暁にもう一度

伊簑木サイ

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閑話集 こぼれ話

思いのままに3

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 故郷にエメットの遺体が引き取られたことは知っていた。だから、彼の墓に参りたいと言うと、そろって彼らは微妙な顔をした。

「我が領地に個人の墓というものはないのです」

 ソランが考えあぐねながら言うのに、先を促すように頷いて見せた。ソランは、神殿だろうと思われる建物からハレイ山脈に向かって指を動かしながら、指し示した。

「あの向こうに、大地に深い亀裂があって、亡骸はすべてそこから、女神マイラの許へ返すために、投げ入れるのです」

 とっさに思ったのは、自分にはソランの遺体を投げ入れるなど、絶対にできないということだった。次に、冥界の女神を奉ずる彼らにとっては、そうすることが死者への最高の弔いになるのだろうということだった。そうでなければ、愛しい人を、たとえ死んでいたとしても、崖に投げ入れるなどできないだろう。

 元々、たくさんの小国家を統合したのがウィシュタリアの始まりだ。各地に根ざす風習も様々だ。それは、良いとか悪いとか、洗練されているとか野蛮だとか、そういうことでは括れない。……私にとっては、受け入れがたいものであったとしても。

「そうか。ならば、そこに行きたい」
「わかりました。では、皆は戻りなさい。私がご案内します」

 再び騎乗し、丘を下っていく。それはハレイ山脈に向かっているようにも感じられた。ここから見る山々の姿は霊威にあふれ、自然に頭を垂れたくなるのだった。
 ソランは急に何もないところで止まって馬を降りた。それにならって降りて、彼女が待つ所まで行き、一緒に歩いた。数メートルも行くと、前方の大地が二重になって見えるのに気付いた。少し盛り上がっていてわかりにくかったが、どうやら、こちら側の縁と幾許か離れた場所に、もう一つの縁があるらしい。つまり、その間が裂け目だった。

「ここです」

 唐突に何の脈絡もなく切れて落ち込んだ狭い大地の切れ目を覗き込んで、ぞっとした。底の見えない断崖絶壁がどこまでも続いている。確かに、冥界の女神の許まで行けそうであった。この下に死者の国があっても驚かなかった。
 ふと、捧げる花を持って来なかったと後悔したが、この季節は、まだ丈の低い地に根ざした花しか咲いていないとも、あたりを見まわして気付いた。ただ、日の光を宿したタンポポだけが、空洞の茎を精一杯伸ばして上へ上へと咲いていた。

 エメットは、もう生まれ変わったのだろうか。それとも、まだ女神の許で傷を癒しているのだろうか。どちらにしても、冥界にも最早彼と呼べる者はいないのだろう。
 そうとわかっていても、膝をついて黄色い花を摘んだ。ソランも意図を悟って共に摘む。片手を一杯にしてから裂け目の突端に立ち、生気にあふれたそれを、二人で投げ入れる。
 花は下から吹き上げる風に揺れながら、思ったよりもゆっくりと落ちていった。
 それを見送りながら、自然とソランと手を繋いでいた。

 自分はこの愛しい手によって、この大地に繋ぎとめられているのだと、強く感じた。もう、一人で気ままに死ぬことはできない。たくさんのものを背負い、生きていかなければならなくなった。
 でもそれは、昔に想像していたよりも、重いものではなかった。むしろ繋ぎとめられたことによって、遥か彼方まで道が開け、そして私はそこを、思いのままに歩いていくことができるのだった。

「今日の一日が与えられたことに感謝いたします」

 ソランが空いた片手を胸に置き、うやうやしく呟いた。
 それを聞いて、胸を占める思いが感謝であると知った。誰へとも何にともつかない、強いて言えば、自分を取り巻く世界に、とでも言うしかない思い。
 苦しいほどの思いがこみあげて、ソランの手を引いて、その指先に口付けた。そこへ息を吹きかけるようにして同じ祈りを捧げる。

「今日の一日が与えられたことに感謝いたします」

 裂け目から風が吹き上がり、深い地の底で風が唸る音が、あたりに響き渡った。それは、物言わぬはずの大地があげた祝福の声に聞こえた。



 生きなさい。生きなさい。思いのままに、生きなさい。
 いずれ、大地に還るその時まで。



「感謝いたします」

 私はソランの指に唇を触れさせながら、もう一度心から感謝を捧げた。
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