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依頼2
3 信じるものは
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陽が完全に落ちきった山の中、安曇と八雲は和久井の案内で女神の住む滝つぼを目指していた。
太平洋側に位置するW県は、冬でも温暖な気候と言える。もちろん山間部では積雪もあるが、県南部ともなれば山地でも滅多に積もることはない。二人は厚手のコートに身を包み、小さな明かりを頼りに歩を進めた。
「社長……どうして夜なんですか……」
息が上がっている安曇は、暗くてよく見えないが泥だらけだ。何度か木の根に躓き転んでいる。明かりはそれぞれ懐中電灯一本、おまけに新月。滝つぼまでの道は漁師たちが訪れるためよく整備されているが、それでもこの暗さでは危険が伴う。
「明るいほうが危ないからだよ」
いつもの調子で八雲が笑う。緩やかとはいえ斜面を歩いているのに、少しも呼吸を乱していない。普段運動をしているわけでもないのに、どうなっているのだこの男の身体は。
「大丈夫け、安曇さん」
「はっ……はいっ! お構いなくっ……! おわっ!」
言いながら足を滑らせる安曇を八雲が支える。
「不運だねぇ、真夜くんは」
「すみません……」
社長が夜に行くって言うからです、なんて言葉は飲み込んだ。「明るいほうが危ない」の意味はわからないが、八雲がそう言うのならそうなのだろう。彼の行動が考えあってのことだというのは、この数ヶ月でわかった。
滝つぼに着くと八雲は立入禁止のテープをくぐり、櫓の元へと向かった。だいぶ破損し、ぐらついているが大人二人なら立つことができる。
「和久井さんは離れていてください。もし……もし命の危険を感じたら、こう言ってください。『石は――』」
♦︎♦︎♦︎
和久井が滝つぼから遠ざかったのを確認し、八雲は用意してもらった一升瓶の酒を開けた。
「真夜くん、神様は本当にいると思うかい」
「え?」
八雲はそれらしい儀式もせずに、川面へドボドボと酒を注ぐ。
「神様は、本当に人魚だと思うかい」
コトンと足元へ置かれる酒瓶。
「それってどういう」
「来た――」
下から聞こえる水音。そちらへ懐中電灯の明かりを向け、安曇は後悔した。水中で開いた大きな口が、櫓ごと二人を飲み込まんとしていたからだ。
「真夜くん、ぼくはきみの不運な人生を信じているよ」
足場がぐらつくし八雲は意味のわからないことを言っている。ツッコむ暇もなく、転がる酒瓶で足を滑らせ安曇は水中へ、もとい口の中へ飛び込んだ。八雲を道連れにして。
――頬に温かいものを感じる。人肌のような、ぬくもり。濡れている……? ここは、どこだろう……いや、待ってそれよりも……ぬるぬるしている。というか……。
「ネバネバして気持ち悪いっ!!」
安曇が勢いよく起き上がると、目の前には八雲がいた。薄暗いが姿は視認できる。八雲は片手で顔を覆い、笑いを堪えていた。
「……なにがおかしいんですか」
「いや……なかなか起きないから大丈夫かなあと思ったら、急に叫ぶものだから」
まだ笑っている。少し待ったがずっと肩を震わせているので、安曇は構わず話を進めた。
「ここはどこなんでしょうか」
ふうふうと呼吸を整える八雲。山を歩いているときはあんなに平気そうだったのに、と安曇は無言で彼を睨む。
八雲は長く息を吐き出すとようやく「牛鬼の腹の中だよ」と言った。
「ウシオニ……? えーと……わたしたち、神様に食べられたんじゃ……」
「そうだね。食べられた。そしてここは腹の中だ。ぼくたちは死んではいないよ」
『死んではいない』という言葉にほっと胸を撫で下ろす。だがしかし、牛鬼とは。
「神様……人魚だと思っていたものはね、違ったんだ。ただの妖怪だよ」
牛鬼はその名のとおり、顔が鬼、体が牛の妖怪である。呼び方は「ぎゅうき」とも。性格は獰猛で人間も動物も食べてしまう。好物は酒。言い伝えも多く、毒を持っている、体は蜘蛛のよう、影を食べることで人間を殺すなどという説がある。八雲が夜を選んだのは万が一を回避するためだ。
「鬼と牛、ですか……でも美しい女性だって」
「化けるんだよ。水辺では顔は女性、体は蛇にね。陸地に現れるときは鬼と牛を併せ持った姿なんだ。真夜くん、妖怪はさ、どれくらい昔からいると思う?」
「え? えーと……わかりません……」
「そう、わからない。わからないくらい昔からいる。例えば百年前、人の顔と蛇の体で人間の前に現れた牛鬼が、自分は神だと人間を騙したらどうだろう。信じない人間を海難事故に見せかけて食べていて、それが神の怒りだと宣ったらどうだろう。信じた人間たちは、この神を祀るようにと後世に伝えようとするんじゃないかな」
「そう、ですね」
「百年だ――その間に姿を伝える記述、もしくは伝聞が変わっても無理はない。例えばそれが顔と上半身は人間のような美しい女性で下半身は魚の、人魚のようだったと伝わっても、おかしくはないだろう?」
なるほど。それはありえないことではない。話に尾ひれがついたり曲解することは、ままある。
「じゃあどうしてそんな凶暴な妖怪を神様だなんて……」
「真夜くん、下をよく見てごらん」
安曇は言われたとおりに足元を観察した。粘つく体内には牛鬼が飲み込んだと思われるものが転がっている。
「これは……」
まるで魚卵のような、無数の球体。近づいてよくよく見れば、それは、人間の頭部だ。消化されているのか皮が剥がれ、頭髪が抜け落ちているものもあれば、完全に白骨化しているものもある。きっとすべて、牛鬼が食べた人間だ。相次いだ船の転覆事故も、巫女を食べたのもすべて、牛鬼が。
小さく悲鳴を上げてあとずさる安曇に、八雲はそれじゃないと首を横に振った。
「真夜くん、もう少し、ようく見てごらん」
ほかになにがあるというのか。気色悪さに眉間に皺を寄せたものの、言われるがままに薄暗い腹の中を見回した。
ふと、明かりもないのに輝いているものに気づく。小さな、指で摘めるほどのものだったが、それは――。
「鱗?」
魚の鱗のように見えるそれは、蛇の体をしているときの牛鬼のものとも考えられる。しかし目を凝らしてみると、何枚も何枚も同じような輝きを持つ鱗が落ちているのだ。青とも緑とも、はたまた橙ともとれる、角度によって色が変化して見える輝き。
「社長、これは」
八雲が笑う。しっかりと姿が見えなくとも、わかる。
「本当の人魚がいた可能性も、あるね」
それは、つまり。
安曇が考えを口にするのを遮るように、八雲は続ける。
「真相は牛鬼にしかわからない。ただ、人間を騙し、好物の酒にありついていたことは確かだね。今年はその日にちが守られず、腹を立てたのかもしれないね」
信じていたものは初めから化け物だったのか、それとも人魚に取って代わったのか、それはわからない。しかし、人間を騙していたことには間違いないのだ。これも習性……? その一言で、片付けられるものなのか……?
ぐるぐると考えが巡る。納得できない思考は徐々に苛立ちへと変わっていく。
「社長! こんなところ早く出ましょう!」
八雲の腕をぐいと引っ張ると、安曇は歩き出そうとした。
「いてて、待ってよ真夜くん。どこに行くんだい?」
「どこってお尻の穴です!! 口から入ったらお尻から出るんですよ!!」
それは至極当然、自然の摂理なのだが。
またも笑いを堪えている様子の八雲に気づき、安曇は自分の発言に少しばかり気恥ずかしくなる。
「わ、笑わないでくださいよ! 真面目に言ってるんですから!」
堪えきれずにひーひー笑う八雲。もう! と掴んでいた腕を軽く叩くと、思いのほか彼は痛がった。
「そんなに強く叩いてないんですけど……って、ちょっと待って! そこ怪我してません!? いつ!?」
右手首から肘にかけて衣服が破れ裂傷を負っている。傷口から血液が滲み、袖を濡らしていた。
「多分、口の中に入ったときかな。歯に少し引っかけてしまったようだね」
「ちょっと待ってください、えーと……止血ってどうやるんだろ……」
ポケットから花柄のハンカチを取り出して頭を抱える安曇に、八雲が微笑む。
「傷はそこまで深くないから、血はすぐに止まるよ。とりあえずここを覆ってくれるかい?」
「は、はいっ」
八雲の指示に従って傷口を覆うものの、大きな裂傷は痛々しく、痕が残るのではと思われた。
「とりあえず、血が止まるまで手を上げててくださいっ」
挙手の姿勢を取らされる八雲。
「真夜くん……これ、すぐに腕が疲れそう……」
「駄目です! ちゃんと上げて!」
手を下げようとする八雲の肘を安曇が押し上げる。
「わかったわかった、しばらく上げておくよ……真夜くん?」
下を向いたまま、震えている。肘に触れる手は力なく、もはやただ添えられているだけだ。
「すみません……わたしのせいで」
そう言って、鼻を啜る音。八雲は空いているほうの手を安曇の頭にぽんと乗せた。
「大丈夫。いいんだよ」
「でも……和久井さんも一人になってしまいましたし……危ないんじゃあ……」
「彼には対処法を伝えてあるから。真夜くん、飲み込まれる前にぼくが言ったこと、覚えているかい」
「言ったこと……?」
赤みを帯びた安曇の目が、長身の八雲を見上げる。
「きみの不運な人生を信じる、と言っただろう」
ああ、確かに言っていた。でもそれはいったい。
「もともと腹の中に入るつもりだったんだよ」
「え」
「きみならきっとうまくやってくれる、きっと腹の中に入れると思ってたんだ」
にっこりと笑う八雲だが、対して安曇は複雑な心境だ。思惑どおりなのだろうが、はたして喜んでいいのか。不運がために妖怪の腹の中に入るだろうと思われ、それを見越して作戦を立てられていたのが切ない。
先ほどまでの涙はどこへやら、安曇は八雲から離れると少し不満げに尋ねた。
「で、このあとはどういう予定なんですか」
「真夜くんに呪文を教えるよ」
八雲は右手を上げたまま、ゲームのコツでも教えるかのように言った。
太平洋側に位置するW県は、冬でも温暖な気候と言える。もちろん山間部では積雪もあるが、県南部ともなれば山地でも滅多に積もることはない。二人は厚手のコートに身を包み、小さな明かりを頼りに歩を進めた。
「社長……どうして夜なんですか……」
息が上がっている安曇は、暗くてよく見えないが泥だらけだ。何度か木の根に躓き転んでいる。明かりはそれぞれ懐中電灯一本、おまけに新月。滝つぼまでの道は漁師たちが訪れるためよく整備されているが、それでもこの暗さでは危険が伴う。
「明るいほうが危ないからだよ」
いつもの調子で八雲が笑う。緩やかとはいえ斜面を歩いているのに、少しも呼吸を乱していない。普段運動をしているわけでもないのに、どうなっているのだこの男の身体は。
「大丈夫け、安曇さん」
「はっ……はいっ! お構いなくっ……! おわっ!」
言いながら足を滑らせる安曇を八雲が支える。
「不運だねぇ、真夜くんは」
「すみません……」
社長が夜に行くって言うからです、なんて言葉は飲み込んだ。「明るいほうが危ない」の意味はわからないが、八雲がそう言うのならそうなのだろう。彼の行動が考えあってのことだというのは、この数ヶ月でわかった。
滝つぼに着くと八雲は立入禁止のテープをくぐり、櫓の元へと向かった。だいぶ破損し、ぐらついているが大人二人なら立つことができる。
「和久井さんは離れていてください。もし……もし命の危険を感じたら、こう言ってください。『石は――』」
♦︎♦︎♦︎
和久井が滝つぼから遠ざかったのを確認し、八雲は用意してもらった一升瓶の酒を開けた。
「真夜くん、神様は本当にいると思うかい」
「え?」
八雲はそれらしい儀式もせずに、川面へドボドボと酒を注ぐ。
「神様は、本当に人魚だと思うかい」
コトンと足元へ置かれる酒瓶。
「それってどういう」
「来た――」
下から聞こえる水音。そちらへ懐中電灯の明かりを向け、安曇は後悔した。水中で開いた大きな口が、櫓ごと二人を飲み込まんとしていたからだ。
「真夜くん、ぼくはきみの不運な人生を信じているよ」
足場がぐらつくし八雲は意味のわからないことを言っている。ツッコむ暇もなく、転がる酒瓶で足を滑らせ安曇は水中へ、もとい口の中へ飛び込んだ。八雲を道連れにして。
――頬に温かいものを感じる。人肌のような、ぬくもり。濡れている……? ここは、どこだろう……いや、待ってそれよりも……ぬるぬるしている。というか……。
「ネバネバして気持ち悪いっ!!」
安曇が勢いよく起き上がると、目の前には八雲がいた。薄暗いが姿は視認できる。八雲は片手で顔を覆い、笑いを堪えていた。
「……なにがおかしいんですか」
「いや……なかなか起きないから大丈夫かなあと思ったら、急に叫ぶものだから」
まだ笑っている。少し待ったがずっと肩を震わせているので、安曇は構わず話を進めた。
「ここはどこなんでしょうか」
ふうふうと呼吸を整える八雲。山を歩いているときはあんなに平気そうだったのに、と安曇は無言で彼を睨む。
八雲は長く息を吐き出すとようやく「牛鬼の腹の中だよ」と言った。
「ウシオニ……? えーと……わたしたち、神様に食べられたんじゃ……」
「そうだね。食べられた。そしてここは腹の中だ。ぼくたちは死んではいないよ」
『死んではいない』という言葉にほっと胸を撫で下ろす。だがしかし、牛鬼とは。
「神様……人魚だと思っていたものはね、違ったんだ。ただの妖怪だよ」
牛鬼はその名のとおり、顔が鬼、体が牛の妖怪である。呼び方は「ぎゅうき」とも。性格は獰猛で人間も動物も食べてしまう。好物は酒。言い伝えも多く、毒を持っている、体は蜘蛛のよう、影を食べることで人間を殺すなどという説がある。八雲が夜を選んだのは万が一を回避するためだ。
「鬼と牛、ですか……でも美しい女性だって」
「化けるんだよ。水辺では顔は女性、体は蛇にね。陸地に現れるときは鬼と牛を併せ持った姿なんだ。真夜くん、妖怪はさ、どれくらい昔からいると思う?」
「え? えーと……わかりません……」
「そう、わからない。わからないくらい昔からいる。例えば百年前、人の顔と蛇の体で人間の前に現れた牛鬼が、自分は神だと人間を騙したらどうだろう。信じない人間を海難事故に見せかけて食べていて、それが神の怒りだと宣ったらどうだろう。信じた人間たちは、この神を祀るようにと後世に伝えようとするんじゃないかな」
「そう、ですね」
「百年だ――その間に姿を伝える記述、もしくは伝聞が変わっても無理はない。例えばそれが顔と上半身は人間のような美しい女性で下半身は魚の、人魚のようだったと伝わっても、おかしくはないだろう?」
なるほど。それはありえないことではない。話に尾ひれがついたり曲解することは、ままある。
「じゃあどうしてそんな凶暴な妖怪を神様だなんて……」
「真夜くん、下をよく見てごらん」
安曇は言われたとおりに足元を観察した。粘つく体内には牛鬼が飲み込んだと思われるものが転がっている。
「これは……」
まるで魚卵のような、無数の球体。近づいてよくよく見れば、それは、人間の頭部だ。消化されているのか皮が剥がれ、頭髪が抜け落ちているものもあれば、完全に白骨化しているものもある。きっとすべて、牛鬼が食べた人間だ。相次いだ船の転覆事故も、巫女を食べたのもすべて、牛鬼が。
小さく悲鳴を上げてあとずさる安曇に、八雲はそれじゃないと首を横に振った。
「真夜くん、もう少し、ようく見てごらん」
ほかになにがあるというのか。気色悪さに眉間に皺を寄せたものの、言われるがままに薄暗い腹の中を見回した。
ふと、明かりもないのに輝いているものに気づく。小さな、指で摘めるほどのものだったが、それは――。
「鱗?」
魚の鱗のように見えるそれは、蛇の体をしているときの牛鬼のものとも考えられる。しかし目を凝らしてみると、何枚も何枚も同じような輝きを持つ鱗が落ちているのだ。青とも緑とも、はたまた橙ともとれる、角度によって色が変化して見える輝き。
「社長、これは」
八雲が笑う。しっかりと姿が見えなくとも、わかる。
「本当の人魚がいた可能性も、あるね」
それは、つまり。
安曇が考えを口にするのを遮るように、八雲は続ける。
「真相は牛鬼にしかわからない。ただ、人間を騙し、好物の酒にありついていたことは確かだね。今年はその日にちが守られず、腹を立てたのかもしれないね」
信じていたものは初めから化け物だったのか、それとも人魚に取って代わったのか、それはわからない。しかし、人間を騙していたことには間違いないのだ。これも習性……? その一言で、片付けられるものなのか……?
ぐるぐると考えが巡る。納得できない思考は徐々に苛立ちへと変わっていく。
「社長! こんなところ早く出ましょう!」
八雲の腕をぐいと引っ張ると、安曇は歩き出そうとした。
「いてて、待ってよ真夜くん。どこに行くんだい?」
「どこってお尻の穴です!! 口から入ったらお尻から出るんですよ!!」
それは至極当然、自然の摂理なのだが。
またも笑いを堪えている様子の八雲に気づき、安曇は自分の発言に少しばかり気恥ずかしくなる。
「わ、笑わないでくださいよ! 真面目に言ってるんですから!」
堪えきれずにひーひー笑う八雲。もう! と掴んでいた腕を軽く叩くと、思いのほか彼は痛がった。
「そんなに強く叩いてないんですけど……って、ちょっと待って! そこ怪我してません!? いつ!?」
右手首から肘にかけて衣服が破れ裂傷を負っている。傷口から血液が滲み、袖を濡らしていた。
「多分、口の中に入ったときかな。歯に少し引っかけてしまったようだね」
「ちょっと待ってください、えーと……止血ってどうやるんだろ……」
ポケットから花柄のハンカチを取り出して頭を抱える安曇に、八雲が微笑む。
「傷はそこまで深くないから、血はすぐに止まるよ。とりあえずここを覆ってくれるかい?」
「は、はいっ」
八雲の指示に従って傷口を覆うものの、大きな裂傷は痛々しく、痕が残るのではと思われた。
「とりあえず、血が止まるまで手を上げててくださいっ」
挙手の姿勢を取らされる八雲。
「真夜くん……これ、すぐに腕が疲れそう……」
「駄目です! ちゃんと上げて!」
手を下げようとする八雲の肘を安曇が押し上げる。
「わかったわかった、しばらく上げておくよ……真夜くん?」
下を向いたまま、震えている。肘に触れる手は力なく、もはやただ添えられているだけだ。
「すみません……わたしのせいで」
そう言って、鼻を啜る音。八雲は空いているほうの手を安曇の頭にぽんと乗せた。
「大丈夫。いいんだよ」
「でも……和久井さんも一人になってしまいましたし……危ないんじゃあ……」
「彼には対処法を伝えてあるから。真夜くん、飲み込まれる前にぼくが言ったこと、覚えているかい」
「言ったこと……?」
赤みを帯びた安曇の目が、長身の八雲を見上げる。
「きみの不運な人生を信じる、と言っただろう」
ああ、確かに言っていた。でもそれはいったい。
「もともと腹の中に入るつもりだったんだよ」
「え」
「きみならきっとうまくやってくれる、きっと腹の中に入れると思ってたんだ」
にっこりと笑う八雲だが、対して安曇は複雑な心境だ。思惑どおりなのだろうが、はたして喜んでいいのか。不運がために妖怪の腹の中に入るだろうと思われ、それを見越して作戦を立てられていたのが切ない。
先ほどまでの涙はどこへやら、安曇は八雲から離れると少し不満げに尋ねた。
「で、このあとはどういう予定なんですか」
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