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依頼1.5
3 浄化の砂
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半ば強引に「やくも」への就職が決まった安曇は、住まいも働き口も一挙に見つかり、ついでにこれまで自分を苦しめ続けた不運も解決するかもしれないと思うと張り切らずにはいられなかった。
新居へ越すまでの数日間は地元に戻らず格安ホテル暮らしのため、さっそく翌日から出勤。ギィッ!と大きな音を立てて開く店のドアに、社長机でスマートフォンをいじっていた八雲が肩を震わせた。
「おはようございます! 社長!」
「おはよう……真夜くん……元気だね……」
「今日からよろしくお願いします!」
こう言っては失礼だが、「やくも」での仕事は退屈だった。なにせ依頼が来ない。とにかく掃除の日々。不要品の処分、書籍や出しっぱなしの物の片付け、床磨き、草むしり、それから毎日、外で香を焚く。
よくこれで店として成り立っているなとある意味で感心するほどの汚さとだらけっぷりだった。寝癖はついているし、ソシャゲばかりしているし、仕事への意欲なし。出会った初日のときめきを返してほしい……そう思ってしまうほどにだらしない。
そんなことを考えながら床をごっしごっしとモップがけしているときだった。
「真夜くんはこの辺に住んでいるんだっけ?」
「はい。社長と初めて会った辺りです」
新居が事故物件であることを話すと、八雲は表情や声音こそ変えないもののスマートフォンをいじる手を止めた。そして、そのアパートでいつもと違うことが安曇の身に起きていないかと尋ねた。
「うーん……ちょっと頭が痛いような。あと耳鳴りとか。でも環境が変わったストレスだと思うんですよね」
身に降りかかる不幸に耐え抜いてきた精神力は計り知れない。八雲は感心して頷いた。
いや、そんな場合ではなく。
掃除を進める安曇に睨まれながら社長机を漁る。どこかにあったはずだ――。
「塩と砂、ですか」
八雲が引き出しの奥深くから取り出した紙袋を渡すと、安曇はきょとんとした。
盛り塩や清めの塩など、塩が浄化に用いられることは広く知られているだろう。前者は魔除けや厄除けの意味を持ち、家の中に置くことで悪いものを祓う。後者は身体に振りかけることでケガレを祓うとされている。
ではなぜ塩なのか?
それは、塩自身が腐敗しないことや腐敗を遅らせる効果があることに由来している。
現在、日本の火葬率はほぼ百パーセントであるが、そもそも火葬が一般的になったのは明治時代のことだ。それまでは土葬が主な葬法で、火葬へと変化したのは仏教の影響、土葬用の土地や墓の不足、加えて伝染病を防ぐためである。
伝染病――これは生きている人間にまで影響を及ぼす災いだ。その災いから身を守るため、優れた殺菌効果のある塩を用い、やがてそれが塩で身体を清めるという形式的なものに変化していったとされている。
また、神道においても塩はなくてはならないものだ。
日本神話において、伊弉諾尊は伊奘冉尊がいる黄泉の国から戻ったあと、自身の身体を清めるために海水に浸かったという。黄泉の国のケガレ――穢れではなく気枯れであり、生命力が枯渇した状態を指す。その最たるものが死である――を祓い、現世に戻る黄泉がえりの儀式に海水を使用したことを起源として、塩を用いて身を清める行為が生まれた。
こうして物質としても宗教儀式としても、塩は浄化に必要なものとなっていったのだ。
砂は塩とほぼ同義だが、塩が身体を清めるために用いるのに対して、砂は場を清めるために用いる。御神土、斎砂など呼び方はさまざま。建造物を建てるとき、取り壊すとき、樹木の伐採、入居や開店時などに使用し、撒き方にも作法がある。
八雲はこれらの説明をすべてすっ飛ばして、塩は家の中ならどこでもいいから盛り塩に、砂はアパートをぐるりと囲むように撒きなさいとだけ言いつけた。
こうして安曇はなにも知らぬままにアパートと自室を清め、頭痛やらなにやらから解放されていたのだ。しかし、わずか四ヶ月で清めの効果が切れるとは想定外。もちろん、これくらいの期間は効果が持続しますときっちりと決まっているものではない。
が、それにしても早い気がする。
八雲の足は安曇の住居である事故物件へと向かっていた。
♦︎♦︎♦︎
安曇の住まいは駅から徒歩十分ほどの住宅街にある。付近には小さな居酒屋やスナックも点在していて、少し歩けば商店街もあり、人同士が密に関わり合った昭和の街並みを感じられる場所だ。
アパートは外壁の塗装工事をしたばかりなのか真っ白に塗りたくられ、築三十年以上とは思えない外観をしていた。敷地内はコンクリートで舗装されているが、景観のためかアパートの周囲には植え込みがあり手入れをされた低木が植えられている。事故物件でなければ、安曇の言う家賃では到底住めないだろう。
八雲は植え込みに沿ってアパートを一周すると、今度はコートのポケットから砂の入った紙袋を取り出した。建物の角に位置する植え込みの元へ行くと、左前、右前、左前と砂を撒く。東西南北すべての角に砂を撒き、最後に入口から最も近い植え込みにも撒いた。
これで砂による敷地の清めは完了。あとは安曇自身の部屋に盛り塩を置いてもらうだけだ。
が、引っかかる。
おそらくこの建物に関わるものだけではない。憎悪、悲哀、情愛、怨恨……さまざまな感情が入り混じったどす黒いなにかが、ここにはある。
「呪い、か」
安曇が受けている呪いが相乗効果を生み、この土地の良くないものの力を強めているのだろう。もともとはきっと、人体に影響を及ぼすほどではない。
それほどまでに強い呪い。一年やそこらの憎しみではない。何年、何十年と積もり積もった悪しき感情が周囲を巻き込み、浄化を上回る力で彼女に災厄をもたらしている。
八雲は小さく息を吐く。内ポケットから眼鏡を取り出すとレンズを磨き、それをかけた。
新居へ越すまでの数日間は地元に戻らず格安ホテル暮らしのため、さっそく翌日から出勤。ギィッ!と大きな音を立てて開く店のドアに、社長机でスマートフォンをいじっていた八雲が肩を震わせた。
「おはようございます! 社長!」
「おはよう……真夜くん……元気だね……」
「今日からよろしくお願いします!」
こう言っては失礼だが、「やくも」での仕事は退屈だった。なにせ依頼が来ない。とにかく掃除の日々。不要品の処分、書籍や出しっぱなしの物の片付け、床磨き、草むしり、それから毎日、外で香を焚く。
よくこれで店として成り立っているなとある意味で感心するほどの汚さとだらけっぷりだった。寝癖はついているし、ソシャゲばかりしているし、仕事への意欲なし。出会った初日のときめきを返してほしい……そう思ってしまうほどにだらしない。
そんなことを考えながら床をごっしごっしとモップがけしているときだった。
「真夜くんはこの辺に住んでいるんだっけ?」
「はい。社長と初めて会った辺りです」
新居が事故物件であることを話すと、八雲は表情や声音こそ変えないもののスマートフォンをいじる手を止めた。そして、そのアパートでいつもと違うことが安曇の身に起きていないかと尋ねた。
「うーん……ちょっと頭が痛いような。あと耳鳴りとか。でも環境が変わったストレスだと思うんですよね」
身に降りかかる不幸に耐え抜いてきた精神力は計り知れない。八雲は感心して頷いた。
いや、そんな場合ではなく。
掃除を進める安曇に睨まれながら社長机を漁る。どこかにあったはずだ――。
「塩と砂、ですか」
八雲が引き出しの奥深くから取り出した紙袋を渡すと、安曇はきょとんとした。
盛り塩や清めの塩など、塩が浄化に用いられることは広く知られているだろう。前者は魔除けや厄除けの意味を持ち、家の中に置くことで悪いものを祓う。後者は身体に振りかけることでケガレを祓うとされている。
ではなぜ塩なのか?
それは、塩自身が腐敗しないことや腐敗を遅らせる効果があることに由来している。
現在、日本の火葬率はほぼ百パーセントであるが、そもそも火葬が一般的になったのは明治時代のことだ。それまでは土葬が主な葬法で、火葬へと変化したのは仏教の影響、土葬用の土地や墓の不足、加えて伝染病を防ぐためである。
伝染病――これは生きている人間にまで影響を及ぼす災いだ。その災いから身を守るため、優れた殺菌効果のある塩を用い、やがてそれが塩で身体を清めるという形式的なものに変化していったとされている。
また、神道においても塩はなくてはならないものだ。
日本神話において、伊弉諾尊は伊奘冉尊がいる黄泉の国から戻ったあと、自身の身体を清めるために海水に浸かったという。黄泉の国のケガレ――穢れではなく気枯れであり、生命力が枯渇した状態を指す。その最たるものが死である――を祓い、現世に戻る黄泉がえりの儀式に海水を使用したことを起源として、塩を用いて身を清める行為が生まれた。
こうして物質としても宗教儀式としても、塩は浄化に必要なものとなっていったのだ。
砂は塩とほぼ同義だが、塩が身体を清めるために用いるのに対して、砂は場を清めるために用いる。御神土、斎砂など呼び方はさまざま。建造物を建てるとき、取り壊すとき、樹木の伐採、入居や開店時などに使用し、撒き方にも作法がある。
八雲はこれらの説明をすべてすっ飛ばして、塩は家の中ならどこでもいいから盛り塩に、砂はアパートをぐるりと囲むように撒きなさいとだけ言いつけた。
こうして安曇はなにも知らぬままにアパートと自室を清め、頭痛やらなにやらから解放されていたのだ。しかし、わずか四ヶ月で清めの効果が切れるとは想定外。もちろん、これくらいの期間は効果が持続しますときっちりと決まっているものではない。
が、それにしても早い気がする。
八雲の足は安曇の住居である事故物件へと向かっていた。
♦︎♦︎♦︎
安曇の住まいは駅から徒歩十分ほどの住宅街にある。付近には小さな居酒屋やスナックも点在していて、少し歩けば商店街もあり、人同士が密に関わり合った昭和の街並みを感じられる場所だ。
アパートは外壁の塗装工事をしたばかりなのか真っ白に塗りたくられ、築三十年以上とは思えない外観をしていた。敷地内はコンクリートで舗装されているが、景観のためかアパートの周囲には植え込みがあり手入れをされた低木が植えられている。事故物件でなければ、安曇の言う家賃では到底住めないだろう。
八雲は植え込みに沿ってアパートを一周すると、今度はコートのポケットから砂の入った紙袋を取り出した。建物の角に位置する植え込みの元へ行くと、左前、右前、左前と砂を撒く。東西南北すべての角に砂を撒き、最後に入口から最も近い植え込みにも撒いた。
これで砂による敷地の清めは完了。あとは安曇自身の部屋に盛り塩を置いてもらうだけだ。
が、引っかかる。
おそらくこの建物に関わるものだけではない。憎悪、悲哀、情愛、怨恨……さまざまな感情が入り混じったどす黒いなにかが、ここにはある。
「呪い、か」
安曇が受けている呪いが相乗効果を生み、この土地の良くないものの力を強めているのだろう。もともとはきっと、人体に影響を及ぼすほどではない。
それほどまでに強い呪い。一年やそこらの憎しみではない。何年、何十年と積もり積もった悪しき感情が周囲を巻き込み、浄化を上回る力で彼女に災厄をもたらしている。
八雲は小さく息を吐く。内ポケットから眼鏡を取り出すとレンズを磨き、それをかけた。
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