屋の社長です」
「万屋?」
「『出張万屋やくも』。名前のとおり、便利屋だよ」
依頼はさまざま。日常生活の手伝いから、探偵まがいの調査、果ては心霊現象の解決まで。
安曇は息を呑んだ。わたしを呪われていると言ったこの人なら、不幸続きの人生を変えてくれるかもしれない。救ってくれるかもしれない。
「わたしの呪いは、解けますか」
「……え?」
「依頼したいです、八雲さんに。わたしの不運が呪いだと言うなら、解いていただきたいです!」
八雲は少し困ったように眉間に皺を寄せた。そして――安曇の前に手の平を向けた。
「……『待て』?」
「依頼料です」
「……五万……?」
首を振る八雲。
「ご、五十……?」
首を振る八雲。
「ご、ごひゃ……?」
八雲は安曇を真正面から見据えた。真剣な眼差しで。
「ぼ」
ぼったくり!と安曇が言う前に、八雲は人差し指でその唇を制した。
「無理ならいいんです。この依頼はなかったことに」
これだけ高額な報酬を望めば諦めるだろう。八雲はそう目論んでいた。救えるものなら救ってあげたい。だが、自分ごときが誰かを救うなど――おこがましい。
常にそんな思いが胸中にある。だから、片端から依頼を受けることはしない。それでもと自身に縋りつく、そういった人々の依頼を受けていた。自分は弱く、ずるい人間なのだと、自分が一番よくわかっている。
しかし、八雲の企みは呆気なく崩れ去る。
物心ついた頃から不運に見舞われ、地を這うように生きてきた安曇。そこに希望の光が射したなら、その気持ちは簡単には折れないのだ。
「いえ……働きます、ここで! 働きながら依頼料を支払います!」
安曇の申し出に八雲の口からは間抜けな声が漏れた。
「いや、でも」
形勢逆転。
「なんなら仕事以外の雑用だって引き受けます! いかがでしょうか! 社長!!」
前のめりな安曇に、背中を反る八雲。ぐいぐいと迫り来るその勢いに負け、彼はつい、頷いた。
腕を伸ばせば鳥の糞が落ち、友人と談笑しながら歩けば泥の溜まった側溝に足が嵌まった。小学生のとき、発表会でお姫様の役を得たが前日から熱を出し、中学の部活動では大会当日に事故に遭い、高校生のときには気になっていた異性とのデート前夜に瞼を蚊に刺されて四谷怪談のお岩さんのような顔になり、大学時代は論文作成のたびに少なくとも一回はデータが消えた。社会人になってからも不運は続き、就職した企業は悉く倒産して転職せざるを得なかった。
自他共に認める不運は安曇から人を遠ざけた。恋人ができてもおまえは貧乏神のようだと振られ、友人も多くが去ってしまった。今でも親しくしてくれるのは、幼馴染や彼女の不運を笑い話にしてくれるごく少数の人間だけだ。
うまくいっていると思うとなにかが起こる。物心ついた頃からそんな人生だった。
職をいくつか転々としたのち、安曇は地元を離れることにした。住む場所も仕事も変えて、誰も自分を知らない場所で新しい生活を始めたくなったのだ。
八雲に出会ったのはそんなときだった。夏の盛りで、蝉がうるさいくらいに鳴いていた。
何度も仕事が変わったせいで貯金はほとんどなく、アパートを借りようにもほぼ選択肢などないに等しい状況。目を皿にして物件情報を漁っていたところ、ある不動産に辿り着いた。
『1K、風呂トイレ別、敷金・礼金ゼロ、家賃四万円!!』
広さにすれば八畳、浴槽もきちんとある。なにしろ家賃が安い。これまで見た物件はこの条件ならば倍はかかる。その安さに飛びついた安曇がそこを事故物件だと知ったのは、現地に足を運んでからだった。
――事故物件。なんらかの原因で先の居住者が死亡した経歴のある物件を指す。不動産会社には告知義務があるため、契約に至るまでに必ずそこが事故物件であることが伝えられる。
内見にて事故物件であることを知ったものの、安曇の気持ちは揺らがなかった。誰かが亡くなった痕跡はもちろん残っていないし、なにしろ安い。部屋に入ってから少し頭が痛いが気のせいだろう。なにしろ安い。案内されている間、ずっと耳鳴りのように甲高い風音が聞こえるが気のせいだろう。なにしろ安い。
即決だった。
上機嫌で内見を済ませた帰り道、また風音が聞こえた。実際には風など吹いていない。生ぬるい空気が手足に纏わりついているだけだ。音に気を取られているうちにぐいと腕を引っ張られ、安曇の身体は何者かの懐へ体重を預けた。
「ぼうっとしていたら危ないよ、きみ」
柔らかな低音の直後、ガシャン!と耳を劈く高音に安曇は目を瞑った。高音は一度きりで、辺りに響いているのが蝉の声だけだと確認してからゆっくりと目を開く。
「ええっ!?」
なぜか見知らぬ男性に身体を預けている自分と、目の前に散乱する破片と白い箱型のもの。よくよく見れば、それがスナックの袖看板であるとわかる。面板も中の蛍光灯も割れてしまっていた。
「ほら、あそこから落ちてきたんだ」
男性が指差したのは、先ほどまで安曇が歩いていた場所の真上だった。
「なっ、えっ、どっ……すみませんっ!」
なにが起こったのか事態が飲み込めなかったが、男性とくっついているこの状況は恥ずかしい。勢いよく離れて謝罪すると、男性のほうは柔和な笑み。
細身の体躯に、白いワイシャツとチノパンというシンプルな出で立ちが様になっている。こちらは立っているだけで汗が流れるというのに、男性は涼しげな顔だ。ふわりと揺れる髪と眼鏡の奥の優しい瞳に胸が高鳴った――のも束の間。
男性が放った言葉に背筋が凍りつく。
「あれ、きみ、呪われているね」
これが安曇と八雲の出会いだった。
♦︎♦︎♦︎
案内された――というより無理矢理ついて行ったに等しい――店は、本当に営業しているのか疑うほどに荒れていた。入口の前は草が伸び放題、店内は窓を開けたことがないのかと思うほど埃っぽい。応接用のテーブルもソファも社長机の上も物だらけ。天井まで届きそうな書棚にはまともに書籍は納められておらず、かろうじて置いてあっても逆さまだったり開きっぱなしだったり。
……だらしない。
が、おそらくこの男性はこれまで関わってきた人たちとはなにかが違う。店へ来るまではぐらかされっぱなしだったが、安曇は今一度尋ねた。
「あの! あなたは何者ですか!」
それは問い詰めるに近いものだったが。
男性は眼鏡を胸ポケットに仕舞うと、観念したように言った。
「ぼくは八雲。この万屋の社長です」
「万屋?」
「『出張万屋やくも』。名前のとおり、便利屋だよ」
依頼はさまざま。日常生活の手伝いから、探偵まがいの調査、果ては心霊現象の解決まで。
安曇は息を呑んだ。わたしを呪われていると言ったこの人なら、不幸続きの人生を変えてくれるかもしれない。救ってくれるかもしれない。
「わたしの呪いは、解けますか」
「……え?」
「依頼したいです、八雲さんに。わたしの不運が呪いだと言うなら、解いていただきたいです!」
八雲は少し困ったように眉間に皺を寄せた。そして――安曇の前に手の平を向けた。
「……『待て』?」
「依頼料です」
「……五万……?」
首を振る八雲。
「ご、五十……?」
首を振る八雲。
「ご、ごひゃ……?」
八雲は安曇を真正面から見据えた。真剣な眼差しで。
「ぼ」
ぼったくり!と安曇が言う前に、八雲は人差し指でその唇を制した。
「無理ならいいんです。この依頼はなかったことに」
これだけ高額な報酬を望めば諦めるだろう。八雲はそう目論んでいた。救えるものなら救ってあげたい。だが、自分ごときが誰かを救うなど――おこがましい。
常にそんな思いが胸中にある。だから、片端から依頼を受けることはしない。それでもと自身に縋りつく、そういった人々の依頼を受けていた。自分は弱く、ずるい人間なのだと、自分が一番よくわかっている。
しかし、八雲の企みは呆気なく崩れ去る。
物心ついた頃から不運に見舞われ、地を這うように生きてきた安曇。そこに希望の光が射したなら、その気持ちは簡単には折れないのだ。
「いえ……働きます、ここで! 働きながら依頼料を支払います!」
安曇の申し出に八雲の口からは間抜けな声が漏れた。
「いや、でも」
形勢逆転。
「なんなら仕事以外の雑用だって引き受けます! いかがでしょうか! 社長!!」
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