暁にもう一度

伊簑木サイ

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閑話 ルティンの恋

5-3

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 庭は緑にあふれた場所だった。両側は背の高い木々に囲まれ、足元にも草花が植えられていた。恐らく左手が港になるのだろうが、それは木々に邪魔されて見えなかった。小さな柵の向こうは、下りるのに少々覚悟のいるような崖で、おかげで見晴らしが非常に良かった。そこには、彼が言うとおりに、美しい、どこまでも青い世界が広がっていた。
 晴れやかに突き抜けた空の青と、深くなっていく海の青は、同じ青なのに一線を引いて絶対に交じり合わない。そこには、見事に何も無かった。なのに、何もかもが詰まっているように感じられる光景だった。

『あなたにとっては、海は親しいものなのでしょうね』

 彼は海を見たまま言った。

『いや。私は幼いうちに内陸の植民地に連れてこられて、海には詳しくない』
『そうなのですか?』

 彼は驚いたように振り向いた。

『エーランディア人は海の民だと思っていました』
『全員がそうではない』
『では、あの海流を選んだのはあなたではないのですか』
『ああ。目が覚めたら船の中に転がされていたのだ』

 彼は真剣な表情になって、アリエイラに請うてきた。

『どういった経緯だったのか、教えていただけますか?』

 アリエイラが頷くと、彼は庭の隅にあるベンチへと彼女を導いた。二人は海のよく見えるそこへ、隣り合って腰掛けた。

 エーランディア聖国は末期的な状態である、とアリエイラは思う。バルトローも同じ見解だ。だが、他の者たちは違うらしい。他の植民地の総督も将軍たちも、本国の者たちも、エランサを足がかりにウィシュタリアを征服せよと叫ぶ。

 我らを創造したもうたセレンティーア神の御心に添うために。
 大陸にあるという冥界の門を探し出し、そこに閉じ込められた神をお救い申し上げるために。
 我ら人はそのために生きねばならぬ。神なくして人の繁栄はありえぬ。お救い申し上げたその暁には、神は必ずや、我らに慈悲と祝福を与えてくださるだろう。その時、我らは今度こそ、神と共に楽園に生きることができるだろう。

 それが聖国の覇道の理由だった。五十年も昔の話だ。手始めに一番近い島国を攻め落とし、そこの王族を皆殺しにしてから、聖王が公布したのが初めだ。
 それ以来、逆らう者には容赦の無い残虐非道ぶりと、聖戦を掲げる聖王の前に、近隣諸国は次々と併呑されていった。

 そして三十年前、群島諸国を統一したエーランディアは、エランサ大陸に侵攻した。
 その頃の聖国軍は、破竹の勢いだったという。戦を仕掛ければ勝ち、次々と沿岸都市を征服していったと。その土地を奪い、資源を手に入れ、人民を奴隷として、それらの新しい富を元に、更に内陸部へと勢力を伸ばした。

 アリエイラが戦場に出された十歳の頃も、同じだったのだろう。本陣に据えられまわりを守られ、指示すらすることなく、戦だという光景を眺めていただけだった。
 揃いの鎧を着た、頼もしく見えた聖国の兵たちが、家々を焼き、男を殺し、女を犯す、獣に変わり果てる姿を。

 あんなものは、戦などではない。あれはただの略奪だ。それを誰もが聖戦だという。神のためだという。神が命じたのだと。
 嘘だと思った。誰かが嘘をついていると思った。みんな騙されていると。だから育ててくれた師に相談した。師は、そう思うのなら、あなたが自分で犯人を見つけるのだ、と言った。見つけたら、あなたの権限で裁けばよい、と。あなたはウルティア将軍なのだから。

 けれど、裁けるわけもなかったのだ。師はそれをわかっていて、アリエイラ自身に真実を悟らせようとしたのだろう。嘘をついていたのは、全員だった。いや、嘘をつくというのは妥当ではないかもしれない。彼らは、自らに信じ込ませていたのだ。そうでなければ、あんな狂気の地で生き残れるはずもなかったのだ。

 それでも、アリエイラは獣になりたくなかった。あんな醜いものに、なりたくなかった。戦神であるアリエイラは、彼らから逃げられなかった。戦からも。自分がいつか彼らと同じになってしまうのが、恐ろしくてたまらなかった。
 だから、アリエイラは兵を裁いた。己の意に従わぬ者を次々殺した。だが、そうして創り上げた部隊は、やがて精鋭と呼ばれるようになり、移民希望の者たちの憧れの一つとなった。
 略奪はさせてもらえなくても戦果は公平に分配される、そしてどこよりも生還率の高い部隊として。もちろん、己しだいで略奪の富が増えるような他の部隊も、腕に覚えのある者には人気があったのだが。

 アリエイラは何年も略奪の先頭に立ち、エランサ大陸の民を虐げた。

 アリエイラ自身は決して奴隷を自分の傍に置かなかった。邸宅も築かなかった。富も溜め込まなかった。人々はそんな彼女を、更に神として崇めた。聖戦のためだけに生きているように見えたからだろう。アリエイラはそんな清廉な人物ではない。ただ、獣になることを恐れただけだった。
 誰よりもアリエイラ自身が、己が神でないことを知っていた。だからこそ、せめて獣にはなりたくなかったのだ。

 やがて戦は次第に停滞しはじめた。奪い放題だった地は、エランサ軍によって阻まれるようになった。決定的だったのは七年前、現王ラショウ・エンレイが王位に就いてからだろう。勝ちよりも負け戦の方が多くなるようになった。

 大敗を喫した後、追われて聖国まで逃げ帰り、泣きついた息子に、聖王は激怒して、彼の首を即座に跳ね飛ばした。冥界で神に裁かれるがよい、と言い放って。

『神のおんために生きよ。神の御為に死んだ者は、神託の成就とともに、必ず神と共に甦り、神の国で未来永劫暮らせるだろう』
 聖王の言葉は、神の言葉として国民に伝わった。

 しかし、新しい富を手に入れることのできない戦は、消耗だけをもたらした。人々の不満も。聖国内では内乱が頻発し、新兵の徴発も難しくなってきている。このままでは、植民地は本国から切り離され、順に取り崩されていくだろう。

 植民地の人間は、群島に帰ることを許されていない。それは、神の意に逆らうことに等しいからだ。逃げ道のない彼らは、遠からず大陸の端で滅ぼされるしかない。そして、植民地という聖戦の足がかりを失えば、名目を失った聖国自体も瓦解することになるだろう。

 今なら、まだ間に合う。植民地を放棄し、奴隷を解放し、賠償金を払ったとしても、こちらからの和解の条件として、冥界の門を探す許可を求めれば。ウィシュタリアは、わざわざ聖人『エーランディア』を押し立ててきている。それを無碍にされる恐れは少ないはずだった。

 だが聖王は、愚かな、と笑った。やはりおまえは、右目の欠けた、なりそこないだ、と。
 アリエイラはそれを聞いて、聖王の剣を奪い、彼を殺した。居合わせた者も殺した。進言が聞き入れられなければ、そうするつもりではあった。でも、その瞬間にアリエイラの心を占めたのは、憎しみだった。あるいは、絶望と呼ぶべきものだったのかもしれない。

 その時、確かに、アリエイラはあれほど恐れた獣になったのだった。
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