花カマキリ

真船遥

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Scene 16-1

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 地上へ引き摺り下ろそうとする黒い手が、男の背中を離そうとしない、罪を償えと、男の体を引っ張っている。このまま落としてしまっても良いような気がしてくるが、時間的にはあと五分だけ待った方が良さそうだ。つまらなそうに腕時計を眺める俺に男は必死に命乞いをしていた。
「頼む、なんでも言うことを聞くからそれだけはやめてくれ」
 都内にある山中プリンスホテルの屋上で、頑丈な椅子にロープで括りつけられた山中は俺に何度も懇願している。身を凍らすような突風が吹くと、顔からサングラスが外れそうになる。山中の先には、東京の夜景が広がっている。地上100メートルの眺めは最高だ、東京の夜景でも見ながら、彼女にプロポーズなんて最高だろう。俺がロープを離せば、山中は背中から椅子ごと下に落っこちる。ロープに括られているお陰で、地面に直撃することはないが、落下の恐怖から逃れられない。国会議員の山中は、この山中プリンスホテルの経営者でもある。山中は、二十年前にこの山中プリンスホテルの建設費を水増しして建設し、資金の一部を横領していた。そして、このホテルはあいつの裏事業の会場でもあった。
「このホテルの三十七階のレストランで、議員秘書をしているお前の息子がプロポーズをするみたいじゃないか」
 俺は腕時計を見て、「あと、二分か。俺がこのロープを離すとどうなると思う」と山中に話しかけた。
 山中は泣きじゃくり、嗚咽を吐きながら、汚く俺に言い縋った。
「嫌だ、死にたくない。金ならいくらでも払う、やめてくれ。どうして、どうしてこんな目に俺が遭わなくちゃいけないんだ」
「死にやしないさ。今お前がいるのはな、お前の息子が予約しているレストランの座席の真上なんだよ。東京の夜景を見ながらプロポーズなんて素敵だな。俺がロープから手を離すと、ちょうどお前の息子の目の前にお前が吊るされるようになっている。その不正の証拠を携えてな」と山中と一緒に括り付けてある封筒を指差して言った。
「何が書かれてある?」と聞いてくるので、俺は懇切丁寧に山中の悪事を全て話して、「お前の議員生活もお終いだな。老後は独房で慎ましく暮らすんだな」と言うと、
「あの人が必ず助けてくれる。それに警察官僚にも仲間がいるんだ。俺が捕まる訳ねえだろ。無駄なことはよせ、金でも名誉でも何でもくれてやる。何が欲しい」と唾を飛ばした。文字通り必死なのだろう。
 警察官僚の方は、明日には片が付く予定だ。お前らの後ろ盾を俺がほっとくとでも思っているのか、俺はサングラスをとり山中に顔を見せつけて、「あと一分か、一本後、下で何が起こるか知っているか?」と声を低くして質問すると、
「お前如月だな。殺人なんて俺がもみ消してやる」見当違いの答えが返ってきた。
「俺は別に無罪になるためにこんなことしているんじゃないんだ。お前の息子、彼女に手紙を送るんだってな、ウエイトレスが運んでくれるらしい。封筒の中身はもちろん、お前の悪事をまとめた文書にすり替えておいた。どうするかな、婚約した男の父親の汚職がバレた上に、恥ずかしい姿で目の前に現れたら。それでもお前の息子たちは変わらぬ愛とやらを誓えるのかな?」と声を硬らせて言うと、腕時計のアラームが鳴ったので、ロープを手放し、山中をホテルの屋上から落とした。


 男がホテルの屋上から椅子に座らされたまま吊るされている、そんな不思議な通報があった、と警視庁に報告があった。山中プリンスホテルに向かうと、見物客が吊られた男を一目見るために、ホテルを囲うように集まっていた。現場から離れるように呼びかけている警察を捕まえ、警察手帳を見せ俺は問題のホテルの中に入って行った。テレビ局のヘリが、逆さに吊られた男をライトで照らし、撮影スタッフや報道番組のキャスターは事件を中継している。俺は三十七階のレストランに行き、この事件の関係者だと思われるウェイトレスに事情聴取をしに行った。現場に一番早く駆けつけた交番の刑事からの話だが、このホテルのオーナーである山中の息子が今晩、三十七階のレストランで彼女にプロポーズをする予定だったらしい。サプライズでケーキと手紙が彼女に送られるはずだったが、封筒の中から出てきた物は、彼女への手紙ではなく、婚約者の父の汚職をまとめた文書だったらしい。
 窓越しに見える山中の顔は、テレビで見た時より十歳位老けこんでいるように見えた。山中の体には封筒が括り付けられていて、やっぱり宛先は俺宛だった。また如月の仕業だ。芸能事務所の社長の次は、政治家。汚職まみれの権力者ばかり狙った犯行。推定だが、広告代理店の不正スポンサー契約を暴露したのも、あいつの仕業だと、俺は考えている。如月は大きな権力と闘っているように見えるが、メイクアップアップアーティストや病院の院長を殺している。不正を暴くことなく、短絡的に殺すとは思えない。俺の中で如月の犯罪者像がボヤけているのはこのせいだ。如月は十五年前の脚本家殺しの真相を暴け、と言った。やはり、この事件を洗うしか奴の目的を知る術はないのだろう。脚本家夫婦には証人保護のために身分を変えられた子供がいる。明日、その子供の今の身分がわかる、今頃二十三歳くらいだろう。
 ウエイトレスからの聴取では大した収穫もなく、俺は山中がパトカーに入っていくところを見届けてから帰ろうとしたところ、パパラッチの中に見覚えのある顔が混じっていることに気がついた。
「おい森田、随分と鼻が利くじゃねえか。内密にホテルに入っていく芸能人のカップルでも追っていたのか」
 森田は俺の顔をパシャリと撮り、以前俺が依頼していた調査資料を、皆に見えぬように俺に手渡し、
「たまたまですよ。そんな邪推な顔をしないで、あの政治家、何かやらかしたんですかい?」と情報交換を遠回しに仄めかした。
「あの政治家な、このホテルの開店資金を水増しして、着服したんだとよ。これがあの政治家の汚職内容だよ。横領だけじゃない、違法な接待に収賄、本当に清廉潔白な政治家なんて世の中にはいないのかね」
 森田は俺が手渡した資料をペラペラと一通り確認して、
「まあ、政治家なんて清濁呑み込まなきゃやってられない仕事ですからね。叩けばいくらでもボロは出てきますよ。まあ草刈さんが言えた義理じゃないですけどね」と俺を皮肉った。
「お前が言えたことでもねえだろ」
 森田は俺に資料を返し、荷物をまとめて、
「俺は、写真の現像に向かわなくちゃいけないんでね。本当に最近は芸能界絡みでいい写真が撮れて、だいぶ懐も潤ってきましたよ。どうです、今度、面白い情報ならいくらでもありますよ」と言うと、酒を飲む仕草をした。
「すまんが、ここ最近忙しくてな」と俺が断ると、
「それは残念。では、また何かの機会に」と言って、群衆の間を縫って帰って行った。
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