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第五章 平穏は、ほど遠く
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「ソラン殿」
おずおずとかかった可愛らしい声に、ソランは殿下から目を離し、声の主を探した。ミルフェ姫が二メートルほど先に立っている。
「どうされましたか」
ソランはすぐに姫の許へ行った。
「どうぞ、これで汗をお拭きください」
レースの付いた綺麗なハンカチをさし出される。一目で高価だとわかるものだ。
「ありがとうございます。ですが、お心遣いだけで充分です。どうかお納めくださいませ」
ミルフェ姫は、見るからに傷ついた顔をした。ソランはあわてた。
「それほど綺麗なハンカチは、お可愛らしい殿下にこそお似合いでございます。私のような無骨者が相手では、あまりにもったいのうございます」
背後の気配が動き、ソランはとっさに振り返った。護衛の一人がやってきて、耳元で囁く。
「受け取っとけ。でないと恥をかかす」
本当だろうかと彼と目を見合わせると、頷かれる。ソランはすぐにミルフェ姫に向き直って、手を差し出した。
「失礼をいたしました。殿下のせっかくのお心遣いを無駄にするところでした。お受けいたします。いただけますか?」
躊躇いがちに渡してくるそれを、大事に受け取った。
「ありがとうございます、ミルフェ殿下」
ソランが微笑むと、姫は顔を赤くした。
「私たちはこれで失礼しますね。陛下がそう伝えていらっしゃいと」
「そうでしたか。そこまでお送りいたしましょう」
差し伸べた手に、白くて小さな掌がのせられた。同じ歳なのに、なんという違いだろうか。ソランは自分の剣ダコだらけの硬い手が姫の柔肌に傷を付けないように、細心の注意を払ってエスコートした。
ソランと姫のやり取りを見て、殿下とディーがそそくさと戻ってきた。
「何があった?」
ソランが御前に戻るやいなや、性急に殿下に聞かれたので、あったことを不得要領気味に説明した。最後に困惑しながら質問する。
「それでこれをいただいたんですが、どうしたらいいんでしょうか。洗ってお返しすればよいのですか? なにかお礼の品でも付けないといけないんでしょうか?」
どっと護衛たちが笑った。ディーも笑っていた。殿下ですら、にやりとする。
「笑ってないで、教えてください!」
ソランは地団駄踏む勢いで言った。
――受け取れって言ったのに、なんで皆笑うんだ!?
「うん、うん、初々しくって、かわいいなあ。そうだよね、そうするべきだよね、本当は」
ディーがなだめるように言う。
「俺たち大人がいけないよね。ツワモノになると、それをコレクションしてる奴もいるんだから」
――コレクション?
ソランの不可解だ、という顔を見て、再び皆で笑う。それに不満げにすると、それを見ても笑う。とうとうソランは臍を曲げて、ぷい、と横を向いた。
「あはは、ごめん、ごめん。それさ、お嬢さんたちの好意の証なの。これは、という男にアプローチするための小道具。広げるとわかると思うけど、中に名前が刺繍されているんだよ。で、男たるもの、女性から寄せられた好意を、はねのけるわけにはいかないからね。受け取るのは礼儀。だから、たまる奴はたまる。悪い奴は、気のあるそぶりを見せて、差し出させてコレクションする、と」
最後の言葉に、ソランはディーを睨みつけた。
「俺はしてないよ! 殿下の配下たる者、いついかなる時も、殿下の名を貶めるようなことはできないからね。それは皆も同じ」
ソランはまた顔をそむけた。不機嫌です、ということを示しているのだ。考えてみれば、ひどく甘えた行為だ。しかし、引っ込みがつかない。
「で、返すのは忠誠でいいんだけど、つまり求愛? 求婚? てことになるから、まあ、本命以外には一般的には、もらったきりなんだよ」
「わかりました、ありがとうございます」
ソランはディーに向かわず、斜め下に向かってお礼を言った。殿下が、くっくっくっくと笑いだす。笑いのツボに入った時の笑い方だ。腹を抱えて苦しそうにしている。
「なんでございましょうか、殿下」
ソランはとがった声を出した。――よってたかって皆でなんだというのだ。
「いや、よかったな」
ひとしきり笑った殿下が、涙を拭きながら言った。
「他のおしゃべり雀どもは、ミルフェに遠慮しておまえに渡せはしないだろう。これで安心して、ここでいくらでも練習できるぞ」
ソランにはピンとくるものがあった。この方は、それを狙っていたのだ。それであのわざとらしい独り言が吐かれたわけだ。どこまで喰えない傲慢我儘王子だろう。まんまとミルフェ姫の好意まで利用して。
それでも。
ソランはフッと笑ってしまった。
なんでもっと惹きつけられてしまうのだろう。この方が笑うなら、それでいいかという気にすらなってしまうのは、なぜか。
部下が貶されて不快だったと、ディーに指摘された時の殿下が思い出される。
我が名の下に戦えと言ってくれた。それを嬉しいと思ってしまった。だから、どうしようもないという気持ちになる。やはり、この方には、自分はどうにも敵わないのだろう。
ソランは溜息のような息を一つ吐いた。そうしてやっと不機嫌の仮面を捨てて、はっきりとした笑みを浮かべたのだった。
おずおずとかかった可愛らしい声に、ソランは殿下から目を離し、声の主を探した。ミルフェ姫が二メートルほど先に立っている。
「どうされましたか」
ソランはすぐに姫の許へ行った。
「どうぞ、これで汗をお拭きください」
レースの付いた綺麗なハンカチをさし出される。一目で高価だとわかるものだ。
「ありがとうございます。ですが、お心遣いだけで充分です。どうかお納めくださいませ」
ミルフェ姫は、見るからに傷ついた顔をした。ソランはあわてた。
「それほど綺麗なハンカチは、お可愛らしい殿下にこそお似合いでございます。私のような無骨者が相手では、あまりにもったいのうございます」
背後の気配が動き、ソランはとっさに振り返った。護衛の一人がやってきて、耳元で囁く。
「受け取っとけ。でないと恥をかかす」
本当だろうかと彼と目を見合わせると、頷かれる。ソランはすぐにミルフェ姫に向き直って、手を差し出した。
「失礼をいたしました。殿下のせっかくのお心遣いを無駄にするところでした。お受けいたします。いただけますか?」
躊躇いがちに渡してくるそれを、大事に受け取った。
「ありがとうございます、ミルフェ殿下」
ソランが微笑むと、姫は顔を赤くした。
「私たちはこれで失礼しますね。陛下がそう伝えていらっしゃいと」
「そうでしたか。そこまでお送りいたしましょう」
差し伸べた手に、白くて小さな掌がのせられた。同じ歳なのに、なんという違いだろうか。ソランは自分の剣ダコだらけの硬い手が姫の柔肌に傷を付けないように、細心の注意を払ってエスコートした。
ソランと姫のやり取りを見て、殿下とディーがそそくさと戻ってきた。
「何があった?」
ソランが御前に戻るやいなや、性急に殿下に聞かれたので、あったことを不得要領気味に説明した。最後に困惑しながら質問する。
「それでこれをいただいたんですが、どうしたらいいんでしょうか。洗ってお返しすればよいのですか? なにかお礼の品でも付けないといけないんでしょうか?」
どっと護衛たちが笑った。ディーも笑っていた。殿下ですら、にやりとする。
「笑ってないで、教えてください!」
ソランは地団駄踏む勢いで言った。
――受け取れって言ったのに、なんで皆笑うんだ!?
「うん、うん、初々しくって、かわいいなあ。そうだよね、そうするべきだよね、本当は」
ディーがなだめるように言う。
「俺たち大人がいけないよね。ツワモノになると、それをコレクションしてる奴もいるんだから」
――コレクション?
ソランの不可解だ、という顔を見て、再び皆で笑う。それに不満げにすると、それを見ても笑う。とうとうソランは臍を曲げて、ぷい、と横を向いた。
「あはは、ごめん、ごめん。それさ、お嬢さんたちの好意の証なの。これは、という男にアプローチするための小道具。広げるとわかると思うけど、中に名前が刺繍されているんだよ。で、男たるもの、女性から寄せられた好意を、はねのけるわけにはいかないからね。受け取るのは礼儀。だから、たまる奴はたまる。悪い奴は、気のあるそぶりを見せて、差し出させてコレクションする、と」
最後の言葉に、ソランはディーを睨みつけた。
「俺はしてないよ! 殿下の配下たる者、いついかなる時も、殿下の名を貶めるようなことはできないからね。それは皆も同じ」
ソランはまた顔をそむけた。不機嫌です、ということを示しているのだ。考えてみれば、ひどく甘えた行為だ。しかし、引っ込みがつかない。
「で、返すのは忠誠でいいんだけど、つまり求愛? 求婚? てことになるから、まあ、本命以外には一般的には、もらったきりなんだよ」
「わかりました、ありがとうございます」
ソランはディーに向かわず、斜め下に向かってお礼を言った。殿下が、くっくっくっくと笑いだす。笑いのツボに入った時の笑い方だ。腹を抱えて苦しそうにしている。
「なんでございましょうか、殿下」
ソランはとがった声を出した。――よってたかって皆でなんだというのだ。
「いや、よかったな」
ひとしきり笑った殿下が、涙を拭きながら言った。
「他のおしゃべり雀どもは、ミルフェに遠慮しておまえに渡せはしないだろう。これで安心して、ここでいくらでも練習できるぞ」
ソランにはピンとくるものがあった。この方は、それを狙っていたのだ。それであのわざとらしい独り言が吐かれたわけだ。どこまで喰えない傲慢我儘王子だろう。まんまとミルフェ姫の好意まで利用して。
それでも。
ソランはフッと笑ってしまった。
なんでもっと惹きつけられてしまうのだろう。この方が笑うなら、それでいいかという気にすらなってしまうのは、なぜか。
部下が貶されて不快だったと、ディーに指摘された時の殿下が思い出される。
我が名の下に戦えと言ってくれた。それを嬉しいと思ってしまった。だから、どうしようもないという気持ちになる。やはり、この方には、自分はどうにも敵わないのだろう。
ソランは溜息のような息を一つ吐いた。そうしてやっと不機嫌の仮面を捨てて、はっきりとした笑みを浮かべたのだった。
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