暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
248 / 272
閑話 ルティンの恋

8-1

しおりを挟む
 クーリィとウィラーに、ウルティア将軍の部下が、将軍に会わせろと言って食事を摂らない、と相談を受けたのは、彼らを医療所に放り込んだ翌日のことだった。おかげで、将軍の証言との付き合わせは叶わなかった。それは仕方がない。想定内のことだ。この日の分もルティン側の情報だけをまとめ、王へと送った。

 情報網を使って日に夜を継いで、届くまでに二日弱。あちらから王の代理人が来るのに三日。書面は必ず二通用意した。一通は駐屯地にいる王へ、もう一通はこちらに向かっている代理人が道中で受け取れるようにだ。たぶん、ディー・エフィルナン筆頭補佐官あたりが来るだろう。もしかしたら、王自身が出向いてくるかもしれなかった。

 欲しい情報は、将軍との話でだいたい得られた。感触として信憑性も高いと思われた。それも将軍の部下たちを口説き落とせば、補完できそうだと見当をつけていた。彼女は事態の鍵を握るバルトローと連携を取っていない。それをしていたのは、話を聞く限り部下の方だった。
 そこで翌朝を待って、将軍に彼らに食事をするよう説得してもらえないかと依頼した。

『それだけでよいのか?』

 訝しげに聞き返される。

『はい。小さな誤解で、せっかく取り留めた命を失うのは惜しいですから』

 少なくとも洗いざらい吐いてくれてからでないと、医療費やら、エランサ人の報復から守るために置いている警備やらの元がとれない。という本音は微塵も見せない清らかな笑顔で、ルティンは嘯いた。

『それが貴国の流儀なのだな』

 彼女は尋ねるというより自分に言い聞かせるように言った。エーランディアでは、そもそも一般兵の捕虜など考えられないのだろう。将軍クラスや名の知れた指揮官は虜囚とすることもあるようだが、それ以外は殺してしまうか、奴隷にすると伝え聞いている。

『聞きたいのだが、私の部下だったということで、彼らに私と同じ裁定が下されることはないと考えてよいのか?』

 ルティンを真っ直ぐに見て言うそれは、まるで自分が生き残れるとは考えていない口調だった。普通ならば、聖王の首を取ってきたのだ、客分扱いを要求してもおかしくないだろうに、そういった素振りは一切無い。
 出会ってからずっと、ルティンは彼女に死の影しか見出せなかった。むしろそれを望んでいるかのようにすら感じられる。『ウルティア将軍』としての誇り高い死を欲しているように。

 不羈の獣。初めて彼女を見た時、そう感じたことを思い出す。誇り高い野生の獣は、決して人に懐いたりしない。彼女が将軍でなくなる時は、死ぬ時なのかもしれなかった。
 そして恐らく、それがバルトローと連携を取っていない理由ではないかとルティンは推測していた。生きる気の無い人間と未来の話はできないだろう。

『もちろんです。我らは国策に従った一兵卒の行いまで裁きはしません。そうするのなら、敵対した国の民を一人残らず殺すことになるでしょう。我らはそれを望みません』

 少々誇張が過ぎたが、それが王と王妃の偽らざる思いだ。それに彼女は理解を示して頷いた。

『慈悲深いことだ』

 その呟きに感情は乗っていなかったが、どういうわけかずいぶん皮肉めいて聞こえた。だからか、いつか同じように賞賛された後に姉がこぼした、「慈悲深い、か」という自嘲の声が耳に甦った。

『そんなことは思っておりませんよ』

 ルティンはやんわりと反論した。
 あの姉のことだ、彼女に会わずに済ますとは考えられない。そう遠くないうちに、二人は顔を合わせるだろう。その時に、余計な齟齬を生じさせたくなかった。どこか似たものを持つ二人では、些細なことがお互いを傷つける刃になる予感がした。ルティンはそれを避けたかった。
 彼女は説明をうながすように瞬きをした。

『そこまで傲慢にはなれません』

 我らがしているのは、所詮人殺しだ。どんなに上辺を立派に飾り立てて見せようと。それを知っていて、なお、その道を選ぶのは、深い業だ。王にも姉にもその自覚はある。たぶん、彼女にも。そうでなければ、聖王を殺したりはしないだろう。彼女は少々強引だが、その業を断ち切ろうとしたのだ。
 彼女はどう受け止めたのか、微かに眉を顰めた。ルティンは更に言葉を重ねた。

『それが最善だと考えるからです』
『最善?』

 そう呟いた彼女は、唇の両端を均等に吊り上げた。ルティンは息を呑んだ。笑みというにふさわしい形は、けれどまるで小さい甥や姪が泣きだす瞬間に見せる表情によく似ていた。幼い子供は時に笑っているように泣き、泣いているように笑う。

 彼女はすぐに軽い溜息とともに俯いてしまった。そのせいで、視線が外れ、表情も見えなくなった。幾許もなく顔を上げた時には、何事もなかったかのように無表情に戻っていた。

『説得にはいつ行くのだ?』
『よろしければ、すぐにでも』
『承知した』

 ルティンは座っている彼女に近付いて、手を差し伸べた。しかし、小さく横に首を振った彼女に、きっぱりと断られた。

『すまないが、ウィシュタリアの流儀に私は慣れることができないようだ』
『そうでしたか。それは重ね重ね失礼いたしました』

 ルティンは手を引っ込めた。どうやらやはり、さっきの会話で彼女の機嫌を損ねたようだ。縮められたと思っていた距離が、再びいっきに開いてしまったのを感じた。

 彼女は硬質な雰囲気を纏って立ち上がった。ルティンはその姿に目を奪われた。白い髪が色濃い肌のまわりを後光のように覆い、二色の宝玉のような瞳が鋭い光を含んでルティンを見据えている。船の指揮官室で出会ったときのように近寄りがたく、凛と立つ彼女は、冒しがたい存在感に満ちていた。

 ああ、この獣を手懐けたい。
 突然、強烈な征服欲に駆られて、ルティンは艶やかに微笑んだ。
 彼女がこの笑みから目を逸らせないのを知っていた。いつでも動きを止めて、じっと見ている。不興を買った今でも、それが変わりないのを確かめた。
 付け入る隙は、まだある。
 そう判断したルティンの笑みは、意識しなくても凄まじいばかりの色気を発して、壮絶に輝いていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます

天田れおぽん
ファンタジー
 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...