暁にもう一度

伊簑木サイ

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第五章 平穏は、ほど遠く

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 修練場脇の回廊に設置された扉つきの棚から、刃のつぶされた練習用の剣を選んだ。自分の剣と長さの似たものの中から、同じほどの重さのものを選び、そこからさらにバランスのよいものを探す。少々軽いがこれでいいかと思うものを手にし、ソランは回廊から外に出た。待ち構えていたイアルに注意を受ける。

「いいか、ソラン。足蹴りはなし。組み手もなし。その他武器もなし。剣だけ使うんだぞ。でないと侮辱したと思われるからな」
「わかった」

 他の得物を突然使われる心配がないのなら、気楽だった。でも、足を出さないようには気をつけないと、と簡単に動作を頭の中で確認する。なにしろ、なんでもありの戦い方が体に染み付いてしまっている。
 ソランはしばらく瞑目した。それから修練場の真ん中に足を運んだ。

「ソラン」

 ふいに殿下に呼ばれる。ソランは、はい、とそちらに向き直った。殿下は真っ直ぐソランを見据えていた。

「我が名の下(もと)に戦え」

 ――それは、負けるなということだろうか?
 適当なところで場を濁そうとしていたのを見抜かれていたらしい。まったくもって、我儘な方だと思う。一見我儘の多い王妃よりも王女よりも、勝手なことばかりするエルファリア殿下よりも、よほど性質たちが悪い。

 なのに、なぜか嬉しくなる。心が浮き立つ。体が熱くなってくる。望んでくれるのなら、ぜひにもその願い叶えてみせると、思わずにいられない。
 ソランは喜びそのままに笑んだ。胸に右手を当て、頭を下げる。

「仰せのままに」

 そしてトレドと向き合った。礼を交わして、剣を構える。同じタイプの剣だ。彼の方が少し長いかもしれない。背も高く、その分腕も長い。もちろん踏み込みも大きいだろう。不利なことばかりである。だが、戦いはそれがすべてではない。事実、母はソランより小柄である。
 それに、相手はたった一人だ。領地での練習では、常に三人以上を相手にしてきた。十人抜き、二十人抜きの場合は四方八方からとなる。しかも獲物も一種類ではなかった。
 今は目の前の敵だけに集中すればよいのだ。身構える必要すら感じなかった。

 ソランは、隙をうかがって円を描くように歩きはじめた男に向かって、無造作に踏み込んだ。一打を警戒して構え、力を入れた途端に動きが硬直した一瞬を狙って、相手の剣に自分の剣を絡める。次の瞬間には、捩じるようにしてその手から弾き飛ばしていた。

 あっけないものだった。相手は己の手と飛ばされた剣とに忙しなく目をやり、呆然としている。ソランは静かに剣に歩み寄り、拾って砂を払った。彼に渡す。
 トレドはソランを凝視していた。驚きが見て取れる。ソランは黙って礼をした。

「あ」

 そう声をあげたかと思うと、彼は突然膝を折り、片方を地につけた。その状態で見上げてくる。

「御見逸れしました。数々の失礼をお許し願いたい」

 ソランは状況を確認するために数回瞬きし、彼に向かって手を差し伸べた。

「許すも何も、気にしておりません。どうか立ってください」
「いいえ、私はあなたを侮っていました。それがこのざまとは。まったくもって恥ずかしい」

 彼は羞恥に顔を歪めた。

「さすがクレインの使い手。殿下が名をお与えなさるだけのことはある」

 そして反省を数秒で済ませたらしい彼は、今度はキラキラとした目で、ソランの手をガッシとばかりに掴んだ。

「ぜひに、もう一手所望したい! お付き合い願えるか!?」

 願うも願わないもない。受けるまで手を離すつもりはなさそうだ。
 硬い言葉に規律正しい動きの彼を、気難しい男だと思っていたが、実は違っていたらしい。どうやら熱血単純剣技マニアなだけだったようだ。歴戦の勇者が相手だろうが、王妃の前だろうが、突っ走らずにはいられないほどの。
 そう気付いたとたん、ソランはにっこりと笑った。そういうタイプは好きである。そういう連中と馬鹿をするのは、底抜けに楽しいものだ。

「はい、喜んで」

 ソランは力いっぱい手を握り返し、大きく振った。



 手合わせは、いつの間にか講習会になっていた。

「まず、隙を見つけてすっと踏みこむ」

 ソランは説明しながら、言ったとおりの動きをしていく。

「相手が居ついたら、くるっと絡めて、グッとやって、ガッと飛ばす。やってみてください」

 トレドがソランを相手にやろうとして、

「くるっと、グッと、ガッ……って、わからん!」
「え? じゃあ、構えて。よく見ててくださいね、ゆっくりやりますから」

 他の男たちを相手に、二人で並んで同じ動作をしようとする。が、ソランはできても、トレドはできない。

「……すみません。教えるのが下手で」

 ソランは領内での自分の評判を思い出していた。意気消沈して謝る。

「いいえ、私がいけないのでしょう」

 トレドが唇を噛み締める。そこへイアルがやってきた。

「私が代わりましょう。この人の教え方でわかる人の方が稀ですから」

 そして懇切丁寧に説明をはじめた。
 曰く。踏み込みます。隙を見てくださいね。斬られにいくんじゃありませんから。相手が警戒して力が入ると、体の動きが強張ります。そうしたら、その瞬間を逃さずに剣を絡めます。切っ先から沿わせるようにすると、真っ直ぐ胸元に向かって刃先が来るようで怖いものです。相手は避けようと手元を浮かせて押してこようとします。そこを逆にぐっと押さえてから、踏みこみつつ下にくるっと滑らせて、反発して上がってきたのをそのまま押し上げ、相手が制御を失ったところで、がっと斜め上になぎ払う。できましたね?

「おお。できました。ありがとうございます、ランバート殿」
「では今度は速くやってみましょう」

 ソランはあっという間にあぶれてしまった。教えるならイアルのほうが適役だ。肩をすくめて場外を見まわし、とりあえず殿下の所へ戻った。

「どうした、もうおしまいか」
「はい。殿下はおやりにならないのですか?」
「見物人が多すぎる。興がそがれた」

 修練場は、王宮の備品倉庫と隣りあっており、実は王宮勤めの女性と軍勤めの男性の、出会いの場になっている。というわけで、備品補充は人気の仕事であった。

 倉庫の修練場に面した二、三階の廊下から、女性たちは品定めをし、お目当ての男性ができると、一階まで下りてくるのだ。手に手に汗拭き用のハンカチや、差し入れの食物などを持って。
 今も、そんな女性が増えはじめていた。

「殿下は館の裏庭で済ませることの方が多いんだよ」

 ディーの言葉に、殿下は微かに眉根を寄せた。

「そうだったんですか。なぜまた、今日はここでと思われたんですか?」

 今度ははっきり眉間に皺を寄せる。

「そういう気分だったからだ」

 不機嫌だ。なぜだ。ソランは内心首を傾げた。

「それは、あんな若造に自分の部下が貶されてご不快だったからだよ。ソラン殿、控え目なのもいいけれど、殿下の直属なのだから、ああいうときは大きく出てもいいんだ。というより、むしろ煽っといて、ぐうの音も出ないぐらい叩き潰すといいよ」

 ソランは、本当だろうかと殿下に視線を移した。

「ディー、おかしな入れ知恵をするな。いらぬ確執は作らんでもよい。おまえの対応は間違っていなかった」
「でも、ご不快だった、と」
「ディー!」

 殿下は話を断ち切るように手を振った。

「相手をせよ。叩き潰してやる」
「えー? ギャラリーが多いから嫌です。叩き潰されるの、カッコ悪いですもん。ご自分だって仰ってたくせに」
「四の五の言うな。その減らず口をしばらく利けないようにしてやる」
「まったく、横暴ですよねえ」

 そう言いながらも、先に場内に出て行く殿下を追いかけていく。
 とうとうソランは、一人で護衛たちに囲まれ、ぼんやりと見学することになってしまった。
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