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閑話集 こぼれ話
思いのままに2
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二人に追いつくと、ソランと抱き合っていた年配の女性は腕をといて下がり、他の者たちと共に跪いた。
ソランは大きな喜びを抑えて、照れたような顔をしていた。ここに帰ってきたのが、よほど嬉しいのだろう。私はソランの隣に立って、その背に手を当てた。領民たちを見まわす。
真ん中にいる俯きがちにしている壮年の男は落ち着いた面持ちだったが、それ以外の若い男四人は目を伏せることもせず、主にソランに目が釘付けだった。
「えーと。領民を紹介いたします。これが領主代行のギルバート・ランバート」
「もしかして、イアルのか」
「はい、父でございます。お初にお目にかかります。愚息がお世話になっております」
一人だけ落ち着いていた男は、優雅に腰を折ってみせた。どことなく仕草がイアルに似ている。
「これの働きには満足している」
「ありがたきお言葉にございます。お役にたっているようで安心いたしました」
ソランは次に、先ほど抱き合っていた婦人を示して言った。
「彼女はエイダ・グラシテ。婦人会の会長で、領主館の家事一切を取り仕切ってくれています」
その名に、どうして彼女を見た時から懐かしく感じるのかわかって、私は彼女に歩み寄った――無意識だった。彼女の顔をよく確かめたくて、膝をついて視線を合わせる。
「エメットのご母堂か」
「はい」
かすかに悲しみを湛えた、しかし気丈な微笑を浮かべて、彼女は頷いた。それが、幼い頃に失った兄のように慕っていた護衛の面影と重なり、心の奥に押し込めたはずの悲しみが疼いて、彼女にすがりつくようにして、その手を両手で取っていた。
「すまなかった。あなたには、辛い思いをさせた」
頭の隅では、王太子として相応しくないことをしていると、わかっていた。それでも、自分を守って死んでいった彼の母を前にして、平静ではいられなかった。まるで幼い頃へ気持ちが戻ってしまったようだった。心を尽くして、彼への感謝と悼みを伝えたかった。
「いいえ。いいえ。あなた様のお姿を拝見して、我が子ながら息子を誇りに思う気持ちでいっぱいになりました。あなた様の盾となれましたこと、息子も本望であったでございましょう」
エメットが死んだ時、誰もが同じ事を言った。今は『エメット婦人』と名乗る、婚約者であったジェニファーも。けれどそれは、気休めにしか聞こえなかった。愛する女性がいて、彼女との未来の夢を語っていた彼が、道半ばで逝ったのだ。心を残さなかったわけがない。
それが辛く、恐ろしかった。彼の命を奪ってしまった罪悪感に苛まれた。それが私を命懸けで守ってくれた彼への侮辱になると理解しつつ、自分さえいなければと、どれほど考えてきたことか。
……私には、未来などなかった。先にあるものを思えば、己の命など願えなかった。死に場所を探して、死ぬ時を待って。そんな身の上に次々と積み重なっていく命を、恐ろしくも、うとましくも、愛しくも思いながら、そんな生き方しかできない自分を厭うていた。
ずっと。ソランに出会うまで。
ああ、けれど。今は彼女の言葉が心に沁みる。
エメットが盾になるに足る人間に、私がなれていると彼女が言ってくれるのなら、誰がそう言ってくれるよりも信じられる。きっと、自分がそうであることこそが、彼への最高の手向けになる。それは、何よりも誇らしく、嬉しいことだった。
「ありがとう、グラシテ夫人」
私は心からの感謝を込めて、彼女に囁きかけた。
ソランは大きな喜びを抑えて、照れたような顔をしていた。ここに帰ってきたのが、よほど嬉しいのだろう。私はソランの隣に立って、その背に手を当てた。領民たちを見まわす。
真ん中にいる俯きがちにしている壮年の男は落ち着いた面持ちだったが、それ以外の若い男四人は目を伏せることもせず、主にソランに目が釘付けだった。
「えーと。領民を紹介いたします。これが領主代行のギルバート・ランバート」
「もしかして、イアルのか」
「はい、父でございます。お初にお目にかかります。愚息がお世話になっております」
一人だけ落ち着いていた男は、優雅に腰を折ってみせた。どことなく仕草がイアルに似ている。
「これの働きには満足している」
「ありがたきお言葉にございます。お役にたっているようで安心いたしました」
ソランは次に、先ほど抱き合っていた婦人を示して言った。
「彼女はエイダ・グラシテ。婦人会の会長で、領主館の家事一切を取り仕切ってくれています」
その名に、どうして彼女を見た時から懐かしく感じるのかわかって、私は彼女に歩み寄った――無意識だった。彼女の顔をよく確かめたくて、膝をついて視線を合わせる。
「エメットのご母堂か」
「はい」
かすかに悲しみを湛えた、しかし気丈な微笑を浮かべて、彼女は頷いた。それが、幼い頃に失った兄のように慕っていた護衛の面影と重なり、心の奥に押し込めたはずの悲しみが疼いて、彼女にすがりつくようにして、その手を両手で取っていた。
「すまなかった。あなたには、辛い思いをさせた」
頭の隅では、王太子として相応しくないことをしていると、わかっていた。それでも、自分を守って死んでいった彼の母を前にして、平静ではいられなかった。まるで幼い頃へ気持ちが戻ってしまったようだった。心を尽くして、彼への感謝と悼みを伝えたかった。
「いいえ。いいえ。あなた様のお姿を拝見して、我が子ながら息子を誇りに思う気持ちでいっぱいになりました。あなた様の盾となれましたこと、息子も本望であったでございましょう」
エメットが死んだ時、誰もが同じ事を言った。今は『エメット婦人』と名乗る、婚約者であったジェニファーも。けれどそれは、気休めにしか聞こえなかった。愛する女性がいて、彼女との未来の夢を語っていた彼が、道半ばで逝ったのだ。心を残さなかったわけがない。
それが辛く、恐ろしかった。彼の命を奪ってしまった罪悪感に苛まれた。それが私を命懸けで守ってくれた彼への侮辱になると理解しつつ、自分さえいなければと、どれほど考えてきたことか。
……私には、未来などなかった。先にあるものを思えば、己の命など願えなかった。死に場所を探して、死ぬ時を待って。そんな身の上に次々と積み重なっていく命を、恐ろしくも、うとましくも、愛しくも思いながら、そんな生き方しかできない自分を厭うていた。
ずっと。ソランに出会うまで。
ああ、けれど。今は彼女の言葉が心に沁みる。
エメットが盾になるに足る人間に、私がなれていると彼女が言ってくれるのなら、誰がそう言ってくれるよりも信じられる。きっと、自分がそうであることこそが、彼への最高の手向けになる。それは、何よりも誇らしく、嬉しいことだった。
「ありがとう、グラシテ夫人」
私は心からの感謝を込めて、彼女に囁きかけた。
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