暁にもう一度

伊簑木サイ

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第七章 不死人(ふしびと)

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「それで、奴は何と?」
「はい。ソランの体調と、もしもの場合はミルフェ殿下との面会を取り持ってほしいと」
「それがどうして手を許すことになる」
「はあ。女装を疑われたのではないかと」
「ふうん?」

 殿下がテーブル越しに左手を出してきたので、何ですか? と尋ねると、手を出せ、と言われた。素直に差し出す。その手を握られる。

「手を取って、何と言った?」
「え? えー、あの」

 笑われそうで、言い難い。

「どうした。言えないようなことを言われたのか」
「いえ、可愛い手だと」

 ソランは感情を切り離して告げた。そうでもしなければ、いたたまれなかった。
 殿下は指先の布だけを摘み、すっと引っ張った。手袋が抜ける。それを、手首を軽く振って床の上に投げ捨ててしまった。

「あ」

 目で追って思わず声をあげたソランの手を、殿下はまた掴んだ。批難の言葉を口にしようとしたのに、親指で掌をなぞられ、くすぐったさに身をすくめる。

「傷と剣だこだらけだな」

 いたわるような優しい声に、心までくすぐったくなった。手袋も気になるが、似たようなことをペイヴァーにも言われたと思い出す。

「はい。傷だらけで恥ずかしいので隠していると説明しました」
「奴は納得したか?」
「さあ。ただ、隠すことはないと言われました。価値のわからない者には笑わせておけばいいと」
「……気障な奴だ」

 そうなのだろうか。誠実そうに見えたが。ソランは首を傾げた。
 しかし、見破られていてああ言われたのだとすれば、とんでもない皮肉ということになる。なにしろ、とどめがあのキスだったのだから。

「やはりバレたんでしょうか」

 不安になって、その場にいなかった殿下にわかるはずもないのに、尋ねてしまう。

「バレてはないだろう。だったらディーが何か言うだろう」
「そうですか? そうだといいんですが」
「男に戻りたいか?」

 ソランは答えに迷った。迷う自分に戸惑いを覚える。
 どう考えても女は窮屈だ。何よりも足元が頼りない。なのに、このままでいたい気もする。なぜだ?
 ――だって、ちゃんとした女性扱いは心地好い。
 突然ひらめいた本音に、ソランはどうしようもなく恥ずかしくなった。真っ赤になって手を引き抜き、立ち上がって後退る。

 なんて、浅ましいんだ。自分が嫌になる。それはもちろん、女扱いをしてくれるだろう。ソランの命が掛かっているのだ。マリーが皆を脅してくれたではないか。
 殿下がそうふるまえば、事情を知らない人間でも、同じようにするはずだ。当たり前のことだった。そうでなければ、女としては残念だ、と誰もが言うソランが、こんな扱いを受けるわけがない。

 情けなかった。どうにもこうにも情けなくって、泣きそうだった。

「あ、当たり前です。早く、男に戻りたいです」

 涙声になってしまった。無表情の仮面も笑顔の仮面も被れなかった。心が波打ち、収拾できない。殿下の前では、いつもそうなってしまう。感情が大きく動かされ、零れ落ちてしまうのだ。

「逃げるな」

 殿下は眉を顰めた。

「座れ」

 有無を言わせぬ命令に、ソランは唇を引き結んで、元の向かいの席に腰を下ろした。殿下は一層不機嫌になったようだった。

「そんなに嫌か」
「はい」

 眉間に深い深い皺が入る。視線がそらされた。執務机の上の何かを睨んでいる。そして、苛立たしげな溜息とともに、目を瞑った。

「だが、しばらくはそのままでいてもらう。一年か、もしかしたらそれ以上」
「え?」

 殿下は目を開き、ソランと視線を合わせた。

「立太子する。しばらくはまた、身辺がきな臭くなろう。それ以上に、妃問題でまわりが騒ぎ立てるだろう。おまえには虫除けになってもらう」
「それは、お妃様が決まるまでということですか?」
「いいや、おまえの女装に無理が出るまでだな。成長期だからな。ひょっとしたら、半年後にはゴツイ大男になっているかもしれんぞ。まあ、なるべく長く頼む」

 ソランなら一生涯だってできる。では、やはりお妃が決まるまでということだ。あの部屋に本来の主が来るまで。
 息が苦しくなった。
 ――この方は王になられるのだ。遠い方になってしまわれる。手の届かない方に。
 とてつもない寂しさに襲われた。

「喜ばないのか」
「喜んでおります」
「そうは見えないが」
「いいえ」

 ソランは笑ってみせた。
 先程ディーが泣いたのは、この話にいち早く気付いたからだろう。殿下を支えてきた者たちは、誰もが同じく喜ぶに違いない。

「とても喜ばしく思っております」

 そう言いながら、新王の宮廷にいる自分を、ソランはどうしても想像できなかった。
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