暁にもう一度

伊簑木サイ

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第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

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 真珠の養殖場に塩田に港町。ソランは殿下の案内で、連日興味深い視察をした。
 港町にある珍しい物ばかりの薬問屋には、何度も訪問して、店主夫妻ともずいぶん親しくなった。

 アロナに頼んで、真珠入りの酢も貰った。肌が綺麗になるし、女性にありがちな生理痛や便秘にもいいという。蜂蜜を入れ薄めて飲んだそれは、案外と美味しかった。ポイントは香りの良い酢を選ぶことなのだと教えてもらった。
 領地でよく採れるベリー類や林檎で、酢を作ってみるといいかもしれないと思いつく。真珠がよく見えるように、容器はガラスがいい。ラベルにも工夫が必要だ。いかにも女性が好みそうな綺麗で可愛らしくてロマンティックなのがいいだろう。そのへんは、王都に戻ったら、ミルフェ姫にでも相談してみようと決める。

 本当ならガラス工房も領地に作りたいぐらいだが、割れやすいそれでは運搬が難しい。やはり樽ごと王都に運び込むのが無難だろう。
 ガラスへの詰め替えやラベル貼りは簡単な仕事だから、慈善事業の時に多く見受けられた、子供を抱えた寡婦の仕事に向いているかもしれない。住み込みで雇えば尚いいだろう。

 次々に浮かぶ考えを、食事中に殿下に向かってまくしたてたら、そろそろやってくる予定のウィシュクレア代表、ダニエル・エーランディアを紹介するから、それを顧問にするようにと言われた。
 確かに、素人の商売では心許ない。クレアの大商人が後ろ盾についてくれるなら、そんな心強いことはなかった。 

 朝食の後のひとときは、スーシャやファティエラと、その子供たちも連れてきて、エランサ語の勉強をする。
 ファティエラの子は、四歳でジュールという。イドリック似の男の子で、言葉が遅いのだという。理解していないわけではなく、片言ながら声も発する。ソランが発音の練習をしているのを、穴が開きそうなほど見ている目は理知的だ。こういう子は、ある日突然すらすらと話しだすから心配ないと、アロナは請け合った。

 スーシャの子はアデルといって、まだ一歳になったばかりの女の子だ。人見知りをしない性質で、ソランの膝に乗って、一緒になって真似てみせるのが、なんとも言えず可愛らしかった。

 夕暮れ前の二、三時間は、毎日騎士たちと共に訓練だ。馬上で槍を扱ったり、徒歩で剣を振り回して汗を流すのは、本当に楽しい。

 人数が多いので、時には朝から広大な狩猟場に行き、二手に別れ、剣の代わりに木の棒を持って模擬戦もした。それぞれに守る木を決め、そこに早く辿り着いたほうが勝ちだ。
 殿下は手堅いが攻撃的で、ディーは隙をつくのがうまい。イアルは守りが厚く、負けにくい戦いをする。それぞれに癖があることも知った。

 初めは戸惑った領主としての、あるいは、殿下の婚約者としての貴人扱いにも慣れた。殿下の他に貴人のいないここキエラでは、領主位を持つというだけで、若輩者のソランでさえ、身分的には殿下の次となるのだ。

 ソランは、まだ結婚したわけではなく、客人として訪れているので、女主人として采配を振るう必要もない。ただ好きなことをしていい日々。
 暇ができれば、鍛冶工房に行ったり、台所仕事を見に行ったり、従業員の子供と遊んだり、馬の世話もした。釣りや狩りにも行く。キエラでの生活は、充実した毎日であった。
 この先に何が待っているのか見当がついているが故に、よけいに貴重に感じる日々だった。



 その日は模擬戦で、敵の裏をかくために別働隊が沼を渡り、嬉々として陣の薄いところを突破したところで、殿下に立ち塞がられ、ソランは木の棒とはいえ殿下に対して振り上げることができずに、右往左往しているうちに、負けてしまった。
 それも本陣が落とされたのではない。要であるソランの動きが封じられてしまったために、攻撃側の大半が討ち取られてしまったのだ。

 終了の狼煙があげられ、軍笛が吹き鳴らされる中、戦場だったそこを見まわして、ソランは悄然とした。
 人馬共に泥だらけになった一群が、ソランを見上げていた。討ち取られた状態なので、馬を降りている。服も革でできた鎧も水を吸って重くなっている上に、一番酷い者は、途中で転げ落ちでもしたのか、人型の泥人形のようになっていた。目と歯だけが白い有様である。気がたっていた時はさして気にならなかったそれが、殿下の陣の者たちと並んでみると、実に滑稽に見えた。

 朝から斥候を出して相手の陣を探し、相手の攻撃ルートを想定して陣容を整え、必要なら罠も仕掛け、斥候の情報を元に進軍ルートを決めて、沼まで越えてここまでやってきた。その一日の行いがご破算になってしまったのだ。
 それもこれもソランの間抜けな行いのせいだ。情けなさのあまり、気分が落ち込む。だが、司令官を務めたからには、皆の前に立たねばならない。

「兵を纏めてまいります。御前を失礼いたします」

 ソランは許しも得ないまま馬首をめぐらせ、自軍の兵のもとへ馬を進めた。
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