47 / 49
エピローグ「そしてペンと制度の力で」
ep-4
しおりを挟む
「しかしそれにしても、やっぱり僕が引き取るべきだったかな」
「え?」
「ん?」
意外さを露わにしたのには素直な怪訝を返されて、アンリエッタは一瞬言葉に窮した。
「……ええと。あの子たちを、ですか?」
「他に誰がいるんだい?」
「いえ――ごめんなさい、世話をするつもりがあったのかと、意外で」
「そりゃあちびっ子どもと暮らすのなんて御免さ。だがその辺りのことは人を雇えば済むわけで、好き勝手にできるのならもう少し考えておけば良かったと思ってね」
案の定、慈愛をかけら程も持ち得ない回答についてはさておき、人を雇うとはまた、随分と景気の良いものである。
そういえばと、思い出した。
「以前、お金の当てがあるようなことを言っていましたね。それが上手くいったんですか?」
「ああ、お陰様でね」
応答に首を傾げる。
「お陰様?」
「君は良く知ってるんだろ。クーポンの件さ」
「ああ」
アンリエッタやアニーは試さなかったが、あの騒動で暴落したクーポンを不正規に仕入れて利ざやを得た者もいると聞く。オッテンバールはどうやら、それで一儲けしたらしかった。
「しかしあれは、別に私が何をしたというわけでは」
「ま、それはそうだね」
オッテンバールは一つ笑って、もたれていた壁から背を離した。
「空振りだったし、そろそろ行くよ。次に会う時は新居かな」
「勝手に入らないでくださいね?」
「ハハっ」
再三の警告を吹き飛ばすように一笑して、オッテンバールは踵を返した。「ちょっと!」と、アンリエッタが非難の含んだ引き留めを投げたが、彼は特に聞かずにその場を離れてしまう。
一人残される。騒いだりこそはしないものの、何かそこにいるだけで周囲を動揺させがちな彼が去ると、部屋の空気は随分と凪いだものになった。
「……お陰様?」
再び、繰り返す。受け答えからしてただの社交辞令である可能性はもちろんあったが、どうも引っ掛かった。
「あ」
と、呟く。出来事の繋がりめいたものを、ふとアンリエッタは見出している。
フランツから聞いたところによれば、オッテンバールは生業で関わる医療関係者の他に、多様な階層の人々と交流があるらしかった。先端科学に対する造詣が深く、その知識の御披露目をある種の娯楽として庶民や資産家に提供しているという。しかし資産家といえど、パトロンになるような存在はさして多くない。多数は賑やかしの、出費のない娯楽を求める金利生活者だ。ランチエとも呼ばれる彼らは自身の資産を担保とした利息生活を送っており、収支のバランスが崩れぬよう綿密に生活費を組み立てている。その支出の削減に、多種の割引施策が催されるクーポンが大いに利用されていることは、今さら言うまでもない。
そして以前のシモンの話では、クーポン事業を不安視する声は、元は金利生活者たちの中から上がったものだった。
……あくまで物証のない、邪推である。噂を流すか促すかして、オッテンバールがクーポンの相場を不安定な状態へと導いたというのは、こじつけと言っても良いくらいの考えだ。けれども、彼が儲け話があるふうなことを口にしたのはシモンの記事が最初に出た翌日のことである。それで一稼ぎというのは――仮に思い付きはしても自信を持って「できる」と見なすには、少々早すぎるきらいがあった。
何にせよ、普段の行いにより関係者間では博識で通っているだろうオッテンバールの寄越した情報は、きっとそれなりに重く扱われたはずだ。加えて別の階層からの覚えも、たぶん悪くない。レームの時のように、気まぐれに体調を崩した者を助けたりしていただろうことも考慮すれば、貧困層を始めとした庶民間での印象だって、恐らくは良かった。
小資産家や労働者たちの間を渡り歩いて話しかける青年の姿を、アンリエッタは想像する。時にその声かけは噂の種になり、過激な報道の接ぎ木にもなる。ほんの少し会話に加えただけで……いずれか悲観的な目線の記事の一つを選び取って世間話に取り上げただけで、恐慌の木は健やかに育ち実ったはずだ。
クーポンの売買相場が下がっていく。
商業組合と銀行の話し合いが難航し、市民は手持ち分の消費に躍起になる。市場の営業に影響が及ぶにつれて、取引を拒否する両替商も増えた。一時は元の三割を割る捨値で買取がなされるまでになったというそれを、自前でか、あるいは両替商と結託してかは定かでないが回収し、相場の復調を待った。
あの時ロランは市況の展開の速さを気味悪がっていたが、誰かが各所で暗躍していたのなら――各階層に語りかけてさりげない誘導を行なっていたとすれば、そうした急激さに結び付くことも、不思議ではないのではないか。
(だとしても、いつから?)
公判の内容は請求さえすれば一般に開示されるし、騒動になる以前から組合と銀行の裁判について記事に取り上げた新聞も、市内のどこかにはあるかもしれない。それをたまたま目にして、背景事情を調べ、一儲けをする計画を思い付いた。そういうことも、もちろんあり得るかもしれない。
(……でも)
オッテンバールは、普通の第三者と比べれば、より関係者に近い情報を得られる立場にあった。レームやルウィヒに、自分の仕事のあらましや断片について、アンリエッタは話していた。日常会話として伝えられたそれは特に口止めがなされていたわけでもなく、だからひょんなことから青年の耳に入ったとしても、何もおかしなところはない。そこから彼が、クーポン事業が危機に陥るような状況をいち早く想像したとしても、何も――。
アンリエッタはそこまで考えて、彼の去っていった戸口の方を食い入るように見つめた。
不穏に数を増やした心臓の音を、体の内に抱えながら。
自身の鼓動以外はまるで静かな部屋の中で、ただ息を呑んで……迂闊さを呪う悔恨を、その身に長いこと持て余した。
「え?」
「ん?」
意外さを露わにしたのには素直な怪訝を返されて、アンリエッタは一瞬言葉に窮した。
「……ええと。あの子たちを、ですか?」
「他に誰がいるんだい?」
「いえ――ごめんなさい、世話をするつもりがあったのかと、意外で」
「そりゃあちびっ子どもと暮らすのなんて御免さ。だがその辺りのことは人を雇えば済むわけで、好き勝手にできるのならもう少し考えておけば良かったと思ってね」
案の定、慈愛をかけら程も持ち得ない回答についてはさておき、人を雇うとはまた、随分と景気の良いものである。
そういえばと、思い出した。
「以前、お金の当てがあるようなことを言っていましたね。それが上手くいったんですか?」
「ああ、お陰様でね」
応答に首を傾げる。
「お陰様?」
「君は良く知ってるんだろ。クーポンの件さ」
「ああ」
アンリエッタやアニーは試さなかったが、あの騒動で暴落したクーポンを不正規に仕入れて利ざやを得た者もいると聞く。オッテンバールはどうやら、それで一儲けしたらしかった。
「しかしあれは、別に私が何をしたというわけでは」
「ま、それはそうだね」
オッテンバールは一つ笑って、もたれていた壁から背を離した。
「空振りだったし、そろそろ行くよ。次に会う時は新居かな」
「勝手に入らないでくださいね?」
「ハハっ」
再三の警告を吹き飛ばすように一笑して、オッテンバールは踵を返した。「ちょっと!」と、アンリエッタが非難の含んだ引き留めを投げたが、彼は特に聞かずにその場を離れてしまう。
一人残される。騒いだりこそはしないものの、何かそこにいるだけで周囲を動揺させがちな彼が去ると、部屋の空気は随分と凪いだものになった。
「……お陰様?」
再び、繰り返す。受け答えからしてただの社交辞令である可能性はもちろんあったが、どうも引っ掛かった。
「あ」
と、呟く。出来事の繋がりめいたものを、ふとアンリエッタは見出している。
フランツから聞いたところによれば、オッテンバールは生業で関わる医療関係者の他に、多様な階層の人々と交流があるらしかった。先端科学に対する造詣が深く、その知識の御披露目をある種の娯楽として庶民や資産家に提供しているという。しかし資産家といえど、パトロンになるような存在はさして多くない。多数は賑やかしの、出費のない娯楽を求める金利生活者だ。ランチエとも呼ばれる彼らは自身の資産を担保とした利息生活を送っており、収支のバランスが崩れぬよう綿密に生活費を組み立てている。その支出の削減に、多種の割引施策が催されるクーポンが大いに利用されていることは、今さら言うまでもない。
そして以前のシモンの話では、クーポン事業を不安視する声は、元は金利生活者たちの中から上がったものだった。
……あくまで物証のない、邪推である。噂を流すか促すかして、オッテンバールがクーポンの相場を不安定な状態へと導いたというのは、こじつけと言っても良いくらいの考えだ。けれども、彼が儲け話があるふうなことを口にしたのはシモンの記事が最初に出た翌日のことである。それで一稼ぎというのは――仮に思い付きはしても自信を持って「できる」と見なすには、少々早すぎるきらいがあった。
何にせよ、普段の行いにより関係者間では博識で通っているだろうオッテンバールの寄越した情報は、きっとそれなりに重く扱われたはずだ。加えて別の階層からの覚えも、たぶん悪くない。レームの時のように、気まぐれに体調を崩した者を助けたりしていただろうことも考慮すれば、貧困層を始めとした庶民間での印象だって、恐らくは良かった。
小資産家や労働者たちの間を渡り歩いて話しかける青年の姿を、アンリエッタは想像する。時にその声かけは噂の種になり、過激な報道の接ぎ木にもなる。ほんの少し会話に加えただけで……いずれか悲観的な目線の記事の一つを選び取って世間話に取り上げただけで、恐慌の木は健やかに育ち実ったはずだ。
クーポンの売買相場が下がっていく。
商業組合と銀行の話し合いが難航し、市民は手持ち分の消費に躍起になる。市場の営業に影響が及ぶにつれて、取引を拒否する両替商も増えた。一時は元の三割を割る捨値で買取がなされるまでになったというそれを、自前でか、あるいは両替商と結託してかは定かでないが回収し、相場の復調を待った。
あの時ロランは市況の展開の速さを気味悪がっていたが、誰かが各所で暗躍していたのなら――各階層に語りかけてさりげない誘導を行なっていたとすれば、そうした急激さに結び付くことも、不思議ではないのではないか。
(だとしても、いつから?)
公判の内容は請求さえすれば一般に開示されるし、騒動になる以前から組合と銀行の裁判について記事に取り上げた新聞も、市内のどこかにはあるかもしれない。それをたまたま目にして、背景事情を調べ、一儲けをする計画を思い付いた。そういうことも、もちろんあり得るかもしれない。
(……でも)
オッテンバールは、普通の第三者と比べれば、より関係者に近い情報を得られる立場にあった。レームやルウィヒに、自分の仕事のあらましや断片について、アンリエッタは話していた。日常会話として伝えられたそれは特に口止めがなされていたわけでもなく、だからひょんなことから青年の耳に入ったとしても、何もおかしなところはない。そこから彼が、クーポン事業が危機に陥るような状況をいち早く想像したとしても、何も――。
アンリエッタはそこまで考えて、彼の去っていった戸口の方を食い入るように見つめた。
不穏に数を増やした心臓の音を、体の内に抱えながら。
自身の鼓動以外はまるで静かな部屋の中で、ただ息を呑んで……迂闊さを呪う悔恨を、その身に長いこと持て余した。
0
あなたにおすすめの小説
転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す
RINFAM
ファンタジー
なんの罰ゲームだ、これ!!!!
あああああ!!!
本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!
そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!
一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!
かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。
年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。
4コマ漫画版もあります。
【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました
小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。
しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!?
助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、
「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。
幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。
ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく!
ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー
没落した建築系お嬢様の優雅なスローライフ~地方でモフモフと楽しい仲間とのんびり楽しく生きます~
土偶の友
ファンタジー
優雅な貴族令嬢を目指していたクレア・フィレイア。
しかし、15歳の誕生日を前に両親から没落を宣言されてしまう。
そのショックで日本の知識を思いだし、ブラック企業で働いていた記憶からスローライフをしたいと気付いた。
両親に勧められた場所に逃げ、そこで楽しいモフモフの仲間と家を建てる。
女の子たちと出会い仲良くなって一緒に住む、のんびり緩い異世界生活。
契約婚のはずが、腹黒王太子様に溺愛されているようです
星月りあ
恋愛
「契約結婚しませんか? 愛を求めたりいたしませんので」
そう告げられた王太子は面白そうに笑った。
目が覚めると公爵令嬢リリカ・エバルディに転生していた主人公。ファンタジー好きの彼女は喜んだが、この国には一つ大きな問題があった。それは紅茶しかないということ。日本茶好きの彼女からしたら大問題である。
そんな中、王宮で日本茶に似た茶葉を育てているらしいとの情報を得る。そして、リリカは美味しいお茶を求め、王太子に契約結婚を申し出た。王太子はこれまで数多くの婚約を断ってきたため女性嫌いとも言われる人物。
そう、これはそのためだけのただの契約結婚だった。
それなのに
「君は面白いね」「僕から逃げられるとでも?」
なぜか興味をもたれて、いつしか溺愛ムードに突入していく……。
ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!
クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。
ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。
しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。
ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。
そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。
国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。
樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
異世界転移物語
月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる