暁にもう一度

伊簑木サイ

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第七章 不死人(ふしびと)

3-2

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 そろそろ、王妃の許へ行くための迎えが来るかと思われた頃、本日の予定はすべて中止との知らせが来た。護衛役のミアーハとリリアの両名に、急な用事ができたという。
 局内も人手が少なく、ばたばたしている。何かが起こったのは確かだった。

 恐らく、ジェームズ・ヒルデブラントが見つかったか、毒殺事件の主謀者の領地が謀反を起こしたか、そのあたりだろう。どちらにしても事態は大きく動くはず。

 しかし、何の力も持たない『小娘』にすぎないソランには、さしあたってすることがない。
 仕方ないので、マリー以下侍女四名を一番家具の少ない寝室に呼び、もっぱら武術の鍛錬をして一日を過ごした。

 そして夜。ソランは早めに寝室に引き上げた。隣室では侍女が寝ずの番をしているだろうが、大きな音さえ立てなければ大丈夫だ。祖父がこっそりと差し入れてくれた酒を用意して、暖炉に火を熾し、部屋を暖める。この頃は、夜が更けると冷えてくるようになっていた。

 ソランがこの部屋で過ごすようになってから増やした、幾つものクッションに寄りかかり、火が揺れるのを見る。待ちくたびれてぼんやりとしているうちに、昼間の心地よい疲労が襲ってきて、彼女はうつらうつらと眠ってしまったのだった。



 人の気配に目が覚めた。一気に覚醒して、抱えて寝ていた剣を確認しながら、気配に神経を注ぐ。薄っすらと瞼を開け、目に入った酒瓶と暖炉の火に、自分がうたた寝してしてしまったことを知った。
 ソランは警戒を解き、起き上がった。声をかける。

「殿下?」
「遅くなった」

 火の明かりで浮かび上がった殿下は、まるで闇を従えているかのようだった。

「お疲れ様でございます」
「ああ。長い一日だった」

 ソランの隣に座り、深い息をつく。風呂を浴びてきたばかりなのだろう。濡れた髪が重たく光っていた。

 ソランは二つの杯に酒を注いだ。一つを毒味してから、もう片方を手渡す。殿下はそれを一息に半分ほど飲んだ。祖父が、寝酒には最高だと言ってくれたそれは、爽やかな飲み口だが、少々度がきついものだ。
 もう一度杯を呷って殿下が空にしたそれに、ソランは黙って酒を継ぎ足した。殿下はずっと踊る火を見ていた。

「ジェームズ・ヒルデブラントが見つかった。逃れられぬと知って、自ら命を絶った」
「そうでしたか」
「奴の部下たちも皆死んだ。これを期に、別の動きがないか、ウィシュクレア内で内部調査させているが、取り敢えずは、終わりだ」
「はい」
「ケインにも、会ってきた」

 続けて同じ調子で語られた内容に、ソランは思考が凍りついて、とっさに言葉が出てこなかった。

「よかったら、部屋にあるあれの研究道具は、おまえに貰ってほしいと言っていた」
「……はい」

 その言葉の意味することは、すぐにわかった。

「明日にでも、整理してくれ」
「畏まりました」

 そう承りながら、ソランは後悔していた。自分があんなことを言い出さなければ、少なくとも、殿下は自分でケインに毒を届けになど行かなかっただろう。ウィシュミシアに運ばれ、そこで死ぬまで生かされるはずだったのだから。
 間違っていたとは思わない。それでも、胸が痛まないわけがない。

 面には決して出そうとしない殿下の横顔を、ソランは凝視した。その視線が気になったのか、殿下はようやく、ソランへと視線を向けた。

「なんて顔をしている」

 ふっと笑われた。

「いや、当たり前か。おまえはずいぶんと懐いていたからな」

 ケインのことに心を痛めてはいたが、本当に辛く思うのは、殿下が感じているだろう痛みだ。しかし、それを伝えるのは憚られた。たぶん、今、思い遣られるのは、鬱陶しく感じるに違いない。

 そうであっても、ソランはひたすら、殿下の心に寄り添いたかった。黙って心の中に溜めこんでしまうそれを分かち合って、少しでも軽くしてさしあげたかった。

 心を澄まして己の中を、殿下の気配で満たす。収穫祭で世界を取り入れ、歌を歌う時のように。すると、浮かぶ言葉があった。

「殿下にとっても、信頼に足る、良い部下であったでしょう?」

 言ってから、なんて無神経な言葉だろうと思った。わざと傷を抉る言葉だと。だが、真実を語っている。
 殿下はゆっくりと杯を呷り、床に置いた。そこに刻まれた模様を指でなぞりながら答える。

「ああ。そうだな。いつも信頼以上の働きをしてくれた」

 ケインは寝食を忘れるほど仕事に打ち込んだ。力のかぎり、殿下に仕えていた。時には命すら懸けて。

「まったく」

 殿下は杯を上から握りこむようにした。その拳に力が入り、腕が震える。

「馬鹿者がっ」

 そうして長い間、暖炉で踊る火を睨みつけていた。やがて、天井を振り仰ぎ、息を吐いた。続けて小さな声が零される。

「知っていたのにな。救ってやれなかった」

 殿下は、向けられる憎しみがどこからきているのか、勘付いていたのだ。
 そしてもう一度深い息を吐き、杯を床に置き去ったまま、ソランに向き直った。ソランも杯から手を離し、耳をそばだてる。

「私たちに呪いを解く力は、本当にあるのだろうか」
「わかりません。ないのかもしれません」

 ケインもエルファリア殿下も、何度も宝剣の主を王位に就け、その願いを叶えようとしてきたと言った。けれど、未だ呪いは解けていない。

「ですが、きっとそれは、二の次の事なのだと思います」
「二の次?」

 問い返され、わかりにくかったかと、他の言葉を探す。

「ついで、と言いますか、おまけ、と言いますか」

 殿下は呆れた顔になって何か言おうとし、途中で止めると、溜息とともに苦笑した。

「それで?」
「それで、良いかと」

 ソランはうまく表現できず、尻切れ蜻蛉に口を噤んだ。

「呪いは解けずともよいと?」
「それはよくはないでしょうが、どうすればいいのか見当もつきませんし、知っている者がいれば、とっくに試してみているでしょう。つまり、そんなことで悩むだけ無駄ではないかと。したいことをしろと言うのですから、まずは何事もやってみればよいかと思いますが」
「この国を壊すことになってもか?」

 軽い口調であったにも関わらず、それを言った殿下は、エニュー砦で、守らねばと口にした時と同じく、冒しがたい威厳をまとい、為政者の目でソランを見返していた。

「必要とあらば」

 ソランは心が浮き立ち、心のままに微笑んだ。殿下は驚いた顔をし、それが過ぎると、楽しげな笑みを浮かべた。手を伸ばしてくる。それに応えてソランも差し出せば、指を絡め、手を繋がれた。
 掌から全身に熱がまわる。いたたまれない心持ちがするのに、殿下から目をそらせなかった。

「おまえとなら、落ちるところまで落ちるのも、楽しかろう。いいや。そうだな、目も眩むような高みを目指すのも悪くない」

 殿下の中に決意が垣間見えた。

「はい。お傍に置いてくださいませ」

 ソランは思わず、心を焦がす望みを懇願していた。すると、繋いだ手を強く引かれた。バランスを崩して、殿下の胸元に寄りかかる。繋いでいないもう片方の腕がソランの背にまわされ、引き寄せられる。耳元に殿下の息がかかり、体が震えた。

「ああ。離すものか」

 殿下の腕にいっそう力が入り、ソランは痛いくらいに抱きしめられた。
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