暁にもう一度

伊簑木サイ

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第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

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 ソランはゆったりと湯につかり、さっぱりすると、殿下が待つ部屋に案内された。ソファに座る間もなく、すぐに騎士たちの宿泊している棟へと行く。
 そこで酒樽を六つ開け、彼らの労をねぎらい、ふるまった。共に乾杯を三度ほど繰り返し、空きっ腹に酒でほろ酔い加減になったところで、その場を辞す。そして先程の部屋に戻り、殿下と二人で気兼ねなく、用意されてあった食事を取った。

 その後は、スーシャとファティエラに案内され、奥の部屋に入った。そこは広い衣裳部屋で、一つ一つの扉を開け、設備を丁寧に説明してくれる。人の気配のする、位置的に隣に並んだ小部屋だろうと思われる扉だけは開けずに指し示すだけにされ、こちらは殿下の衣裳部屋になります、と言われた。
 ソランは首を傾げた。

「どうして殿下のお衣裳がこちらに?」

 二人は顔を見合わせ、スーシャは恥ずかしげに俯き、ファティエラが困ったように教えてくれる。

「あの、まだご婚約されただけなのは存じ上げておりますが、殿下のご指示で、寝室は同じにするようにと」

 ソランは言葉も出せず、顔に血が上るのも止められなかった。何がどう恥ずかしいのか理由は分からないが、とにかく恥ずかしい。いてもたってもいられなくなってきて、できるものなら、叫んでこの場を逃げ出したかった。
 口元を片手で覆って目を瞑ってしまったソランに、二人が心配げに触れてくる。

「大丈夫でいらっしゃいますか?」
「ええ、はい、大丈夫です」

 ソランは頬へと手を移し、目を開けて頷いた。顔が火照ってしかたなかった。
 スーシャが真剣な顔で尋ねてくる。

「もし、お嫌なのでしたら、私たちでお守り申し上げます。絶対に義母も手伝ってくれます。たとえ殿下といえど、女性に無理強いするのは許せませんもの」
「え? いいえ、無理強いは、別になさらないと、……たぶん」

 ソランは珍しく言い淀んで、尻すぼみに声が小さくなってしまった。スーシャの言葉を否定するということは、ソランが殿下のやりように合意していることになる。

 恐らく彼女たちが想像しているものと、現実の間には、大きな誤解が横たわっていたが、それを解くと、殿下が不機嫌になるのは、祖父や両親との話し合いのときに経験していた。
 説明しようにもそれができないとなると、ソランに打てる手はなかった。ただ恥ずかしさを耐え忍ぶしかない。

 悪いことをしているわけではない。でも、好きで好きでしかたない人とのことを指摘されるのは、どうしてこんなに恥ずかしいのだろうか。
 ソランは、もう片方の手で無意識に、どきどきする胸を押さえた。その姿は、端からは悄然として見えた。

「私、抗議してまいります」

 突然、ファティエラが断固とした調子で宣言した。

「え?」

 ソランはびっくりして目を瞬く。

「女性にとっては決心のいることですもの。愛していらっしゃるなら時が満ちるまで待つのは、男性として当然のことです。何も言いなりになることはありません!」
「そうですわ! そうですとも! 男の方って、時々、すごく自分勝手なんですわ。急にキスしてきたり」
「まあ、ウォルター殿もそうなんですか? イドリックもそうなんですよ。抗議しようにも口をふさがれればどうしようもないんですもの」
「まああ、不肖の兄が申し訳ありません。今度、よく言って聞かせます」
「いいえ、それは夫婦のけじめですもの。私がつけなければならない落とし前です」
「それもそうですわね。頑張って、ファティ! 私も頑張るわ!」

 赤裸々な会話が目の前で繰り広げられる。心の中で悲鳴をあげながら聞いていると、二人の目がいっせいにソランに向けられた。

「でも、ソラン様は別です。相手はあの殿下ですもの。女性には荷が勝ちすぎます。僭越ながら、私たち、お味方いたします」

 スーシャが血気盛んに言い切った。

「ええ? えーと、あの、大丈夫だと思います」

 ソランはもごもごと言った。自分がこんな情けない返事をする日が来るとは思わなかった。それ以上どう言ったらいいのか迷っていると、彼女にそっと手を握られる。

「初めてのときは誰でも怖いものです。無理をしても辛いだけです。男性は事に及べば聞く耳など持ちませんから、そういう状況にならないようにする必要があります。決心もつかないのに同じベッドで休むなど、襲ってくれと言っているようなものです」

 話がどんどんきわどくなってくる。既婚女性の話は、ほんのさわりでもソランには毒だった。真っ赤になって、恥ずかしさのあまりほとんど涙目になる。
 留学先のエレイアで、妄想いっぱいの男同士の猥談に混ぜられているときは平気だったのに、どうして女性のいたわりのこもった言葉の方が威力があるのだろうか。

 何の前触れもなく、ノックの音が部屋に響き渡った。三人はびくりとして、音のした扉を見遣った。返事もしないのに、勝手にかちゃりと開かれる。

「まだ着替えていないのか、遅いぞ、ソラン」

 殿下が不機嫌に言った。スーシャとファティエラが、ソランを庇うように前に出る。殿下は訝しげに歩み寄ってきた。

「どうした」
「お待ちください、殿下。ソラン様は、まだ」

 殿下は二人にかまわず、背の低い彼女たちの頭の上から手を伸ばし、ソランの頬に触れた。

「これ以上待たせてくれるな。寸暇も惜しい。おまえと離れていたくないのだ」
「はい」

 その瞳に同じ気持ちを見て、ソランは反射的に答えてしまっていた。それに殿下が優しく笑む。

「待っている」
「はい」

 殿下が静かに部屋を出て行くと、スーシャとファティエラは、ほうっと溜息を吐いた。

「あんなふうに求められれば」
「断るなんてこと、できませんわね」

 二人はどちらからともなく呟き、ソランに目を向けた。大きな誤解がそこに見えた。
 ソランは、ただただ、二人にぎこちなく笑ってみせるしかできなかった。
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