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第6話「送る羽ばたき、明ける後悔」
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児童名義の銀行口座の作成と売却。
資金不足による経営難が引き金になって行われたこの不正行為はあくまで「わかって行われたこと」だが、口座の売買が法令により禁止されているという事実を認識している市民は実際多くない。特に貧困層へ目を向けるとそれは微々たる数になり、つまりは、「極めて手軽に行うことのできる儲け話」と捉えられてしまう。
「多数の不正口座を通じてハーヴェルから資金の供給を受けていた。もしかして、そういう可能性はありませんか?」
前回からの続報を告げに家まで訪ねてきたフランツにそのように述べれば、彼は瞳をぱちくりと、幻でも見たかのように瞬かせた。
「なんで嬢ちゃんからその話が出てくるんだ」
「え?」
訝しげに言ってきたフランツの言葉に虚をつかれ、アンリエッタは一瞬固まってしまう。
「気になる所だが、まあ俺の方を先に済ませるか。奴さんの所有している物件の情報が上がってきた」
ばさりと卓に地図を広げ、レームとルウィヒも興味深げに集まって覗き込んでくる。フランツは一瞬そちらに目をやって、けれども何も言わずに市内の全域図に視線を戻す。細かくマークされる赤と青の印の一つを指差した。
「中々良い仕事をしてもらってな、縮尺がでかい分おおまかだが該当地をマークしてくれている。青い点を打たれているのが機関に関わると思しき場所だ」
赤い点が市内に点在しているのに対し青い点は外れの丘陵地に寄り集まっているので、用途の違いは明らかだった。
「で、取引の記録を調べた。売り手の名前は大抵前の持ち主と一致したが、買い手の名前と発行された小切手の名義には相違があった。要は、取得者と購入者が違う」
毎度異なる買い手が金を支払っているのに、モノを手にするのは変わらず同じ人間というわけだ。それは言ってみれば人から常にプレゼントをされているようなもので、確かに道理に合わない。
「詳しく調べないとこの事実が浮かび上がってこないのがミソだな。誰が金を払ったかは不動産登記の過程で記録されないし、銀行も金の流れは確認してもそれが何の取引だったかまでは把握しない」
融資でも受けていれば話は別だが、元々あった預金を他に送金しただけなのだから、銀行が関知しないのも当然ではあった。加えて言うなら、土地の取得と所持に係る課税も名義者に対してなされるものだから、支払い自体を税務省に査察されることもない。
そしてここで、確認しておくべき事実がある。
「大きな買い物ですよね。事前の入金はなかったんでしょうか」
「あった」
「どこから?」
「ハーヴェル――正確には行政機関じゃなく、民間の会社名義でだが」
言って、これだけじゃないとフランツは続ける。
「あのとっちゃん坊やのクポーから聞き出した他の取引にしても、そうだ。同じ所からの入金履歴があった」
「つまり、とても、疑わしいと?」
フランツが頷く。
「実態を探ってみたが、いずれの物件も継続して使用されているような形跡はなかった。取引から一年以上経過している場所もあるのに、こいつはどうも不自然ってことになる」
同じ会社に雇用された人間が同じ代理人を通じて住居を購入した、という可能性もゼロではないが、するとそれらは押しなべて住まわれずに放置されていることになる。一つや二つであればいざ知らず、五つや六つ以上がそんな状態で点在しているのは、やはりおかしいと言うべきだった。
アンリエッタは、街の東部に当たる地区に付けられた赤丸を、じっと眺める。
「どうかしたか?」
「いえ、その」
訊かれて言葉を濁す。特に何が変わるでもないが、ふと、気が付いた事実があった。目抜き通りから運河方面へと外れた場所で、医師ジョゼフの診療所の、程近く。
「ちょうど、この子たちと出会った辺りにも印があるな、と」
あそこに兄妹たちが潜伏できる空き家があったことも、実際にはそれほど大きな偶然ではなかったのかもしれない。言葉の意味が分かったらしいレームが、服の胸元をぎゅっと握りしめた。
「全然、安全な場所じゃなかったんだ」
そう呟く。肩を沈めて強張った背筋を、アンリエッタはゆっくりとさすってやる。
「なに。坊主の判断だって、そう間違ったものでもないさ」
ふいにフランツの声が響いて、地図から目を離せないで固まっていたレームの顔が、そちらへ向いた。
「空き家だろうって思った場所がその通りで、実際何日か忍び込めた。上等じゃねえか」
少年の注目とは裏腹に、フランツは変わらず机に視線を注いだまま、言葉を続ける。
「必死になった人間の嗅覚ってのは、侮れないもんでな。多少判断に違いがあってもどうにかそれを正そうと動くから、成果を得られる可能性も高くなる。だから考え過ぎでろくに動けなくなるよりはずっと良いんだ。鞄を盗んだのだって、最後には良い結果を引き寄せたわけだしな」
出し抜けに過去の因縁を話題に出され、アンリエッタはつい傍らに目をやった。同じようにこちらを向いたレームと、視線が交わる。互いに何を言ったものやらと苦笑し合って、それから軽く噴き出した。
「ま、あんたと出会えたことは、それにしてもずいぶんと幸運だったのかもしれんがね」
ちょっと微笑んで言うフランツの唇は片方の口角を上げて歪んで、皮肉げなのにどこか柔和な仕草のように、アンリエッタは感じる。ついじっと視線を返してしまって、フランツは軽口を外したとでも思ったのかわずかに気まずそうに首の後ろを撫でた。傍らの椅子を引き寄せて着席した彼は、ぐっと背もたれに体を預けてみせる。
「さてと。ではそちらの話を聞こうか、お嬢ちゃん?」
「……さっきも思いましたけど、私はそんな歳では」
「なら、お嬢さんとでも?」
「いやもう、普通に名前を呼ぶので良いでしょうに」
とは述べたものの、眼前のにやり顔はうんともすんとも言わずに肩を揺らした。子どもっぽくふざける仕草を前にして、レームの方がよほど……という感想を抱いてしまう。
アンリエッタは一つ息をつくと、深くこだわるのはやめて口を開いた。
資金不足による経営難が引き金になって行われたこの不正行為はあくまで「わかって行われたこと」だが、口座の売買が法令により禁止されているという事実を認識している市民は実際多くない。特に貧困層へ目を向けるとそれは微々たる数になり、つまりは、「極めて手軽に行うことのできる儲け話」と捉えられてしまう。
「多数の不正口座を通じてハーヴェルから資金の供給を受けていた。もしかして、そういう可能性はありませんか?」
前回からの続報を告げに家まで訪ねてきたフランツにそのように述べれば、彼は瞳をぱちくりと、幻でも見たかのように瞬かせた。
「なんで嬢ちゃんからその話が出てくるんだ」
「え?」
訝しげに言ってきたフランツの言葉に虚をつかれ、アンリエッタは一瞬固まってしまう。
「気になる所だが、まあ俺の方を先に済ませるか。奴さんの所有している物件の情報が上がってきた」
ばさりと卓に地図を広げ、レームとルウィヒも興味深げに集まって覗き込んでくる。フランツは一瞬そちらに目をやって、けれども何も言わずに市内の全域図に視線を戻す。細かくマークされる赤と青の印の一つを指差した。
「中々良い仕事をしてもらってな、縮尺がでかい分おおまかだが該当地をマークしてくれている。青い点を打たれているのが機関に関わると思しき場所だ」
赤い点が市内に点在しているのに対し青い点は外れの丘陵地に寄り集まっているので、用途の違いは明らかだった。
「で、取引の記録を調べた。売り手の名前は大抵前の持ち主と一致したが、買い手の名前と発行された小切手の名義には相違があった。要は、取得者と購入者が違う」
毎度異なる買い手が金を支払っているのに、モノを手にするのは変わらず同じ人間というわけだ。それは言ってみれば人から常にプレゼントをされているようなもので、確かに道理に合わない。
「詳しく調べないとこの事実が浮かび上がってこないのがミソだな。誰が金を払ったかは不動産登記の過程で記録されないし、銀行も金の流れは確認してもそれが何の取引だったかまでは把握しない」
融資でも受けていれば話は別だが、元々あった預金を他に送金しただけなのだから、銀行が関知しないのも当然ではあった。加えて言うなら、土地の取得と所持に係る課税も名義者に対してなされるものだから、支払い自体を税務省に査察されることもない。
そしてここで、確認しておくべき事実がある。
「大きな買い物ですよね。事前の入金はなかったんでしょうか」
「あった」
「どこから?」
「ハーヴェル――正確には行政機関じゃなく、民間の会社名義でだが」
言って、これだけじゃないとフランツは続ける。
「あのとっちゃん坊やのクポーから聞き出した他の取引にしても、そうだ。同じ所からの入金履歴があった」
「つまり、とても、疑わしいと?」
フランツが頷く。
「実態を探ってみたが、いずれの物件も継続して使用されているような形跡はなかった。取引から一年以上経過している場所もあるのに、こいつはどうも不自然ってことになる」
同じ会社に雇用された人間が同じ代理人を通じて住居を購入した、という可能性もゼロではないが、するとそれらは押しなべて住まわれずに放置されていることになる。一つや二つであればいざ知らず、五つや六つ以上がそんな状態で点在しているのは、やはりおかしいと言うべきだった。
アンリエッタは、街の東部に当たる地区に付けられた赤丸を、じっと眺める。
「どうかしたか?」
「いえ、その」
訊かれて言葉を濁す。特に何が変わるでもないが、ふと、気が付いた事実があった。目抜き通りから運河方面へと外れた場所で、医師ジョゼフの診療所の、程近く。
「ちょうど、この子たちと出会った辺りにも印があるな、と」
あそこに兄妹たちが潜伏できる空き家があったことも、実際にはそれほど大きな偶然ではなかったのかもしれない。言葉の意味が分かったらしいレームが、服の胸元をぎゅっと握りしめた。
「全然、安全な場所じゃなかったんだ」
そう呟く。肩を沈めて強張った背筋を、アンリエッタはゆっくりとさすってやる。
「なに。坊主の判断だって、そう間違ったものでもないさ」
ふいにフランツの声が響いて、地図から目を離せないで固まっていたレームの顔が、そちらへ向いた。
「空き家だろうって思った場所がその通りで、実際何日か忍び込めた。上等じゃねえか」
少年の注目とは裏腹に、フランツは変わらず机に視線を注いだまま、言葉を続ける。
「必死になった人間の嗅覚ってのは、侮れないもんでな。多少判断に違いがあってもどうにかそれを正そうと動くから、成果を得られる可能性も高くなる。だから考え過ぎでろくに動けなくなるよりはずっと良いんだ。鞄を盗んだのだって、最後には良い結果を引き寄せたわけだしな」
出し抜けに過去の因縁を話題に出され、アンリエッタはつい傍らに目をやった。同じようにこちらを向いたレームと、視線が交わる。互いに何を言ったものやらと苦笑し合って、それから軽く噴き出した。
「ま、あんたと出会えたことは、それにしてもずいぶんと幸運だったのかもしれんがね」
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「なら、お嬢さんとでも?」
「いやもう、普通に名前を呼ぶので良いでしょうに」
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