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Scene 13-2
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正月の深夜の高速道路は、空いていて、みるみると車は静岡県の県境を超えて行った。人さえ殺していなければ、気持ちの良いドライブだったろうに。夜が明けるのは、目的地に着く頃だろうか、この時期の夜明けはまだ先だ。24時間営業のドンキホーテで大きなスコップと台車を買い、俺はこの男を埋めに行けそうな富士山近くの森まで車を走らせ続けた。
あたりが白み始めた頃、俺は大きな森に到着し、旅行カバンに入れた男を台車に乗せ、まだ、暁闇のように暗い森の奥へ歩を進めていった。カバンの中の男の様子を一度も確認していないが、男はピクリとも動かない、気温が氷点下を下回っているせいで、カバンから伝わる温度は冷たく、とても生き物が入っているとは思えなかった。手を悴ませながら、俺は徐々に明るくなっていく森の中を進んでいく。車を降りて、真っ直ぐ進み、二十分経ったところで、ドンキホーテで買い込んだサイリウムを一本置く。森の中から抜け出せなくなるわけにはいかない。これは、帰ってくるための目印だ。サイリウムを辿って、俺を追いかけてくるやつがいたらどうしようか?。簡単なことだ、そいつもスコップで撲殺してやれば良い。それが良い、殺しの感覚を忘れるのは難しい、それならば、単純に殺しに慣れてしまえばいい。人類史なんて差別と戦争の歴史の方が長く、俺の目に世界が平和に見えるように映るのは、たまたま紛争地帯で生活していなかったからに違いない。そう思えば、人の一人や二人を殺したところで大したことはない。あたりからは、不吉な鳥の鳴き声と、俺と台車が落ち葉を踏む音がするだけだ。誰も俺をつけてきていない。パチリ、と右斜め後ろから、木の枝が炸裂する音が鳴った。心臓が止まりそうになりながら、そちらを振り向くと、一匹の子鹿が無垢な瞳で俺の方を凝視していた。子鹿と目が合うと、子鹿は俺に一度頭を下げ、力強く跳躍して、森の中に駆けて行った。
十分おきにサイリウムを置いて、三時間くらい森を彷徨った後、少し開けたところにたどり着き、俺は湿った重い土を、スコップで掬い、人一人埋められる深さになるまで、ひたすら穴を掘り続けた。流石に、こんな真冬でも、ひたすら穴を掘り続けば、汗が滲み出る。厄介なのは、休憩中、汗で濡れたシャツが、外気を吸い込み、冷たく俺の体に張り付いてくることだ。冷たすぎて、タバコどころじゃない。俺はようやく人一人埋められる大きさの穴を掘ったところで、男をカバンから取り出した。男はやっぱり動かない。足の裏で男の体を押して、穴に落とし、俺は男に土をかけていった。これで終わりだ。この事件は一人の男が不審に消えただけで終わりだ。由依にはどうやって言い訳をしようか。流石に、本当に土に埋めてきたとは言えない。疲れと眠気で頭が働かないのか、まったく言い訳が思いつかない、きちんと感覚があるのは、土の重みを感じる腕だけだ。さっさと、土をかぶせてここを立ち去ろう。考える時間なんていくらでもある。そんな風に考えていた俺が作業を止めたのは、もう死んだと思っていた男に呼びかけられたからだ。
「おい」男は俺に声をかけた。
「なんだ生きていたのか?」スコップを土に刺し、俺は作業を止めて、平静を装いつつ男の呼びかけに答えた。内心動揺しているのか、手のひらから汗が噴き出していた。
「ああ、今ようやく目が覚めたよ。ここはどこだ?」
「静岡県の富士山の麓の森の中だ」
「富士の樹海に埋められるってやつか。本当にあるんだな。やっぱり悪いことなんてするもんじゃねえな。理由はわからねえが、とにかく玉城由依を襲ったら、良い役与えてやるって言われたからやったのに。襲っても罪には問わないってな。やっぱりそんな甘い話あるわけないわな。まさかこんな目に遭うとは。思い当たる節ならあるが、まさか消される羽目になるとはねえ」
「そんなことのために?」
「そんなこと?、成り上がれんだぜ。俺は成り上がるために芸能界に入ったんだ。マネージャーのお前にとってそんなことでも、俺にとっては大事なことだ。俺なんて学もねえ顔がいいだけの男がよお、この沈没していくだけの日本で長く楽しく生きていくなんて、芸能界しかねえだろ。どうせ、会社になんて勤められないさ。老けたらトイレの清掃員にでもなるしかないだろ。そんな人生真っ平御免さ。玉城由依をレイプするだけで芸能界での地位を約束してやるなんて言われたら、誰だってやるだろ。お前もそうだろ?」
「俺ならしねえな」
「なんだ、お前本当に男か?チンコついてんのか?。それともなんだ、どうせセックスするなら愛し合いたいってか?。肉体的な結びつきより精神的な結びつきの方が優れてる、とか考えちゃってるタチだろ?。クソ野郎だな。男なら欲望のままに生きてみろよ。お前みたいな英雄気取りが俺は一番嫌いだぜ」
男のご高説を聞いても、俺の決心は揺るがなかった。理由はわかっていたが、俺はこいつのことが嫌いだった。そして、俺は誰がこいつに命令したのか気になり、男に質問した。
「誰に命令されてやったんだ?」と俺が男に質問すると、男は俺もレイプ計画に一枚噛んでいると思っていたのか「なんだ。あんた、なんも知らないのか」と俺を見てニヤリと笑い、「教えてやるからさ。その前にやることがあるだろ」と言って、体を揺すって土を払った。俺が土をかけるのを再開すると、「わかった、わかった。教えてやるから、一旦作業をやめろ」と諦めた。
俺は作業を止めて訊いた。
「で、誰なんだ。玉城由依をレイプするように命じたやつは?」
「知りたいか?。驚くぞ」
「さっさと答えろ」
「俺の所属している芸能事務所の社長の吉村ってやつと、玉城由依のところの社長だよ。加賀美陽子の方は流石に、止めようとしていたけど、まあ、背に腹は変えられないって感じだったな。育ての親って言っても冷たいもんだな、やっぱり血より濃いものがあるなんて嘘っぱちだよな」と言った。
「それだけか?」
「それだけ?。まだ、何か聞きたいことでもあるのか?」もうこいつから情報は引き出せそうにないな、と思い俺は作業を再開した。
「おい、話してやったろ。それはねえだろ。あんたのことは話さねえから、頼むよ」
「俺にもな、世の中で唯一許せないタイプの人間がいるんだよ。どんなやつかわかるか?」
「さあな」
「それはな、女子供を暴力で押さえつけようとするやつだよ」と言って、作業のスピードを早めた。
男は俺に命乞いを始めた。俺は聞く耳を持たない。そして男は最後に何度も俺に嫌な予言を投げかけた。
「お前、あの女に惚れてるんだろ。いいか、お前があの女のために何しようがな、あの女はお前に絶対に振り向かねえぞ。おい聞いてるのか、なんのためにそこまでするんだ、俺を殺したってなんも手に入らねんだぞ。おい聞け」
なんのため?彼女のためだよ。何も手に入らないことくらいお前に言われなくたって、はじめから全部わかっているさ。
男を埋め終わり、サイリウムを回収しながら、車にたどり着くと、近くの駐車場まで車を走らせてから、仮眠をとった。ほんの二、三時間寝るつもりだったが、あたりが真っ暗になるまで俺は眠りについていた。夕方の七時、今日明日は休みなのだから、どこかで一泊していってもいいが、由依が警察に駆け込んだりしたら、また面倒だ、と思い、おもむろにアクセルペダルを踏み、車を発進させた。ハンドルを強く握ると前腕と上腕が酷い筋肉痛に襲われた。腕から伝わる筋肉痛で、なんとか正気を保てているが、だいぶ眠ったのに、頭の靄が晴れずにいる。その上、ずっとあの男の最後の言葉がこびりついて離れない。寝不足のせいなのか、視界に入るすべてものが俺をイラつかせる。俺の横を凄い勢いで通り過ぎていく車のテールランプ、信号待ちの間、手を繋ぎながら横断歩道を横切っていく三人家族、派手な外装のトラックや、制限速度を律儀に守る原チャリ。ただイラついているのは、視界に入るもののせいじゃない、もっと根源的な欲求が俺をこんなにイラつかせる。高速に入ると、いつもよりスピードを上げて運転する。早く由依に逢いたい。そうだ、言い訳を考えるんだった、ちょっと痛い目合わせたらすぐにどっか行った、もう芸能界には復帰できないだろう、その程度でいいか、ああ、いい考えだ。そろそろサービスエリアだ、こんな寒くて空気が乾いている日に、夜風でも浴びながら、思いっきりタバコを吸ったら最高だろう。サービスエリアに着くと、一番最初に目についたのは、喫煙所の案内板でも灰皿でもなく、夜の暗がりの中、物陰でキスをしている一組の若い男女のカップルだった。その光景を見た時、俺は思わず涙が溢れて、何度もハンドルを叩いた。泣いたのなんて、小学生の頃、親父に全身青痣まみれになるまで殴られて以来だ。どうやら、皮肉にも人殺しだって子供みたいに泣けるみたいだ。
二十四時間ぶりに会っただけなのに、なんだか由依はとても別人に見えた。好きだった女が親友の彼女にでもなった気分だ。少し憔悴している由依は俺が入ってくるのに気がつくや否や、玄関まで駆け寄ってきた。
「大丈夫だった?」
「大丈夫って何が?」俺のこと?、それとも君が?
「あの男のことだよ、死んだの?」
「ああ、いや死んでないよ。大丈夫だよ」なんだ男の心配か。
「どうなったの?」
「どう?って、あいつ途中で目を覚ましたから、金輪際、由依に近寄らないように脅したら、すぐに了承したよ。彼、俳優だったけどもう芸能界にはいられないんじゃないかな?」こんな言い訳でも信じるのかな?。
「良かった、リュウが犯罪者になっちゃうのかと思って心配したよ」
「犯罪者、俺が?。そんなわけないだろ。心配しすぎだよ」いいや、もう二人も殺したよ。
「そうだよね。ごめんね、危ない目に遭わせちゃって、私のせいで」
「由依のせい?なんのこと?、もしかして、黒幕がいると思ってるの?」もしかして、由依を襲わせたやつがいると勘付いているのか?。
「いや、なんでもない。でも、次の作品は絶対に成功させてみせる。次の演技には自信があるの」
「ずっと努力してたからね。食事制限に、役作り、体型維持、禁煙もしてたね」うまく演じられる気がする?。もしかして、あの青年と寝たのか?。
「確かに、前までだったら努力って思ってたかもしれないけど。この半年は夢中でやれた、私この仕事が好きって気がついたの。自分が綺麗になっていくのがわかる。観客にすごいものを見せられると思うと、すごいワクワクする。夢中になれるってすごいエネルギーなの。リュウにもわかる?」
「俺は何かに夢中になったことなんてないから。わからねえな。夢中になるなんてくだらねえよ」ああ、知ってるよ。
「くだらなくないよ。リュウは頭良いし、何かに夢中になれたら、かなり良いところまで行くんじゃない?」
「さあ。俺は飽き性だから、長続きしないよ。それじゃ、朝から用事があるから、帰らないと」もうどうにかなりそうだ。
「そっか。いつも守ってくれてありがとうね。今年も君の働きに期待してるよ」と由依は最後に明るい笑顔で、俺を見送った。
あたりが白み始めた頃、俺は大きな森に到着し、旅行カバンに入れた男を台車に乗せ、まだ、暁闇のように暗い森の奥へ歩を進めていった。カバンの中の男の様子を一度も確認していないが、男はピクリとも動かない、気温が氷点下を下回っているせいで、カバンから伝わる温度は冷たく、とても生き物が入っているとは思えなかった。手を悴ませながら、俺は徐々に明るくなっていく森の中を進んでいく。車を降りて、真っ直ぐ進み、二十分経ったところで、ドンキホーテで買い込んだサイリウムを一本置く。森の中から抜け出せなくなるわけにはいかない。これは、帰ってくるための目印だ。サイリウムを辿って、俺を追いかけてくるやつがいたらどうしようか?。簡単なことだ、そいつもスコップで撲殺してやれば良い。それが良い、殺しの感覚を忘れるのは難しい、それならば、単純に殺しに慣れてしまえばいい。人類史なんて差別と戦争の歴史の方が長く、俺の目に世界が平和に見えるように映るのは、たまたま紛争地帯で生活していなかったからに違いない。そう思えば、人の一人や二人を殺したところで大したことはない。あたりからは、不吉な鳥の鳴き声と、俺と台車が落ち葉を踏む音がするだけだ。誰も俺をつけてきていない。パチリ、と右斜め後ろから、木の枝が炸裂する音が鳴った。心臓が止まりそうになりながら、そちらを振り向くと、一匹の子鹿が無垢な瞳で俺の方を凝視していた。子鹿と目が合うと、子鹿は俺に一度頭を下げ、力強く跳躍して、森の中に駆けて行った。
十分おきにサイリウムを置いて、三時間くらい森を彷徨った後、少し開けたところにたどり着き、俺は湿った重い土を、スコップで掬い、人一人埋められる深さになるまで、ひたすら穴を掘り続けた。流石に、こんな真冬でも、ひたすら穴を掘り続けば、汗が滲み出る。厄介なのは、休憩中、汗で濡れたシャツが、外気を吸い込み、冷たく俺の体に張り付いてくることだ。冷たすぎて、タバコどころじゃない。俺はようやく人一人埋められる大きさの穴を掘ったところで、男をカバンから取り出した。男はやっぱり動かない。足の裏で男の体を押して、穴に落とし、俺は男に土をかけていった。これで終わりだ。この事件は一人の男が不審に消えただけで終わりだ。由依にはどうやって言い訳をしようか。流石に、本当に土に埋めてきたとは言えない。疲れと眠気で頭が働かないのか、まったく言い訳が思いつかない、きちんと感覚があるのは、土の重みを感じる腕だけだ。さっさと、土をかぶせてここを立ち去ろう。考える時間なんていくらでもある。そんな風に考えていた俺が作業を止めたのは、もう死んだと思っていた男に呼びかけられたからだ。
「おい」男は俺に声をかけた。
「なんだ生きていたのか?」スコップを土に刺し、俺は作業を止めて、平静を装いつつ男の呼びかけに答えた。内心動揺しているのか、手のひらから汗が噴き出していた。
「ああ、今ようやく目が覚めたよ。ここはどこだ?」
「静岡県の富士山の麓の森の中だ」
「富士の樹海に埋められるってやつか。本当にあるんだな。やっぱり悪いことなんてするもんじゃねえな。理由はわからねえが、とにかく玉城由依を襲ったら、良い役与えてやるって言われたからやったのに。襲っても罪には問わないってな。やっぱりそんな甘い話あるわけないわな。まさかこんな目に遭うとは。思い当たる節ならあるが、まさか消される羽目になるとはねえ」
「そんなことのために?」
「そんなこと?、成り上がれんだぜ。俺は成り上がるために芸能界に入ったんだ。マネージャーのお前にとってそんなことでも、俺にとっては大事なことだ。俺なんて学もねえ顔がいいだけの男がよお、この沈没していくだけの日本で長く楽しく生きていくなんて、芸能界しかねえだろ。どうせ、会社になんて勤められないさ。老けたらトイレの清掃員にでもなるしかないだろ。そんな人生真っ平御免さ。玉城由依をレイプするだけで芸能界での地位を約束してやるなんて言われたら、誰だってやるだろ。お前もそうだろ?」
「俺ならしねえな」
「なんだ、お前本当に男か?チンコついてんのか?。それともなんだ、どうせセックスするなら愛し合いたいってか?。肉体的な結びつきより精神的な結びつきの方が優れてる、とか考えちゃってるタチだろ?。クソ野郎だな。男なら欲望のままに生きてみろよ。お前みたいな英雄気取りが俺は一番嫌いだぜ」
男のご高説を聞いても、俺の決心は揺るがなかった。理由はわかっていたが、俺はこいつのことが嫌いだった。そして、俺は誰がこいつに命令したのか気になり、男に質問した。
「誰に命令されてやったんだ?」と俺が男に質問すると、男は俺もレイプ計画に一枚噛んでいると思っていたのか「なんだ。あんた、なんも知らないのか」と俺を見てニヤリと笑い、「教えてやるからさ。その前にやることがあるだろ」と言って、体を揺すって土を払った。俺が土をかけるのを再開すると、「わかった、わかった。教えてやるから、一旦作業をやめろ」と諦めた。
俺は作業を止めて訊いた。
「で、誰なんだ。玉城由依をレイプするように命じたやつは?」
「知りたいか?。驚くぞ」
「さっさと答えろ」
「俺の所属している芸能事務所の社長の吉村ってやつと、玉城由依のところの社長だよ。加賀美陽子の方は流石に、止めようとしていたけど、まあ、背に腹は変えられないって感じだったな。育ての親って言っても冷たいもんだな、やっぱり血より濃いものがあるなんて嘘っぱちだよな」と言った。
「それだけか?」
「それだけ?。まだ、何か聞きたいことでもあるのか?」もうこいつから情報は引き出せそうにないな、と思い俺は作業を再開した。
「おい、話してやったろ。それはねえだろ。あんたのことは話さねえから、頼むよ」
「俺にもな、世の中で唯一許せないタイプの人間がいるんだよ。どんなやつかわかるか?」
「さあな」
「それはな、女子供を暴力で押さえつけようとするやつだよ」と言って、作業のスピードを早めた。
男は俺に命乞いを始めた。俺は聞く耳を持たない。そして男は最後に何度も俺に嫌な予言を投げかけた。
「お前、あの女に惚れてるんだろ。いいか、お前があの女のために何しようがな、あの女はお前に絶対に振り向かねえぞ。おい聞いてるのか、なんのためにそこまでするんだ、俺を殺したってなんも手に入らねんだぞ。おい聞け」
なんのため?彼女のためだよ。何も手に入らないことくらいお前に言われなくたって、はじめから全部わかっているさ。
男を埋め終わり、サイリウムを回収しながら、車にたどり着くと、近くの駐車場まで車を走らせてから、仮眠をとった。ほんの二、三時間寝るつもりだったが、あたりが真っ暗になるまで俺は眠りについていた。夕方の七時、今日明日は休みなのだから、どこかで一泊していってもいいが、由依が警察に駆け込んだりしたら、また面倒だ、と思い、おもむろにアクセルペダルを踏み、車を発進させた。ハンドルを強く握ると前腕と上腕が酷い筋肉痛に襲われた。腕から伝わる筋肉痛で、なんとか正気を保てているが、だいぶ眠ったのに、頭の靄が晴れずにいる。その上、ずっとあの男の最後の言葉がこびりついて離れない。寝不足のせいなのか、視界に入るすべてものが俺をイラつかせる。俺の横を凄い勢いで通り過ぎていく車のテールランプ、信号待ちの間、手を繋ぎながら横断歩道を横切っていく三人家族、派手な外装のトラックや、制限速度を律儀に守る原チャリ。ただイラついているのは、視界に入るもののせいじゃない、もっと根源的な欲求が俺をこんなにイラつかせる。高速に入ると、いつもよりスピードを上げて運転する。早く由依に逢いたい。そうだ、言い訳を考えるんだった、ちょっと痛い目合わせたらすぐにどっか行った、もう芸能界には復帰できないだろう、その程度でいいか、ああ、いい考えだ。そろそろサービスエリアだ、こんな寒くて空気が乾いている日に、夜風でも浴びながら、思いっきりタバコを吸ったら最高だろう。サービスエリアに着くと、一番最初に目についたのは、喫煙所の案内板でも灰皿でもなく、夜の暗がりの中、物陰でキスをしている一組の若い男女のカップルだった。その光景を見た時、俺は思わず涙が溢れて、何度もハンドルを叩いた。泣いたのなんて、小学生の頃、親父に全身青痣まみれになるまで殴られて以来だ。どうやら、皮肉にも人殺しだって子供みたいに泣けるみたいだ。
二十四時間ぶりに会っただけなのに、なんだか由依はとても別人に見えた。好きだった女が親友の彼女にでもなった気分だ。少し憔悴している由依は俺が入ってくるのに気がつくや否や、玄関まで駆け寄ってきた。
「大丈夫だった?」
「大丈夫って何が?」俺のこと?、それとも君が?
「あの男のことだよ、死んだの?」
「ああ、いや死んでないよ。大丈夫だよ」なんだ男の心配か。
「どうなったの?」
「どう?って、あいつ途中で目を覚ましたから、金輪際、由依に近寄らないように脅したら、すぐに了承したよ。彼、俳優だったけどもう芸能界にはいられないんじゃないかな?」こんな言い訳でも信じるのかな?。
「良かった、リュウが犯罪者になっちゃうのかと思って心配したよ」
「犯罪者、俺が?。そんなわけないだろ。心配しすぎだよ」いいや、もう二人も殺したよ。
「そうだよね。ごめんね、危ない目に遭わせちゃって、私のせいで」
「由依のせい?なんのこと?、もしかして、黒幕がいると思ってるの?」もしかして、由依を襲わせたやつがいると勘付いているのか?。
「いや、なんでもない。でも、次の作品は絶対に成功させてみせる。次の演技には自信があるの」
「ずっと努力してたからね。食事制限に、役作り、体型維持、禁煙もしてたね」うまく演じられる気がする?。もしかして、あの青年と寝たのか?。
「確かに、前までだったら努力って思ってたかもしれないけど。この半年は夢中でやれた、私この仕事が好きって気がついたの。自分が綺麗になっていくのがわかる。観客にすごいものを見せられると思うと、すごいワクワクする。夢中になれるってすごいエネルギーなの。リュウにもわかる?」
「俺は何かに夢中になったことなんてないから。わからねえな。夢中になるなんてくだらねえよ」ああ、知ってるよ。
「くだらなくないよ。リュウは頭良いし、何かに夢中になれたら、かなり良いところまで行くんじゃない?」
「さあ。俺は飽き性だから、長続きしないよ。それじゃ、朝から用事があるから、帰らないと」もうどうにかなりそうだ。
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