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第三章
35話 最後の王
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ヘブラムにとって、この国は我が子も同然だった。
彼が国王となったのは、父王が戦争の最前線で命を落としたからだ。
即位当時、隣には王妃と、まだ幼い王子が一人いた。
“戦王”と呼ばれるほど戦に明け暮れた父とは異なり、ヘブラムは他国との調和を重んじる王だった。
しかし、父王の代に激しく刃を交えた隣国ユーラシアでは、いまだ武将の権威が強く、両国は名ばかりの停戦を挟みながらも、実質的には戦争状態にあった。
王妃は第二王子を、そして第三子として王女を産んだのち、彼女はこの世を去った。
深い喪失と空虚が胸を満たしたが、それに打ちひしがれている時間はなかった。
国は常に、侵略の脅威に晒されていたからだ。
王子たちの教育は王宮の教育係に一任し、王女の養育は、王妃の友人でもあった一人の女性に託した。
彼女は侍女として王宮に入り、王女の世話に心血を注いだ。
国王は子どもたちを深く愛していた。
だが、彼らに向けられる時間は、あまりにも少なかった。
「愛情が……足りなかったのだろうか……」
国王陛下は、ローラが淹れた温かい茶から立ちのぼる湯気を見つめながら、ぽつりと呟いた。
何を、どこで、間違えたのだろう。
自分は疑うことなく父の後を継いだ。
国を支え、戦争を終結させ、他国と和平を結び、民を守り、豊かにする。
それが当然の使命として、魂に刻まれていた。
子どもたちも同じだと信じていた。
同じように教育を受け、同じように国のために生きるのだと。
だが――
次男は若くして突然結婚し、妻のために王位を捨てた。
長男は芸術に心を奪われ、ついにはその道を生きたいと懇願した。
そして、娘は……。
「陛下がお子様方を誰よりも愛してこられたことは、皆様がよく理解しておられますわ」
ローラは穏やかな微笑みを浮かべ、静かに言った。
「だからこそ、彼らは、どのような形であれ、陛下をお支えすることをやめるつもりはございません」
「……だが……誰一人、この国のために生きる道は選ばなかった」
「それは――陛下の愛情を一心に受けて育ったからではございませんか」
ローラは少しだけ視線を伏せ、言葉を続ける。
「ダリオン様は、妻を亡くした後もなお想い続ける陛下のお姿を見て育ち、誰よりもマリア様を大切にしておられます。
カリオン様は、陛下を敬い、国を想うがゆえに、これまで王太子として懸命に務めてこられました。
そして――アメリア様は、この国の未来を……ずっと先の時代を見据えておられます」
「私はずっと見てまいりました。
陛下が仕事を終えられるたび、子どもたちの寝室を一つずつ回り、眠る姿を確かめてから、再び自らを奮い立たせてこられたことを」
「その愛情があったからこそ、皆様は自分の意志を曲げず……そして、それぞれにとっての最善を生きておられるのですわ」
「……ふっ。そなたは、まるで母のようだな……」
「私は母にはなれません」
ローラは、静かに、しかしはっきりと答えた。
「あの子たちの母は、亡くなられた王妃様です。
今もなお陛下の心を掴んで離さないように、あの子たちの母としても、決して消えることはありません」
自らの立場をわきまえたその言葉に、国王は小さく息を吐いた。
ゆらりと揺れる茶の水面に、溜息が落ちる。
そのとき――
「じじさまぁぁぁ!」
扉が勢いよく開き、小さな影が部屋へ飛び込んできた。
ふわりと揺れる銀色の髪――ヴィータだった。
「そんなに走って……どうした」
国王がそう言って身を起こすより早く、ヴィータは彼の足元に駆け寄り、ぎゅっとその衣を掴んだ。
「ねえ!じじさま!見てこれ!
街で会った人が作ってくれたんだよ」
それはヴィータが貰った革の腕輪だった。金色で刺繍が入れられた王家の紋章と銀色の刺繍の騎士団の紋章が重なり合う。
「これは……素晴らしい」
「でしょ!僕のお気に入りだよ」
「ヴィタリス様、陛下は今取り込み中ですから、ローラと遊びましょう?」
「いや、良い。ヴィタリス、そなたはこの国が好きか」
「うん、大好き!ノルディアも大好き!」
「そうか……では、わしの次にこの国を統べてくれるか。この国のために、国王になるか?」
ゆっくりとヴィータを抱き上げると膝の上に乗せ柔らかく語る。
「うーん、ごめんね、じじさま。それは無理だ」
決して言い淀むこともなく、はっきりそう言ったヴィータに国王もローラも唖然とした。
「僕ね、決めてるの!大人になったら鳥みたいに世界を見て回るって!!
父上がね、この世界にはいろんな国があるんだって教えてくれたの!」
「父上は子どもの時に一人で世界を見て回ったって。それでこの国が一番好きになって、ここで生きるって決めたんだよ」
「僕もね、世界中を見て回るんだ。だからごめんね、王様にはなれないの」
国王は下がった眉のまま、大きく笑った。
「そうか…そうか……お前は世界を見に行くか」
「ふふ……そういえば昔のアメリア様もそんなこと言ってらっしゃいましたね」
「そうだったか?」
「ええ、お父様はいつもお忙しいから、私が世界を見て回ってお父様のお手伝いをできる人を探してあげるって」
「なるほど……」
「ヴィタリス様はさすがはアメリア様のお子ですね」
「……そうだな……のう、ローラ」
「はい」
「無事にこの国の最後の王の勤めを果たしたら、わしと結婚せぬか?」
突然の宣言にローラはピタリと止まる。
「え……」
「王室を終わらすのだ。妻に禊を立て続けずとも彼女も許してくれるだろう」
「え!じじ様ローラが好きなの?」
間にいるヴィータが遠慮なく聞き、ローラは自分が年甲斐もなく赤くなるのを感じた。
「ああ、彼女のような人がそばにいてくれたことに感謝してる」
「ローラは?ローラはじじ様好き?!」
「え、え……それは」
「ヴィタリスよ……こういうものは無理矢理言わすものではない」
「そうなの?」
「まだ時間はあるからな。ゆっくり攻めるのが攻略の鉄則だ」
「な、なにをおっしゃってるのですか」
ローラは呆れたように声を荒げた。
その日、国王の執務室からはヴィータとふたりの笑い声が絶えなかった。
彼が国王となったのは、父王が戦争の最前線で命を落としたからだ。
即位当時、隣には王妃と、まだ幼い王子が一人いた。
“戦王”と呼ばれるほど戦に明け暮れた父とは異なり、ヘブラムは他国との調和を重んじる王だった。
しかし、父王の代に激しく刃を交えた隣国ユーラシアでは、いまだ武将の権威が強く、両国は名ばかりの停戦を挟みながらも、実質的には戦争状態にあった。
王妃は第二王子を、そして第三子として王女を産んだのち、彼女はこの世を去った。
深い喪失と空虚が胸を満たしたが、それに打ちひしがれている時間はなかった。
国は常に、侵略の脅威に晒されていたからだ。
王子たちの教育は王宮の教育係に一任し、王女の養育は、王妃の友人でもあった一人の女性に託した。
彼女は侍女として王宮に入り、王女の世話に心血を注いだ。
国王は子どもたちを深く愛していた。
だが、彼らに向けられる時間は、あまりにも少なかった。
「愛情が……足りなかったのだろうか……」
国王陛下は、ローラが淹れた温かい茶から立ちのぼる湯気を見つめながら、ぽつりと呟いた。
何を、どこで、間違えたのだろう。
自分は疑うことなく父の後を継いだ。
国を支え、戦争を終結させ、他国と和平を結び、民を守り、豊かにする。
それが当然の使命として、魂に刻まれていた。
子どもたちも同じだと信じていた。
同じように教育を受け、同じように国のために生きるのだと。
だが――
次男は若くして突然結婚し、妻のために王位を捨てた。
長男は芸術に心を奪われ、ついにはその道を生きたいと懇願した。
そして、娘は……。
「陛下がお子様方を誰よりも愛してこられたことは、皆様がよく理解しておられますわ」
ローラは穏やかな微笑みを浮かべ、静かに言った。
「だからこそ、彼らは、どのような形であれ、陛下をお支えすることをやめるつもりはございません」
「……だが……誰一人、この国のために生きる道は選ばなかった」
「それは――陛下の愛情を一心に受けて育ったからではございませんか」
ローラは少しだけ視線を伏せ、言葉を続ける。
「ダリオン様は、妻を亡くした後もなお想い続ける陛下のお姿を見て育ち、誰よりもマリア様を大切にしておられます。
カリオン様は、陛下を敬い、国を想うがゆえに、これまで王太子として懸命に務めてこられました。
そして――アメリア様は、この国の未来を……ずっと先の時代を見据えておられます」
「私はずっと見てまいりました。
陛下が仕事を終えられるたび、子どもたちの寝室を一つずつ回り、眠る姿を確かめてから、再び自らを奮い立たせてこられたことを」
「その愛情があったからこそ、皆様は自分の意志を曲げず……そして、それぞれにとっての最善を生きておられるのですわ」
「……ふっ。そなたは、まるで母のようだな……」
「私は母にはなれません」
ローラは、静かに、しかしはっきりと答えた。
「あの子たちの母は、亡くなられた王妃様です。
今もなお陛下の心を掴んで離さないように、あの子たちの母としても、決して消えることはありません」
自らの立場をわきまえたその言葉に、国王は小さく息を吐いた。
ゆらりと揺れる茶の水面に、溜息が落ちる。
そのとき――
「じじさまぁぁぁ!」
扉が勢いよく開き、小さな影が部屋へ飛び込んできた。
ふわりと揺れる銀色の髪――ヴィータだった。
「そんなに走って……どうした」
国王がそう言って身を起こすより早く、ヴィータは彼の足元に駆け寄り、ぎゅっとその衣を掴んだ。
「ねえ!じじさま!見てこれ!
街で会った人が作ってくれたんだよ」
それはヴィータが貰った革の腕輪だった。金色で刺繍が入れられた王家の紋章と銀色の刺繍の騎士団の紋章が重なり合う。
「これは……素晴らしい」
「でしょ!僕のお気に入りだよ」
「ヴィタリス様、陛下は今取り込み中ですから、ローラと遊びましょう?」
「いや、良い。ヴィタリス、そなたはこの国が好きか」
「うん、大好き!ノルディアも大好き!」
「そうか……では、わしの次にこの国を統べてくれるか。この国のために、国王になるか?」
ゆっくりとヴィータを抱き上げると膝の上に乗せ柔らかく語る。
「うーん、ごめんね、じじさま。それは無理だ」
決して言い淀むこともなく、はっきりそう言ったヴィータに国王もローラも唖然とした。
「僕ね、決めてるの!大人になったら鳥みたいに世界を見て回るって!!
父上がね、この世界にはいろんな国があるんだって教えてくれたの!」
「父上は子どもの時に一人で世界を見て回ったって。それでこの国が一番好きになって、ここで生きるって決めたんだよ」
「僕もね、世界中を見て回るんだ。だからごめんね、王様にはなれないの」
国王は下がった眉のまま、大きく笑った。
「そうか…そうか……お前は世界を見に行くか」
「ふふ……そういえば昔のアメリア様もそんなこと言ってらっしゃいましたね」
「そうだったか?」
「ええ、お父様はいつもお忙しいから、私が世界を見て回ってお父様のお手伝いをできる人を探してあげるって」
「なるほど……」
「ヴィタリス様はさすがはアメリア様のお子ですね」
「……そうだな……のう、ローラ」
「はい」
「無事にこの国の最後の王の勤めを果たしたら、わしと結婚せぬか?」
突然の宣言にローラはピタリと止まる。
「え……」
「王室を終わらすのだ。妻に禊を立て続けずとも彼女も許してくれるだろう」
「え!じじ様ローラが好きなの?」
間にいるヴィータが遠慮なく聞き、ローラは自分が年甲斐もなく赤くなるのを感じた。
「ああ、彼女のような人がそばにいてくれたことに感謝してる」
「ローラは?ローラはじじ様好き?!」
「え、え……それは」
「ヴィタリスよ……こういうものは無理矢理言わすものではない」
「そうなの?」
「まだ時間はあるからな。ゆっくり攻めるのが攻略の鉄則だ」
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