106 / 117
第三章
25話 自由と継承
しおりを挟む
王都に着くと、真っ先に出迎えてくれたのは、予想どおり侍女頭のローラだった。
三年前にヴィータを連れて帰省して以来だったから、すっかり赤子から子どもへと成長を遂げたヴィータの姿に、歓喜余って泣いてしまった。
「ヴィタリス様……まあ、なんて立派になって」
ローラの勢いに圧倒されながらも、ヴィータは丁寧に挨拶をした。それは何度も教えたとおり、十分に礼儀正しいものだった。
「え……と、ローラも僕のことはヴィータって呼んでいいよ。みんなそう呼ぶから」
「まあ……お優しいですわね。
ですが、それなら私はヴィタリス様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「いいよ」
「ありがとうございます」
ローラが微笑むと、ヴィータもそれに倣うように笑顔を作った。
ヴィタリスと呼ぶローラの姿に、アメリアは、彼が王位を継ぐことを知っているかのような錯覚を覚える。
不安がじわじわと広がる中、一行は国王陛下の執務室へと案内された。
そこには、ヘブラム国王が待っていた。
国王は久々の娘の帰還と孫との対面を喜び、至って平穏な時間が流れていた。
そこへカリオン第一王子が現れ、ヴィータをローラが連れて出ていくまでは。
「アメリア……ヴァルクから、もう話は聞いたと思うが、カリオンが王位継承から降りることになった」
「できることなら、お前に……跡目を継いでもらいたいと思っている」
国王の瞳は揺れていた。
そこにある不安が、読み取れるようだった。
「すまない、アメリア。
僕が……不甲斐ない兄なばかりに、突然こんな大事な役目を押し付けることになってしまった」
「……お兄様は、どうして……?」
一瞬の迷いではないのだろうか。
彼が王位を継ぐための努力をしてきたことは、王宮で過ごした間、十分に見てきた。
「あの絵を見てくれ、アメリア」
国王は部屋に飾られた絵画を指さした。
それは、暖かな光を帯びた聖母の絵だった。
「あれは……お前たちの母の絵だ。
カリオンが私にくれた。朧げな記憶の中で、唯一彼に残った母の姿らしい」
「あの絵を見たとき、思ったのだよ。
カリオンの生きたい人生を歩ませてやるべきだと」
国王陛下が、自らの息子に王位を継がせないという答えを導き出すのに、どれほどの苦悩を強いられたのだろう。
それでも、その表情に滲んでいるのは、苦悩よりもどこか晴れやかな感情だった。
「そして、アメリア……お前のこれまでのノルディアでの功績を見てきたからだ。
ノルディアでは、冬でも街中であれば十分に暖をとれる環境になったそうだな。
その技術を考えたのも公爵夫人だと、社交界ではもっぱら噂の的だ。
真冬にノルディアを訪れたいという者も多い」
「アメリアは、今やノルディアの観光大使です」
ヴァルクが笑ってそう答えると、国王は満足そうに頷いた。
「ノルディアのために見せてきた、その手腕を――
今度は国のために尽くしてくれないか」
アメリアは、言葉に詰まった。
喉の奥に何かが引っかかったようで、すぐには声が出ない。
「……どうしてダリオンではないのですか?」
そう告げるまでに、わずかな時間が必要だった。
ダリオンも今やモリス公爵領の領主代理として、その役目をしっかり果たしている。
時折届くマリアからの手紙には、次男らしく自由に生きてきた彼とは別人のように成長しているダリオンの様子が記されている。
「彼の……子どもたちが、皆女の子だからですか?」
ダリオンとマリアの間には、最初に産まれたミナと、数年後に産まれた双子のサラとラーナがいる。
三人とも可愛い女の子だ。
「それは関係ない。
事実、ロキア王室では過去にも女王が治めていた時代があった。
私にとって大事なのは、誰が治めればこの国が安寧な時代を手に入れられるかということだ」
アメリアは思い出した。
戦禍から逃れていた時代と、平和な時代が訪れた前世を。
悲しくも、前を向いていた日々。
それは、とても美しかった。
この世界で王室は滅びることはない。
では、どうすれば人々は自由に、国は発展していけるのか。
「時間をください……。
私も、この国の未来のために何をすべきか、考えますわ」
「お前なら、必ずこの国をさらに良くできるはずだ……
良き返事を待っているぞ」
アメリアはひとり、執務室を出た。
重厚な扉が静かに閉じられ、張り詰めていた空気が嘘のように遠のいた。
広い廊下には、自分が歩く足音だけが静かに鳴り響く。
磨き上げられた床に反射する光がやけに白く、先ほどまで交わされていた言葉の重さだけが、胸の奥に沈んでいる。
アメリアは、無意識のうちに息を吐いていた。
深く吸い込むことが、まだできない。
――時間をください。
そう口にした瞬間から、逃げ場はなくなったのだと、今さらながら理解する。
アメリア王女の未来を生きることになったとき、ロキア王国の未来までは考えていなかった。
王室が続くことで、その役目はとうに終わったと思っていた。
ただ、ヴァルクと、そして生まれてくる子と、静かに幸せに生きていこうと――
それだけを願っていた。
廊下の先から、微かに子どもの笑い声が聞こえた。
きっとヴィータだろう。
その声に、胸の奥がわずかに緩む。
あの子には……もう、アメリア王女だったときのような、定められた未来の中でもがき苦しむ思いはさせたくない。
戦も、犠牲も、選ばされる運命も、できる限り遠ざけてやりたい。
立ち止まり、アメリアは一度だけ振り返った。
閉ざされた執務室の扉は、何も語らない。
それでも――
この国の静けさを守るために、選ばねばならない道がある。
三年前にヴィータを連れて帰省して以来だったから、すっかり赤子から子どもへと成長を遂げたヴィータの姿に、歓喜余って泣いてしまった。
「ヴィタリス様……まあ、なんて立派になって」
ローラの勢いに圧倒されながらも、ヴィータは丁寧に挨拶をした。それは何度も教えたとおり、十分に礼儀正しいものだった。
「え……と、ローラも僕のことはヴィータって呼んでいいよ。みんなそう呼ぶから」
「まあ……お優しいですわね。
ですが、それなら私はヴィタリス様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「いいよ」
「ありがとうございます」
ローラが微笑むと、ヴィータもそれに倣うように笑顔を作った。
ヴィタリスと呼ぶローラの姿に、アメリアは、彼が王位を継ぐことを知っているかのような錯覚を覚える。
不安がじわじわと広がる中、一行は国王陛下の執務室へと案内された。
そこには、ヘブラム国王が待っていた。
国王は久々の娘の帰還と孫との対面を喜び、至って平穏な時間が流れていた。
そこへカリオン第一王子が現れ、ヴィータをローラが連れて出ていくまでは。
「アメリア……ヴァルクから、もう話は聞いたと思うが、カリオンが王位継承から降りることになった」
「できることなら、お前に……跡目を継いでもらいたいと思っている」
国王の瞳は揺れていた。
そこにある不安が、読み取れるようだった。
「すまない、アメリア。
僕が……不甲斐ない兄なばかりに、突然こんな大事な役目を押し付けることになってしまった」
「……お兄様は、どうして……?」
一瞬の迷いではないのだろうか。
彼が王位を継ぐための努力をしてきたことは、王宮で過ごした間、十分に見てきた。
「あの絵を見てくれ、アメリア」
国王は部屋に飾られた絵画を指さした。
それは、暖かな光を帯びた聖母の絵だった。
「あれは……お前たちの母の絵だ。
カリオンが私にくれた。朧げな記憶の中で、唯一彼に残った母の姿らしい」
「あの絵を見たとき、思ったのだよ。
カリオンの生きたい人生を歩ませてやるべきだと」
国王陛下が、自らの息子に王位を継がせないという答えを導き出すのに、どれほどの苦悩を強いられたのだろう。
それでも、その表情に滲んでいるのは、苦悩よりもどこか晴れやかな感情だった。
「そして、アメリア……お前のこれまでのノルディアでの功績を見てきたからだ。
ノルディアでは、冬でも街中であれば十分に暖をとれる環境になったそうだな。
その技術を考えたのも公爵夫人だと、社交界ではもっぱら噂の的だ。
真冬にノルディアを訪れたいという者も多い」
「アメリアは、今やノルディアの観光大使です」
ヴァルクが笑ってそう答えると、国王は満足そうに頷いた。
「ノルディアのために見せてきた、その手腕を――
今度は国のために尽くしてくれないか」
アメリアは、言葉に詰まった。
喉の奥に何かが引っかかったようで、すぐには声が出ない。
「……どうしてダリオンではないのですか?」
そう告げるまでに、わずかな時間が必要だった。
ダリオンも今やモリス公爵領の領主代理として、その役目をしっかり果たしている。
時折届くマリアからの手紙には、次男らしく自由に生きてきた彼とは別人のように成長しているダリオンの様子が記されている。
「彼の……子どもたちが、皆女の子だからですか?」
ダリオンとマリアの間には、最初に産まれたミナと、数年後に産まれた双子のサラとラーナがいる。
三人とも可愛い女の子だ。
「それは関係ない。
事実、ロキア王室では過去にも女王が治めていた時代があった。
私にとって大事なのは、誰が治めればこの国が安寧な時代を手に入れられるかということだ」
アメリアは思い出した。
戦禍から逃れていた時代と、平和な時代が訪れた前世を。
悲しくも、前を向いていた日々。
それは、とても美しかった。
この世界で王室は滅びることはない。
では、どうすれば人々は自由に、国は発展していけるのか。
「時間をください……。
私も、この国の未来のために何をすべきか、考えますわ」
「お前なら、必ずこの国をさらに良くできるはずだ……
良き返事を待っているぞ」
アメリアはひとり、執務室を出た。
重厚な扉が静かに閉じられ、張り詰めていた空気が嘘のように遠のいた。
広い廊下には、自分が歩く足音だけが静かに鳴り響く。
磨き上げられた床に反射する光がやけに白く、先ほどまで交わされていた言葉の重さだけが、胸の奥に沈んでいる。
アメリアは、無意識のうちに息を吐いていた。
深く吸い込むことが、まだできない。
――時間をください。
そう口にした瞬間から、逃げ場はなくなったのだと、今さらながら理解する。
アメリア王女の未来を生きることになったとき、ロキア王国の未来までは考えていなかった。
王室が続くことで、その役目はとうに終わったと思っていた。
ただ、ヴァルクと、そして生まれてくる子と、静かに幸せに生きていこうと――
それだけを願っていた。
廊下の先から、微かに子どもの笑い声が聞こえた。
きっとヴィータだろう。
その声に、胸の奥がわずかに緩む。
あの子には……もう、アメリア王女だったときのような、定められた未来の中でもがき苦しむ思いはさせたくない。
戦も、犠牲も、選ばされる運命も、できる限り遠ざけてやりたい。
立ち止まり、アメリアは一度だけ振り返った。
閉ざされた執務室の扉は、何も語らない。
それでも――
この国の静けさを守るために、選ばねばならない道がある。
1
あなたにおすすめの小説
積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。
異世界リナトリオン〜平凡な田舎娘だと思った私、実は転生者でした?!〜
青山喜太
ファンタジー
ある日、母が死んだ
孤独に暮らす少女、エイダは今日も1人分の食器を片付ける、1人で食べる朝食も慣れたものだ。
そしてそれは母が死んでからいつもと変わらない日常だった、ドアがノックされるその時までは。
これは1人の少女が世界を巻き込む巨大な秘密に立ち向かうお話。
小説家になろう様からの転載です!
追放令嬢、辺境王国で無双して王宮を揺るがす
遊鷹太
ファンタジー
王国随一の名門ハーランド公爵家の令嬢エリシアは、第一王子の婚約者でありながら、王宮の陰謀により突然追放される。濡れ衣を着せられ、全てを奪われた彼女は極寒の辺境国家ノルディアへと流される。しかしエリシアには秘密があった――前世の記憶と現代日本の経営知識を持つ転生者だったのだ。荒廃した辺境で、彼女は持ち前の戦略眼と人心掌握術で奇跡の復興を成し遂げる。やがて彼女の手腕は王国全土を震撼させ、自らを追放した者たちに復讐の刃を向ける。だが辺境王ルシアンとの運命的な出会いが、彼女の心に新たな感情を芽生えさせていく。これは、理不尽に奪われた女性が、知略と情熱で世界を変える物語――。
【完結】男爵令嬢は冒険者生活を満喫する
影清
ファンタジー
英雄の両親を持つ男爵令嬢のサラは、十歳の頃から冒険者として活動している。優秀な両親、優秀な兄に恥じない娘であろうと努力するサラの前に、たくさんのメイドや護衛に囲まれた侯爵令嬢が現れた。「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」。一人でも生きていけるようにだとか、追放なんてごめんだわなど、意味の分からぬことを言う令嬢と関わりたくないサラだが、同じ学園に入学することになって――。
※残酷な描写は予告なく出てきます。
※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムに掲載中です。
※106話完結。
規格外で転生した私の誤魔化しライフ 〜旅行マニアの異世界無双旅〜
ケイソウ
ファンタジー
チビで陰キャラでモブ子の桜井紅子は、楽しみにしていたバス旅行へ向かう途中、突然の事故で命を絶たれた。
死後の世界で女神に異世界へ転生されたが、女神の趣向で変装する羽目になり、渡されたアイテムと備わったスキルをもとに、異世界を満喫しようと冒険者の資格を取る。生活にも慣れて各地を巡る旅を計画するも、国の要請で冒険者が遠征に駆り出される事態に……。
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
転生令息は攻略拒否!?~前世の記憶持ってます!~
深郷由希菜
ファンタジー
前世の記憶持ちの令息、ジョーン・マレットスは悩んでいた。
ここの世界は、前世で妹がやっていたR15のゲームで、自分が攻略対象の貴族であることを知っている。
それはまだいいが、攻略されることに抵抗のある『ある理由』があって・・・?!
(追記.2018.06.24)
物語を書く上で、特に知識不足なところはネットで調べて書いております。
もし違っていた場合は修正しますので、遠慮なくお伝えください。
(追記2018.07.02)
お気に入り400超え、驚きで声が出なくなっています。
どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。
(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。
ちなみに不審者は通り越しました。
(追記2018.07.26)
完結しました。要らないとタイトルに書いておきながらかなり使っていたので、サブタイトルを要りませんから持ってます、に変更しました。
お気に入りしてくださった方、見てくださった方、ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる