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第8話
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目を開けてそちらを見やれば、窺うように窓の方へ顔を向けている。
「アンリエッタ」
打って変わって真剣そうな声音を出したレームに、アンリエッタは思いがけなく戸惑った。
「ど、どうしたの?」
「……外から音がする」
「え――」
と声を返した時にはレームは立ち上がっている。遅れてアンリエッタも窓に寄って、隣と同じくこっそりと外を覗く。
夜の街路の視界は、やはり悪い。
ガス灯は室内で灯した蝋燭のようにその周囲を狭く照らすが、星明りの注ぐ他の地面との落差のおかげで、その全貌はかえって暗く映った。
その中に、気のせいかと見紛うくらいの鮮明さで、幾つか影が見えている。どし、どしんと控えめな音が合わせて立っていることに気が付いた。動く影は明かりと暗がりの間を出たり入ったりして、その内に数が減ったのか、大まかに挙動を捉えることが困難になる。
音も――。
気付けば聞き取れない。
酔っ払いとかごろつきとかいった輩でないことは、少なくとも察しが付く。野良の犬とか猫でもない。そういう者たちの諍いであれば、前後最中にいきり立った唸りなどが聞こえて、すぐにわかるはずだ。外はそれと比べるまでもなく静かで、だから片が付いたらしい今になっても、下で動き回っていた彼らの正体は不明のままだった。
アンリエッタは息を詰めて耳を澄ます。
無音が続いている。
嵐や雷が去るのを待つみたいに黙りこくる。
隣を見た。レームが、気付けば室内の方へ顔を向けていた。アンリエッタも倣って振り返り、ルウィヒと目が合ったので抱き寄せる。
かつん、とふいに、戸口から音がした。
「錠がずいぶんと痛んでおりますね。替え時かと」
声は響きこそ鈍いものの、聞き覚えがある。
相変わらず足音を殺して、すらりとした人影が、ぬっと闇から分かれて来たみたいに室内へ現れる。
「フォンさん、ですか」
「はい。どうもこんばんは」
言いながら、こちらに近付いて来る。どうも篭もって声が聞こえていたのはそれが原因だったらしく、被っていたマスクとネットを頭から外した。先に対面した時よりもぴったりと髪をまとめたフォンが、暗がりでも視認できるくらいの距離に立つ。
「夜分の訪問にご容赦を、アンリエッタさん。必要が生じまして、二人をお迎えに上がりました」
「二人……って」
隣を見る。レームは不安げな様子もなく、フォンのことをじっと見上げている。
「あれが前に言ってた、僕らを攫いに来るはずだった人たち?」
窓の方に目配せして彼が訊ねると、フォンは頷く。
「ええ。ハーヴェルの派遣工作員と、あとはイスタ軍部の開発局絡みの連中です。まあ、まずは移動しましょうか。別働隊が不審がって様子を見に来るまで、そう時間もないでしょうし」
「ねえ、アンリエッタも」
「彼女なら大丈夫ですよ、じきにフランツ隊長が来られます」
レームは一瞬迷った様子で俯いたが、すぐに顔を上げた。
「アンリエッタ」
状況がわからずに耳を傾けるばかりになっていたところに、レームの声がかかる。
「ごめん、僕ら、行かなきゃ」
ごめんね。
ルウィヒからその声が伝わって、するりと少女は腕から抜けていきそうになる。
「ま、待ってよ!」
離れるのを引き止めて、アンリエッタはルウィヒの肩にしがみ付く。ずっと平静に見えていたレームの顔が動揺した様子でこわばったが、返答は寄越されない。ルウィヒも黙って息を詰め、硬い質感の感情ばかりを伝えてくる。
否応なく、別離の気配が漂っていた。
そんなの。
なんで。
いきなり過ぎる。
だって……やっと。
縋る一心で、アンリエッタはフォンを見上げる。
「フォンさん、教えて下さい。これは一体どういう……それにこの子たちは」
「詳細はフランツに」
「ですが」
「すみませんが、私に話せるのはたった一つなんです」
言い置いたフォンはずいぶんと上品に笑顔を作って、それから問い掛ける。
「薬か拳。アンリエッタさんは、眠るならどちらがよろしいですか?」
「え」
それが気絶させられる数秒前、最後に聞いた台詞で――。
次に目覚めた時、アンリエッタが二人の姿を見ることはなかった。
「アンリエッタ」
打って変わって真剣そうな声音を出したレームに、アンリエッタは思いがけなく戸惑った。
「ど、どうしたの?」
「……外から音がする」
「え――」
と声を返した時にはレームは立ち上がっている。遅れてアンリエッタも窓に寄って、隣と同じくこっそりと外を覗く。
夜の街路の視界は、やはり悪い。
ガス灯は室内で灯した蝋燭のようにその周囲を狭く照らすが、星明りの注ぐ他の地面との落差のおかげで、その全貌はかえって暗く映った。
その中に、気のせいかと見紛うくらいの鮮明さで、幾つか影が見えている。どし、どしんと控えめな音が合わせて立っていることに気が付いた。動く影は明かりと暗がりの間を出たり入ったりして、その内に数が減ったのか、大まかに挙動を捉えることが困難になる。
音も――。
気付けば聞き取れない。
酔っ払いとかごろつきとかいった輩でないことは、少なくとも察しが付く。野良の犬とか猫でもない。そういう者たちの諍いであれば、前後最中にいきり立った唸りなどが聞こえて、すぐにわかるはずだ。外はそれと比べるまでもなく静かで、だから片が付いたらしい今になっても、下で動き回っていた彼らの正体は不明のままだった。
アンリエッタは息を詰めて耳を澄ます。
無音が続いている。
嵐や雷が去るのを待つみたいに黙りこくる。
隣を見た。レームが、気付けば室内の方へ顔を向けていた。アンリエッタも倣って振り返り、ルウィヒと目が合ったので抱き寄せる。
かつん、とふいに、戸口から音がした。
「錠がずいぶんと痛んでおりますね。替え時かと」
声は響きこそ鈍いものの、聞き覚えがある。
相変わらず足音を殺して、すらりとした人影が、ぬっと闇から分かれて来たみたいに室内へ現れる。
「フォンさん、ですか」
「はい。どうもこんばんは」
言いながら、こちらに近付いて来る。どうも篭もって声が聞こえていたのはそれが原因だったらしく、被っていたマスクとネットを頭から外した。先に対面した時よりもぴったりと髪をまとめたフォンが、暗がりでも視認できるくらいの距離に立つ。
「夜分の訪問にご容赦を、アンリエッタさん。必要が生じまして、二人をお迎えに上がりました」
「二人……って」
隣を見る。レームは不安げな様子もなく、フォンのことをじっと見上げている。
「あれが前に言ってた、僕らを攫いに来るはずだった人たち?」
窓の方に目配せして彼が訊ねると、フォンは頷く。
「ええ。ハーヴェルの派遣工作員と、あとはイスタ軍部の開発局絡みの連中です。まあ、まずは移動しましょうか。別働隊が不審がって様子を見に来るまで、そう時間もないでしょうし」
「ねえ、アンリエッタも」
「彼女なら大丈夫ですよ、じきにフランツ隊長が来られます」
レームは一瞬迷った様子で俯いたが、すぐに顔を上げた。
「アンリエッタ」
状況がわからずに耳を傾けるばかりになっていたところに、レームの声がかかる。
「ごめん、僕ら、行かなきゃ」
ごめんね。
ルウィヒからその声が伝わって、するりと少女は腕から抜けていきそうになる。
「ま、待ってよ!」
離れるのを引き止めて、アンリエッタはルウィヒの肩にしがみ付く。ずっと平静に見えていたレームの顔が動揺した様子でこわばったが、返答は寄越されない。ルウィヒも黙って息を詰め、硬い質感の感情ばかりを伝えてくる。
否応なく、別離の気配が漂っていた。
そんなの。
なんで。
いきなり過ぎる。
だって……やっと。
縋る一心で、アンリエッタはフォンを見上げる。
「フォンさん、教えて下さい。これは一体どういう……それにこの子たちは」
「詳細はフランツに」
「ですが」
「すみませんが、私に話せるのはたった一つなんです」
言い置いたフォンはずいぶんと上品に笑顔を作って、それから問い掛ける。
「薬か拳。アンリエッタさんは、眠るならどちらがよろしいですか?」
「え」
それが気絶させられる数秒前、最後に聞いた台詞で――。
次に目覚めた時、アンリエッタが二人の姿を見ることはなかった。
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