いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

文字の大きさ
18 / 49
第3話「子どもたちについて」

3ー6

しおりを挟む
 依頼人へクーポンを届けて仕事を上がって、予定していたアニーと二等公書士ニーナとの会食を済ませると、時刻は午後の二時を回った所だった。家に帰ったら兄妹を散歩にでも連れ歩く方が良かろうかと、アンリエッタは考える。何か菓子とか、贅沢な食事をさせてやるのも良い。
 ――だって育ち盛りじゃん。いくら朝でも、豆と油だけじゃさあ。
 肉を付けろ肉を、と会食中にアニーから寄せられた批判を思い出す。
 確かに、決まって朝昼同じで夜はスープとハムが付くかどうか、という冷製気味の献立が自身の食生活に倣い過ぎたものであったことは否めない。レームとルウィヒが特段の不満を見せなかったので、つい深く考えないままでいたのだ。
 とはいえ。
 ――どんな子どもだって、大人の顔色を窺ってるものよ。
 その後聞かされたニーナの発言が、耳に痛かった。
 ルウィヒのおかげでアンリエッタに悪感情がないことは伝わって、だから二人とも気を許してくれているが、心の底ではきっと遠慮がある。一時的な保護者だとしても、事実上彼らが路頭に迷うかどうかはアンリエッタの心一つなのだから、気を遣うのも無理はない。特に、兄という立場がそうさせるのだろう、レームの方は傾向が顕著だ。
「ルウィヒはあなたのこと、信頼してるみたいだ。僕もそれで良いって思う」
 レームがそんなふうに言ったのは、彼が目覚めてから数日が経った頃のことだった。
 対面した最初こそ、庇うように妹をそばに引き寄せて不審がられたアンリエッタだったが、ルウィヒの口添えもあってか向けられた警戒はすでに解けていた。少年の回復は早く、肩の怪我も癒えようかという時である。追手と思しき者たちが、病院や孤児院といった子どもを保護しそうな施設を捜索していたとかいう話も聞こえていて、兄妹はそろそろ、次の行動を決めなければいけなかった。彼にとっては右も左もわからない現状、行き掛かりで事情を知った後も協力的だったアンリエッタは、たぶん頼りやすかったのだと思う。
 二人の、事情。
 聞いた話から類推するに、兄妹はとある研究機関の被験者、即ち実験体であるらしかった。その実態や目的は与り知れないが、恐らくは魔法について研究する。幾つの年の頃からかは記憶が朧げだと言うが、レームとルウィヒはそこで飼われて、他にいた子どもと同様に投薬や実験をされた。ある時、別の子どもがどこかに行って、戻らなかった。じきにルウィヒもどこか別の場所へ移されることがわかって、それで連れて逃げた。逃亡の最中に肩に怪我を負って、アンリエッタと出会ったのは、数日潜伏した末のことだったという。
 少年と少女に、お互いを除いた家族についての記憶はない。そもそも兄妹だというのも何かれっきとした根拠があるわけではない。ただ、見た目は似通う。ルウィヒは特に教わるでもなくレームのことを「お兄ちゃん」と呼んでいたというし、研究機関には子どもの世話役らしき人(兄妹は彼女をカミッラおばさんと呼んだ)がいて、彼女もそのように言っていたらしいので、血縁関係にあるというのはおそらくそうなのだろう。
 逃げ出してきたくらいだ、二人は元の場所に戻ることを望んではいないし、子どもを実験に使って障害をもたらすような施設へ送り出すことは、アンリエッタとしても了解しかねた。だから目下、慈善事業にコネクションのあるニーナを頼って、身許の引受先を探しつつ三人で暮らしている。
 と言って、特殊な境遇の二人だからどこでも軽はずみに声を掛けるというわけにもいかず、進捗は足踏み気味だ。
『素敵な便りは、書く者と読む者の人生を豊かに変えます』
 通り沿い、謳い文句に目に留めて、文具屋のショーケースの前に立ち止まる。出来具合の上等さを誇る便箋とインクのサンプルを、じっと見つめた。
(……手紙、書くべきだよね)
 そう、思う。
 きっとたぶん、自分は実家を頼るべきだった。イスタ南部、都市郊外の牧羊農家であれば匿い養うにはうってつけだ。家族だって苦情くらいは寄越すにしても、それでも拒否まではしないだろう。兄妹の生活の準備もあって先延ばしにしていたが、そろそろ、重いペンを手に執るべき頃合いだった。
「あ」
 と声を漏らしたのは、間借りするアパルトマンの玄関が見えた時だ。
 普段はいない誰かがそこに立つ。短く刈り込んだ茶髪の若い男、シャツに羽織ったカーキのベストは、以前警察署で目にした時と変わらない。
 こちらに気が付いたらしいフランツが手を上げる。いきなりの登場にアンリエッタは会釈もできずに、その場を一歩後ずさった。たじろぐ間に、フランツはずんずんと距離を詰めてくる。
「よう、お嬢さん」
「……フランツさん。この間はどうも」
 ぎゅっと鞄の肩紐を握って挨拶を返したアンリエッタを見下ろし、フランツはひょうきんに唇を歪めた。
「なんだ元気がないな。てっきり、捜査の続報を心待ちにしているもんかと」
 アンリエッタは下唇を一度噛むと、硬い声音で答える。
「また、お聞きになられていないんですか。鞄は見つかったので被害届は取り下げました」
 不信感たっぷりで応じてみせたのに、彼には気にした様子もない。
「ああ。聞いたとも。しかしあんたは鞄よりも子どもの行方にこだわってたはずだ」
「……」
「だからその子たちのことをお聞きしたくてね。御存じなんだろ、アンリエッタお嬢さん?」
 その子、『たち』。
 唄うように自分の名前を呼んだ彼のことを、いっそう警戒を込めて見上げる。それにしてもと、フランツは冗談めかして笑ってみせた。
「薄情なもんだ。こちとら仮にも協力者だぜ、何も知らせてくれないなんて」
「あなただって私に嘘をっ」
 勢い声を荒げる。一方的な物言いだと思った。それを言うならアンリエッタにも言いたいことがある。
「本当は警官ではないんでしょう? 巡査さんは、フランツなんて人は知らないと」
 レームとルウィヒに出会って間もなくのこと、アンリエッタは警察署まで出向いていた。どうフランツと接触すべきかと付近でまごついている内に、声が掛かる。それで彼の所在を問えば、そもそも警察に所属がないことを知らされたのだった。
 抱いた失望をぶつける心地で非難したアンリエッタに、フランツはふうむと白々しく息をついた。
「困るな末端のお巡りは。事情を知らずに余計なことを言う」
「詐称に忖度するよりもましです」
「なるほど、有益な議論になりそうだ」
 諸手を掲げて皮肉ってみせた彼のことを、アンリエッタは厳めしく細めた目で見つめる。軽蔑する視線を前にフランツは唇を曲げ、今度はまともに取り合った様子で鼻を鳴らした。
 真上に向けていた手の平をアンリエッタの方へ見せつけ、降参のポーズに変える。
「わかった。……悪かったよ。俺が不誠実だったのは確かに言う通りだ。すまなかった」
 ふいに謝罪を繰り出したフランツは顔を伏せがちに、覗き込むようにこちらを見る。見つめ返すアンリエッタの眼差しから、じっと目を逸らさない。
「でもな、本意じゃない。職務上、仕方がなく、ってやつだ。それに別に、あんたや子どもの不利益になるよう動いたわけでもない。気持ちを鎮めちゃもらえんかね?」
 平謝り、というほどでもないが。ついさっきまでのらりくらりと批判をかわしていた男が、またずいぶんとまっすぐに非を認めたものだと、アンリエッタは戸惑う。
「……あなたはやっぱり、警察官ではないんですか?」
 今一度問い掛けて、頷きが返る。
「なら一体――」
「そいつは言えん。職務上、な。だが少なくとも犯罪者じゃあない。安心できんかもしれんが、危害を加えるつもりもない」
 信用に足る宣言、とは言えなかった。何せ目の前の彼についてわかったことがほとんどない。せいぜい推測できるのは、警官ではないがそれに類する身分だろうという程度のことだ。とはいえ、力ずくで済ませるつもりならとっくにやっていそうというのもまた、否定しきれないことではあった。
 アンリエッタは深く息をつくと、再び目の前の瞳を見据えた。
「あの子たちのためになること、なんですよね?」
 そうであると祈るしかない。どのみち今のアンリエッタには、彼の用事に応じる以外できることがないのだ。
 フランツが、片方の唇を持ち上げて肩を竦める。肯定とも否定とも取れる仕草に、アンリエッタは詰め寄りたくなる衝動をぐっと堪えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました

小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。 しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!? 助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、 「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。 幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。 ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく! ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー

没落した建築系お嬢様の優雅なスローライフ~地方でモフモフと楽しい仲間とのんびり楽しく生きます~

土偶の友
ファンタジー
優雅な貴族令嬢を目指していたクレア・フィレイア。 しかし、15歳の誕生日を前に両親から没落を宣言されてしまう。 そのショックで日本の知識を思いだし、ブラック企業で働いていた記憶からスローライフをしたいと気付いた。 両親に勧められた場所に逃げ、そこで楽しいモフモフの仲間と家を建てる。 女の子たちと出会い仲良くなって一緒に住む、のんびり緩い異世界生活。

契約婚のはずが、腹黒王太子様に溺愛されているようです

星月りあ
恋愛
「契約結婚しませんか? 愛を求めたりいたしませんので」 そう告げられた王太子は面白そうに笑った。 目が覚めると公爵令嬢リリカ・エバルディに転生していた主人公。ファンタジー好きの彼女は喜んだが、この国には一つ大きな問題があった。それは紅茶しかないということ。日本茶好きの彼女からしたら大問題である。 そんな中、王宮で日本茶に似た茶葉を育てているらしいとの情報を得る。そして、リリカは美味しいお茶を求め、王太子に契約結婚を申し出た。王太子はこれまで数多くの婚約を断ってきたため女性嫌いとも言われる人物。 そう、これはそのためだけのただの契約結婚だった。 それなのに 「君は面白いね」「僕から逃げられるとでも?」 なぜか興味をもたれて、いつしか溺愛ムードに突入していく……。

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

処理中です...