暁にもう一度

伊簑木サイ

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第十一章 解呪

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 カデナを出てからずっと、山裾をまわりこむようにして東へと向かった。昼過ぎ、常にこんもりとあった左手側の山並みがようやく切れ、突然開けた視界に、ソランは息を呑んだ。
 北には雪を頂いたハレイ山脈が神気を纏って連なり聳えていた。その手前の開けた大地には豊かな水が流れ、農地が広がり、その中央に、優しい姿をした美しい街があった。

 王都はまるで、皿に山盛りに盛られた菓子に、真っ白いクリームを塗りつけたような姿をしていた。防壁がないために、白い石材で造られた建物が幾重にも複雑に重なって見える。中央部あたりは一段高くなって、城壁に囲まれた王城と、その中に建つ三つの塔が、仕上げの飾りのように日の光に照り映えていた。

 ああ、帰って来れたのだ、とソランは思い、胸が熱くなった。王都にはたった数ヶ月いただけだったのに、懐かしく慕わしい気持ちでいっぱいになった。

 道は王都の入り口である正門へと続いていた。その両脇に、重騎兵が出迎えとして何十騎も並んでいるのが、遠くからでもよく見える。

 門には二つの旗が掲げてあった。一つは実り豊かな大地を示す深緑のウィシュタリアの国旗であり、もう一つは真紅の殿下の御印だった。
 近付いていくにつれ、旗の中にきらきらと光る金糸で縫い取られた紋様が判別できるようになった。両方とも、東大陸と同じ名を持つマイリアノの花と、太陽を意匠化した王家の紋が描かれている。殿下のものには、さらに、宝剣の主であることを示す剣の図案も配されていた。

 旗の図案が見分けられるほど正門に近付いたところで、ソランは殿下に呼ばれた。

「ソラン」
「はい」

 穏やかな声に、ソランも落ち着いた気分で返事をした。手綱を離し、こちらへ手を伸ばしてくるのを見て、馬を寄せてその手を掴んだ。
 殿下は静かな強いまなざしで見つめてきた。ソランはその瞳に吸い込まれるように意識を奪われ、王都を前にしてざわめく心が凪いでいくのを感じた。

「ソラン。おまえは私のものだ。おまえは、私以外の何ものにも仕えることを許さぬ」

 突然の横暴なまでの申し渡しに、ソランは、ただ、「はい」と答えた。否やなどあるわけもなかった。ソラン自身が何度も殿下に伝えてきたことだ。それは二人にとってただの確認に過ぎず、だからソランは、殿下の真意を汲み取ろうと、まっすぐに視線を見交わし、次の言葉を待った。

「だが、もし、私の許から去りたくなった時は、私を殺せ。生きているかぎり、私はおまえを離してはやれん。おまえが逃げても、おまえを守る者も、おまえが守りたいものも、すべてを殺し、必ず滅ぼす。そうされたくなければ、殺してから逃げろ。よいな?」
「はい」

 間髪入れず答えたソランに、殿下は苦笑を漏らした。何かを言おうとしたが、首を横に振って、自分でやめた。殿下もわかっているのだろう。言うまでもなく、ソランはそうするだろうと。
 生きているかぎり、きっとこの思いは断ち切れない。それほど深く魂を絡め取られてしまっている。それはお互いにわかっていた。
 今のソランには、お互いを愛する以外の感情が芽生えるとは思えなかったが、絶対になどと言い切るほど愚かにはなれなかった。殿下も同じなのだろう。だからこそ、もし、と言った。故にソランも、もしもの場合の返事をした。

 そう。もしもいつか、不幸にも、この気持ちが愛ではないものに変わってしまったとしても、ソランも殿下も、愛したと同じ強さで相手を思い続けるのは、疑いようもなかった。それを断ち切るには、相手を殺すか、自分が死ぬかしかないと、理屈ではなく本能で知っている。きっとそれは、己の魂を殺すようなものなのだろうということも。

「いい返事だ」

 殿下は不敵に笑んで、ぎゅっと手を握り返してきた。
 なぜ、今、そんな話をするのか、なんとなくだがソランにも感じるところはあった。たぶん、もう後戻りはできないからなのだろう。
 あの門をくぐったら。王都へ踏み入れたら。

 それでも殿下は、ソランに今さら決意を問うたりはしなかった。共に生きることを疑ったりはしなかった。その先の、もしもの時の約束をしただけだ。それも、ソランに死ねとは言わなかった。殺すとも言わなかった。ただ、自分を殺せと命じた。
 甘い言葉で彩られていなくても、それは間違いなく深い愛情を告げるもので、それ以上の何も示してもらう必要がないほど、じゅうぶんすぎる言葉だった。
 だから、ソランは気持ちのままに輝く笑顔で、何度も請うてきた願いを口にせずにはいられなかった。

「いつまでもお傍に置いてくださいませ」
「ああ。離すものか」

 殿下も微笑んで強く頷いて、そして、名残惜しげに手を離したのだった。
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