出張万屋やくも奇譚

あしたてレナ

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依頼1.5

4 泣いてあげること

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 店内に響く電子音に、安曇あずみは目を覚ました。頭がぼんやりしているものの痛みはすっかり消えている。どれだけ眠っていたのだろう。窓の外はすでに真っ暗だ。
 ギィッとドアが開く音がしたかと思えば、八雲やくもがひょっこりと顔を覗かせた。
「あ……社長……」
真夜まやくん、具合はどう?」
 横たわったままの安曇に話しかけつつ、八雲は固定電話のほうへ向かった。小さなランプが点滅している。留守電になっていたことと、先ほどの電子音は着信によるものだということを理解した。わたしが眠れるようにしてくれたんだなと安曇は思考を巡らせる。
「社長、どこかへ出掛けてたんですか」
「んー? うん」
 八雲は安曇の顔の近くへしゃがみ込んだ。まだ外の冷たい空気を纏っている。どこか八雲の様子に違和感を覚えたが、寝起きのためかあまり頭が働かない。
「砂を撒いてきたから、またしばらくは大丈夫だと思うよ。真夜くんは帰ったら盛り塩を新しいものに替えてくれるかな?」
「それって……わたしのアパートのですか?」
「うん。多分、全部呪いのせいだから」
家鳴やなり、だったんじゃ……」
「そう言ったほうがきみが眠れるかなと思って」
「そう、ですか……でも今までこんな……あ」
 安曇の目が見開かれる。ようやくはっきりとしてきた思考は、唐突に目の前の八雲の違和感に気がついた。
「社長……眼鏡。眼鏡に泥がついています」
「え」
 八雲は眼鏡を外すと安曇から隠すようにレンズを磨いた。珍しく慌てた様子。怪しい。
「呪いだけでなく、ほかにもなにかあったんですね」
 ぐい、と顔を近づける安曇はいつもの前のめりな彼女だ。勝ち気そうな大きな目に見つめられ、八雲は小さく息を吐くと向かいのソファに腰をかけた。
「じゃあ簡単に説明しよう」
「はい」
「さん」
「……いやなにもわかりません」
 これでは簡単というより、雑。
 わざとらしく、やっぱり?という顔をして、八雲は改めて話し始めた。
「きみの不調の原因は、三つある」
 一つめは、常に安曇に付き纏う呪い。お互いに認識していることだが、おそらくたび重なる不幸もこれが原因。もちろん、もともと不運ではあるかもしれないが。
 二つめは、アパートに関わるなにか。安曇の前の居住者がなにが原因で亡くなったのかは不明だが、例えば自殺や他殺など悪意や未練、苦しみが関わるものであれば残留した思念が影響を及ぼすこともあるだろう。安曇が内見したときから感じていた頭痛はそれによるもの。
 この二つだけであれば、いくら呪いが相乗効果を生むとしても、渡した塩と砂でもう少し長い期間対処できていたはずだ。それがこの短期間で効果が薄れ、一日中聞こえるラップ音に耳鳴り。
 これはつまり、ほかにもなにかが起きている。安曇の呪いが、良くないものを引き寄せている。
「……三つめは、なんですか……?」
 八雲はわずかに目を伏せた。普段より、少しだけ悲しげな眼差し。
「建物に向かって左側にさ、側溝があるだろう」
「……ありましたっけ」
「うん」
 住んでいる者が気にも留めないような、人間が生活していればすぐそこにあるような、そんな、なんでもない場所。
「その側溝を辿っていくと、蓋が外れている場所があってね、そこに――」

 とうに命の灯は消えていたのだろう。この世にでたときには、ただ温かな余韻があるばかりで、動かぬものになっていたのだろう。
 しかしそれは小さく未熟といえど人の形をしていて、母と繋がっていた証をそのままに、胎内にいたときと同じく、丸くなっていた。その姿は冬の寒空の下で凍えているようにも見え、まるで助けを求めているようだった。
 
 八雲が地面に顔をくっつけて覗き込まなければわからないような位置に、胎児はいた。いつ遺棄されたのかは不明だが、この寒さのためか腐敗はそこまで進んでおらず、臭いも夏場ほどではなかった。
 人が訪れない狭い場所でひっそりと、誰かが見つけてくれるのを待っていたのだろう。八雲には怒りや憎しみよりも、寂しさ、不安、心細さ、悲しみといったものがそこに渦巻いているように感じられた。この小さな胎児の思念が安曇の呪いとアパートの負の思念と混ざり合い、増長した悪意となって彼女を襲っていたのだ。

「……こんなところかな。悪いものは簡単に負の感情を引き寄せるからね。でも警察に連絡がいってるから、もう大丈夫だよ。きっとすぐに、解決する。アパートは少し騒がしくなるかもしれないけれどね」
 安曇は口を真一文字に結んで、ただ静かに話を聞いていた。八雲の言葉が途切れると、加湿器が蒸気を排出する音だけが静かに店内に響く。
「わ、わたし……」
 声が、震えている。
「わたし、全然、知りませんでした」
 嗚咽混じりの声で、安曇は自らを責めた。涙が溢れ、何度も何度もそれを拭う。
「どうして、気づいて、あげられなかっ、たん、でしょう」
 彼女は優しい。だから、
 しかし、体調を崩すことはこれまでにもあったかもしれないが、幼い頃から見舞われてきた不運によって鍛えられた安曇の精神は強い。そのために呪いの侵食がほとんど見られないのは不幸中の幸いだった。
「きみはなにも悪くない」
「でも」
「きみが不調を訴えた。だからぼくが気づくことができた。それであの赤ちゃんは救われたんだよ。きみが涙していることで、それだけで、あの子の寂しさは和らいでいるんじゃないかな」
「そうだと、いいんですが……」
「そうだよ」
 八雲の目がまっすぐに安曇を見る。濃褐色の瞳は、すべてを赦す瞳。彼の微笑みに、安曇もほんの少しだけ唇の端を上げた。
「真夜くん、顔がぐちゃぐちゃだ」
「いいんです……別にたいした顔じゃないので」
 むくれた表情の安曇。どうやら気持ちが落ち着いてきたようだ。
「社長こそ、さっきはどうしたんですか。眼鏡なんてかけて」
「ああ、あれ……」
「多分、二回目です。眼鏡をかけてるところを見たの。珍しいですね」
 安曇にとってはなんの変哲もない質問だった。しかし八雲は無言のまま、加湿器のもくもくを見つめてなにも答えない。たかが眼鏡で、なぜ答えに躊躇するのだろう。
「社長?」
 八雲は悩むように口の形を数回変えたあと、「からだよ」と困ったように眉を下げて笑った。
 それはつまり、普段は見ないようにしているということ。
 なにを?
 今日の出来事と、初めて出会ったときのことを思い出す。
 あっ、と安曇が一つの答えに辿り着いたとき、スマートフォンを片手にした八雲が声をかけた。
「ところで真夜くん、アパートには帰るのかい?」
 きっとこれからアパートは警察やら報道陣やらで騒がしくなる。思案する安曇に、八雲は数時間前のように一つのドアを指差した。
「ほら、あそこで寝たらいいじゃないか」
 にっこにこだ。その顔には善意しかない。
 安曇は小さくため息をついた。どうやら早急に物置兼仮眠室の掃除を進めなければいけないらしい。よしっ!と気合いを入れると腕まくりをし、マスクを二重にして装着した。
「えっ!? 今から掃除するの!?」
「じゃないと寝られませんから! まずは換気から!」
 えぇ~寒いよ~という八雲の抗議を無視しながら、安曇は窓を開ける。星も見えない静かな空の下、賑やかに「やくも」の夜はふけていく――。

 ――――――――――――――――――――――――――

 ー安曇の営業日誌ー
社長の眼鏡をこっそりかけてみたが、特段なにも視えなかった。
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