いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

文字の大きさ
33 / 49
第6話「送る羽ばたき、明ける後悔」

6-2

しおりを挟む
 児童名義の銀行口座の作成と売却。
 資金不足による経営難が引き金になって行われたこの不正行為はあくまで「わかって行われたこと」だが、口座の売買が法令により禁止されているという事実を認識している市民は実際多くない。特に貧困層へ目を向けるとそれは微々たる数になり、つまりは、「極めて手軽に行うことのできる儲け話」と捉えられてしまう。
「多数の不正口座を通じてハーヴェルから資金の供給を受けていた。もしかして、そういう可能性はありませんか?」
 前回からの続報を告げに家まで訪ねてきたフランツにそのように述べれば、彼は瞳をぱちくりと、幻でも見たかのように瞬かせた。
「なんで嬢ちゃんからその話が出てくるんだ」
「え?」
 訝しげに言ってきたフランツの言葉に虚をつかれ、アンリエッタは一瞬固まってしまう。
「気になる所だが、まあ俺の方を先に済ませるか。奴さんの所有している物件の情報が上がってきた」
 ばさりと卓に地図を広げ、レームとルウィヒも興味深げに集まって覗き込んでくる。フランツは一瞬そちらに目をやって、けれども何も言わずに市内の全域図に視線を戻す。細かくマークされる赤と青の印の一つを指差した。
「中々良い仕事をしてもらってな、縮尺がでかい分おおまかだが該当地をマークしてくれている。青い点を打たれているのが機関に関わると思しき場所だ」
 赤い点が市内に点在しているのに対し青い点は外れの丘陵地に寄り集まっているので、用途の違いは明らかだった。
「で、取引の記録を調べた。売り手の名前は大抵前の持ち主と一致したが、買い手の名前と発行された小切手の名義には相違があった。要は、取得者と購入者が違う」
 毎度異なる買い手が金を支払っているのに、モノを手にするのは変わらず同じ人間というわけだ。それは言ってみれば人から常にプレゼントをされているようなもので、確かに道理に合わない。
「詳しく調べないとこの事実が浮かび上がってこないのがミソだな。誰が金を払ったかは不動産登記の過程で記録されないし、銀行も金の流れは確認してもそれが何の取引だったかまでは把握しない」
 融資でも受けていれば話は別だが、元々あった預金を他に送金しただけなのだから、銀行が関知しないのも当然ではあった。加えて言うなら、土地の取得と所持に係る課税も名義者に対してなされるものだから、支払い自体を税務省に査察されることもない。
 そしてここで、確認しておくべき事実がある。
「大きな買い物ですよね。事前の入金はなかったんでしょうか」
「あった」
「どこから?」
「ハーヴェル――正確には行政機関じゃなく、民間の会社名義でだが」
 言って、これだけじゃないとフランツは続ける。
「あのとっちゃん坊やのクポーから聞き出した他の取引にしても、そうだ。同じ所からの入金履歴があった」
「つまり、とても、疑わしいと?」
 フランツが頷く。
「実態を探ってみたが、いずれの物件も継続して使用されているような形跡はなかった。取引から一年以上経過している場所もあるのに、こいつはどうも不自然ってことになる」
 同じ会社に雇用された人間が同じ代理人を通じて住居を購入した、という可能性もゼロではないが、するとそれらは押しなべて住まわれずに放置されていることになる。一つや二つであればいざ知らず、五つや六つ以上がそんな状態で点在しているのは、やはりおかしいと言うべきだった。
 アンリエッタは、街の東部に当たる地区に付けられた赤丸を、じっと眺める。
「どうかしたか?」
「いえ、その」
 訊かれて言葉を濁す。特に何が変わるでもないが、ふと、気が付いた事実があった。目抜き通りから運河方面へと外れた場所で、医師ジョゼフの診療所の、程近く。
「ちょうど、この子たちと出会った辺りにも印があるな、と」
 あそこに兄妹たちが潜伏できる空き家があったことも、実際にはそれほど大きな偶然ではなかったのかもしれない。言葉の意味が分かったらしいレームが、服の胸元をぎゅっと握りしめた。
「全然、安全な場所じゃなかったんだ」
 そう呟く。肩を沈めて強張った背筋を、アンリエッタはゆっくりとさすってやる。
「なに。坊主の判断だって、そう間違ったものでもないさ」
 ふいにフランツの声が響いて、地図から目を離せないで固まっていたレームの顔が、そちらへ向いた。
「空き家だろうって思った場所がその通りで、実際何日か忍び込めた。上等じゃねえか」
 少年の注目とは裏腹に、フランツは変わらず机に視線を注いだまま、言葉を続ける。
「必死になった人間の嗅覚ってのは、侮れないもんでな。多少判断に違いがあってもどうにかそれを正そうと動くから、成果を得られる可能性も高くなる。だから考え過ぎでろくに動けなくなるよりはずっと良いんだ。鞄を盗んだのだって、最後には良い結果を引き寄せたわけだしな」
 出し抜けに過去の因縁を話題に出され、アンリエッタはつい傍らに目をやった。同じようにこちらを向いたレームと、視線が交わる。互いに何を言ったものやらと苦笑し合って、それから軽く噴き出した。
「ま、あんたと出会えたことは、それにしてもずいぶんと幸運だったのかもしれんがね」
 ちょっと微笑んで言うフランツの唇は片方の口角を上げて歪んで、皮肉げなのにどこか柔和な仕草のように、アンリエッタは感じる。ついじっと視線を返してしまって、フランツは軽口を外したとでも思ったのかわずかに気まずそうに首の後ろを撫でた。傍らの椅子を引き寄せて着席した彼は、ぐっと背もたれに体を預けてみせる。
「さてと。ではそちらの話を聞こうか、お嬢ちゃんジュヌフィーユ?」
「……さっきも思いましたけど、私はそんな歳では」
「なら、お嬢さんマドモアゼルとでも?」
「いやもう、普通に名前を呼ぶので良いでしょうに」
 とは述べたものの、眼前のにやり顔はうんともすんとも言わずに肩を揺らした。子どもっぽくふざける仕草を前にして、レームの方がよほど……という感想を抱いてしまう。
 アンリエッタは一つ息をつくと、深くこだわるのはやめて口を開いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

誰からも食べられずに捨てられたおからクッキーは異世界転生して肥満令嬢を幸福へ導く!

ariya
ファンタジー
誰にも食べられずゴミ箱に捨てられた「おからクッキー」は、異世界で150kgの絶望令嬢・ロザリンドと出会う。 転生チートを武器に、88kgの減量を導く! 婚約破棄され「豚令嬢」と罵られたロザリンドは、 クッキーの叱咤と分裂で空腹を乗り越え、 薔薇のように美しく咲き変わる。 舞踏会での王太子へのスカッとする一撃、 父との涙の再会、 そして最後の別れ―― 「僕を食べてくれて、ありがとう」 捨てられた一枚が紡いだ、奇跡のダイエット革命! ※カクヨム・小説家になろうでも同時掲載中 ※表紙イラストはAIに作成していただきました。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~

紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。 「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。 だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。 誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。 愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。

不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます

天田れおぽん
ファンタジー
 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

処理中です...