暁にもう一度

伊簑木サイ

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第八章 思い交わす時

1-5

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 一回り歩いてくると、小屋の暖炉で持ってきたハムやパンを炙り、皆で食べた。
 ソランは視察の時のように和(わ)気(き)藹(あい)々(あい)とできるかと、護衛たちに声をかけたのだが、妙な感じで気を遣われ、腫れ物に触るような応対をされた。女装をしているからというだけでなく、立場が変わったからだと、この時初めて気がついた。丁寧に扱われるが、気安くはしてもらえないのだ。

 『ソラン』の姉だというだけなら、こんな風にはならないだろう。王太子の婚約者候補だからこそ、一線を引かれる。
 思ったより重く面倒な立場だったと、今さらながらに思い知った。もっと簡単に考えていたのだ。嫉妬や陰謀の相手をしていればいいのだと。それなら話は明快だ。敵を打ち払えばよいだけである。

 だが実際は、敵ではない人間の方が多かった。そして、本来ソランはそういう者たちに丁重に扱われる謂れのない人間なのである。

 護衛たちは素早く食事を終えると礼を述べ、外の見張りに残った者たちの食事を持って、小屋を出て行った。

「食休みをしたら、王都へ戻りますか?」
「ああ、すまないが、そうしようと思う」
「いいえ。すっかり気が晴れました。ありがとうございます」

 戻るのかと思うと気がふさいだが、王都を出てくる前とは雲泥の差だった。重くかかっていた暗雲が去り、目の前がぱっと開けた感じだ。きっと帰っても、今度は違う対応ができるだろう。

「いや、礼を言うな。謝らねばならんのは、私だ」

 そう言うと、顔をソランに向けた。

「おまえを閉じ込めていたのは私なのだ」

 言っている意味がわからなかった。ソランは曖昧に首を傾げた。
 殿下は視線をそらし、明かり取りの窓を見上げた。

「昨日、兄上の許へ行って、子供が生まれたら養子に欲しいと頼んだ」

 ソランはますます戸惑った。話の繋がりがぜんぜん見えない。

「そうしたら、しばらくぶりに兄上に叱られた。そういう話は、本人に話を通してからではないかと。きちんと話し合えば、そんな話にはならないのではないかと言われた。本気ならば、二人で頼みにくるのが筋だろうとも」

 殿下は苦笑した。

「一言もなかった。その通りだ。私は引き下がるしかなかった。それでもその時はまだ、準備が整ったら再び頼みにくればよいと思っていた。……今思えば、兄上はそれを見抜かれていたのだろうな。帰り際に忠告された。目的のためには手段を選んでいられないときもある。だが、そんなことばかりをしていると、本当に手に入れたいものを失くすぞと。私には、その意味がわからなかった。だから、ただ、覚えておきますと返事した」

 上を見上げていて首が疲れたのだろうか、軽く下を向くと息を吐く。

「今朝、おまえが泣いた時に、やっとわかった。兄上が何を言おうとしてらしたのか。自分が何をしていたのか」

 顔を上げ、苦しそうな顔をソランに向けた。

「私は愚かだった。おまえを、逃げられないように追い込んで閉じ込めようとしていた。枷をつけ、檻を築き、それしか選べないようにしようとした。そんなことをすれば、おまえはおまえでなくなってしまうのに」

 ソランは言われていることが、理解できるようでできなかった。もどかしかった。殿下は本当は何を伝えようとしているのか。
 だが、すぐそこまで答えが来ている予感がある。だから、注意深く耳を傾け、瞳に浮かぶものを見落とさないように目を凝らした。

「いや、知っていたのだ。知っていて、見ようとしなかった。私は、どうしても、おまえが欲しかったのだ」

 欲しい? そんなことを言わずとも、ソランの命は殿下のものであるのに。ソランは不思議に思ったが、黙って殿下を見返した。

「わかっておらんな」

 殿下はどこかが痛んでしかたないという感じに苦笑いした。

「では、こう言えばわかるか? 私は、おまえを妃に欲しいのだ」
「婚約者でなく?」
「そう。伴侶として」

 ソランは頭の中で殿下の言葉を反芻した。伴侶? ということは、妻?
 理解した瞬間、体の奥底から熱い奔流が押し寄せていっぺんに頭の先まで侵し、波打って体の中に逆流していった。

「え?」

 信じられなくて疑問を口にしたいが、頭の中が麻痺して言葉が出てこない。

「真っ赤になったということは、少しは理解したのか」

 面白そうに、殿下は言った。

「か、からかって」
「からかってはおらん」
「でも、私は」
「その姿は幻だと知っている。おまえが好きだと気付くまで、まさか自分が男を好きになるとは思わなかった」

 殿下は、『男であるソラン』が好きだと言っているのか?
 ソランは今度は血の気が引いていった。そんな様子を見てどう思ったのか、殿下は少し眉を顰めた。

「だから、できたら、その姿のまま、私の傍にいて欲しい。そうすれば、まわりの混乱は最小限で済むからな」
「あ。それで、エルファリア殿下に」
「そうだ。跡継ぎをくれと頼みに行ったのだ」

 男同士では子供が生まれないから。では、殿下は本気なのだ。

「その姿であっても、二度と閉じ込めたりはしない。今、王妃陛下が自由に権限を振るわれ、陛下の片腕であられるように、将来、おまえにも我が助けとなってもらいたい」

 その言葉が、真実、ソランに与えられたものだったら、どれほど嬉しかっただろう。でも、それこそ幻だ。この世には存在しない者に捧げられた言葉なのだ。

「男の姿に戻りたいというのなら、それでもいい。まあ、まわりは騒ぐだろうが、黙らせる」

 それは大騒ぎで反対されるだろう。男を伴侶とする王など、いくら色恋沙汰に関して規範のゆるいウィシュタリアでも、前代未聞だ。今度は側妃争いか、後継者争いが起こるだろう。黙らせる、など簡単にできるわけがない。

「心配はいらない。それとも、私がそれくらいのこともできぬ男だとでも?」

 ソランは首を横に振った。たしかに殿下ならやりおおせるに違いない。どうするのかは、想像もつかなかったが。

「ソラン」

 殿下が身を乗り出し、ソランと目の高さをそろえた。近くで瞳を覗きこまれて、動けなくなる。

「おまえが、好きだ」

 ソランは短く息を吸い込んだ。心臓が体の中で、壊れて跳ねまわる。目を瞠り、喘いで唇を小さく開けた。
 その唇に口付けが落とされた。強引ではなかった。唇以外触れ合っていないのだ。逃げるなら、いくらでも逃げられた。でも、ソランは、唇が触れた瞬間、体が痺れて動けなくなっていた。
 甘美としか言いようのない感覚だった。ただしそれは数瞬のことで、すぐに離れていく殿下の唇を、ぼんやりと目で追っていた。

「今の口付けが嫌でなかったなら、私の言ったことを考えてみてくれないか」

 そう言われて、もう少し視線を上げると、まなざしがかちあった。そこに宿る熱さに気付き、全身に震えが走った。ソランは思わず身をすくめた。
 殿下は目を瞬き、熱を消し去ると、優しく微笑んだ。

「頼みついでに、もう一つ頼む。せめて二、三日は考えてみてくれないか。さすがに私でも、いつものように即決即断で断られたら、立ち直るのに時間がかかりそうだからな」

 ソランは声もなく頷いた。

「少し落ち着いたら外に出て来い。私は先に行っている」

 殿下は静かに出て行った。ソランはその場にへたりこんで、熱の引かない頬を両手で挟んで、泣きたい衝動を堪えていた。
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