いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

文字の大きさ
39 / 49
第8話

8ー1

しおりを挟む
 口座の検分を実施したのは、もちろん休日の朝早くのことだった。
 クッションで座面を嵩上げした執務椅子に、ちょこんと収まる。
 作業机に着席したルウィヒは、そのやや王侯然としたスタイルが悦に入ったのか、頬をふっくらと得意げに綻ばせていた。
 早朝、寝ぼけ眼をしょぼつかせながらアンリエッタに手を引かれてやって来たのとは対照的に、今はぱっちりと開いた眦を光らせる。興奮気味なその視線は、レームと一緒になって周囲の光景のそこかしこに向いた。隣の資料室からどたどたと聞こえる仕分けの音を背景に、部屋の角に立てられたオブジェやガラス戸の付いた棚、暖炉と一体になった時計などを眺める。役職付きの人間用であろうその部屋は人の応接にも使われることがあるようで、中央には長机とソファが置かれていた。
 組合の件で一芝居を打つ、二日ほど前の出来事だ。休業日のイスタ銀行の支店に、アンリエッタは兄妹を連れて訪れている。
「お待たせしておりますね」
 声のした方を見れば、資料室から一人の女性が出てくる。長い黒髪を畳むように頭の後ろでまとめている彼女は東洋系の顔立ちをしていて、細い鼻筋の横、やや目尻の上がる双眸には涼やかな印象があった。
「初めまして。フランツの下で働いておりますフォン・デュッケと申します。そちらのことは、フランツから幾らか」
 アンリエッタが名乗られたのに挨拶し返すと、フォンは兄妹の方へ目を向ける。
「あなたたちのことも、ちゃんと聞いていますよ。ルウィヒさんに、レームさん。本日はご協力ありがとうございます」
 微笑んで言われたが、立ち居振る舞いの油断なさがそうさせたのか、ルウィヒもレームも話し出せずに視線を返すばかりだ。フランツと対面した時もそうだったなと思い起こしたアンリエッタは一拍置いて我に返り、兄妹に言う。
「二人ともご挨拶。ほら、ルウィヒは立って」
 短い呼びかけに兄妹はアンリエッタへ目を配って、それから指示通りに動きフォンへ言葉をかける。笑いかけた表情をそのままに、彼女は「はい初めまして」と同じ挨拶を繰り返した。
 一仕事終えた兄妹はまたこちらを見やって、どことなく称賛を待ちわびたような眼差し達に、アンリエッタは仕方なく苦笑を返す。
「ずいぶん慣れたようですね。元々聞いてはいましたが」
「?」
「母親役です」
 言われた内容に気を取られたせいか、フォンが距離を詰めてきたのに遅れて気がつく。彼女はアンリエッタの脇を抜けてルウィヒの前に立つ。その小さな手を取って、しばらく少女を見下ろす。
「あの」
 しばし立ち尽くして、ようやくアンリエッタは声をかけた。フォンは振り返らないまま同じ姿勢を取って、やがてちょっと頬を綻ばせると手を離す。
 アンリエッタの方へ向く。
「失礼しました。本当に、意思の疎通ができるものなのかと思って」
「ルウィヒとは、何を?」
「いぬ、ねこ、りす」
「ええっと……?」
 いきなりの羅列に戸惑うアンリエッタである。
「当ててもらえるかしらと、試したんです」
「ああ、なるほど」
「それから、アンリエッタさんのことは好きですか、と」
「え?」
 言葉に不意を衝かれ、ついルウィヒの方を見た。少女もまたたじろいだ様子で、フォンとアンリエッタを見比べる。
「大好きみたいですよ。ついでに私はどうですかと聞いてみましたが、答えてもらえませんでした」
 冗談めいた声音で付け加え、わざとらしく「残念です」と嘆いてみせる。
「書類はそろそろお持ちできますから、もう少し待っていてください」
 背中を向けて資料室へ舞い戻る。
「あっち、どんなのか気になるな」
 後ろで言ったのは、いつの間にかルウィヒの隣に立っていたレームだった。
「でも、たぶん邪魔になっちゃうから」
「――構いませんよォ」
 アンリエッタが拒否しようとしたのに応える形で、フォンが奥から声を上げた。じっと視線で伺いを立ててきたレームに、ちょっと迷ってから頷いてやる。
「あんまり、触ったり動かしたりしないようにね」
 奥に駆け込む後ろ頭に言葉を投げたのには、「大丈夫ですよ」と隣室からフォンが答える。
「悪戯なんてできません。私の目がある内は」
 朗らかさを伴った声音は同時にどこか威圧的で、レームの方こそ平気だろうかと思い始めるアンリエッタである。しばらく資料室の方を見つめて、それから隣へ視線を戻す。椅子に座ったルウィヒが、ちらちらと興味深そうにあちらを見ている。そこに根差したみたいに椅子から離れようとはしないで、どうやらこんな小さな体にも責任というのは宿るものらしい。アンリエッタはこれまた複雑な心境で、けれども褒めてやりたい気持ちも確かにあって、ルウィヒの頭を撫でる。
 見上げる少女の顔がある。
 どうかしたの?
 訊ねてくる。
 偉いな、って思ったから。
 応えると、ルウィヒは気に入らなさそうに唇を尖らせる。
 だったら――言葉で言ってほしい。
 アンリエッタは目を瞬かせる。
 ルウィヒの手を握る力が、ほんの少し強くなる。
 エッタの声を聞くの、好きなの。褒めるの、ちゃんと耳で聞いておきたい。
「……今、エッタって」
 前にマルタがそう呼んでたから。だめ?
「ううん」とアンリエッタは受け入れて、頭を繰り返し撫でる。味わうみたいに目を閉じて、ルウィヒが頭を押し付けてくる。
「だめじゃないよ。ルウィヒは、とっても偉い子だね」
 囁いてやると、唇は得意げに薄い笑みを作る。
 背後から足音が聞こえた。
 数冊重ねた帳簿を抱えたフォンが、資料室からこちらの部屋に入ってくる。
 少女の仕事が始まる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました

小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。 しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!? 助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、 「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。 幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。 ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく! ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー

没落した建築系お嬢様の優雅なスローライフ~地方でモフモフと楽しい仲間とのんびり楽しく生きます~

土偶の友
ファンタジー
優雅な貴族令嬢を目指していたクレア・フィレイア。 しかし、15歳の誕生日を前に両親から没落を宣言されてしまう。 そのショックで日本の知識を思いだし、ブラック企業で働いていた記憶からスローライフをしたいと気付いた。 両親に勧められた場所に逃げ、そこで楽しいモフモフの仲間と家を建てる。 女の子たちと出会い仲良くなって一緒に住む、のんびり緩い異世界生活。

契約婚のはずが、腹黒王太子様に溺愛されているようです

星月りあ
恋愛
「契約結婚しませんか? 愛を求めたりいたしませんので」 そう告げられた王太子は面白そうに笑った。 目が覚めると公爵令嬢リリカ・エバルディに転生していた主人公。ファンタジー好きの彼女は喜んだが、この国には一つ大きな問題があった。それは紅茶しかないということ。日本茶好きの彼女からしたら大問題である。 そんな中、王宮で日本茶に似た茶葉を育てているらしいとの情報を得る。そして、リリカは美味しいお茶を求め、王太子に契約結婚を申し出た。王太子はこれまで数多くの婚約を断ってきたため女性嫌いとも言われる人物。 そう、これはそのためだけのただの契約結婚だった。 それなのに 「君は面白いね」「僕から逃げられるとでも?」 なぜか興味をもたれて、いつしか溺愛ムードに突入していく……。

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

処理中です...