いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

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第8話

8ー2

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 それから、二週間の時が経った。
 休日を控える、深夜。寝床で半身を起こしたアンリエッタは物思いに耽っている。
 考えているのは、今後のことだった。兄妹たちの問題が片付き、差し当たりの危険がなくなってからのこと。
 ――次に顔を合わせるのは、たぶんこっちの仕事が片付いた後だな。
 ルウィヒによる仕分けが終わって銀行を後にする時、フランツはそのように言った。実際狙い通りに事が運んでいるのか、ここまで彼の来訪はない状態だった。だから結局アンリエッタはタイミングを掴み損ねて、二人のことを相談しそびれている。
 相談。
 レームとルウィヒを、正式に自分が引き取ることはできないだろうか、ということ。
 先日、マルタと話してアンリエッタに生じたその意向を、彼もどことなく察しているふうではあったのだが、結局何も問われはしなかった。その態度が肯定的なものなのか否定的なものなのか、アンリエッタに推測する術はない。しかし兄妹二人の素性を考慮すれば、希望がすんなりと通るものでなさそうというのは、容易に想像が付くことではあった。
 星明かりだけ差し込む部屋の中で、目を細める。
(いっそ、バラせば――)
 などと頭を回しかけて、深く息をついた。瞑想するように目を閉じ、かぶりを振る。
 冷静になるべきだった。ルウィヒの力に関することや今回の一連のあらましについて見聞きしていることは確かに、自分の持った手札と言える。けれどもその秘密をどこかに流すなり交換条件に使うなりしたとしても、自衛に結び付けられる見込みは小さいし、さらには多くのリスクを抱える可能性だってある。
 何よりそれは、フランツを裏切るのと同様のことだった。
 彼は何もかもを話してくれるわけではなかったが、それでもできうる範囲で協力的でいてくれたはずだし、自分のことを慮ってくれる場面もよくあった。そうした態度をないがしろにすることは、アンリエッタとしても許容し難い。
 やはり、まずは、正面切って話すべきだ。
 そう結論を出した時、小さな声が耳に届いた。
「どうかしたの?」
 隣に目を向ける。
 ベッドの横に立ってこちらを見つめる、レームの顔があった。無表情にも見える頬にはどこか憂いが見られて、心配をさせているのだと肌で感じる。
「ちょっと、考えごとをね」
 努めて微笑み、軽く答える。警戒にも似たレームの瞳の訝しみはそれでは晴れなくて、執りなす気持ちでアンリエッタは言葉を続けた。
「レームこそ、どうかした?」
「……」
 いくつか、意味合いが含まれていそうな沈黙が広がる。アンリエッタは首を傾げて、さらに問いかける。
「また、眠れない?」
 沈黙があって、やがて頷かれる。
 アンリエッタはレームに背を向けてベッドから足を出す。
 縁に座って、肩越しに彼のことを覗いた。ぽんぽんと隣を叩く。少年が回り込んで来てそばに座る。
 ベッドと壁の隙間、窓を開けるために確保された細いスペースは二人で膝を並べるとなお圧迫感を増して、見上げた先の窓の夜空だけがその逃げ場だった。けれどもその窮屈さにすら何か面白みを感じて、アンリエッタは気持ちのままにレームに笑いかける。夜更けに始めるお喋りには、わずかずつ高揚が滲み出していた。無言の招待に抵抗なく応じてくれたことに、アンリエッタは密かな満足感を得ている。
「今日は」
 おまけに、先に話し始めたのはレームの方だ。
「楽しかった」
「……そうだね」
 端的な感想には、吐息混じりの同意を返す。
 つい先日、商業組合と銀行の和解が成立した。
 クーポン事業が安泰との認識は早くも市内に行き渡って、一時沸いた世間も落ち着きを取り戻している。即ちロラン公書士事務所のイレギュラーな繁忙期も終わりを告げたわけで、そこを口実に酒じゃ宴じゃとアニーが声を上げたという寸法だった。事務所にて開催した突発的なパーティーはしかし案外と人が揃って、ロランにアニーとニーナにシモン、アンリエッタたち三人と、さらにはマルタまでが顔を出した。
 ――あら。ムッシュー・フランツは、いらっしゃらないのですね?
 こんなタイミングだからフランツと顔を合わせることはできていないし、拝み倒しでもしない限りこの場に現れることもないと思うのだが、何にせよ親しい人間を呼ばなかったふうにマルタの目に映るのは自然なことではあった。
 だがそれが、頂けない。
 会の面々を眺めたマルタから発言された男性の知人の存在は、どうもずいぶん思いがけないものとみなされたらしくて、アニーとニーナは色めき立ってその関係について問い詰めた。というかニーナに関して言えばフランツのことを話してあったはずなのだが、アニーと一緒になって話を聞きたがった辺り、以前は聞きたくとも聞けなかったというところだろうか。
 結局、アンリエッタからさほどの情報を得られなかった二人は聞き込み先をレームとルウィヒに変えて、「二人でどこかに行ってた」だの、「なんだか偉そう」だの、「エッタに失礼なことを言う」だの聞き付けては、アンリエッタに意味ありげな眼差しを向けたり、訳知りげにため息をついたり、親密さからくる男性の横柄さと思い違いについて管を巻いたりした。
「マルタは、人気者だったね」
「それは私も意外だった」
 レームとルウィヒの服装が、そのきっかけだった。丁度良かったとマルタが兄妹に与えた揃いの衣装は、材質から染めからデザインまでセンスが良い。そこから発覚した仕立て人としてのマルタ・ベルジェの名は界隈では想像以上の認知があって、出版関係者でもあるシモンまで一緒になって彼女のことを取り囲んだ。
 談笑の輪から身も心も締め出された格好のアンリエッタは唯一寄って来なかったロランの方へ話をしに行き、幾らかした頃、マルタもそこに寄ってくる。娘とその上司の関係について、様子を聞きたい素振りだった。
「ロランさんはなんだか、すごかった」
「あれは、うん」
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