暁にもう一度

伊簑木サイ

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第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

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 皆を集める。
 ソランも馬を降り、申し訳ない、と言おうとしたところで、本隊を率いてくれた百騎長のセルファスが、ソランの肩を押さえて止めた。

「司令官は、何があっても謝ってはなりません。たとえ模擬戦であってもです」

 ソランは一瞬息を止め、それから頷いた。
 人の命を預かっているのだ。本物の戦場なら、勝っても負けてもそれはソランの責任であり、謝罪程度で償えるものではない。謝罪せねばならない命令など、下してはならないのだ。
 重ね重ねの失態に、ソランは俯いて額に手を当て深呼吸した。そうしながら、うろたえている心を切り離そうと試みる。

「それに、恐らく、責められるべきなのは、ソラン様の策を支えきれなかった我らでしょう」

 ソランは驚いてあわてて顔を上げた。彼の言葉を否定する。

「いいや、そうではない。そんなになってまで、皆よく従ってくれた」

 特に酷い有様の者に目を留めて言うと、軽く笑いが起きる。皆に悲嘆に暮れた様子はなかった。

「今日はまんまとあちらの策に嵌りましたが、あれがイアル殿やディー殿だったら、確実にこちらの勝ちでした。ソラン様も彼らなら、討ち取るのになんの躊躇いもありませんでしょう?」
「そうだが、しかし」

 負けは負けだ。
 ソランがそう言う前に、彼は今度は彼女の口の前に手を翳した。

「ソラン様の作戦は、いつも面白い。つい、やってみたくなるのです。今日もそうでした。ソラン様が泥だらけで出てきた時の殿下の顔といったら」

 そこここから、俺も見た、と笑い声があがる。

「目をむいて、ぽっかりと口を開けていらっしゃいましたから。あの殿下に、戦の最中にあんな顔をさせられるなんて、あれだけでも、してやったりですよ」

 完全に負け惜しみである。やはり皆悔しいのである。しかも、ソランの性格を見事に読んだ、子供だましみたいな策――ソランには殿下をぶつけろ、得意の力業を発揮できないから――にしてやられたのだ。腹立たしくないわけがない。
 ソランは真剣に一つ頷いた。

「ああ、そうだな。次は小手先も効かないような策を立てよう」
「我らも今度こそ策を遂行出来るように、さらなる精進をいたします」
「うん。頼む」

 ソランも苦笑めいたものではあったが、やっと笑みを浮かべられた。

「さて、司令官殿、次は何をいたしましょうか?」

 右手を心臓に当ててみせてくる。セルファスがすると、他の者も皆がしてみせた。

「このままでは冷える。火を焚いて服を乾かすとしよう。急ぎ薪を拾い、火を熾せ」
「承知いたしました」
「行け!」

 ぱっと散っていく。今は汗だくだからまだいいが、汗が引いてくれば、かえって凍えてしまうだろう。
 皆を見送って、歩み寄ってくる気配に顔を向けた。殿下が自分のマントを外し、ソランの肩へと掛けてくれる。ぐいっと頬を指で拭われ、ジャリとする。泥がはねていたのだろう。

「まったく、ひどい有様だ。本隊におまえが見えぬから、こんなことになるかもしれないとは思ったが、まさかこの冬季に本当にやるとは」
「冬季だからこそしたのです。このあたりの夏場の湿地は、虫が怖くて近付けません」

 ヒルに血を吸われるくらいならどうということもないが、暖かい地方では、蚊をはじめとした様々な虫に病をうつされかねない。

「なるほど。そういうものか」
「どうしても入らねばならない時は、露出した部分に泥を塗るといいそうです」
「そうか。よく知っているな」
「薬問屋のグラースに聞きました」

 薬を出すのにも、症状と原因を知る必要がある。薬の効能を聞きながら、出てきた話だった。
 ほう、と興味を惹かれたような顔をする。

「そんなところからそんな情報が得られるのか」
「はい」

 戦には様々な情報が要る。地形、天候、動植物については当然として、それ以外にも、そこの住人しか知らないようなことが鍵になることもある。
 例えば、夏場に敵を湿地に追い詰め、一晩閉じ込めたらどうか。それだけで戦わずして勝利を掴めるかもしれないのだ。

「面白い。また興味深い話を聞いたら、教えてくれ」
「はい」

 そう答えながら、ソランはふるりと体を震わせた。さすがに濡れそぼったままで冷えてきた。殿下もそれに気付き、火の用意をしている場所へと誘う。

「しっかり乾かしてから帰らねばならんな。さあて、これを見てアロナ婦人はどんな顔をするやら。楽しみだな、ソラン?」

 からかう口調に、はっと顔色を変えて、ソランは殿下に頼み込んだ。

「すみませんが、洗濯係の者に特別手当を出してやっていただけませんか。泥汚れは取り難いのです。この人数分の洗濯は大変にちがいありません」

 ソランとて、下着までぐっしょりだ。どこからか入り込んだ泥や砂で、気持ちが悪いことこの上ない。着ている物すべてが洗濯対象だ。それに、鎧も手袋もブーツも手入れが必要だ。今さらながらに考えなしだったかもと思いはじめる。

「それはかまわんが。気になるのはそっちだけなのか? ……ああ、そうか、もしかして小言を受けるのは私だけなのか」

 後半は嫌そうに顔を顰めながら何事か口の中でぶつぶつと呟く。よく聞こえなかったので、ソランは聞き返した。

「どうかなさいましたか?」
「どうもしない」

 ぽん、と頭の上に手をのせられ、ぐりぐりと撫でられた。

「アロナ婦人でなくても、確かにこれを叱る気にはなれんな」

 殿下は意味不明の独り言を、諦め顔で呟いたのだった。
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