暁にもう一度

伊簑木サイ

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第十章 バートリエ事変

3-4

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 ソランはマントを脱ぎ、冑は被らずにいた。ここは流れ矢が飛んできたり、乱戦の戦場ではなく、しかも相手は一人ずつである。視界はしっかりとあった方がいい。そこに、防御力は低いが、軽い皮鎧を着けていた。

 左手で剣の柄頭を握り締める。その拵えはソランの剣に酷似させてあったが、中身は殿下の佩剣だ。
 クアッドとの手合わせでも折れてしまったように、一般の鍛冶師が鍛えたものでは、ソランの使用に耐えられない。そこで、三本もスペアを用意した上に、名工との呼び声高いクレインを、ここへ密かに招き寄せてあった。だが、彼の業物であっても、この人数を相手するのには足りないかもしれない。

 それを心配した殿下が、これを使えと、宝剣を彼女に寄越したのだった。これが欠けようが折れようが、それで国が滅ぶわけでもない、気兼ねなく使え、と。
 鍛冶の神ラエティアが鍛えた剣だ。さすがに人の力で折ることはできないだろう。剣を消耗品として使うソランには、うってつけである。

 しかし、ソランはもちろん固く辞退した。宝剣は加護の証として与えられたものだ。殿下の手元にこれがなかったばかりに、最悪のことが起こるのが怖かった。けれど、殿下は笑って取り合わずに言った。

「持っていても、宝剣の主は死んだぞ。恐らく、彼も私と同じく、そこそこの腕前しか持っていなかったのだろう。あの話を聞いた時に思ったのだ。失われた神がこの剣を手にしていたならば、結果は違ったのではないかとな。使いきれぬものを持っていても、役には立たない。これはおまえが持て。そしておまえに守ってもらった方が安全だろう」
「お傍に居れないのですよ。できるわけがありません」
「なに、五十歩ほどしか離れておらん。おまえならできるだろう」
「無茶を言わないでください。どれだけ人を買い被っているんですか」
「買い被ってなどおらん。私は一人ではない。おまえもだ。おまえ以外にも守ってくれる者はいる。おまえが五十歩駆けつける間くらいは、凌いでくれよう」

 な? そう言って御前の者たちを見まわした。
 ソランは、あっと気付いて、羞恥心に俯いた。自分がどれだけ思いあがったことを言っていたか、そんなつもりではなくても、彼らを信用していないと言っているのと同じだったか、あまりの恥ずかしさに震える声で謝罪した。

「申し訳ありません」
「謝らなくてもよい。おまえが私に惚れ抜いていることは、皆が知っている。心配するのは当たり前だ」

 ソランは俯いたまま耳を疑った。今、ぬけぬけとものすごく恥ずかしいことを言わなかったか、この人は?
 頬に血が上り、耳まで赤くなっている自覚があった。ソランは俯けるだけ俯いて、自分の足の爪先を睨みつけているしかできないでいるうちに、言いくるめられてしまったのだった。

 そんなことを思い出しつつ殿下を見遣ると、ソランの心中を読んでいるかのように、にやりとした。そんな場合ではないので、誰にもうろたえたのがわからないうちにと、自然を装って視線をそらした。見るともなく、立会人のエランサ人たちを眺める。

 ザリッと土を踏みしめる音がして、無意識にそちらに顔を向けると、殿下が立ち上がったところだった。

「ソラン」

 威厳に満ちた声だった。誰の耳にも届き、魂を掴むような。鳥も風さえ息をひそめ、次の言葉に耳を澄ます。
 殿下は短い命令を下した。

「我が剣よ。我が名のもとに戦え」

 瞬間、ソランの体中の血が沸き立った。歓喜が血管という血管を巡り、体の隅々にまで広がる。
 ソランは片膝をつき、右手を心臓に当て、優雅に腰を屈めた。

「仰せのままに、我が主よ」

 一幅の絵になりそうな、美しい主従の光景だった。
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