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第二章
27話 偏愛
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その夜の晩餐会にマリアの姿はなく、フィリップ・モリスもまた、自らの愚かさを露呈するような失態は一つとして見せなかった。
そうして何事も起こらぬまま翌日となり、アメリアたちはマリアの父が治める地へと向けて出発した。
美しい田園地帯はやがて一面の草原へと姿を変え、放牧された馬や牛が点在する、広々とした緑の大地が広がっていく。
道のあちこちには小さな村が寄り添うようにあり、この地ののどかな暮らしぶりが自然と伝わってくる。
マリアの生家は古い洋館だったが、丁寧に手入れが施されており、歳月を重ねた建物に新しい息遣いが宿っていた。
「アメリア王女、ストーン伯爵、よくお越しくださいました!
マリアも……よく帰ってきたね。」
出迎えたのは、マリアの父――ブライアン・モリス男爵。
その隣には母スーザンが立っていた。フィリップによく似た金色の髪と青い瞳を持ち、その美しさは年齢を重ねてもなお色褪せていない。
「お会いできて光栄です、モリス男爵、男爵夫人。」
アメリアが丁寧に一礼すると、ふたりは穏やかに微笑み返した。
「さっそくで申し訳ないが、すぐに取り掛かってもらいたい。」
「無論です。」
短いやり取りののち、ブライアン男爵に案内されてヴァルクやシンシアたちは別室へ向かっていった。
残されたアメリアたちには、男爵夫人によって客室へ案内された。
「では、殿下はこちらでお寛ぎくださいませ。夕食の時間になりましたらお声掛けいたします。
──さあ、マリア。あなたはこちらに来て王宮での暮らしを聞かせてちょうだい。」
「……はい、お母様。」
マリアはどこかぎこちない微笑みを浮かべ、アメリアに小さく会釈してから、夫人に連れられ部屋を出ていった。
扉が静かに閉じられる。その音が、妙に重く耳に残った。
「ねえ……なんだか様子がおかしくなかったかしら?」
アメリアの問いかけに、シーリーンは小首をかしげる。
「うーん……たしかにせっかくお帰りになったのに元気がないような気もしますが……お疲れなだけではないでしょうか……」
シーリーンの曖昧な返事が、逆にアメリアの胸に不安を落とした。
荷物が運びこまれると、シーリーンはその整理に追われ、アメリアのことへ気を配る余裕がなくなっていった。
アメリアはその隙を見計らい、そっと部屋を抜け出した。
――マリアは、どこにいるのだろう。
胸の奥にざわめく不安に突き動かされるように、アメリアは静かに廊下を進む。
階段を上りきったところで、甲高く刺すような声が響いてきた。
「まったく! いまだに子どもが出来ないってどういうことなの!?
結婚して何年経ったと思っているのよ!」
「……申し訳ございません、お母様。」
聞き覚えのある声。マリアのものだ。
「せっかくフィリップが手を尽くして、あなたをダリオン王子と結婚させたのに、何をやっているの?!
しかも最近は、フィリップを城に寄せ付けないようにしているらしいじゃないの!? 一体何様なの、あなた!」
「そんなことは……決して!」
「何なの? 口答えをするつもり?
本当に、あなたは何ひとつ私に似ていなくて腹が立つわ。」
扉の向こうで響く男爵夫人の声は、先ほど見せていた気品ある笑顔からは想像もつかないほど鋭く、冷たい。
アメリアは思わず息を飲んだ。胸が早鐘を打つ。
にわかには信じられない罵倒の応酬に、アメリアはただ立ち尽くすしかなかった。
(どういうこと……?)
止めるべきかとドアノブに手を取った瞬間、その手を止めるように手を包まれた。
驚いて顔を上げると、テティが悲しそうな顔で静かに首を振った。
***
「あれはどういうことなの?」
アメリアはテティに連れられ、モリス男爵邸の小さな庭園に来ていた。
「…夫人は昔からああなのです。
マリア様にとても酷く当たられていて…フィリップ様のことはまるでご自身のお子様のように可愛がられております」
「ええ…一体どうして?」
「母が…マリア様の乳母が言うには、フィリップ様のお母様はフィリップ様を産んだ時、出血が酷くそのまま亡くなってしまったそうです。
夫人は母代わりとしてフィリップ様を大層可愛がっていたそうです。そのあとすぐ輿入れが決まってもほとんどの時間をモリス公爵邸で過ごしていたと聞いています」
「母親代わり…」
たしかに、フィリップとスーザンはそっくりだ。モリス家の血なのだろう。
「マリア様を身籠った後も産んだ後も夫人は公爵邸にいることを選びました。
産まれたばかりのマリア様は乳母に任せ、ご自身はフィリップ様のおそばを離れませんでした」
(自分の子よりも甥を選んだ…ということなのね。
だけど、なぜそこまで。)
「男爵もそれを気にすることはありませんでした。もともと政略結婚でしたので…でも、男爵は大変マリア様を可愛がっておいででした。だから何の問題もなかったのです。
だけど、フィリップ様が寄宿学校に行かれる年頃になると夫人はこちらに戻られ、マリア様を厳しく教育するようになりました」
「さきほどもとても厳しい話し方だったわね。いつもあんな感じなの?」
「…はい、男爵様がおられないときは…。
マリア様にとって幸せだったこの空間は苦痛ばかりの場所になってしまわれました。
ダリオン王子に見初められ、ようやくお母上様から逃げ出すことができたのです」
(だけど、それもまたフィリップの策略の中だったのね…。
一体あの男は何を考えてるのかしら。)
テティは悲しそうに俯いたままだった。
「どうしてそのことを教えてくれたの?」
「それは…アメリア様は今はマリア様のご家族のおひとり、ですので。」
(その言葉を言葉のままに受け取って良いのだろうか。
マリアが子どもにこだわるのも母親からのプレッシャーから?)
「アメリア様!」
庭園の入り口から青年の声が響いた。
その顔を見た瞬間、アメリアは「あっ……」と小さな声を漏らし、テティの方をちらりと振り返った。
そうして何事も起こらぬまま翌日となり、アメリアたちはマリアの父が治める地へと向けて出発した。
美しい田園地帯はやがて一面の草原へと姿を変え、放牧された馬や牛が点在する、広々とした緑の大地が広がっていく。
道のあちこちには小さな村が寄り添うようにあり、この地ののどかな暮らしぶりが自然と伝わってくる。
マリアの生家は古い洋館だったが、丁寧に手入れが施されており、歳月を重ねた建物に新しい息遣いが宿っていた。
「アメリア王女、ストーン伯爵、よくお越しくださいました!
マリアも……よく帰ってきたね。」
出迎えたのは、マリアの父――ブライアン・モリス男爵。
その隣には母スーザンが立っていた。フィリップによく似た金色の髪と青い瞳を持ち、その美しさは年齢を重ねてもなお色褪せていない。
「お会いできて光栄です、モリス男爵、男爵夫人。」
アメリアが丁寧に一礼すると、ふたりは穏やかに微笑み返した。
「さっそくで申し訳ないが、すぐに取り掛かってもらいたい。」
「無論です。」
短いやり取りののち、ブライアン男爵に案内されてヴァルクやシンシアたちは別室へ向かっていった。
残されたアメリアたちには、男爵夫人によって客室へ案内された。
「では、殿下はこちらでお寛ぎくださいませ。夕食の時間になりましたらお声掛けいたします。
──さあ、マリア。あなたはこちらに来て王宮での暮らしを聞かせてちょうだい。」
「……はい、お母様。」
マリアはどこかぎこちない微笑みを浮かべ、アメリアに小さく会釈してから、夫人に連れられ部屋を出ていった。
扉が静かに閉じられる。その音が、妙に重く耳に残った。
「ねえ……なんだか様子がおかしくなかったかしら?」
アメリアの問いかけに、シーリーンは小首をかしげる。
「うーん……たしかにせっかくお帰りになったのに元気がないような気もしますが……お疲れなだけではないでしょうか……」
シーリーンの曖昧な返事が、逆にアメリアの胸に不安を落とした。
荷物が運びこまれると、シーリーンはその整理に追われ、アメリアのことへ気を配る余裕がなくなっていった。
アメリアはその隙を見計らい、そっと部屋を抜け出した。
――マリアは、どこにいるのだろう。
胸の奥にざわめく不安に突き動かされるように、アメリアは静かに廊下を進む。
階段を上りきったところで、甲高く刺すような声が響いてきた。
「まったく! いまだに子どもが出来ないってどういうことなの!?
結婚して何年経ったと思っているのよ!」
「……申し訳ございません、お母様。」
聞き覚えのある声。マリアのものだ。
「せっかくフィリップが手を尽くして、あなたをダリオン王子と結婚させたのに、何をやっているの?!
しかも最近は、フィリップを城に寄せ付けないようにしているらしいじゃないの!? 一体何様なの、あなた!」
「そんなことは……決して!」
「何なの? 口答えをするつもり?
本当に、あなたは何ひとつ私に似ていなくて腹が立つわ。」
扉の向こうで響く男爵夫人の声は、先ほど見せていた気品ある笑顔からは想像もつかないほど鋭く、冷たい。
アメリアは思わず息を飲んだ。胸が早鐘を打つ。
にわかには信じられない罵倒の応酬に、アメリアはただ立ち尽くすしかなかった。
(どういうこと……?)
止めるべきかとドアノブに手を取った瞬間、その手を止めるように手を包まれた。
驚いて顔を上げると、テティが悲しそうな顔で静かに首を振った。
***
「あれはどういうことなの?」
アメリアはテティに連れられ、モリス男爵邸の小さな庭園に来ていた。
「…夫人は昔からああなのです。
マリア様にとても酷く当たられていて…フィリップ様のことはまるでご自身のお子様のように可愛がられております」
「ええ…一体どうして?」
「母が…マリア様の乳母が言うには、フィリップ様のお母様はフィリップ様を産んだ時、出血が酷くそのまま亡くなってしまったそうです。
夫人は母代わりとしてフィリップ様を大層可愛がっていたそうです。そのあとすぐ輿入れが決まってもほとんどの時間をモリス公爵邸で過ごしていたと聞いています」
「母親代わり…」
たしかに、フィリップとスーザンはそっくりだ。モリス家の血なのだろう。
「マリア様を身籠った後も産んだ後も夫人は公爵邸にいることを選びました。
産まれたばかりのマリア様は乳母に任せ、ご自身はフィリップ様のおそばを離れませんでした」
(自分の子よりも甥を選んだ…ということなのね。
だけど、なぜそこまで。)
「男爵もそれを気にすることはありませんでした。もともと政略結婚でしたので…でも、男爵は大変マリア様を可愛がっておいででした。だから何の問題もなかったのです。
だけど、フィリップ様が寄宿学校に行かれる年頃になると夫人はこちらに戻られ、マリア様を厳しく教育するようになりました」
「さきほどもとても厳しい話し方だったわね。いつもあんな感じなの?」
「…はい、男爵様がおられないときは…。
マリア様にとって幸せだったこの空間は苦痛ばかりの場所になってしまわれました。
ダリオン王子に見初められ、ようやくお母上様から逃げ出すことができたのです」
(だけど、それもまたフィリップの策略の中だったのね…。
一体あの男は何を考えてるのかしら。)
テティは悲しそうに俯いたままだった。
「どうしてそのことを教えてくれたの?」
「それは…アメリア様は今はマリア様のご家族のおひとり、ですので。」
(その言葉を言葉のままに受け取って良いのだろうか。
マリアが子どもにこだわるのも母親からのプレッシャーから?)
「アメリア様!」
庭園の入り口から青年の声が響いた。
その顔を見た瞬間、アメリアは「あっ……」と小さな声を漏らし、テティの方をちらりと振り返った。
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