いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

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第3話「子どもたちについて」

3ー5

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 しかし、だけれども。クーポンの供給がその要求を越えて膨大となっていることは、先に述べた通りだ。
「――当たり前だが、あれは慈善事業でも互助の類でもない」
 一通りの用事を終えて商業組合事務局を出た、その後。
 新たに発券されたクーポンを依頼者へ届ける道すがら、ロランはそのように言った。
「今回は七〇ゲール、黙って捨てるには惜しい金額だが、仮にこれが一ゲールや二ゲールならどうだ」
「どう、って」
 言い淀む。一ゲールと言えば、食事を一回外で済ませられるくらいのお金だ。
「人、によりますかね。グレーですけど両替商に持ち込む手もあります」
「使えないとなると両替商もそれなりに買い叩く。自分で持ち込めば損はしない。そしてクーポンに有効期限はないんだ。今日や明日にその選択をして損失を解消する人間が、一体どれだけいると思う?」
「そりゃ、一両日中にとなれば少なそうですけど。でもいつかその内には」
「いつかはいつ来る? 週末か? 月末か? 明くる年か?」
「……再発行を申請されないクーポンの金額分、組合が得をしていると?」
 確かに使われずに放置されるクーポンが数パーセントもあれば、運営事務に係る費用も賄えそうではある。
「あくまで、損をしないというだけだ」
 首を振ってそう言われ、頭に疑問符を浮かべるアンリエッタ。
 路地を抜けて大通りに出る。ロランはふと、横切りかけた歩道の際に立ち止まると、腕を広げてアンリエッタの行く手を制する。彼に倣って道の右手に目をやれば、ピイィッと警笛を鳴らして一頭の馬がこちらへ駆けて来るのが見えた。その後ろには、四頭立ての大型車がつく。けたたましく蹄を立てて通り過ぎ、十六足が遠ざかって行く。その音と風の余韻も消えぬ内に、こちらとあちらの歩道で立ち止まっていた人々が、薄く上がった砂埃を纏いつつ通りを横切りはじめた。
「それは、得をしているのとあまり変わらないのでは……?」
 再び歩き始めたロランを隣から見上げつつ、疑問を呈した。
「全く違う。何故なら、奴らはもっと別の場所で得をしている」
 頑として否定したロランは、こちらが促すまでもなく話を続ける。
「組合が、クーポンを売るのにキャンペーンを打っているのは君も知っているな」
 それは、アニーから聞いたことがあった。例えばまとまった額のクーポンを買うとわずかに割引が成されるのだが、その割合が時期によって増減される。他にも抽選で三割とか五割とかの還元を実施する宝くじロトリー然とした催しもあるのだとか。
「言ってしまえば損をしないギャンブルだ。有り金全部を変えてまでくじ運をあげようとするようなのも中にはいる。で、それで買い込まれたクーポンはいつ使われる?」
「多分、二ヶ月とか、三ヶ月中には」
「そう、生活費を割いているんだ、その月に使い込むようなことは中々しない」
 単に、使うのが面倒くさいという場合もあるがね。ロランは皮肉気に言うと、続ける。
「このように組合がクーポンの交換のためにあてがう金は、その時間差の分だけ遅くできる。大事に取っておく必要がないんだ」
「――組合はつまり、クーポンの換金用に保管しておくべき資金で投資をしている、と?」
「そういうことだ」
 勢い、声を潜めるアンリエッタである。
「アリなんですか?」
「逆に何がいけない? 君が利用している銀行だって同じことをしているはずだ。奴らは別に、大事なコインを守ってくれる貯金箱じゃない」
「ですが銀行にしてみれば、もう半分商売敵のような」
 現金にかなりの具合相当する商品を作り、度を超して配布している。それはもはや、紙幣を刷っているのと変わらないように思えた。あまりに遜色がなくなれば、目障りに思ってもおかしくない。
「嫌なら換金など請け負わんさ。つまり、持ちつ持たれつなんだ。口座に持ち込まれずに大事に貯金箱に仕舞われていた金を商業組合が巻き上げ、積まれるごとに銀行の預金は潤う」
 それらは必ずしも、銀行の帳簿の範囲内で運用されるわけではないだろうが。少なくともまとまった換金資金の維持くらいは、組合側に要請していることだろう。そしてそれを、今度は銀行側がよそに貸すのだ。渦巻く金の流れは確かに不正ではないけれど、何だか途方のない感慨を抱いてしまうアンリエッタである。
「危ぶむ点があるとすれば、この構図が利用者の期待からは外れているということだな。彼らは間違いなくクーポンに額面通りの価値が維持されると信じているし、商業組合はそこを幾らか犠牲に金儲けをしている。法的に問題はなくとも倫理的にはグレーだ。つまり、印象が悪い。連中もそのことを分かっているから、薄ら笑いを浮かべて組合員の利益だの宣うわけだ。
 ――そこで、君の話をする」
 やにわに話の転換を切り出されて、虚を衝かれたアンリエッタは「へ?」と声を上げた。
「顧客の印象の良し悪しは我々の仕事にも重要だ。向こうに都合の悪い話題を無闇に振るな」
「あ、……ああ」
 なるほど面会中に窘めてきたのは、そういう意図であったらしい。納得すると同時、首を捻りかけるアンリエッタ。
「そう、ですね。以後気を付けます」
 一瞬頭に言葉が渦巻いたが、けれども素直に了解する。この、依頼者ににこりとも笑いかけない男が「印象」などと語るので、二重に虚を衝かれたのだった。というか、「答えづらい」と断じてしまうのもそれはそれで問題でなかろうか。先ほど事務局長が放った哄笑を、アンリエッタは思い出す。あちらにしてみれば、自分の無思慮もロランの配慮も、どちらも理想的とは言い難かったのではと思う。
 考えに耽ったアンリエッタはつい視線を注いで、当の上司がこちらへ向く。胡散臭そうに訝しむ目付きで見られた。
「なんだ? じろじろと」
「いえ、何も、ございません。何も」
「言っておくが依頼に関わるのなら話は別だぞ」
「それはもう。もちろん。重々承知しております」
 首を横に縦に振ると、アンリエッタは前方へ目を逸らす。頬を刺す、ロランの視線から逃れるように歩調を速めた。
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