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第五章 平穏は、ほど遠く
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会議が終わり、別れの挨拶の途中だった。軍から出向いた三人が、ソランの母、リリア・コランティアの許に赴き、ぜひにお願いしたいことがある、と言いだした。
「先の大乱の折のコランティア殿の武勇に、深く感服しております。軍門を去られ、目通りが叶う日が来るとは思っておりませんでした。このたびのこと、天の配剤に感謝しているところです。これを逃すは天命に逆らうに等しきことと思い、無礼を承知でお願い申し上げます。どうかお手合わせ願えませんか」
母はゆったりと優雅な礼を返した。
「申し訳ございませんが、軍門を退いて久しき私など、陛下の剣であられるあなた方に敵うものではございません」
「ご謙遜を。貴殿は未だ陛下より帯剣を許されていらっしゃるではありませんか」
「かたじけなくも、陛下は我が手より愛しき者が分かたれて以来、帯剣をお許しくださいました。これは我と我が愛しき者を守るためだけのものにございます。軍門を去った時に、二度と己からは剣を抜かぬと誓いました」
男たちは、表情を抑えて語る母の言葉に、はっと息を呑んだ。彼女が愛しい男の子を身篭り、軍を退いたことは有名であった。また、その子が残党の手により命を落としたことも。
実は、その子は辺境で育ち、ここにこうして元気でいるのを知るのは、領民を除けばほんの一握りの者たちだけだ。また、母の旧姓を知る者も、それと同じ者だけだった。
「申し訳ございませんでした。心無きことを申しました。どうかお許しください」
「どうぞお気になさらず。誠に頼もしき方々がおられ、陛下の御世もますます安泰であると安心いたしました」
「過分なお言葉、恐れ入ります。ご期待に添うよう、誠心誠意尽くすことを誓います」
「御武運をお祈りいたします」
男たちは感激しきりのようであった。興奮気味に足を運ぶ。
殿下が、ふいに思い出した、という態で呟いた。呟いたというには、大きすぎる声であったが。
「同じクレインの剣の使い手ならここにいるな」
「えっ。あのクレインのでございますか?」
男たちが食いつくように反応した。ソランは嫌な予感に一歩下がった。あのご隠居がなんだというのだろう?
「そこのファレノと、恐らくランバートのもそうだろう」
「本当ですか、ファレノ殿、ランバート殿」
詰め寄られる。しかも相手が年下の新入りなせいか、遠慮なく肩を掴まれ揺さぶられた。
「剣を見せていただきたい」
嫌だった。帯剣をしている者に囲まれているのに剣を手放すなど、自殺行為である。誰が不死人なのかもわからない。ソランが敢えて不機嫌を示すと、これはつい失礼をした、と謝られた。
「剣の峰を見せてください。そこに銘が入っていると聞き及んでいます」
「しかし、王宮で抜くわけにはいきません」
イアルが冷静に指摘した。
「よい。わたくしが許しましょう」
王妃が口を出した。
「リリアのも見せてやってちょうだいな。見比べれば本物かどうか一目瞭然でしょう」
王妃の願いを断るわけにはいかない。母が近寄ってきて剣を抜いた。ソランはその仕草と鞘擦りの音に緊張した。戦う気はないとわかっている。それでも相対するだけで恐怖が勝る。母には勝てないと確信する。
母は剣の平に手を添え、字の刻まれた面を相手に向けて見せた。ソランもイアルも同じようにして見せる。
『汝、他者に死を与えんと欲する者、女神は汝の上にも平等に死を恵む』
騎士の一人が読んだ。
赦しの言葉だ。女神マイラは、この剣で殺された者を懐に招き入れ、癒す。そして、この剣で罪を犯した者にも、同じく死を賜る。それによって罪は購われ、魂は浄化される。女神は善き者にも、また悪を為した者にも、平等に慈悲を与え給うのだ。
「ああ。死の呪いだ」
彼らは恐れたように身を引いた。
「死の呪い?」
ソランは納得がいかず、聞き返した。
「知らずに使っているのですか? これで人を殺せば、自らも死ぬと言っているのですよ?」
「死なぬ者などいましょうか。死は遅かれ早かれ誰の上にも訪れるものです」
口を開こうとしたソランをさえぎり、母が諭すように言った。
「それだけのことでしょう、ファレノ殿?」
暗に何も言うな、というのを感じ取り、ソランは頷いた。女神の教えがないとは、こういうことなのだろう。死は恐怖に満ちたものとなってしまうのだ。
「覚悟が違うということですか」
一人が反感に満ちた目で、ソランを見据えた。マルティーク・トレドという男だ。ソランは剣をしまう振りをし、その視線から目をそらした。どうやら、ひよっ子が大きな口を利くと思われたようだ。
ソランは溜息を噛み殺した。母があまりにまともにすらすらと話をしていたから、うっかりしていた。彼女の言葉はたいていの場合足りず、大きな誤解を与える。例えば、幼い頃、ソランが祭りに出るのを嫌がって泣きわめいたように。
「放浪の鍛冶師クレインは、己の腕に見合う者にしか剣を鍛えなかったという。彼が姿を消して十数年、年齢から考えて、あなたたちは最後の剣の主かもしれんな」
いいえ、今でも元気で、剣やら短剣やら斧やらを毎日鍛えています、蹄鉄作りや鋳掛け物の合間に。というのは黙っていることにした。それに、気の好い爺さんで、領内の子供から年寄りまで、誰にでも分けへだてなく作ってくれる。もしも気難しいことを言っていたというのなら、それは相手が悪かったのだと断言できる。
「お手合わせ願えるかな、ファレノ殿」
「私はコランティア殿の足元にも及びません。もし、同じ銘の剣を持っているから、腕前も同じだろうと思われるの
でしたら、買い被りに過ぎます」
いらぬ波風を立てる気はなかった。だいたい、王妃をはじめ、女性方のいる前で言い争うなど、愚かしいことだ。
「昨朝の修練場の、噂の色男も貴殿であろう。落とせるのは女性だけか」
侮辱して煽ろうとしているが、その手には乗らない。
「誰か他の方とお間違えかと思われます」
ソランは軽く頭を下げ、俯き加減の姿勢を保った。目を合わせればもっと反感を買うだろう。
「ソラン」
殿下に呼ばれた。なぜだかとんでもなく親しげに。恐る恐る顔を上げる。殿下は薄く笑みを浮かべていた。
「ちょうどよい。これから修練場で一汗流すつもりであった。おまえもその者たちと手合わせするがよい」
楽しそうだが、どことなく剣呑だ。煮え切らない態度を不快に思ったらしい。
「仰せのままに」
他の返事は求めていない。そう感じて、ソランは従順に頭を下げた。
王妃が、パン、と手を打ち合わせた。
「ならば、わたくしも見に行きましょう。各々方、どうしますか?」
女性陣は、もちろんお供します、と口々に言った。とても楽しそうである。
一行は修練場に移動することになった。
「先の大乱の折のコランティア殿の武勇に、深く感服しております。軍門を去られ、目通りが叶う日が来るとは思っておりませんでした。このたびのこと、天の配剤に感謝しているところです。これを逃すは天命に逆らうに等しきことと思い、無礼を承知でお願い申し上げます。どうかお手合わせ願えませんか」
母はゆったりと優雅な礼を返した。
「申し訳ございませんが、軍門を退いて久しき私など、陛下の剣であられるあなた方に敵うものではございません」
「ご謙遜を。貴殿は未だ陛下より帯剣を許されていらっしゃるではありませんか」
「かたじけなくも、陛下は我が手より愛しき者が分かたれて以来、帯剣をお許しくださいました。これは我と我が愛しき者を守るためだけのものにございます。軍門を去った時に、二度と己からは剣を抜かぬと誓いました」
男たちは、表情を抑えて語る母の言葉に、はっと息を呑んだ。彼女が愛しい男の子を身篭り、軍を退いたことは有名であった。また、その子が残党の手により命を落としたことも。
実は、その子は辺境で育ち、ここにこうして元気でいるのを知るのは、領民を除けばほんの一握りの者たちだけだ。また、母の旧姓を知る者も、それと同じ者だけだった。
「申し訳ございませんでした。心無きことを申しました。どうかお許しください」
「どうぞお気になさらず。誠に頼もしき方々がおられ、陛下の御世もますます安泰であると安心いたしました」
「過分なお言葉、恐れ入ります。ご期待に添うよう、誠心誠意尽くすことを誓います」
「御武運をお祈りいたします」
男たちは感激しきりのようであった。興奮気味に足を運ぶ。
殿下が、ふいに思い出した、という態で呟いた。呟いたというには、大きすぎる声であったが。
「同じクレインの剣の使い手ならここにいるな」
「えっ。あのクレインのでございますか?」
男たちが食いつくように反応した。ソランは嫌な予感に一歩下がった。あのご隠居がなんだというのだろう?
「そこのファレノと、恐らくランバートのもそうだろう」
「本当ですか、ファレノ殿、ランバート殿」
詰め寄られる。しかも相手が年下の新入りなせいか、遠慮なく肩を掴まれ揺さぶられた。
「剣を見せていただきたい」
嫌だった。帯剣をしている者に囲まれているのに剣を手放すなど、自殺行為である。誰が不死人なのかもわからない。ソランが敢えて不機嫌を示すと、これはつい失礼をした、と謝られた。
「剣の峰を見せてください。そこに銘が入っていると聞き及んでいます」
「しかし、王宮で抜くわけにはいきません」
イアルが冷静に指摘した。
「よい。わたくしが許しましょう」
王妃が口を出した。
「リリアのも見せてやってちょうだいな。見比べれば本物かどうか一目瞭然でしょう」
王妃の願いを断るわけにはいかない。母が近寄ってきて剣を抜いた。ソランはその仕草と鞘擦りの音に緊張した。戦う気はないとわかっている。それでも相対するだけで恐怖が勝る。母には勝てないと確信する。
母は剣の平に手を添え、字の刻まれた面を相手に向けて見せた。ソランもイアルも同じようにして見せる。
『汝、他者に死を与えんと欲する者、女神は汝の上にも平等に死を恵む』
騎士の一人が読んだ。
赦しの言葉だ。女神マイラは、この剣で殺された者を懐に招き入れ、癒す。そして、この剣で罪を犯した者にも、同じく死を賜る。それによって罪は購われ、魂は浄化される。女神は善き者にも、また悪を為した者にも、平等に慈悲を与え給うのだ。
「ああ。死の呪いだ」
彼らは恐れたように身を引いた。
「死の呪い?」
ソランは納得がいかず、聞き返した。
「知らずに使っているのですか? これで人を殺せば、自らも死ぬと言っているのですよ?」
「死なぬ者などいましょうか。死は遅かれ早かれ誰の上にも訪れるものです」
口を開こうとしたソランをさえぎり、母が諭すように言った。
「それだけのことでしょう、ファレノ殿?」
暗に何も言うな、というのを感じ取り、ソランは頷いた。女神の教えがないとは、こういうことなのだろう。死は恐怖に満ちたものとなってしまうのだ。
「覚悟が違うということですか」
一人が反感に満ちた目で、ソランを見据えた。マルティーク・トレドという男だ。ソランは剣をしまう振りをし、その視線から目をそらした。どうやら、ひよっ子が大きな口を利くと思われたようだ。
ソランは溜息を噛み殺した。母があまりにまともにすらすらと話をしていたから、うっかりしていた。彼女の言葉はたいていの場合足りず、大きな誤解を与える。例えば、幼い頃、ソランが祭りに出るのを嫌がって泣きわめいたように。
「放浪の鍛冶師クレインは、己の腕に見合う者にしか剣を鍛えなかったという。彼が姿を消して十数年、年齢から考えて、あなたたちは最後の剣の主かもしれんな」
いいえ、今でも元気で、剣やら短剣やら斧やらを毎日鍛えています、蹄鉄作りや鋳掛け物の合間に。というのは黙っていることにした。それに、気の好い爺さんで、領内の子供から年寄りまで、誰にでも分けへだてなく作ってくれる。もしも気難しいことを言っていたというのなら、それは相手が悪かったのだと断言できる。
「お手合わせ願えるかな、ファレノ殿」
「私はコランティア殿の足元にも及びません。もし、同じ銘の剣を持っているから、腕前も同じだろうと思われるの
でしたら、買い被りに過ぎます」
いらぬ波風を立てる気はなかった。だいたい、王妃をはじめ、女性方のいる前で言い争うなど、愚かしいことだ。
「昨朝の修練場の、噂の色男も貴殿であろう。落とせるのは女性だけか」
侮辱して煽ろうとしているが、その手には乗らない。
「誰か他の方とお間違えかと思われます」
ソランは軽く頭を下げ、俯き加減の姿勢を保った。目を合わせればもっと反感を買うだろう。
「ソラン」
殿下に呼ばれた。なぜだかとんでもなく親しげに。恐る恐る顔を上げる。殿下は薄く笑みを浮かべていた。
「ちょうどよい。これから修練場で一汗流すつもりであった。おまえもその者たちと手合わせするがよい」
楽しそうだが、どことなく剣呑だ。煮え切らない態度を不快に思ったらしい。
「仰せのままに」
他の返事は求めていない。そう感じて、ソランは従順に頭を下げた。
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