暁にもう一度

伊簑木サイ

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第六章 変化(へんげ)

2-2

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 二つ隣の部屋の中には、殿下がテーブルの前の椅子に座っていて、その後ろに新たな護衛としてイドリック、キーツ、べイルが付いており、祖父アーサーは向かいに立っていた。

「遅くなりました」

 ディーと二人、祖父の横に並ぶ。

「いいや。落ち着いたか」
「はい。ありがとうございました」

 謝れば叱られそうな気がした。だから、時間の猶予をくれたことに感謝した。
 殿下はディーに視線を投げかけた。ディーは頷き返す。ソランに再び視線を戻し、なぜか殿下の眉間に一本縦皺が入った。不機嫌であるようだ。
 また説教だろうか。説教されるようなことをした自覚はある。ソランは緊張した。

「ソラン」

 祖父に呼ばれて振り向くと、笑いを堪えた変な顔をして、組紐を一本渡された。ソランは手早く髪を束ねて、殿下に向き直った。殿下は額に手を当てて、疲れたような溜息を吐いているところだった。

「まあ、いいだろう」

 深い深い溜息をもう一度こぼし、ソランへと目が向けられる。ソランは自然と姿勢を正した。

「おまえの伝言を、エメット婦人に伝えた男が死んだ。心当たりはあるか」
「はい。確かにお願いしました。ここに私の医療鞄を届けて欲しいと。彼は殺されたのですか?」
「籠の中のパンに毒が仕込まれていた」
「まさか」

 ソランは言葉を失った。あれは王妃が今日の慈善事業をねぎらってくれたものだ。それを王女が護衛に取りに行かせた。

「二つともですか?」
「そうだ」
「他に死んだ者は」
「食べたその一人だけだ」

 では、狙われたのは、

「私ですか」
「恐らく」

 イアルを狙う動機がない。

「王妃には話を通し、内密に調べてもらっているが、おまえの安全の確保が難しい。剣のあるじであるために狙われているのかどうかもわからぬ。別の理由で狙われたなら、まだ、剣の主であることは隠しておきたい。一度ファレノ家に帰すことも考えたが」
「嫌です」

 殿下が話している最中だというのに、ソランは思わず口を挿んだ。

「と言うだろうと、アーサーが言うのでな。おまえの様子を見て決めることにしたんだが。……忌々しい。おまえに人並みの神経を期待した私が愚かだった」

 苛立たしげに息を吐く。
 あんまりな言いようである。なぜそんなことを言われなければならないのか。
 見れば、皆、にやにやしている。なんとなく殿下だけでなく、ソランも笑われている気がして、不愉快だった。

「とりあえず、おまえは今回の件で大怪我を負ったことにする。ここから動かせぬほどのな。それで、おまえの身を隠す場所なんだが」
「はい、はい! 発案者の俺から申し上げていいですか!」

 ディーが子供のように手を挙げた。殿下は投げやりに手を振った。許可するということだろう。

「殿下のお傍を離れる気はないんだよね?」
「ありません」

 ちょっと離れてもこれだ。危険な中に一人で放り出し、ソランだけ安全な場所にいるわけにはいかない。

「だけど、ソラン殿の容姿は良くも悪くも目立ちすぎる。一度目にしたら、魂まで奪われるからね」

 そこでディーは片目をつぶった。そんなのはあなただけです、と反論したいのをぐっと抑えた。殿下に、聞き流しておけと再三にわたって忠告されている。

「それで、変装したらどうかと」

 変装。それはかまわない。が、なぜ、それほど嬉しそうなのか。
 嫌な予感に、ソランは先回りしていろいろ挙げてみた。

「下男でも老人でもなんでもかまいません」
「うん。でもそういう人たちは、殿下のお傍に侍れないからね。だから、ソラン殿の姉君になるのはどうかな。それで、殿下の愛人になるの」

 ソランは表情を消した。心理的な衝撃に、無表情なまま一歩後ろによろめく。

「出会いは、こう。ソラン殿の危篤の報を受けた姉君は、取るものもとりあえず、ソラン殿の許に駆けつける。そこへやはり危篤の報を受けた殿下もいらっしゃって、一目惚れなさる、と。まあ、一目惚れじゃなくても、同情が横滑りってのも、けっこうロマンティックかもね。そのへんの匙加減は、二人のお好みで決めて。それで、とにかく殿下は、保護と銘打ってご自分の許に囲ってしまうと。姉君は姉君で、ソラン殿と共に修めた医術で以て、弟が命を懸けて守った殿下にお仕えしたいと。そんなこんなのうちに、深い仲に発展した、なんて」
「馬鹿馬鹿しい。私が女装してバレないわけがないでしょう」

 ソランは吐き捨てた。

「じゃあ、おうちで待機だよ。どう考えたって、どこに間者がいるかわからないここより、ファレノの私兵の方が信用できるでしょ?」

 軽い調子で言い返されて、たじろぐ。

「他に良い案があるなら、それでかまわないよ。でも、代行案もないのに否定したら、物事は先に進まないからね」

 ディーは肩をすくめた。

「猶予は四日。ソラン殿の領地に知らせが行って、駆けつけるのって、それくらいかかるんでしょ? それまでに、女装をマスターするか、おうちで待機するか、決めて。決心がついて、女装が板についたら、四日目に実行してもらうから。人のたくさんいる、昼間の明るいうちにね」

 ソランの顔が、明らかに強張った。

「殿下を一目で射落とす、可憐な美女を演じてもらうからね。駄目だったら、やっぱりおうちで待機だからね」

 『おうちで待機』という幼子に言い聞かせるかのような言い様に、むかっ腹が立つ。それに、

「ここで何かあったと知られるのはまずいのではないですか?」
「まずいよねえ。でも、何もなかったとは、できないんじゃないかな。毒を盛ったここの主人は、もうここじゃ商売できないしね。でしょ?」

 ディーは楽しそうに笑った。だが、その裏には底冷えのする事実がある。

「民衆はそれほど愚かじゃないよ。些細なことからでも、真実を拾い出す。とんでもない噂話にもなるけどね。だったら、こちらに不利な噂が広がる前に、美談で塗り替える」

 冗談めかしているが、けっして冗談ではない真面目な案として出しているのだと、やっと気付いた。

「民衆には何も伝えないよ。でも、ここでなにかがあったらしい。訳あり風の美女と殿下が別々に駆けつけ、帰りは美女を支えるように連れ帰る。めったに公の場に姿を現さない殿下のラブロマンスだからね。すっごい妄想の余地有りだよね」

 いや。やっぱり面白がっているだけかも。ソランは頭を抱えたくなった。

「悪いことは言わん。しばらくの間だ。真相がはっきりするまで、待機していろ」

 殿下が眉間の皺をさらに深くして言った。
 ――それは、嫌だ。
 ソランの頑なな顔を見て、殿下はまた溜息を吐いた。

「がさつなおまえに女装が押し通せるとは思わん。バレたら笑い者だぞ」
「それは一蓮托生で、殿下もですけどね」

 ディーが楽しそうに付け加えた。

「捨て身の主従愛だよね」
「おまえは少し黙っていろ」

 げんなりとして殿下は言った。
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