102 / 117
第三章
21話 雪解けの庭園
しおりを挟む
雪解けの季節、城の庭園には雪解け水と春の陽気で、花々が目を覚ましはじめていた。
その場所を駆け抜ける小さな少年を捕まえようと手を伸ばしたものの、まるで猫のようにすり抜け、一瞬で視界から消える。
「ヴィータ!!!
いい加減にしなさい! もうお父様が帰ってくる頃よ!」
大きな声を張り上げてみても、葉が擦れ合う音が風に乗って聞こえるだけで、目的の主からの応答はない。
「アメリア様? 大丈夫ですか」
後ろから声をかけたのは、大きなお腹を抱えたシーリーンだった。
「やだ、来なくていいわよ!
あなたは休んでいて。もうそんな大きなお腹で、どうしてまだ働くのよ」
慌てて座るように庭園の椅子へと導いた。
侍女のシーリーンは、一年ほど前に庭師のワトソンと結婚し、妊娠……すでに臨月に入っていた。
「ヴィータ様はまたかくれんぼですか?
アメリア様お一人では大変でしょう。そろそろ教育係をつけてはいかがですか」
「それは……わかっているのだけど、なかなかね」
王族出身のアメリアが自ら子育てすることを周りが不思議に思うのは理解していた。
それでもあの子を育てるのは自分しかいないと思うと、乳母も教育係もつけることができず、シーリーンの手を借りながらも五年の月日が経っていた。
「は・は・う・え~~!」
突然テーブルの下から現れた男の子に、アメリアとシーリーンは驚きの声をあげた。
「ヴィータ! いつのまにそんなところに?」
「びっくりした? びっくりした?」
「あははッ、さすがはヴィータ様です」
「まったく…座りなさい!!」
銀色の髪に灰色の瞳、日焼けした肌に、五歳とは思えない身体能力を持つ子ども。
それがアメリアとヴァルクの息子、ヴィタリス・ストーンだった。
城に住む誰もが彼を親しみを込めて『ヴィータ』と呼んでいた。
「父上はいつ帰る?」
「今日中に着くと連絡がありました。その前に、きちんと今日すべきことを終わらしましょう」
「すべきこと? なに?」
「まずは勉強、そして乗馬ですね」
「えっ! 今日乗っていい日なの?!」
「勉強が終わってからね」
「ふぁーい」
しぶしぶとテーブルの下から出てくると、シーリーンの隣に座り、顔を突っ伏した。
その様子がまたしても彼の愛嬌を感じさせ、アメリアは微笑む。
紙と鉛筆を用意すると、ヴィータはひったくるように奪い取り、すでに習った文字をつらつらと書きはじめた。
どれほど嫌がったり、遊び回っていても、最後には必ずやるべきことをするのは彼の性格なのだろう。
捕まえるための時間さえなくなればもっと楽になるのに……そう思っていても、日課のように逃げ回る彼を探しては捕まえる日々を送っていた。
「まあ、すごい。ずいぶん文字を綺麗に書けるようになりましたね」
「でしょ。シーリーンはわかってるね」
ニヤリと笑う息子に、アメリアは呆れたように溜息をついた。
彼の調子の良い性格は一体誰に似たのだろう。
一刻ほど経った頃、外門から領主の帰還を知らせる笛の音が鳴り響いた。
目の色が輝き、顔を上げた息子を止める術がないことはもう知っていた。
アメリアとシーリーンが目を見合した瞬間、もう目の前に座っていたはずの少年は消えていた。
「まったく……本当に」
「まるで神の子みたいですわね」
「神の子?」
シーリーンの言葉に首を傾げると、すっかり穏やかになった彼女が優しく微笑んだ。
「ご存じありませんか? ロキア王国の初代国王の昔噺ですわ。
とても貧しい村に、ひときわ勇敢な娘がいました。ところが彼女はある日、父親がわからない子を妊娠します。
生まれた子は不義の子として忌み嫌われ、三つのときに村人にひとやま越えた先で捨てられました。
母親は一晩中、村の入り口で泣き崩れたものの、朝日とともに小さな子が戻ってきて、母親にこう言ったそうです」
ごくりと喉が鳴るのが聞こえそうだ。昔噺を語るシーリーンとは反対に、アメリアの心は穏やかではなかった。
「なんて……言ったの?」
「おなかすいた~……と」
「お、おなか?」
「はい。
そして、村人は毎年のように彼を捨てに行きました。
山をひとつから二つ先へ、三つ先へと増やしても彼は戻ってきました。いよいよ恐ろしくなった村人は、捨てに行くのをやめました。
すると十五の年に、こう言ったのです」
「私はこの村を出る。母上を大切にしろ。もしなにかあれば、たとえどこにいても必ず駆けて戻ってくる」
「まあ……」
「村人たちは彼の言ったとおり、決して母親を蔑ろにはしませんでした。
そして、彼がロキアを治めた時、村の者たちは彼を神の子と讃えたのでした」
「初代国王を讃える話ってことね……ヴィータは甘えっ子だから、とても山を越えて戻ってくるとは思えないけど」
「そう思っているのはアメリア様だけですわ。
たった五歳でノルディアの広大な領地を馬で駆けることができるのは、ヴィータ様だけです」
「それは……ヴァルクが赤子の頃から連れ回してるからで……」
そう呟き、外門の方へ視線を向けた。
出産後は領地にいる時間を増やすため、外地での仕事は部下たちに任せることが増えた彼も、国王からの呼び出しには応じるしかなかった。
はじめて長く離れた父親の帰還に、ヴィータが駆け出したくなるのも理解できる。
同じように、ただ彼に会える喜びに走り出せれば、どれだけ良かっただろう。
アメリアは庭で静かに手を握り、微かに残る不安を抱えた。
息子が五歳になり、アメリアは二十八歳になった。それは、前世の王女がその短い人生を閉じた年。
平和な日々が、そっと終わろうとしていることを、彼女は感じていた。
その場所を駆け抜ける小さな少年を捕まえようと手を伸ばしたものの、まるで猫のようにすり抜け、一瞬で視界から消える。
「ヴィータ!!!
いい加減にしなさい! もうお父様が帰ってくる頃よ!」
大きな声を張り上げてみても、葉が擦れ合う音が風に乗って聞こえるだけで、目的の主からの応答はない。
「アメリア様? 大丈夫ですか」
後ろから声をかけたのは、大きなお腹を抱えたシーリーンだった。
「やだ、来なくていいわよ!
あなたは休んでいて。もうそんな大きなお腹で、どうしてまだ働くのよ」
慌てて座るように庭園の椅子へと導いた。
侍女のシーリーンは、一年ほど前に庭師のワトソンと結婚し、妊娠……すでに臨月に入っていた。
「ヴィータ様はまたかくれんぼですか?
アメリア様お一人では大変でしょう。そろそろ教育係をつけてはいかがですか」
「それは……わかっているのだけど、なかなかね」
王族出身のアメリアが自ら子育てすることを周りが不思議に思うのは理解していた。
それでもあの子を育てるのは自分しかいないと思うと、乳母も教育係もつけることができず、シーリーンの手を借りながらも五年の月日が経っていた。
「は・は・う・え~~!」
突然テーブルの下から現れた男の子に、アメリアとシーリーンは驚きの声をあげた。
「ヴィータ! いつのまにそんなところに?」
「びっくりした? びっくりした?」
「あははッ、さすがはヴィータ様です」
「まったく…座りなさい!!」
銀色の髪に灰色の瞳、日焼けした肌に、五歳とは思えない身体能力を持つ子ども。
それがアメリアとヴァルクの息子、ヴィタリス・ストーンだった。
城に住む誰もが彼を親しみを込めて『ヴィータ』と呼んでいた。
「父上はいつ帰る?」
「今日中に着くと連絡がありました。その前に、きちんと今日すべきことを終わらしましょう」
「すべきこと? なに?」
「まずは勉強、そして乗馬ですね」
「えっ! 今日乗っていい日なの?!」
「勉強が終わってからね」
「ふぁーい」
しぶしぶとテーブルの下から出てくると、シーリーンの隣に座り、顔を突っ伏した。
その様子がまたしても彼の愛嬌を感じさせ、アメリアは微笑む。
紙と鉛筆を用意すると、ヴィータはひったくるように奪い取り、すでに習った文字をつらつらと書きはじめた。
どれほど嫌がったり、遊び回っていても、最後には必ずやるべきことをするのは彼の性格なのだろう。
捕まえるための時間さえなくなればもっと楽になるのに……そう思っていても、日課のように逃げ回る彼を探しては捕まえる日々を送っていた。
「まあ、すごい。ずいぶん文字を綺麗に書けるようになりましたね」
「でしょ。シーリーンはわかってるね」
ニヤリと笑う息子に、アメリアは呆れたように溜息をついた。
彼の調子の良い性格は一体誰に似たのだろう。
一刻ほど経った頃、外門から領主の帰還を知らせる笛の音が鳴り響いた。
目の色が輝き、顔を上げた息子を止める術がないことはもう知っていた。
アメリアとシーリーンが目を見合した瞬間、もう目の前に座っていたはずの少年は消えていた。
「まったく……本当に」
「まるで神の子みたいですわね」
「神の子?」
シーリーンの言葉に首を傾げると、すっかり穏やかになった彼女が優しく微笑んだ。
「ご存じありませんか? ロキア王国の初代国王の昔噺ですわ。
とても貧しい村に、ひときわ勇敢な娘がいました。ところが彼女はある日、父親がわからない子を妊娠します。
生まれた子は不義の子として忌み嫌われ、三つのときに村人にひとやま越えた先で捨てられました。
母親は一晩中、村の入り口で泣き崩れたものの、朝日とともに小さな子が戻ってきて、母親にこう言ったそうです」
ごくりと喉が鳴るのが聞こえそうだ。昔噺を語るシーリーンとは反対に、アメリアの心は穏やかではなかった。
「なんて……言ったの?」
「おなかすいた~……と」
「お、おなか?」
「はい。
そして、村人は毎年のように彼を捨てに行きました。
山をひとつから二つ先へ、三つ先へと増やしても彼は戻ってきました。いよいよ恐ろしくなった村人は、捨てに行くのをやめました。
すると十五の年に、こう言ったのです」
「私はこの村を出る。母上を大切にしろ。もしなにかあれば、たとえどこにいても必ず駆けて戻ってくる」
「まあ……」
「村人たちは彼の言ったとおり、決して母親を蔑ろにはしませんでした。
そして、彼がロキアを治めた時、村の者たちは彼を神の子と讃えたのでした」
「初代国王を讃える話ってことね……ヴィータは甘えっ子だから、とても山を越えて戻ってくるとは思えないけど」
「そう思っているのはアメリア様だけですわ。
たった五歳でノルディアの広大な領地を馬で駆けることができるのは、ヴィータ様だけです」
「それは……ヴァルクが赤子の頃から連れ回してるからで……」
そう呟き、外門の方へ視線を向けた。
出産後は領地にいる時間を増やすため、外地での仕事は部下たちに任せることが増えた彼も、国王からの呼び出しには応じるしかなかった。
はじめて長く離れた父親の帰還に、ヴィータが駆け出したくなるのも理解できる。
同じように、ただ彼に会える喜びに走り出せれば、どれだけ良かっただろう。
アメリアは庭で静かに手を握り、微かに残る不安を抱えた。
息子が五歳になり、アメリアは二十八歳になった。それは、前世の王女がその短い人生を閉じた年。
平和な日々が、そっと終わろうとしていることを、彼女は感じていた。
1
あなたにおすすめの小説
積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。
異世界リナトリオン〜平凡な田舎娘だと思った私、実は転生者でした?!〜
青山喜太
ファンタジー
ある日、母が死んだ
孤独に暮らす少女、エイダは今日も1人分の食器を片付ける、1人で食べる朝食も慣れたものだ。
そしてそれは母が死んでからいつもと変わらない日常だった、ドアがノックされるその時までは。
これは1人の少女が世界を巻き込む巨大な秘密に立ち向かうお話。
小説家になろう様からの転載です!
追放令嬢、辺境王国で無双して王宮を揺るがす
遊鷹太
ファンタジー
王国随一の名門ハーランド公爵家の令嬢エリシアは、第一王子の婚約者でありながら、王宮の陰謀により突然追放される。濡れ衣を着せられ、全てを奪われた彼女は極寒の辺境国家ノルディアへと流される。しかしエリシアには秘密があった――前世の記憶と現代日本の経営知識を持つ転生者だったのだ。荒廃した辺境で、彼女は持ち前の戦略眼と人心掌握術で奇跡の復興を成し遂げる。やがて彼女の手腕は王国全土を震撼させ、自らを追放した者たちに復讐の刃を向ける。だが辺境王ルシアンとの運命的な出会いが、彼女の心に新たな感情を芽生えさせていく。これは、理不尽に奪われた女性が、知略と情熱で世界を変える物語――。
【完結】男爵令嬢は冒険者生活を満喫する
影清
ファンタジー
英雄の両親を持つ男爵令嬢のサラは、十歳の頃から冒険者として活動している。優秀な両親、優秀な兄に恥じない娘であろうと努力するサラの前に、たくさんのメイドや護衛に囲まれた侯爵令嬢が現れた。「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」。一人でも生きていけるようにだとか、追放なんてごめんだわなど、意味の分からぬことを言う令嬢と関わりたくないサラだが、同じ学園に入学することになって――。
※残酷な描写は予告なく出てきます。
※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムに掲載中です。
※106話完結。
規格外で転生した私の誤魔化しライフ 〜旅行マニアの異世界無双旅〜
ケイソウ
ファンタジー
チビで陰キャラでモブ子の桜井紅子は、楽しみにしていたバス旅行へ向かう途中、突然の事故で命を絶たれた。
死後の世界で女神に異世界へ転生されたが、女神の趣向で変装する羽目になり、渡されたアイテムと備わったスキルをもとに、異世界を満喫しようと冒険者の資格を取る。生活にも慣れて各地を巡る旅を計画するも、国の要請で冒険者が遠征に駆り出される事態に……。
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
転生令息は攻略拒否!?~前世の記憶持ってます!~
深郷由希菜
ファンタジー
前世の記憶持ちの令息、ジョーン・マレットスは悩んでいた。
ここの世界は、前世で妹がやっていたR15のゲームで、自分が攻略対象の貴族であることを知っている。
それはまだいいが、攻略されることに抵抗のある『ある理由』があって・・・?!
(追記.2018.06.24)
物語を書く上で、特に知識不足なところはネットで調べて書いております。
もし違っていた場合は修正しますので、遠慮なくお伝えください。
(追記2018.07.02)
お気に入り400超え、驚きで声が出なくなっています。
どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。
(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。
ちなみに不審者は通り越しました。
(追記2018.07.26)
完結しました。要らないとタイトルに書いておきながらかなり使っていたので、サブタイトルを要りませんから持ってます、に変更しました。
お気に入りしてくださった方、見てくださった方、ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる