いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

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エピローグ「そしてペンと制度の力で」

ep-4

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「しかしそれにしても、やっぱり僕が引き取るべきだったかな」
「え?」
「ん?」
 意外さを露わにしたのには素直な怪訝を返されて、アンリエッタは一瞬言葉に窮した。
「……ええと。あの子たちを、ですか?」
「他に誰がいるんだい?」
「いえ――ごめんなさい、世話をするつもりがあったのかと、意外で」
「そりゃあちびっ子どもと暮らすのなんて御免さ。だがその辺りのことは人を雇えば済むわけで、好き勝手にできるのならもう少し考えておけば良かったと思ってね」
 案の定、慈愛をかけら程も持ち得ない回答についてはさておき、人を雇うとはまた、随分と景気の良いものである。
 そういえばと、思い出した。
「以前、お金の当てがあるようなことを言っていましたね。それが上手くいったんですか?」
「ああ、お陰様でね」
 応答に首を傾げる。
「お陰様?」
「君は良く知ってるんだろ。クーポンの件さ」
「ああ」
 アンリエッタやアニーは試さなかったが、あの騒動で暴落したクーポンを不正規に仕入れて利ざやを得た者もいると聞く。オッテンバールはどうやら、それで一儲けしたらしかった。
「しかしあれは、別に私が何をしたというわけでは」
「ま、それはそうだね」
 オッテンバールは一つ笑って、もたれていた壁から背を離した。
「空振りだったし、そろそろ行くよ。次に会う時は新居かな」
「勝手に入らないでくださいね?」
「ハハっ」
 再三の警告を吹き飛ばすように一笑して、オッテンバールは踵を返した。「ちょっと!」と、アンリエッタが非難の含んだ引き留めを投げたが、彼は特に聞かずにその場を離れてしまう。
 一人残される。騒いだりこそはしないものの、何かそこにいるだけで周囲を動揺させがちな彼が去ると、部屋の空気は随分と凪いだものになった。
「……お陰様?」
 再び、繰り返す。受け答えからしてただの社交辞令である可能性はもちろんあったが、どうも引っ掛かった。
「あ」
 と、呟く。出来事の繋がりめいたものを、ふとアンリエッタは見出している。
 フランツから聞いたところによれば、オッテンバールは生業で関わる医療関係者の他に、多様な階層の人々と交流があるらしかった。先端科学に対する造詣が深く、その知識の御披露目をある種の娯楽として庶民や資産家に提供しているという。しかし資産家といえど、パトロンになるような存在はさして多くない。多数は賑やかしの、出費のない娯楽を求める金利生活者だ。ランチエとも呼ばれる彼らは自身の資産を担保とした利息生活を送っており、収支のバランスが崩れぬよう綿密に生活費を組み立てている。その支出の削減に、多種の割引施策が催されるクーポンが大いに利用されていることは、今さら言うまでもない。
 そして以前のシモンの話では、クーポン事業を不安視する声は、元は金利生活者たちの中から上がったものだった。
 ……あくまで物証のない、邪推である。噂を流すか促すかして、オッテンバールがクーポンの相場を不安定な状態へと導いたというのは、こじつけと言っても良いくらいの考えだ。けれども、彼が儲け話があるふうなことを口にしたのはシモンの記事が最初に出た翌日のことである。それで一稼ぎというのは――仮に思い付きはしても自信を持って「できる」と見なすには、少々早すぎるきらいがあった。
 何にせよ、普段の行いにより関係者間では博識で通っているだろうオッテンバールの寄越した情報は、きっとそれなりに重く扱われたはずだ。加えて別の階層からの覚えも、たぶん悪くない。レームの時のように、気まぐれに体調を崩した者を助けたりしていただろうことも考慮すれば、貧困層を始めとした庶民間での印象だって、恐らくは良かった。
 小資産家や労働者たちの間を渡り歩いて話しかける青年の姿を、アンリエッタは想像する。時にその声かけは噂の種になり、過激な報道の接ぎ木にもなる。ほんの少し会話に加えただけで……いずれか悲観的な目線の記事の一つを選び取って世間話に取り上げただけで、恐慌の木は健やかに育ち実ったはずだ。
 クーポンの売買相場が下がっていく。
 商業組合と銀行の話し合いが難航し、市民は手持ち分の消費に躍起になる。市場の営業に影響が及ぶにつれて、取引を拒否する両替商も増えた。一時は元の三割を割る捨値で買取がなされるまでになったというそれを、自前でか、あるいは両替商と結託してかは定かでないが回収し、相場の復調を待った。
 あの時ロランは市況の展開の速さを気味悪がっていたが、誰かが各所で暗躍していたのなら――各階層に語りかけてさりげない誘導を行なっていたとすれば、そうした急激さに結び付くことも、不思議ではないのではないか。
(だとしても、いつから?)
 公判の内容は請求さえすれば一般に開示されるし、騒動になる以前から組合と銀行の裁判について記事に取り上げた新聞も、市内のどこかにはあるかもしれない。それをたまたま目にして、背景事情を調べ、一儲けをする計画を思い付いた。そういうことも、もちろんあり得るかもしれない。
(……でも)
 オッテンバールは、普通の第三者と比べれば、より関係者に近い情報を得られる立場にあった。レームやルウィヒに、自分の仕事のあらましや断片について、アンリエッタは話していた。日常会話として伝えられたそれは特に口止めがなされていたわけでもなく、だからひょんなことから青年の耳に入ったとしても、何もおかしなところはない。そこから彼が、クーポン事業が危機に陥るような状況をいち早く想像したとしても、何も――。
 アンリエッタはそこまで考えて、彼の去っていった戸口の方を食い入るように見つめた。
 不穏に数を増やした心臓の音を、体の内に抱えながら。
 自身の鼓動以外はまるで静かな部屋の中で、ただ息を呑んで……迂闊さを呪う悔恨を、その身に長いこと持て余した。
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