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第七章 不死人(ふしびと)
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一行が修練場近くの回廊を通りかかった時だった。
「ファレノ殿でいらっしゃいますか?」
備品倉庫から続く回廊を、大声で呼ばいながら駆けてくる男がいた。赤い制服を着ている。
「行きましょう」
ディーが促すが、
「もう目が合ってしまいました」
ソランは彼に見覚えがあった。王女の護衛隊長であるカルシアン・ペイヴァーだ。
「仕方ないですね。では下がっていてください。俺が話をつけます」
一行は立ち止まり、ディーが前へ出て、彼を出迎えた。
「もうけりがついたんですか? でしたらどうぞ直接、アティス殿下へご報告ください」
「いいえ、まだです。そちらのファレノ殿にお話があります」
ペイヴァーはソランに会釈をした。
「殿下の庇護しておられる女性に、許しもなく話しかけるなど、お控え願いたいものですね」
「失礼は承知の上です。どのようなご不興も甘んじて受けます。どうかお願い申し上げます。ソラン・ファレノ殿の体調はいかがなのですか。お教えください。そして、もしものことがあるのならば、どうか、ミルフェ殿下の面会を叶えていただきたいのです」
ディーを飛び越し、ソランに視線を合わせて言う。
「それは、そちらの誠意を見せてもらわないことには、とても受け入れられないと申し上げたはずですが」
ディーはさえぎる位置に歩を移した。
「承知しています。でもそれでは、とてもミルフェ殿下がもちません。殿下はあれ以来ふさぎこまれ、ほとんど何も口にできないのです」
「お甘いことだ。ご自分の配下も掌握できない、その後始末もする気がない。その様な御仁と瀕死の重傷を負った者を会わせ、何をさせようというのですか。泣いて許しを請うのを、慰めてさしあげろと? 冗談じゃありませんな。持ち直すものも持ち直しません」
ペイヴァーが怒りに顔を紅潮させた。ソランは思わず、ディーの肩に手を掛けた。
「あなたはお気になさらなくてよいのですよ。ただでさえ心痛甚だしいのに、こんなことで煩わせたと知れたら、殿下は激怒なさいますからね」
ディーは振り返り、肩に乗った手を取って、なだめるように軽く叩いた。それでもソランが引かないと知ると、困った様子で、
「どうするおつもりですか?」
「私の知っていることは少ないですが、これでは彼も引くに引けないでしょう」
ソランは握られた手を軽く振り払って引き戻し、数歩前に出てディーに並ぶ。
「ミルフェ殿下の?」
「カルシアン・ペイヴァーと申します。護衛隊長を務めております。失礼をお許しください」
彼は改めて深く頭を下げた。
「イリス・ファレノでございます。私は殿下のご厚意により、束の間お仕えすることを許されているだけの者にございます。お気遣いは無用にございます」
彼は驚いた表情をした。なぜ驚かれるのかわからなかったが、尻尾が出てはまずいので、とにかく早く切り上げることにする。
「ミルフェ殿下にお伝えくださいませ。愚弟は丈夫だけが取り柄でございます。しばしお待ちくだされば、必ずや、ご心配おかけしたことを謝りに行かせますので、どうかお心安くいらっしゃってくださいと。そしてその時に、お元気なお姿を見せてやってくださいませと」
「ソラン殿は回復に向かっているのですね」
「そう信じております」
ソランも、我ながら微妙な言い回しだと思ったが、先ほど耳にした『けり』とやらがつかない限り、『ソラン』を回復させるわけにいかないのは、推測できた。
己の知らないところで、ずいぶんと話が進んでいるらしいのを知り、後で殿下とディーに確認しようと心に決める。
ペイヴァーは真偽を確かめるように、ソランを観察していた。そして、ふと剣に目を留める。
「それはソラン殿の剣ですか?」
「はい。愚弟に、これで自分の代わりに殿下を守ってほしいと頼まれました」
「あなたもソラン殿ほどの使い手なのですか?」
「まさか。とてもお役に立てるとは思いません。ですが、いざまさかの時は、己の身は己で守り、皆様のお手を少しでも煩わせずにすめばと思っております」
「お手を拝借できますか?」
どきりとする。手を見れば、大抵のことはわかってしまうものだ。手袋はしているが、それさえも怪しさを増しているかもしれない。女性の小物としてはポピュラーだが、日常的にしている人は少ない。
ソランは躊躇いがちに差し出した。彼は恭しく手にすると、手袋の上から甲に口付けを落とす。
「このような可愛らしい手で、剣までとられるとは。得がたい方だ。尊崇いたします」
ソランは失礼にならない程度に、急いで手を引っ込めた。可愛らしいなどと初めて言われて、柄にもなくどぎまぎする。
「いいえ。お恥ずかしいことに傷だらけで、とてもお見せできないのです」
「それで手袋をなさっているのですね。その価値のわからぬ者など、放っておかれればよい。あなたはもっとご自分を誇ってよろしいですよ」
ソランは曖昧に笑ってごまかした。彼もそれに応えて笑った。いつも気難しい顔ばかりしている男だったが、それは実に魅力的な笑顔だった。
「それ以上はご遠慮願いましょうか」
ディーが半身を割りこませる。ペイヴァーは彼には目を向けず、ソランに向かって頭を下げた。
「お話を伺えて、心の重荷が下りました。ありがとうございました」
「いいえ」
「お言葉、確かに承りました。それでは失礼致します」
彼は来た時とは違って、落ち着いた態度で帰っていった。
「ファレノ殿でいらっしゃいますか?」
備品倉庫から続く回廊を、大声で呼ばいながら駆けてくる男がいた。赤い制服を着ている。
「行きましょう」
ディーが促すが、
「もう目が合ってしまいました」
ソランは彼に見覚えがあった。王女の護衛隊長であるカルシアン・ペイヴァーだ。
「仕方ないですね。では下がっていてください。俺が話をつけます」
一行は立ち止まり、ディーが前へ出て、彼を出迎えた。
「もうけりがついたんですか? でしたらどうぞ直接、アティス殿下へご報告ください」
「いいえ、まだです。そちらのファレノ殿にお話があります」
ペイヴァーはソランに会釈をした。
「殿下の庇護しておられる女性に、許しもなく話しかけるなど、お控え願いたいものですね」
「失礼は承知の上です。どのようなご不興も甘んじて受けます。どうかお願い申し上げます。ソラン・ファレノ殿の体調はいかがなのですか。お教えください。そして、もしものことがあるのならば、どうか、ミルフェ殿下の面会を叶えていただきたいのです」
ディーを飛び越し、ソランに視線を合わせて言う。
「それは、そちらの誠意を見せてもらわないことには、とても受け入れられないと申し上げたはずですが」
ディーはさえぎる位置に歩を移した。
「承知しています。でもそれでは、とてもミルフェ殿下がもちません。殿下はあれ以来ふさぎこまれ、ほとんど何も口にできないのです」
「お甘いことだ。ご自分の配下も掌握できない、その後始末もする気がない。その様な御仁と瀕死の重傷を負った者を会わせ、何をさせようというのですか。泣いて許しを請うのを、慰めてさしあげろと? 冗談じゃありませんな。持ち直すものも持ち直しません」
ペイヴァーが怒りに顔を紅潮させた。ソランは思わず、ディーの肩に手を掛けた。
「あなたはお気になさらなくてよいのですよ。ただでさえ心痛甚だしいのに、こんなことで煩わせたと知れたら、殿下は激怒なさいますからね」
ディーは振り返り、肩に乗った手を取って、なだめるように軽く叩いた。それでもソランが引かないと知ると、困った様子で、
「どうするおつもりですか?」
「私の知っていることは少ないですが、これでは彼も引くに引けないでしょう」
ソランは握られた手を軽く振り払って引き戻し、数歩前に出てディーに並ぶ。
「ミルフェ殿下の?」
「カルシアン・ペイヴァーと申します。護衛隊長を務めております。失礼をお許しください」
彼は改めて深く頭を下げた。
「イリス・ファレノでございます。私は殿下のご厚意により、束の間お仕えすることを許されているだけの者にございます。お気遣いは無用にございます」
彼は驚いた表情をした。なぜ驚かれるのかわからなかったが、尻尾が出てはまずいので、とにかく早く切り上げることにする。
「ミルフェ殿下にお伝えくださいませ。愚弟は丈夫だけが取り柄でございます。しばしお待ちくだされば、必ずや、ご心配おかけしたことを謝りに行かせますので、どうかお心安くいらっしゃってくださいと。そしてその時に、お元気なお姿を見せてやってくださいませと」
「ソラン殿は回復に向かっているのですね」
「そう信じております」
ソランも、我ながら微妙な言い回しだと思ったが、先ほど耳にした『けり』とやらがつかない限り、『ソラン』を回復させるわけにいかないのは、推測できた。
己の知らないところで、ずいぶんと話が進んでいるらしいのを知り、後で殿下とディーに確認しようと心に決める。
ペイヴァーは真偽を確かめるように、ソランを観察していた。そして、ふと剣に目を留める。
「それはソラン殿の剣ですか?」
「はい。愚弟に、これで自分の代わりに殿下を守ってほしいと頼まれました」
「あなたもソラン殿ほどの使い手なのですか?」
「まさか。とてもお役に立てるとは思いません。ですが、いざまさかの時は、己の身は己で守り、皆様のお手を少しでも煩わせずにすめばと思っております」
「お手を拝借できますか?」
どきりとする。手を見れば、大抵のことはわかってしまうものだ。手袋はしているが、それさえも怪しさを増しているかもしれない。女性の小物としてはポピュラーだが、日常的にしている人は少ない。
ソランは躊躇いがちに差し出した。彼は恭しく手にすると、手袋の上から甲に口付けを落とす。
「このような可愛らしい手で、剣までとられるとは。得がたい方だ。尊崇いたします」
ソランは失礼にならない程度に、急いで手を引っ込めた。可愛らしいなどと初めて言われて、柄にもなくどぎまぎする。
「いいえ。お恥ずかしいことに傷だらけで、とてもお見せできないのです」
「それで手袋をなさっているのですね。その価値のわからぬ者など、放っておかれればよい。あなたはもっとご自分を誇ってよろしいですよ」
ソランは曖昧に笑ってごまかした。彼もそれに応えて笑った。いつも気難しい顔ばかりしている男だったが、それは実に魅力的な笑顔だった。
「それ以上はご遠慮願いましょうか」
ディーが半身を割りこませる。ペイヴァーは彼には目を向けず、ソランに向かって頭を下げた。
「お話を伺えて、心の重荷が下りました。ありがとうございました」
「いいえ」
「お言葉、確かに承りました。それでは失礼致します」
彼は来た時とは違って、落ち着いた態度で帰っていった。
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