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第三章 大河サラン視察
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山中に入ってから二日目、日も傾き、そろそろ第二の寝小屋に着く。エニュー砦からイオストラ砦までは馬で三日かかるので、間に二箇所、寝小屋が用意されていた。
一度に二十人ほど泊まれるように、一段高い広い板敷きの部屋と、煮炊き兼暖房用の暖炉が備え付けられている。積んできた荷物を置いておく土間と馬小屋も、全部一つの空間に納められていた。
外には狼も熊もいる。何より山中だけあって、特に朝晩の冷え込みは平地の比ではない。風と雨露をしのげ、火にあたりながら休息を取れるのはありがたかった。
祖父の部下たちも、護衛・探索として山に入っているはずだ。彼らは野宿だ。ソランは空を見上げた。良く晴れていた。これでは朝方はかなり冷えこむだろう。少し曇っていた方が、どういうわけか暖かいものだ。彼らを思いやって、小さく溜息をついた。
その時、急速に殺気が膨れ上がった。前方に人影が躍り出てくる。この辺では見かけない短い弓を構え、矢をつがえたと思ったら、考えられないような速射をしてきた。先頭の騎士ベイルが剣を抜いて、辛うじてその矢を払い落とした。
ソランは急いで殿下の左側、林方向に馬を進めた。馬首を返し、一歩遅れてディーも並ぶ。そこへ複数の矢が襲いかかってきた。二人で次々と叩き落す。
「こちらは五でしょうか?」
「そうなの?」
ふと空いた間に、ソランはディーに確認を取った。
「矢は五方向から来ています。気配はそれ以上読めません」
「俺、殺気しかわからないから! 殿下どうします? 五人ですって!」
「防げるな?」
「もちろん」
「百本も射れる射手はいないだろう。続けろ」
「御意」
「キーツ、前に出ろ、イアルはキーツの場所へ。ソランは下がれ」
「はい」
ソランはキーツが出てくるのに合わせて、ゆっくり殿下の傍まで下がった。
殿下やケインと共に守られる位置で待機し、それに甘んじる代わりに、目をつぶって気配を探る。
やはり五つしか気配はない。ないが、何かおかしい。
何かに引っ張られるように振り返る。頭上高く、崖の上に黒い影が立ち上がった。そう認めた瞬間、矢が放たれる。
「殿下!」
ソランの動きに、殿下も振り仰いでいた。宝剣も手の中にある。飛距離もある。殿下が手練れであれば、ゆうに間に合うはずだった。
だが、ソランは殿下の腕前を知らなかった。とっさに己の剣を、矢に向かって投げつける。
彼女の剣は幅が広い大剣だ。見事に矢を弾き、ケインの馬の鬣をかすめ、酷い音を立てて地面に転がった。
当てるつもりではあったが、まさか当たると思っていなかったソランは、幸運に胸を撫で下ろした。しかし、喜んでいる暇はない。第二射がすぐにくる。頭上の射手の正確さに、下の六人は囮だと確信した。
あの高さでは、ソランの強弓であっても、届かない。自分の得物は手放してしまった。自分が盾になるのも位置的に間に合わない。打つ手がなくて、ソランは叫んだ。
「殿下!」
「おまえは下がっていろ!」
矢が降り来たった。ソランは背筋が凍った。目の前で、殿下が危なげなく矢を払う。
殿下の一番近くにいるケインは、逃げはしないが、剣を構えるしかできないようだった。戦闘要員ではないのだ。ソランは堪らず、馬首を返し、殿下の前へと出ようとした。
空を切り裂く音が近づき、ケインの馬が棹立ちになって嘶いた。まずは邪魔者から排除するために狙われたのだ。ケインが振り落とされる。
馬は痛みに我を失い、暴れた。このままでは、殿下の馬に危害を加えかねない。ソランは前に出ようとしていた勢いで愛馬を体当たりさせ、ケインの馬を転倒させた。
衝撃に愛馬が多々良を踏む。馬上でソランはバランスを崩した。――そんな中でも、弓弦の音を耳が捉える。矢が唸る音も。
「ソラン!」
殿下の声に反射的にそちらを見た。意外と近い場所に剣の柄が突き出されていて、とっさに掴む。剣を振り子にして無理矢理上体を起こし、腕を振るった。馬首を狙った矢を叩き落とす。
そして次に備えて構えた。体勢を立て直して一対一なら、絶対に外すことはない。マリーともっと近距離で、さんざん練習したのだから。
それから三本を防いだ。勝負はそこまでだった。駆けつけた別働隊が、頭上の敵を捕縛する。それを確認してから、ソランはやっと、他の状況に意識を向けた。
何やらおかしなことになっていた。弓による攻撃は止み、剣を握った者たちが藪から姿を現している。イドリックが耳にしたことのない言葉で、彼らに話しかけていた。彼らは呆然とそれに耳を傾けていた。
もう、敵意は感じられない。それどころか、イドリックの許に走り寄ってきて、泣きはじめた。
こちらも収束したようだ。
ソランは無意識に剣を握りなおし、いつもと感覚が違うのに気付いた。自分の物ではなかった。殿下に渡された剣だ。
――というか、この黒くて渋い地味な拵えの握りは殿下の愛剣ではなかろうか。
一瞬にして血の気がひく。
「で、殿下! なんて危ないことをなさるんですか!」
あの状況で剣を手放すなんて、自殺行為だ。
「危ないのは、おまえだ!! この馬鹿者が!!」
ソランの批難を上回る豪快な雷が落ち、このばかものが、と何回かこだまが渓谷に響き渡った。
一度に二十人ほど泊まれるように、一段高い広い板敷きの部屋と、煮炊き兼暖房用の暖炉が備え付けられている。積んできた荷物を置いておく土間と馬小屋も、全部一つの空間に納められていた。
外には狼も熊もいる。何より山中だけあって、特に朝晩の冷え込みは平地の比ではない。風と雨露をしのげ、火にあたりながら休息を取れるのはありがたかった。
祖父の部下たちも、護衛・探索として山に入っているはずだ。彼らは野宿だ。ソランは空を見上げた。良く晴れていた。これでは朝方はかなり冷えこむだろう。少し曇っていた方が、どういうわけか暖かいものだ。彼らを思いやって、小さく溜息をついた。
その時、急速に殺気が膨れ上がった。前方に人影が躍り出てくる。この辺では見かけない短い弓を構え、矢をつがえたと思ったら、考えられないような速射をしてきた。先頭の騎士ベイルが剣を抜いて、辛うじてその矢を払い落とした。
ソランは急いで殿下の左側、林方向に馬を進めた。馬首を返し、一歩遅れてディーも並ぶ。そこへ複数の矢が襲いかかってきた。二人で次々と叩き落す。
「こちらは五でしょうか?」
「そうなの?」
ふと空いた間に、ソランはディーに確認を取った。
「矢は五方向から来ています。気配はそれ以上読めません」
「俺、殺気しかわからないから! 殿下どうします? 五人ですって!」
「防げるな?」
「もちろん」
「百本も射れる射手はいないだろう。続けろ」
「御意」
「キーツ、前に出ろ、イアルはキーツの場所へ。ソランは下がれ」
「はい」
ソランはキーツが出てくるのに合わせて、ゆっくり殿下の傍まで下がった。
殿下やケインと共に守られる位置で待機し、それに甘んじる代わりに、目をつぶって気配を探る。
やはり五つしか気配はない。ないが、何かおかしい。
何かに引っ張られるように振り返る。頭上高く、崖の上に黒い影が立ち上がった。そう認めた瞬間、矢が放たれる。
「殿下!」
ソランの動きに、殿下も振り仰いでいた。宝剣も手の中にある。飛距離もある。殿下が手練れであれば、ゆうに間に合うはずだった。
だが、ソランは殿下の腕前を知らなかった。とっさに己の剣を、矢に向かって投げつける。
彼女の剣は幅が広い大剣だ。見事に矢を弾き、ケインの馬の鬣をかすめ、酷い音を立てて地面に転がった。
当てるつもりではあったが、まさか当たると思っていなかったソランは、幸運に胸を撫で下ろした。しかし、喜んでいる暇はない。第二射がすぐにくる。頭上の射手の正確さに、下の六人は囮だと確信した。
あの高さでは、ソランの強弓であっても、届かない。自分の得物は手放してしまった。自分が盾になるのも位置的に間に合わない。打つ手がなくて、ソランは叫んだ。
「殿下!」
「おまえは下がっていろ!」
矢が降り来たった。ソランは背筋が凍った。目の前で、殿下が危なげなく矢を払う。
殿下の一番近くにいるケインは、逃げはしないが、剣を構えるしかできないようだった。戦闘要員ではないのだ。ソランは堪らず、馬首を返し、殿下の前へと出ようとした。
空を切り裂く音が近づき、ケインの馬が棹立ちになって嘶いた。まずは邪魔者から排除するために狙われたのだ。ケインが振り落とされる。
馬は痛みに我を失い、暴れた。このままでは、殿下の馬に危害を加えかねない。ソランは前に出ようとしていた勢いで愛馬を体当たりさせ、ケインの馬を転倒させた。
衝撃に愛馬が多々良を踏む。馬上でソランはバランスを崩した。――そんな中でも、弓弦の音を耳が捉える。矢が唸る音も。
「ソラン!」
殿下の声に反射的にそちらを見た。意外と近い場所に剣の柄が突き出されていて、とっさに掴む。剣を振り子にして無理矢理上体を起こし、腕を振るった。馬首を狙った矢を叩き落とす。
そして次に備えて構えた。体勢を立て直して一対一なら、絶対に外すことはない。マリーともっと近距離で、さんざん練習したのだから。
それから三本を防いだ。勝負はそこまでだった。駆けつけた別働隊が、頭上の敵を捕縛する。それを確認してから、ソランはやっと、他の状況に意識を向けた。
何やらおかしなことになっていた。弓による攻撃は止み、剣を握った者たちが藪から姿を現している。イドリックが耳にしたことのない言葉で、彼らに話しかけていた。彼らは呆然とそれに耳を傾けていた。
もう、敵意は感じられない。それどころか、イドリックの許に走り寄ってきて、泣きはじめた。
こちらも収束したようだ。
ソランは無意識に剣を握りなおし、いつもと感覚が違うのに気付いた。自分の物ではなかった。殿下に渡された剣だ。
――というか、この黒くて渋い地味な拵えの握りは殿下の愛剣ではなかろうか。
一瞬にして血の気がひく。
「で、殿下! なんて危ないことをなさるんですか!」
あの状況で剣を手放すなんて、自殺行為だ。
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