暁にもう一度

伊簑木サイ

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第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

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 案内されたのは執務室だった。ディーが扉を開けてくれ、中に招き入れられる。
 座っていたジェナスがすぐに立ち上がり、その後ろに立つ従者と共に深く頭を下げた。
 ソランはイアルを従えて殿下に歩み寄り、差し伸べられた手に己の手をのせた。

「遅くなりまして、申し訳ありません」
「気にするな、さほど待ってはおらん。急がなくてもよかったものを」

 ソランが軍服で来たことを言っているのだろう。確かに女装は時間がかかるが、そのせいでドレスをやめたのではない。足元も首元も頼りない格好よりは、こちらの方が気が引き締まるからだ。
 ドレスを着ると、ソランも女だということだろう、やはり心が浮き立つのだ。それでこんな風に殿下にエスコートされると、始終ドキドキしてしかたない。

 ジェナスは殿下に招請されたと語っていた。ならば、その理由はいくつも有りはしない。戦に関することか、呪いの見解か。そんな話をするのに、浮ついてはおれない。
 手を引かれ、早く座れと急かされる。

「ご挨拶申し上げないと」

 そっと手を引っ込めようとして、強く握られる。しかたなく繋いだまま、未だ頭を下げたままのジェナスに向き直ろうとしたが、今度はぐいぐいと引っ張られた。ソランは非難するまなざしを彼に向けた。殿下はひどく面倒くさそうな顔をしていた。

「だから座れと言っている。ミシアとクレアの代表が、タリアの王家と友好関係を結ぶのは知っておろう? なぜそうするのか、理由もわかっているな?」
「はい。宝剣の主(あるじ)を生み出す王家を支えるため、ですね?」
「それは窮余の選択であって、宝剣の主に忠誠を誓うのが本来の形なのだ。つまり、おまえもその対象になる。そうだな、ジェナス?」
「仰るとおりでございます。ご挨拶もせぬうちから、大変失礼いたしました。ウィシュミシア代表を務めております、ジェナスと申します。改めてお願い申し上げます。どうか御身にお仕えすることをお許しいただきたく存じます」

 揺らぐことなく畏まったまま伝えられた言葉に、ソランもまた、迷うことなく答える。

「失礼ながら、私にその資格はございません。誠の宝剣の主は、アティス殿下お一人でいらっしゃいます」
「何を言い出すのだ」

 殿下が眉間に皺を寄せ、少々怒った声を出した。

「初代の主は、剣を譲った時点で主ではなくなりました。自らの意志で、二代目の主を剣の所有者としたのです。ですから、私がその生まれ変わりだとしても、それは宝剣に触れられるというだけで、主としての資格はないのです」
「お言葉ながら、個人に与えられる加護は、その者一代限りのものにございます。加護の証として与えられたものならば、いずれはその死とともに返されるものにございます」

 彼女の言葉の意味するものに、ソランははっとした。

「ならば、殿下が剣を手にできるということは、未だ加護は続いているということなのですね」
「そうでございます。そして、加護があるということは、加護を与えるものが存在するということでもございます」
「……それを行っているのは、私ではありません」
「人は己の顔を見ることはできません。己のすべてを知っているわけではないのです」
「だとしても」

 ソランは言葉を切った。自分がこれから言うことが、彼女を酷く傷つけることを本能的に知っていた。だけれど、だからこそ、ソランが彼女に教え諭さねばならぬのだともわかっていた。

「私はただの人でしかありません。神と呼ばれる存在は失われ、二度と取り戻すことはできないのです」

 ジェナスは声もなく佇んだ。瞳が揺れ、ソランを凝視している。やがて、苦痛を湛えた目で囁くように尋ねた。

「私はいらぬと仰せですか」
「いいえ」

 ソランはジェナスから視線をはずし、俯いた。

「ジェナス様のお力はぜひにも欲しいものです。ですが、私にはそれに見合うものをお返しすることができないのです」

 そう言ってから、もう一度顔を上げ、彼女の瞳を、力のこもったまなざしでとらえる。

「それでも、お願い申し上げます。大賢者ジェナス様、どうかそのお力をお貸しくださいませ。私と共に殿下に仕え、この国の礎となってほしいのです」

 ソランは無意識に殿下と繋いでいない方の手をぎゅっと握り締め、胸元に押し付けていた。それほどに必死だった。虫のよすぎる願いだと知っていた。
 だけど、こうする他、考えつかなかったのだ。彼女の望むものを与えてあげられないソランに差し出せるのは、誠意だけだった。

 何も言わずに、彼女の申し出に頷いてしまえばよかったのかもしれない。でも、入浴の後、衣裳が濡れないように髪を結い上げられて気がついた。ジェナスと同じ髪型。もしかしたら、彼女は到着してまず旅の汚れを落とし、髪を乾かす間もなく、出迎えるためにあそこに立っていたのではないか。
 どれほど寒かったことだろう。その寒さを凌ぐ思いがあったに違いない。泥だらけの長靴に口付けさえしたのだ。それほどの思いを利用して、騙すように忠誠を取り付けるのは、あまりに不誠実であるとしか思えなかった。そんなことは、ソランにはとてもできなかったのだ。

「私を必要と仰せなのですか?」

 静かに問い返したその瞳は、光を反射する鏡面のようで表情が読めなかった。

「はい」
 緊張気味に頷く。
「共に礎となれということは、生涯仕えよということですか?」
「はい」

 もう一度、ソランの望みをはっきりと示した。
 その答えを受けて、彼女は笑った。婀娜っぽい顔が純真無垢に輝く。それは、はっとするほどの変化だった。

「喜んで。喜んでお仕えいたします」

 彼女はすぐさま跪くと、改めて忠誠を誓ってくれたのだった。
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