花カマキリ

真船遥

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Scene 8-1

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「由依、どうしたの?」
 由依が青ざめている理由は想像に難くない、きっと、あの刑事から脚本家の田代が殺されたことを伝えられたのだろう。俺は微かに震えている由依の手に、そっと優しく自分の手を添える。俺は子供をあやすように、もう一度聞く。
「何かあったの?」
「私のせいで、私のせいで、また人が死んだの」胸を手で抑え、呼吸を荒げて、自責の念を吐露する。俺は不規則に膨れる背中を摩って、「大丈夫。由依のせいなんかじゃない。さあ、何があったか言ってごらん」と囁いた。
「さっき刑事さんに言われたの、田代さんが殺されたって。この前ある人に言われたの、お前の成功が男の死屍の上に成り立っていることに何も感じないのか?って。賞賛されている現状に甘んじて、ずっとそのことに目を背けていたの。今度こそは、今度こそはこの人なら平気だ、きっと私の成功は人の死の上に成り立っているわけじゃないんだって信じながら、男の人と寝るの。そしたらね、みんな死ぬの。私はまた人の命を利用したの、自分の成功のために」
「私の演技にみんなが期待するの、私はその期待に応えるために、自分の出来る全てを尽くすの。それだけじゃない、作品が失敗した時、全ての責任を私になすりつけられたらどうしようって、とても不安なの。男の人と寝た後には、不思議といい演技ができるって自分でもわかるの。私は取り憑かれているのよ。でも、もうこんな事、ずっと続いたら私もう耐えられない」と溜まっていたものを吐き出すように、涙を流して俺に打ち明けた。
 俺は泣いている由依を抱き寄せて、「そんなことはない。君は何も悪くない。疲れているせいで、そんな風に思うんだよ。さあ、家に帰ろう」と背中を叩いて優しく語りかけた。
 由依のマンションに辿り着くまでの道中、ずっと彼女は俺の隣で唇を少し尖らせ、鼻を不規則に啜り、目を赤くしていた。こちらを見ずに、都会の中に出来た夜の虚空を放心状態で見ている。音楽をかける気分になれなかったせいで、カーラジオが他人事のようにひたすら喋り続けていた。
 由依の住まいの近くを運転しながら、物陰に隠れているカメラを持ったマスコミを見て、まだマスコミが張り付いてるな、と思った。マンションの周りには、熱愛報道を境に、週刊誌のカメラマンや、テレビ局の関係者などが息を潜めている。由依がマンションから出る時と、帰ってくる時に、近隣の迷惑や個人のプライバシーなど気にせず、由依にひたすら、質問を投げかけ、カメラのフラッシュを浴びせかける。カメラマンたちは、彼女が帰ってくることを、今か、今かと待ち侘びていた。
「今日もカメラマンでいっぱいね」
「これで、田代が殺されたなんて知ったら、明日の朝は大変なことになるだろうね」
 由依は大きくため息をつき、すり減らした神経のせいで顔がより一層曇り始めた。
「ホテルにでも泊まろうかしら」
「友達の家には?」
「私が親しくしている子の家の周りにもね、ウヨウヨ、カメラマンが隠れているみたいなの。どこで知ったのかしら?」
 マスコミの執拗な追跡は俺にまで及んでいて、俺の家の周りにも、何人かのカメラマンが、最近、うろついていた。言うまでもないが、俺の家に連れて行くわけにはいかない。
「それじゃあ。あの青年の家とかどうかな?」と俺は由依に提案した。
 由依は、擦り減った心に癒しを求めているようだったが、彼に迷惑がかかることを危惧しているのか、少し思案していた。
「大丈夫だよ、マスコミだって彼のことはきっと知らない」と俺の甘言を聞き、由依は何も言わずに頷いた。
 あの寂れた住宅街にある、小さなアパートの近くに車を停め、青年の部屋のインターホンのボタンを押すと、玄関の前に誰がいるかなんて確認しなかったのか、スウェットのパンツに、Tシャツ姿で青年は俺らを出向えた。扉の先に由依がいることに驚きを隠せないといった顔だった。
「こ、こんばんは」と由依は気まずそうに苦笑いをして、青年に挨拶すると、
「こ、こんばんは。何かあったのですか?」と俺に問いかけた。
「実は、この前の熱愛報道のせいで、マスコミが由依の関係者や友人の周りを彷徨いていて」
 青年は熱愛報道という単語を聞くと、彼女を案ずる顔を曇らせた。
「彼女は、とてもあなたのことを信頼しているようですし、今日だけでいいんです。彼女を匿っていただくことはできませんか?」
 由依が何も言わずじっと下を向いているせいで、青年は俺のお願いに決断を下せないでいる。常識的な人間なら、いきなりマネージャーからこんな狭い部屋の中で女優を一晩匿って欲しいなんて言われたら、断るのが当然だ。彼もそうしようとしていたのだろうが、泣き腫らした目をしている由依を見て、気の優しい青年は事態の深刻さを憂いているようだった。
「あの、玄関の前で立ち話をしていると、目立ちますので。とりあえず、中に入ってください」と青年は由依と俺を迎え入れた。
 壁一面を覆い尽くす大きな本棚には、隙間を埋め尽くすように本とファイルが敷き詰められ、テーブルの上には、読みかけの本や、執筆のための資料が雑多に広がっている。一人暮らし用の小さな冷蔵庫や洗濯機などの安価で質素な家電で揃えられている部屋には、似つかわしくない贅沢なプリンター。両親は亡くなっていて、父はジャーナリストだったと、由依から青年の身の上を聞いていた。このプリンターは父親が生前使っていたもので、執筆用に自分の部屋に置いたのだろう。部屋は狭いが綺麗に保たれている。
 この前、見えなくなるまで由依の姿を目で追っていた青年の様子から察するに、あの日、二人の距離は、グッと縮まったに違いない。そんな二人の関係を知っていれば、男の家に好きな女を泊めるなんて、正気の沙汰とは思えないだろうが、彼女の性質は特殊だ。彼が好きなら、彼とは寝れない。それに、由依と男女の仲にまで数時間で発展した直後に熱愛報道なんて見れば、きっと女に弄ばれた、と思ったに違いない。自尊心を傷つけた相手と何もせずに、一晩過ごす気まずさを彼は味わう事になる。俺はここに由依を置いて行くことに決めた。
「あの、本当に一晩だけでいいんです。何かあれば、この番号に電話をかけて下さい。どうか彼女を助ける、と思ってお願いします」と俺は名刺を渡して、彼に誠心誠意お願いをした。青年が煮え切らない返事で了承すると、由依は「トシくん、ごめんね」と気弱く言った。
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